第百四十三話 道化ども ―What is the true purpose?―
黒き体躯の有翼SAM、【イェーガー・反逆者】。
西の空より舞い降りたその小さな影に、アスマとヤイチは瞠目していた。
彼らは緊急通信チャンネルを開き、その機体への連絡を試みる。
「その機体に乗っているのは――イオリさん、ですか⁉」
『その声、アスマか⁉』
忘れるはずのない声を聞いたアスマの目頭は思わず熱くなった。
だがそれを口調には出さず、彼は毅然と応答する。
「はい。今の状況は分かりますか⁉」
『「レジスタンス」本部から強い魔力反応が出てる。そこにいる【異形】が魔法で街の人たちをおかしくしてる……だよな?』
「ええ。しかし僕らの機体では本部には入り込めません。今頼れるのはアンタだけなんです、イオリさん!」
『俺一人、か。……ちょっと、役不足じゃないか?』
敵を『第一級異形』と想定するなら、【リベリオン】一機では心もとないのは確かだ。それにこの機体は元々、対異形戦を考慮した作りになっていない。
「それでもやるんですよ! 僕たちも拠点から機体を運び次第突入します。その間、アンタは少しでも時間を稼いでください。いいですか、拒否権なんてないですよ! 僕らに散々心配かけたぶんはそれでチャラにしてやりますから!」
弱気な発言をするイオリへ、アスマは捲し立てるように怒鳴りつけた。
そんな彼へ黒髪の少年は小さく笑みをこぼす。
何がおかしいんですか! と唸る後輩に、イオリは今にも泣き出しそうな声音で言った。
『いや……何か、嬉しくってさ。ありがと、アスマ』
それだけ告げて、イオリは本部前へと降下していく。
閉ざされた門を飛び越えて突入し、その先の自動ドアのガラスを銃撃で突破。彼は開いた道へと侵入し、【リベリオン】が十分通れる広さの一階を見渡した。
街区に残されたヤイチは、アスマとイオリが話している間にユキエへ新たなプランを提言していた。
この状況を打開しうる一手はユキエ自身も求めていたものであり、可能性があるならばと彼女は採択した。
(あのSAMと同系統のものが置かれている拠点……彼らは何と繋がっているの?)
『レジスタンス』以外にSAM等の武器を密造している地下勢力がいる――燻る争いの火種として、『黒羽組』を筆頭とする暴力団の存在はユキエも認知してはいた。
まさか、と彼女は西へ走り去るアスマらを見送りながら呟く。
「九重くんと橘さんの機体が抜けるわ! 毒島くん、風縫さん、抜けたぶんの魔力はあなたたちに負担してもらうことになるけど、いいわね!?」
『おうよ!』『おっけー、やったげる!』
快諾してくれる二人に礼を言い、ユキエは張った布陣を地図上で確認する。
全員が配置に着くまでの予測は残り二分。
最北のポイントに最後の一機がたどり着くと同時に、【防衛魔法】を一斉展開するのだ。
汗の滲む手をぐっと握りこむこと、少し。
詠唱を済ませて発動待機状態にあった魔法を、少女の合図とともに彼らは放つ。
「さあ、行くわよ――【防衛魔法】!!」
*
『レジスタンス』本部内は混乱の渦中に叩き落とされていた。
がらんと広いフロアを見渡すイオリは、売店やカフェの店員が上げる悲鳴を聞いて唇を噛む。
「皆さん、そこで大人しくしていてください! 危害は加えません、外は危険ですからそこで待機していてください!」
拡声機能を用いて警告するイオリ。
自分の声がどこまで信用されるかは分からなかったが、彼はとにかく身を潜めているようにと繰り返した。
最大限の警戒を払いながら、周囲を見渡す。
(……敵は、どこに)
【異形】が暴れたような形跡はどこにもない。ガラス戸をかち割って侵入したイオリを除けば、そこは普段のエントランスと変わりなかった。
中には職員のみならず、訪れていた一般人らしき人の姿もある。彼らは一様に寄り固まって、イオリの機体を怯え切った目で見上げていた。
街の人々とは異なり、彼らは狂乱状態に陥っていない。
(魔力はここから発されていたはず。なのに、その間近の彼らが暴れだしていないなんて……)
訝しむイオリは立ち止まっていた足を音もなく滑らせ――【リベリオン】の足底部には常に微弱な【浮遊魔法】がかかっており、リニアモーターカーのような高速走行を可能としている――、フロアの奥へと進んでいった。
しかし、彼はすぐに足止めを食らってしまう。
「っ、シャッターが……!」
シャッターなどという生易しいものではない。
分厚い鉄の隔壁が廊下を完全に分断しており、それ以上先には進めないようになっていた。
【リベリオン】ならばこれに穴を開けることくらいは出来るだろうが――同じような隔壁がこの先何枚もあるとしたら、大幅な時間のロスが生まれる。その隙は敵にとって格好の機会にほかならない。
「くそっ……ぶち抜くっきゃないか!? でも、これが司令の命令だったなら……」
敵への対抗策をこちらから破る結果になってしまう。
鋼鉄の壁を前に歯噛みするイオリ。
だが、その時――モニター下方の魔力探知機がグラフの線を跳ね上げさせ、彼は目を見開いた。
「し、下!?」
タワー内部ではなく、地下より魔力のひときわ大きな一波が押し寄せてきていた。
瞬間、イオリは気づく。
ユキエたちが張った魔力の壁が、全く意味をなさないことに。防衛ライン内を包み込むようにドーム状の防壁を展開しようが、敵の魔力がその内側――地下から波打っているのならば防げない。
この隔壁も地下から敵が上ってくるのを防ぐための策だったのだと、少年は理解させられた。
「地下への侵入口……今はその位置を確かめるしか」
敵を閉じ込めるために隔壁が下ろされているかもしれないが、それでも罪の意識から行動を求める少年は動いていく。
とにかく情報が欲しい――その一心で、彼は進路を引き返した。
*
「大将、外部との連絡が取れません!」
「こちらもダメです、強い魔力波の影響か電波までも――!」
「隔壁解除できません!」
レジスタンス本部の司令室内には、士官たちの悲鳴にも等しい声が飛び交っていた。
冬萌ゲンドウ陸軍大将は、そんな彼らからの報告を黙して聞いている。
司令席に座す彼は組んだ両手の指の上に顎を置き、表情一つ変えずにいた。
だが、その内心は酷く揺らいでいる。『レジスタンス』の中核である彼でさえも、全てを正しく見極められてなどいなかった。
「『エル』を呼び出すのだ。彼女ならば、本部内のシステム全てにアクセスできる」
「既にやっております! しかし、応答がなく……!」
部下へと命じたそばからその失敗を告げられるゲンドウ。
いよいよ眉間に皺を刻む男を他所に、部下たちは各々に焦燥に満ちた声を発していく。
「隣の備品室に対物ライフルがあったはずだ! それで隔壁をぶち壊してみるってのはどうだ!?」
「エレベータまでの道を突破できれば、あとは降りるだけか……! それなら行けるか!?」
「だが上手く脱出できたとして、その後はどうする!? この現状に関する情報は何も分かっていないんだぞ!」
「それを知るための脱出だろうが!」
彼らはこの異常事態を前に、とにかく行動に出なければと躍起になっていた。
士官たちはライフルの用意のためにすぐさま走っていく。
慎重派の者たちも取り敢えずの方針としてそれに従う中、ゲンドウも腰を上げた。
月居カグヤという女の本質を見極められなかった己の至らなさを、心底恥じながら。
(私が彼女についてもう少し分かっていれば……このような事態になる前に止めることも出来たはずだった)
冬萌ゲンドウはこの場で唯一、事態がカグヤの手で起こされたものだと悟っていた。
これは【異形】の侵入による異常事態などでは断じて有り得ない。『パイモン』はウイルスを『第二の世界』に忍ばせはしたが、逆に言えばそれが彼らの限界なのだ。本部のコントロールを掌握するような真似は、組織中枢の人物以外には不可能。
(『魔導書』の導き……彼女は当初、それに従って軍備を増強し、組織を強化してきた。その発展は人類にとっての希望だった。カナタ少年が眠られて以降は陰りが見えていたが……どこで、道を踏み外してしまわれたのか……)
冬萌大将はカグヤに軍の何たるかを叩き込んだ「師匠」であり、立派な先達だった。ゆえに、彼女はゲンドウにだけはこれまで決して弱みを見せてこなかったのだ。
そのため、男には彼女の凶行を予見することさえ叶わなかった。
(富岡どの……彼と共に彼女が席を外してから、ことは起こった。あの男も一枚噛んでいる可能性は高いか。だが……見えない。カグヤ嬢と富岡どの、あの二人だけで本部の全てを掌握するなど、どのように……)
カグヤは司令、富岡は人事。都市のシステムにおいて二人は専門外だ。
協力者は確実にいる。それを可能とする者の存在も、絞られてくる。
「……まさか」
*
早乙女アイゾウ博士は、隔壁の向こうにある女の顔を幻視していた。
自分と親交のあった彼女。魔法研究に明け暮れる彼を心配して、よくコーヒーや甘味を差し入れしてくれた一回り年下の彼女。
「鏑木くん……」
鏑木リッカ。
都市のシステムを管理する「ネットワーク部」の部長を務める女博士だ。
人々の暮らしに必要なシステムを制御する彼女らは、『レジスタンス』の縁の下の力持ち。そんな彼女らでなければ、このような事態は起こせないのだ。
「何故、こんなことを。君の目的は何なのだ、鏑木博士……!」
研究室内の魔力メーターは、地下より莫大な魔力が放散されているのを如実に示していた。
窓の外、眼下に広がっていたのは人々の狂乱する光景。
それが地下からの魔力の影響で勃発したものだと仮定するのが最も自然だろう、と早乙女博士は考察する。
その仮定はほぼ真実だと確信しながら、だからこそ、彼は鏑木博士が本部のコントロールを奪った理由が分からずにいた。
彼の知る鏑木博士は心優しい女性だった。月居カナタが眠りについてしまった時、誰よりも泣いていたのは彼女だった。決して、人同士が殺し合う混沌を望むような人物ではなかった。
「この混乱はどこまで広がっているのだ。『学園』は……レイは、無事なのか……?」
外部と遮断された早乙女博士に出来るのは、もはや祈ることだけ。
彼は同じ国にいる唯一の肉親である息子をただ思い、今だけは神経ではなく精神的なものに縋った。
*
二本の指で挟んだタバコの先に煙を燻らせ、白衣の女――鏑木リッカ博士は微笑んでいた。
彼女の現在地は『レジスタンス』本部地下の大空洞、その更に下に位置する最下層。
地球に【異形】を不時着させた『カラミティ・メテオ』と同成分の超硬質な壁で囲まれた、本部の機能全てを司るサーバを秘した一室である。
「きっと上手くいきます。……博士」
一人、この場のモニターで大空洞内の様子を観測する鏑木博士は呟いた。
カグヤの計画。
それに関して、鏑木博士は事前にカグヤ本人から直接協力の打診を受けていた。
『全てはカナタを復活させるため』
カグヤはそう言って、鏑木博士を説得した。
彼女が言うには、カナタを目覚めさせるには彼の遺伝子に組み込まれた【異形】にまつわる因子を活性化させる必要があるという。そのために都市の【潜伏型異形】を大量に呼び起こし、彼らが発する魔力を集め、カナタへと照射する。
『多少の犠牲は出るけど、方法はもうそれしかない。このまま現状維持だけしても、カナタが戻ってくる確率は限りなく低いわ。そこらの民とカナタとで命の価値が違うことは、あなたには分かるでしょう』
非情な話だ、と鏑木博士は思った。突っぱねるべきだと最初は考えた。
だが――一度でも月居博士の顔を思い浮かべてしまえば、首を横には振れなかった。
何故なら、彼は尊敬する恩師にして若き日のリッカが惚れた男性だったから。
憧れ、恋焦がれ、何度も声を掛けるべきか迷って、結局釣り合わないからと諦めた相手。
理知的だが研究を始めたら周りが見えなくなったり、教壇に立つときはきりっとしているのに泊まり込みの研究室では身の回りのことが出来なかったり、そういうところが大好きだった。
彼が椅子で寝ていたら揺り起こして簡易ベッドへ誘導するのも、リッカの仕事だった。男と女が夜、同じ部屋にいるというのに何もしてこないあたりは自分が異性として見られていないようで悔しかったが、それも込みで好きで仕方なかった。
だが、リッカがゼミを卒業してから数年後に月居博士は結婚してしまった。
相手は『レジスタンス』司令の不破カグヤ氏。誰からも「【異形】への反逆の象徴」として讃えられる彼女に対しては、雲の上の人すぎてジェラシーさえ湧かなかった。むしろ進んで祝福したほどだ。
『……カナタくんは、本当にそれで目を覚ますんですね?』
『これまでに実例のないことだから、確実であるかは誰にも分からないわ。だけど、やる価値はあると思うの』
鏑木リッカは常に多忙に追われている人間だった。
その打診も、睡眠不足が続いた中でのことだった。
ゆえに判断力に欠けている部分があった。カナタの遺伝子の中に【異形】の因子があるということは初耳だったが、カグヤがあまりにも当然のような口ぶりで言うため「そういうものなのか」と納得してしまった。
カグヤが自分を動かすために打診の前日から普段より多くの仕事を割り振り、睡眠不足とストレスとで頭を鈍らせていたということにさえ気づけず、リッカは首を縦に振ってしまった。
『死んだあの人の形見であるカナタを、共に助けましょう』
カグヤと学生時代のリッカに接点はなかったが、彼女の博士への好意は当時を知る者に聞けば誰でも察しているところだ。気づいていなかったのは好かれていた当の博士くらいである。
同じ大学にいたある男からふと聞いたその話を思い出し、カグヤは仕掛けたのだ。
哀れなリッカはただ都合よく動く駒として、彼女に使われたに過ぎない。
「ね、カナタくん。あと少し……もう数時間も経てば、また前みたいに笑えるからね」
コンソールの前から席を外したリッカが足を運んだのは、部屋の隅に取り付けられたベッドだった。
そこにはシルクのパジャマを着せられた銀髪の少年が横たわっている。
彼の瞼は閉ざされたまま、まだ何も語らない。
「……だから、待っていて。カグヤ司令があなたのために、たくさんの魔力を集めて来てくれるわ」
月居カグヤが求めるのは「変革」。
【異形】によって人々を狂わせ、殺し合わせる蠱毒の壺を生み出すこと。彼女にとって、もはや人類は救うべき対象ではなくなっていた。
【異形】を支配するために自らも彼らの力を宿した女は、【潜伏型異形】を人々へ取り付かせることで彼らの遺伝子の変容を望んでいる。
しかし、その思惑は富岡以外の誰の知るところではない。
「あなたは希望なのよ。私たちの――人類の」
道化は願いを託す。無垢なる少年に、かつて愛した男の面影を重ねて。




