第百三十九話 全てを費やして ―Fight beautifully!―
有翼の駱駝に跨る【異形】、パイモン。
人類の前に最初に姿を現した理智ある存在は、挑戦者たる若きヒトの子たちを見下ろして微笑していた。
レイ、ユイ、ナツキ、そしてシバマル。機体の損傷が激しく支援部隊による【修復魔法】での処置を施されている最中の【イスラーフィール】と、たった今戦線を離脱したアキトの【ドミニオン】を除く全機が、ここに集結していた。
「――人類の滅びなんて認めない。ボクらはこの先の未来も、ヒトとして誇らしく生きる道を掴み取る!」
『その選択が愚かだということ、思い知らせましょう』
意志と意志が衝突する。
直後――開戦。
駱駝の翼の羽ばたき一つで無数の羽根たちが空中に展開し、その先端から純白の光線を放っていく。
「っ――刘雨萓、お前も防壁を!」
「わかってます!」
ナツキに言われるまでもなく、ユイは敵の羽ばたきを捉えた時には発動準備を終えていた。
光輝の雨が降り出すと同時、仲間のそれに重ねがけされる『アイギスシールド』。
高出力の魔力と魔力が激突し、激しい火花と衝撃波を撒き散らす。
『くっ――』
ナツキは眼鏡がずり落ちるのも構わず頭を振り、襲い来る痛苦に耐えんとする。
この場の面々の中で最も魔力残量が少ないのが彼だった。ベリアルを倒した後に支援部隊からの補給を受けたとはいえ、かの魔神との戦い以前から休みなく戦ってきた彼の限界は近い。
ベリアルと属性違いの【ウィング・ビット】を繰り出すパイモンは、彼らの余力がさしてないのを見透かして嗤う。
『ワタシの魔力はまだ十分に残っています。このまま戦い続けても、先に散るのはアナタたちです』
言葉一つで、光線一条。
焦らすように一射ずつ防壁へ魔力をぶつけてくる魔神に対し、意志で応えたのはレイだった。
「何度も言わせないでもらいたいですね。ボクたちは、人類は、【異形】などには屈しない! たとえ愚かと詰られようとも、ボクたちは生き残るために戦う!」
『生存本能にのみ従う、それは獣と同じこと。ヒトがヒトたる所以はその知性にある、そうではありませんか!』
乱舞する羽根の刃が嵐となり、無情に防壁を削りゆく。
竜巻のごとく荒れ狂うビットの猛攻にナツキは脂汗を流し、歯を食いしばった。
ここで折れたら終わる。この盾の崩壊はすなわち、自分たちの死だ。
コックピット内に鳴り響くアラートにも耳を貸さず、眼鏡の少年は『アーマメントスーツ』胸部の宝玉に触れる。
「【ドミニオン】、『アンリミテッドモード』!」
【ドミニオン】に秘められし最後の力。
それが、全ての枷を解除する『アンリミテッドモード』だ。
通常、SAMにはパイロットの人命を守るために出力にある程度制御がかけられている。それゆえに『同化現象』の発現リスクを抑えることが出来ているわけだが――その制約を取り払ってしまえば、『同化現象』を引き起こすほどの『コア』との同調が可能となるのだ。
ベリアルを討った御門ミツヒロのように、鬼神のごとき力を解放する。
追い詰められた自分たちに残された勝機は、それしかあるまいとナツキは覚悟していた。
『おいおい、やんのかよ! これじゃ俺も巻き添えじゃねえか!』
(そうなれば史上初の二つの人格を包含した『コア』の誕生だな。実に名誉的じゃないか)
『畜生、もうちっと暴れ倒したかったんだがなぁ!』
少年は自分の中に宿る【潜伏型異形】と最後の言葉を交わした。
人間の「名前」文化に則って自らをロックオンと命名したその【異形】との付き合いは、悪いものではなかったとナツキは思う。
戦闘時の脳のリソースの殆どを思考に回せていたのは、ロックオンが機体の制御を買って出てくれていたおかげだ。戦闘に至上の喜びを感じる彼に、これ以上娯楽を与えてやれないのは残念だが――仲間の命を守るためなら仕方ないと苦笑する。
『ま、お前がそういうなら止めはしないさ。俺に身体を貸してくれて、最高の戦いを経験させてくれてありがとうな、相棒』
ヒトと【異形】。利害関係で築かれた彼らの関係は、その二者の未来の一つの可能性であった。
全てを理解し合えなくとも、利害というルールを敷いて協力する。しかしナツキとロックオンがそれを為せたのは、偶然な利害の一致と性格の相性の良さがあってこそだ。より大きな規模でその関係を築くには、月居カナタが唱えた「対話」が不可欠になる。
全身に赤い光芒を帯びるナツキは髪を逆立たせ、爪牙を伸ばした『獣』に変貌する。
焦熱を宿す呼気に、肋骨を打つ荒ぶった鼓動。身体はオーバーヒート寸前であるのにも拘らず、思考は極限まで澄み渡っていた。
「刘、犬塚、魔力を全て私に回せ!」
「ぜ、全部!? んなことしたら、おれたち動けなくなるぞ!?」
「策がある、早く!!」
「っ、――信じるぞ!」
困惑するシバマルだったがナツキの叫びを受け、【ドミニオン】の肩に手を触れさせる。
彼が慣れない手つきで「魔力譲渡コマンド」を打ち込むと、すぐさまナツキ側のモニターに表示されている魔力残量のゲージがせり上がっていった。
ユイもシバマルに倣い魔力を与え、ナツキの魔力はオーバーフローするほどまで回復する。
「『アイギスシールド』!」
崩壊寸前の壁に内側からさらにもう一枚を追加。その発動のために減った魔力も、【ラミエル】の『コア』が蓄えていた大量の魔力によって賄われた。
依然、光線と刃の乱撃は続いている。
ガガガガガッ!! と刃が盾を擦過し削る音が響く中にあっても、しかしナツキの焦りは最早なかった。
「早乙女。【メタトロン】のデータベース内にはパイモンとの戦闘データが残されている、そうだな?」
「え、ええ!」
「奴が使ったという【反射魔法】の解析、それを行ってほしい。この窮地を乗り越えるカウンターは、それしかない!」
魔法学の権威たる早乙女博士の子息であるレイにしか出来ない役割だと、ナツキは言外に告げていた。
彼からの要請に金髪の少年は頷きを返す。
モニターに映るナツキの瞳を真っ直ぐ見つめたレイは、そこに命をも賭す決意を見て取り――データの精査を開始した。
魔法の再現に必要な情報は、それを構成する魔力の組み合わせの「式」だ。どの属性の魔力をどれだけ掛け合わせるか、それさえ判明すればあとは「式」として打ち込むだけ。詠唱に関しては手動入力を省くためのものであるため、今は気にしなくとも良い。
(――ボクがやるんだ。ボクにしか出来ないことを、知識の全てを総動員して!)
試行錯誤するだけの猶予はない。
最短で最適解に到達し、実行に移す――重くのしかかる緊張に急かされながら、レイは深呼吸して画面の中の【異形】の魔法に目を凝らした。
(防御に関しては『アイギスシールド』を始めとする防衛魔法は同型の式を求められる。そこはおそらくパイモンのあれも同じであると仮定すると、あとは『反射』を実行するコマンドですが――)
レイが知る限りでは『攻撃反射』の魔法は人類側にはない。それゆえに、あれがワームホールと並んで【異形】の魔法の象徴扱いとなったのだ。
(いや――魔法はなくても、技術は既にある。【ドミニオン】の『反光線塗装』、あれを魔法に転用できれば……)
レイはメカニックではない。【ドミニオン】の開発事情など、何一つ知らない。
それでも彼は成さねばならないのだ。知識がなくとも、「経験」から解を導き出す。
「努力の天才」を自負する早乙女・アレックス・レイとして、ナツキに反撃の一手を授けるのが彼の使命。
(思い出せ、ボク! 【ドミニオン】との戦いを――あの時【太陽砲】を弾いた塗装の魔力反応を!)
自分を鼓舞する言葉を胸中で叫びながら、思考の海へ沈み込む。
レイにはもう、かつて【太陽砲】が撃てなくなって折れた弱さはない。
生きてカナタやクラスの仲間のもとに帰るのだと、決めたのだから。理智ある【異形】たちがどれだけ否定しようと、それだけは絶対に譲れない。
片翼を失ってもなお飛び立とうとする彼は、強くなれる理由を知ったのだ。
(力属性の魔素αと魔素βを三乗、そこに光属性の魔素εの二乗、炎の魔素θを掛け合わせれば――いやダメだ、それでは跳ね返せるのは光線だけ! ビットそのものは弾けない! ビットを弾くには――強烈な斥力、反発力を発生させる魔法は……!)
記憶の引き出しを開けては閉め、中身を引っ張り出しては違うと放り捨てる。
刃が風を切る轟音が集中力を奪おうと囁いてくる。だがレイは頭を振り、それを意識から排除する。
勝つために、希望を掴むために、生きるために――少年は自らの知識を総動員した。
(ただの『力』ではダメだ、光線を弾くあの魔法と反発しあわない種の魔法を選ばなければ失敗する! 【グレートリパルシヴ】は――いや、あれは闇属性の魔素を含んでる! それじゃあ力を打ち消しあってしまうだけ!)
ページを捲る手は止めない。止めてはならない。
目を動かし、記憶を辿り、情報を精査する。
これまで人類が発明できなかった魔法。幾つもの種の魔素――魔力の最小単位――を掛け合わせた果てに生み出される、理智ある【異形】が有する究極の防御。
探せ、探せ、その手がかりを!
――だが。
大きく吐息したレイの瞳には、片端からモニターに打ち込んだ幾種もの「魔法式」が映っているだけで、正しい解を見つけられていなかった。
「レイさん……!」「レイ先生ッ……!」
仲間が信じて待ってくれている。この一手に全てを懸けようとしている。その命を、レイに預けてくれている。
「はぁ、はぁっ……ぼ、ボクは……ッ」
――また、死なせるのか?
過去に置いてきたはずの弱い自分が責めてくる。少年の華奢な頸に冷たい指を添わせるのは、見殺しにした大切な人たちの亡霊だ。
――また、罪を犯すの?
怒りが、憎しみが、怨念がまとわりつく。粘っこくどす黒い鉛のような感情が、彼を奈落へと引きずり込もうとしてくる。
「嫌だっ、嫌だっ、嫌だ!! 死なせたくない、誰も失いたくない、ボクはもう、罪を背負いたくない!!」
頭を抱え半狂乱になって喚くレイ。
思考が断ち切れ過去の呪縛に狂わされる彼に対し、開口したのはナツキだった。
「私はお前が嫌いだった。出自でも才能でも優っていながら、長らく引きこもっていたお前が憎らしくて仕方が無かった。私たちはどれだけ努力しようと、『親』に心から認めてもらえることはないのに、お前は違った」
ナツキが求めたものをレイは全部持っていた。
そして、その「理想」に当てはまらない自分は「母親」に認められる存在ではないのだと無意識のうちに理解してもいた。
所詮は道具。カグヤは身寄りのない子供を手篭めにし、都合よく『超人』として利用しただけ。
だがそれを許容してしまえば、ナツキのアイデンティティは崩壊してしまう。戦う理由どころか、生きる原動力さえ手放すことになるのだ。それだけは、譲れなかった。
矛盾を抱えたままナツキは戦い続けてきた。
その欺瞞に満ちた生に意味を見出すとするならば、きっとそれが今。
満たされた他人を認めたがらなかった浅ましい男が為せる、最後の仕事を行うのだ。
「ここで生き残ることが贖罪だ、早乙女! 誇らしく美しく戦い続けろ! お前の親は、お前が生きることを望んでここに送り出してくれたはずだ!」
羨望も嫉妬も、もはや些事だ。
最期を覚悟して自らを超克したナツキの言葉に、レイははっと顔を上げる。
「……父さん」
瞬間、脳裏に過るのは父とのある日の会話。
引きこもるのをやめた四月以降、レイは月に二度父と会うことにしていた。
それは雨が降りしきる六月の安息日のこと――窓の外を眺める父がぽつりとこぼした、ある魔法の話だった。
『来るだろう第二次作戦でプラントを奪還した暁には、整備のために障害物を撤去したり、物資を運んだりする作業が必要になる。それに備え、こちらでも「力魔法」を開発しているのだが……』
自分には関係のない裏方仕事だと思って、話半分に聞いてしまっていたことが何より悔やまれる。
記憶の中の父の顔は霞がかっていた。レイは震える拳を固く握り、ぎゅっと瞼を閉じる。
「……確かに父さんは鍵になりうる話をした。ボクはそれを聞いている。なのに……嗚呼、ボクは大馬鹿者です!」
どうしても思い出せない。あの時、今夜の夕飯は何にしようかとか考えていたことは明瞭に再生できるのに。
刃の嵐は止まず、照射された光線が防壁上に魔力の波紋を無数に描いていた。壁に亀裂が走るごとに新たな『アイギスシールド』を展開する三人に守られながらも、レイはまた何も出来ずにいる。
「……っ、もう……」
彼が涙を一筋流した、その時だった。
カチャリ――胸元に運んだ手が、首から下げていた鎖に触れる。
その冷たい感触を辿った先にあるのは、銀色のロケットだ。もう一年以上前、不破ミユキという少女が託してくれたものである。
――『戦場で辛くなった時、寂しくなった時に開けてちょうだい』
あの掴みどころのない女に頼るのも癪でこれまで開けてこなかったが、レイにはもう、そこに一縷の望みをかけるしかなかった。
金具に爪を立て、開く。
「……この魔法式は……!?」
そこに封されていたのは一枚の小さな紙片だった。
紙いっぱいに細々と書かれているのは、魔法式。レイがこれまでに見たこともない何行にも渡る式の端には、【トランセンド・オブ・ベクター】――ベクトルの超越、という魔法名が添えられていた。
これは奇跡か。あの女には運命が見通せているとでもいうのか。はたまた単なる偶然か。
――何でもいい。
「っ、待って、この式は――」
魔素の掛け合わせを指示した式を目で辿るうちに、ぼやけていた記憶がたちまち鮮明さを取り戻していく。
その式の一部は父が語っていたものと同じだった。そこからさらに複雑にして膨大な式を書き足したのが、ミユキの魔法。
「これなら……!」
いける、とレイは確信した。
一年越しのミユキからの祝福を得た彼は、それと先ほど導き出した『反光線塗装』を転用した魔法式とを組み合わせていく。
「ナツキくん!」
「――ああ!」
完成。
長大な式をナツキ機へと送りつけたレイは、逆巻く光の渦に呑まれる防壁を見上げて叫んだ。
「あとは、託します!!」
信じたい。死んでたまるか。魂の雄叫びが少年の身体を震わせ――そして、思いを未来へと繋げる。
「これで終わりだ、パイモン!!」
コンソール上に指先を踊らせてナツキは魔法式を入力した。
パイモンがこれで討てる百パーセントの確証はない。だが、どう転ぼうとナツキ自身が燃え尽きることは決定づけられている。
彼に迷いはなかった。恐れもなかった。あるのはたった一つ、レイたち仲間とアキトたち『兄弟』を想う心だった。
自分が本当は何が欲しかったのか、ナツキは最後にようやく気づく。
それは、自らが生きる意味。
誰からも顧みられず、必要とされなかった幼少の自分が渇望した欲求。彼は母親にその意味を見出し、これまで努力してきた。
(お前たちを生かすことが私の――俺の意味になるのなら)
カグヤと出会う前の荒んだ幼い男の子が、彼の胸の中で微笑んだ。
直後、コマンド全ての入力を済ませた機体が魔法の発動を開始する。
『……これは――!?』
瞬間、高まる魔力。
パイモンは鋭敏すぎるほどの感覚でそれを知覚するも、もはや回避は間に合わない。
ビットも光線も呑み込んで迸った光輝が、魔神の視界を黄金に染め上げた。




