第百五十話 叫び ―Martyr―
本部のエントランスホールに足を踏み入れると、そこでは十機を超える小型SAM――『尊皇派』の【イェーガー・反逆者】が足止めを食らっていた。
未知のSAMを前にキョウジが瞠目している中、彼らの正体を知るミユキはすぐさま走り寄って声を掛ける。
「アスマくん、それに皆……!」
『不破さん!? ど、どうしてここに? それに、その血は……!?』
惨劇の体験を雄弁に語る彼女の服を目にし、アスマは声を震わせる。
ミユキは自分の身を案じてくれるアスマに微笑みかけ、「命に別状はないわ」と努めて穏やかな口調で言った。
「アスマくん、皆、聞いてちょうだい。この事態を引き起こした元凶は地下にあるわ」
『それはレーダーの魔力探知で分かっているんです! 隔壁を壊して地下の修練場やSAM工場に突入したんですが、それらしき敵はどこにも……!』
「落ち着いて、アスマくん。止めるべき者はその更に下、深奥の大空洞にいるわ。そしてそこへ入るための道は、私が開ける」
限られた者しか『鍵』を持たない地下の大空洞への入口。
突破口は自分の手の中にある――そう語るミユキは、塔となっている本部の中心を貫くエレベータ『頂きの階段』へ向かうよう彼らに指示した。
進路に下りる何層もの鋼鉄の隔壁にその都度、アスマは腕のドリルで大穴を穿っていく。
『自慢のドリルは飾りではない、ということですね』
『へへっ、そうですよ橘さん。こういう場面も想定のうちです!』
賞賛するヤイチにアスマは得意げに返し、新たに見えた隔壁へ向かっていく。
後から続くSAMたちはアスマが開けた穴を広げる作業に努め、突破口を確実なものにしていった。
十数分あまりの時間を要したが、彼らはようやく中央の『頂の階段』へと到達した。
SAMを分解して地上に運ぶこともできる大型輸送エレベータを前に、ミユキは言う。
「【リベリオン】のサイズだと一度に運べるのは二機が限度ね。先に行かせるのはアスマくんとヤイチくんに頼みたいわ。いいかしら?」
『――待ってください』
と、そこで異を唱えた者がいた。
その声にミユキは瞠目し、息を呑む。
二度と会えないのではないかと薄らと思っていた彼。都合のいい駒として利用してしまったことを詫びたかった、哀れな彼。
「イオリ、くん……!? あなた、生きて――」
『謝らなければならないことはたくさんあります。だけど、今だけは……俺を戦士として認めてください。正義のために戦うことが、俺の贖罪です』
謝罪。贖罪。イオリに何があったのか知らないミユキはにわかに飲み込むことが出来なかったが、彼の覚悟の大きさが本物だということは分かった。
大きく頷き、その機体の脚を慈しむように撫でながら彼女は命じる。
「あなたの覚悟を信じるわ。謝らなきゃいけないのはあたしも同じ……全てが片付いたら、また改めて話をしましょう。ヤイチくん、イオリくんを代わりに行かせるけど構わないわね?」
『ええ。実力的にもそうしたほうがいいでしょうからね』
蚊帳の外に置かれるキョウジはミユキと彼らとの関係を訝しく思いながら、エレベータ横にある液晶パネルの前に立つ彼女を眺めていた。
普段は向かう階を選択するための画面の上で指を踊らせ、ミユキは隠しコマンドの入力フォームを開く。
指紋と虹彩、声紋でのトリプルチェック。それを済ませたミユキは、『魔導書』を知る者としての権限を以て深奥への降下許可を下した。
(カグヤ……あたしを権利者から除外していなかったのね)
銀髪の彼女は今、ミユキについてどう思っているのだろう――それを確かめるためにも、地下へと行くのだ。
「あなたたちはここから、エレベータを往復させて順次SAMを地下空洞へ下ろしなさい。あたしは矢神くんと一緒に、別のルート……隠し階段を使って行くわ」
SAM二台を詰め込んだエレベータ内にミユキらを載せるスペースの余裕はない。
時間を惜しむミユキは若干遠回りにはなるが、螺旋階段を下りることを選択した。アスマとイオリが行くのを見届け、それからすぐに自分たちも動き出す。
「ヤイチくん、何かあったらあたしに必ず連絡して」
『分かりました。お気をつけて、不破さん』
糸目の少年に見送られながら、ミユキはキョウジの手を引いて道を引き返していった。
脳内で地図を手繰り寄せ、ひた走る。
廊下の角を曲がり、階段へ。そこから降りていった先にあるのは、地下修練場へと続く薄暗い一本径だ。
「……懐かしいですな、ここにやって来るのも」
「ええ。試作SAMの動作テストをここでよくやったわ。初号機が完成したのも、また塔が建設中だった頃の、この地下だった」
壁に貼られた強化ガラスの向こうには、階下に広がる大修練場のコンクリートのフィールドが見える。
灰色のその空間にはSAM用の大型リフトが放置されており、パイロットとメカニックとの気配を直に感じられた。
「この修練場と隣の開発室とを行き来して、夜はホテルに帰るだけの生活……三十代の全てをそれに捧げたって世の女が聞けばもったいないと言うでしょうけど、あたしは、どんな青春よりもそれが最高だった」
カグヤと過ごした時間が、この場所には詰まっていた。
それは星屑の儚い思い出に過ぎなかったのかもしれないが、ミユキにとっては永遠にも等しいものだった。
「あなたもそうでしょ、矢神くん。あなたもここで、夢を叶えた」
「そうですな。ガキの頃から憧れたロボット……俺の夢はここで月居博士に拾い上げられたことで、現実に変わった」
若き夢に固執してしまうのは人のどうしようもない性か。
そんな風に自嘲して、ミユキはキョウジの横顔を見つめた。
自分とこの男とでは、夢を掴んだ後の運命が違った。ミユキはカグヤという「女王」のもとにはいられなくなったが、キョウジは「女王」のもとでSAMを手がけ続けた。
「あなたが羨ましいと思ったこともあったわ。あなただけがどうして、夢というレールの上を走り続けられているんだろうって。あまつさえカグヤの隣に愛人としていられるなんて、憎らしくもあったわ」
「……そう、でしたか」
「醜いわよね。見苦しいわよね。悪いのは、あたしなのに。カグヤに理想ばかり押し付けて、本音を聞こうともしなかったあたしなのに」
深淵よりも深い後悔が女を苛んだ。自罰の感情と自己嫌悪に呑まれる彼女は、自らの腕にきつく爪を食い込ませた。
そんなミユキの肩を、キョウジはそっと抱いた。
時間的猶予がないことは理屈で分かっていても、そうせずにはいられなかった。
「誰だって眩しさに目がくらんでしまうことはありますよ。間違うことだってある。自分を嫌いになってしまうことだって、当然。ですが……人は、生きている限りやり直せる。一緒にあの人に向き合いましょう、明坂主任。いえ――不破ミユキさん」
立ち止まったミユキの肩が、震えた。左手で顔を覆う彼女は俯いて、黒い髪を横に揺らす。
「明坂主任でいいわよ。勝手に不破を名乗っていたことを知ったら、きっとあの人は困った顔をするわ」
「かも、しれませんな」
男は苦笑した。女もつられて苦笑していた。二人は最後に一度だけ、固く固く抱き合った。
「……行きましょうか」
「ええ」
真っ直ぐ、前を向いて男女は歩き出した。
過ぎ去ったものがこの手に還ることはない。だが、また同等のものを新たに手に入れることは不可能ではないはずだ。
過ちを抱えて、それでも二人は進んでいく。その先にある一つの可能性を信じて。
「……ここね」
行き止まりに見える壁面の前にミユキが立つと、数秒で生体認証を済ませた自動扉が無機質に開いた。
扉の向こうにはただ、闇だけが漂っている――はずだった。
「……主任?」
「先客が来てから間もないみたい。カグヤの周辺の人物……おそらくは富岡さんだわ」
仄かに点灯している橙のランプが、そう示していた。
表情を引き締めるキョウジは自らが先に出て、一段下へ下りる。そのすぐ後にミユキも続いた。
螺旋階段には埃が雪のように積もっていて、彼らの足音を吸い取った。張り詰めた静寂がそこには立ち込めていて、二人の精神を真綿で締めるように蝕んだ。
数分が何十分にも感じる沈黙が続いた。
壁とランプの光景は連写した画像のように変わらない。
しかし、その時だった。
「まさかあなたが今になって舞い戻ってくるとは。明坂ミユキ、元SAM開発部主任」
嗄れた男の声が、下の段から二人を迎えた。
ミユキもキョウジもその富岡の声に息を止める。
「あなたはお嬢様の理解者たりえなかった。お嬢様の真の願いに共感し、理解できたのは、富岡めたった一人のみであったのです」
老紳士は誇らしげに呟いた。その呟きは静謐の中で叫びのように響いた。
その言葉にミユキは返す台詞を持ち得なかった。自らの罪の重さは彼女自身が最も弁えているところだった。
と、その直後――。
足元よりひときわ強い魔力波が押し寄せてきて、本部全体を震撼させる揺れがミユキらを襲った。
突き上げる衝撃に彼女らが踏ん張る中、次いで打ち上がったのは悲痛なる叫び。
『アアアアアアアアアアアアアアアアアア――――!!』
それはミユキには泣き叫ぶ少女の声にも聞こえた。
カグヤは助けを求めている。自分自身の抱える闇に飲み込まれて。
そう確信し、ミユキは飛び出してしまった。今すぐカグヤのもとに行かねばならないという思いが、彼女から冷静さを奪った。
だが、キョウジだけは――
「ぐはッ……!!」
鳴り響いた銃声。こぼれ落ちる、呼気を孕んだ男の声。
自分の腕を引っ張ると同時に前へ出たキョウジがどうなったのか、ミユキは何も理解したくなかった。
血の臭いがする。呼吸の音がうるさい。うるさいのは誰? ――ミユキの、心音だ。
「こんなッ、ところで……終わって――」
男の叫びを二度目の銃声がかき消した。
だが、キョウジはそこで全てを諦めたりはしなかった。
闇の向こうで銃を構える老人を睨み据え、埃を舞い上げて突進する。
身体を支配する痛みは彼から力を奪う。よろめき、倒れてもなおキョウジは階段を転がって、その先にいる男へと飛びついた。
「矢神ッ、キョウジ……!」
狭い螺旋階段に老人が飛び退けるほどの余裕はなかった。
足元に組み付かれてうつ伏せに転倒した富岡は、顔面をしたたかに打ち付けて鼻血を垂らす。
激しく足を動かし老人はキョウジを振り払おうとするが、男は梃子でも動かなかった。
「離しなさい、この、愚か者がッ……!」
「愚か、者は……どっち、だ……!!」
生暖かい液体が背中を濡らす感覚を老人は感じた。
直後――這い上がってきた男が馬乗りになって、富岡の首を後ろから両の手で締め上げる。
「矢神くん……うそ、嘘よ、一緒にカグ――」
「嘘じゃ、ない……ッ! 俺はっ……ここで、終わる……!」
キョウジは右胸と左の脇腹を撃たれていた。出血量からして、もう助からない。
絶望に崩折れそうになるミユキを叱咤したのは、キョウジ自身だった。
眼鏡が外れて覗いた男の黒い瞳は、信念の炎を宿して女を射抜いていた。
血を吐きながらそれでも叫ぶキョウジに、ミユキはただ頷きだけを返した。
「い、けッ……!!」
彼の脇をすり抜けて、ミユキは駆け出す。
命を賭して富岡を止めてくれた彼へ、胸中で感謝と謝罪の言葉を並べながら。
月居カグヤと再び向き合うこと――あの廊下で誓った「やり直し」を、果たすために。
振り返らずに彼の想いを背負って、ミユキは足を前へ動かし続けた。




