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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第五章 再戦の篝

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第百二十五話 狂信者の罪 ―I was going to have understood you.―

 明坂ミユキはその契約の日から、月居カグヤの敬虔なる信徒となった。

 彼女の愛を享受するためにミユキは『儀式』を経て、【潜伏型】と呼ばれる【異形】を体内に宿した。

 それによる精神の変容が軽微で済んだのは、彼女の愛の強さ故であった。彼女の愛情を実感するほどに精神は安定を増し、【異形】を乗りこなせるようになるのだ。

【異形】を受け入れることがそもそも精神の安定に繋がるということで、彼女は初の『超人ハイソルジャー』ながら最も適性を示した人間として記録を残すこととなる。


「いいニュースよ、ミユキ。今日、お腹の子の性別が分かったの」


『儀式』から一ヶ月あまりが経った夜、『レジスタンス』本部内のカグヤの居室にて。

 ゆったりとした寝巻きでベッドに横になるカグヤは、まだ見た目には膨らみのないお腹をさすりながら告げた。

 隣に寝転ぶミユキは昔と同じように無邪気に笑って、「へえ、どっちなの?」と訊く。


「男の子よ。エコーで見たらちゃんと外性器が出来てきてたの。体内に新たな生命が宿っていて、それの様子を視覚的に確かめられるなんて凄いわよね」

「ふふっ、カグヤらしい台詞ね。んー、赤ちゃんかぁ……あたしも精子提供とかで子供作ろっかなー」

「っ……ミユキ、それは……」


 カグヤのお腹にそっと触れ、そこにいる赤子を慈しむように撫でるミユキ。

 が、彼女は返ってきた歯切れの悪い声音に表情を強ばらせた。


「……何、カグヤ?」


 問われてもカグヤは言うべきか迷っているようだった。しかし数十秒の葛藤の後、重々しい口調で真実を明かす。


「【異形】を体内に宿すと遺伝子に変容が起こることが分かったのよ。いえ、それはまだデータが一例しかないから確定とは言い切れないんだけど……少なくともあなたのデータでは、生殖を司る箇所に異常が見つかったの。少なくともあなたの遺伝子を受け継いだ子供は、生まれないわ」


 母になる資格が自分からは失われた。

 女としての本能がその事実を受け入れることを拒み、血の気を引かせた。

 しかし――女王への愛はそれをも上回り、彼女の指先に体温を取り戻させる。


「あたしはカグヤに愛されるために【異形】を宿した。それによって起こるどんな現象も、許容するわ。自分の子供を産めなくても、愛する人が子供を産めるのならそれでいい。あたしもカグヤと同じだけ、その子に愛を注ぐわ」


 微かに震える手で拳を作り、ミユキはカグヤの腹にそっと頬を触れさせた。

 ミユキにとってカグヤは己の全て。女王と従者としての関係のみならず、互いに愛し合い生涯を共にする伴侶。ならば、カグヤつまの息子は自分の息子と同じだ。


「ミユキ……。あのね、私から一つ、提案があるの」


 その提案は彼女を哀れんだカグヤの、せめてもの慰みとしてのものだったのかもしれない。だがミユキはそれで十分だった。自分たちの願いをその子に託せるならば、それで。


「ちょっと待って……えーっとね、うーん……よし、決めたわ」

「なんて名前?」

「『カナタ』。彼方にある平和へと歩んでいけるようにって思いを込めたの。……どう、かしら?」


 その名前を聞いてカグヤは柔らかい笑みを浮かべ、お腹の中で眠る息子へ優しく呼びかける。


「……カナタ。元気に生まれてくるのよ」


 カグヤが産み育てる親ならば、ミユキは名付け親として彼を支えていくのだ。

 子供たちの世代に希望に満ちた未来あれ――二人の女はそう願いながら、指を絡め合い寄り添って眠りに就く。



 予定日通りカナタは翌年、新暦4年の4月13日に月居夫妻の息子として誕生した。

 反逆の象徴である夫妻の第一子誕生を誰もが祝福し、その子が健やかに成長してくれることを祈った。

 だが、その歓喜を引き裂く出来事が同年の秋に起こってしまう。


 月居ソウイチロウ博士の事故死。SAMの起動実験での魔法の誤作動――魔力増幅器のエラーによって過剰なまでの火力が出てしまい、博士はその時に起こった爆発に機体ごと巻き込まれて死んだ。

 人々の希望の象徴の片割れが帰らぬ人となったことに、都市中が涙した。

 しかしその訃報を知った時ミユキの胸に湧いた感情は、確かな安心感であった。

 これでカグヤの隣に立つ者は名実ともに、自分一人になった。充足された独占欲はかつての恩師の死に対する冥福の意もかき消して、彼女に更なる活力をもたらした。

 これこそが自然の黙示であるのだと彼女は思った。運命は自分のために動き出したのだと疑わなかった。『超人ハイソルジャー』となってカグヤの愛を享受したのを機に、全ては自分に有利に働き始めたのだと信じきっていた。

 この時のミユキは、カグヤへの愛に酔いしれていた。彼女を愛することに、骨の髄まで酔わされていた。

 ――ゆえに、気付けなかった。

 カグヤの欲望が肥大化し、邪魔者を躊躇なく殺す『毒蜘蛛』となってしまっていたことに。



 月居博士の死に関して、その後もミユキはそれを都合の良い事故だとしか認識していなかった。

 カグヤの異常なまでの【異形】への執着も、彼女は大したことだと思わなかった。カグヤのどんな感情よりも自分への愛は上回っているのだと、盲目に信じ続けていた。

 それから年が過ぎ、人々が第二級以下の【異形】に安定して勝利を収められるようになった新暦10年頃になっても、ミユキは変わらなかった。

 彼女はどこまでも順風満帆であった。『レジスタンス』内では最高のメカニックと讃えられ、矢神キョウジや夜桜シズルといった優秀な人材との交流も持つ彼女は、『レジスタンス』のナンバーツーを担える逸材だと誰もが評価していた。

 ミユキが生み出した機体は『第一級』の【異形】をも打ち破れる性能を有し、これまではまともに相手取れなかった彼らに対して人類側からの攻勢をかけられるようにまでなった。

 

 明坂ミユキは誰もが羨む成功者。

 そんな彼女が表舞台から姿を消したのは、月居カグヤと信念を違えてしまったから。


 新暦17年、9月。

『レジスタンス』は福岡基地およびプラントを【異形】に奪われ、そこに駐留していた兵力の過半数を失った。食糧生産を担う『プラント』が失われたことによって都市は食糧難に陥り、それから数ヶ月の間に低所得層には多くの餓死者が出た。食えなくなった者たちによって略奪事件が度々起き、都市の治安は史上最悪と言われるまで悪化した。

 その頃から、カグヤは変わってしまった。

 連日のバッシングに外出もままならない日々の中で、彼女は徐々に他人を信じられなくなっていった。それは、ミユキに対しても例外ではなかった。


「ねえ、カグヤ……辛い気持ちは分かるわ、でも、そうして閉じこもっていちゃ何も変えられない。あたしが側にいて支えてあげるから、前みたいに共に戦いましょう。シズルちゃんも富岡さんも、いつまでもあなたの味方だから」


 自室に閉じこもって職務を冬萌大将らに任せきりにしているカグヤに、ある夜、ミユキは呼びかける。

 壁越しに返ってきた声はミユキが思っていたよりずっと弱々しく、掠れたものだった。


「……私を『象徴』だと言って持ち上げた人たちは皆、掌を返して私を悪者にした。私は彼らを本気で思い、全力をもって彼らが日々を生きていけるように保護してきたのに……」


 壁を激しく叩く音が何度も、何度も響いた。

 やり場のない怒りを露にするカグヤに、ミユキは何も言えなかった。メカニックはいつだって裏方であり、カグヤが負ってきた責任の重さを知らない。


「どれだけ守っても、どれだけ戦っても、彼らは自分がいま平和を享受できている有り難ささえ意識せずに、守護者である私を罵倒する。……何故、彼らはそうも愚かなの? 何故、自分を生かす者に悪意を向けようとするの? 自分たちに降りかかった過酷な運命を、理解しないの?」


 無知。無意識。個を捨てて周りに流されてばかりの集団心理。周りが叩くから便乗する。誰かが間違いだというから間違いだと思う。マスコミのバッシングを自らの内で反芻することさえせずに受け入れて、同じ言葉を吐き出す。

 そんな人間たちが、カグヤにはもはや同じ人だとは思えなくなってしまったのだろう。失望し、守る価値すらないのだと考えるようになってしまったのだろう。


「……司令を辞めるの、カグヤ」


 ミユキは訊ねる。彼女はカグヤが辞めたら自分も後を追い、どこか都市の端にでも家を買って共に静かな日々でも過ごすつもりでいた。

 しかし、カグヤの返答は違った。


「辞めないわよ。そんなことをしたら奴らの思うつぼ。それに……私は私の理想にたどり着けてない。求める全てを得るまでは、この地位を手放すつもりはないわ」


 冷え切った指先に血液が再び巡っていくように、声音に力が戻ってくる。

 ミユキが扉を押し開けると、すぐ目の前にカグヤが立っていた。青い瞳に爛々とした炎を燃やし、欲望に満ち満ちた微笑みをミユキへ向けている。


「人なんてもはやどうでもいい。愚かな群衆に守る意味などない。私が目指すのは、私だけが【異形】を支配する世界よ」


 かつて月居カグヤは言っていた。「人類の恒久的な平和を取り戻すため、皆で力を合わせて戦いましょう」と。

 ミユキも同じ志をもって『レジスタンス』に入った。それは矢神キョウジら古い付き合いの仲間たちも同様だった。

 だが、今は――カグヤの中に、その初志は残っていない。


「それは違うわ、カグヤ! 私たちには皆、大切に思っている人がいる! 恋人、両親、兄弟、友達、仲間――その人たちを誰も死なせずに皆が笑顔で暮らせる世界を作ろうって、あのとき誓ったでしょ!?」


 誰に対しても分け隔てなく接し、穏やかに微笑んでいたカグヤがミユキは好きだった。

 ミユキの子供っぽい振る舞いに口を尖らせつつも、なんだかんだで許してくれる優しい彼女が好きだった。

 普段はクールなのに同じベッドに入ると一回り幼くなる彼女が好きだった。

 輝く瞳で未来の希望を語る彼女が好きだった。

 それでも――求め、愛した彼女の笑顔は還らない。


「人の命を背負ったことがないからそんなことが言えるのよ! 何百万の命の重さがどれほどのものか、あなたに分かる!? 知ったふうな口を利いて、呑気に子供みたいに笑って、自分の活躍を自慢して、私の疲れにも気づかずに会えばセックスをせがむあなたに、何が分かるっていうの!?」


 カグヤは一人でその重責を負い続けていた。誰にも弱音を吐かず、いつだって『象徴』であり続けた。時に『冷血』と揶揄されようとも構わず、人類の平和のためだけに尽力し続けてきた。

 ミユキも分かっているつもりではいた。だが、気づいた時にはそのすれ違いは修復不可能なところまで進んでしまっていた。


「ミユキ……あなたは私を、また使命に縛り付けようというの? 愚かな群衆のためにリターンのない理想を追い続けろというの?」

「皆を愛する心があれば平和は取り戻せるって、カグヤ、言ったじゃない! 隣人を助ける精神こそが必要だって、何度も説いていたじゃない! リターンだなんて、そんな……!」

「理想しか見ていない人間らしい台詞ね! あなたはいつもそう――物事の綺麗な所ばかり見ようとする。何とかなるって笑ってる。努力は絶対実を結ぶって信じてる。いつまでも変わらない、あなたのそんな姿が……!」


 血走った眼でミユキを睨みつけ、カグヤは吐き捨てた。

 これまで一度たりとも、誰に対しても言ったことのなかった言葉を、衝動に任せてぶつけた。


「――大っ嫌いなのよ、私は!!」



 その日を最後に、ミユキは『レジスタンス』を辞めてカグヤの元を去った。

 自分はもう彼女の側にいるべきではないと思った。恋人としても女王に仕える従者としても、失格だったと思った。

 愛に酔い、過去の理想家だった彼女だけに縋ったミユキには、現在の変わってしまったカグヤが見えていなかった。


「……んっ……もぅ、朝……」


 無機質なアラームに叩き起こされ、ミユキは枕元のスマホをまさぐる。

 重い瞼を擦りながら彼女はそれをミュートにし、長い夢の最後に突きつけられた言葉を思い返した。


「大嫌い」。


 その拒絶は今も続いているのだろうか。月居カグヤがミユキのことを振り返ってくれる日は、二度と訪れないものなのだろうか。

 

「彼女にもう一度会えれば……会って話さえ出来れば、何か変えられるかもしれないのに……。その勇気すら持てないなんて、弱い女ね、あたしは」


 夢はいつもその絶望という奈落に落ちるところで終わる。そこより先へは進めない。起きていても寝ていても、彼女は一歩たりとも前に行けない。

 自分にはカグヤに愛される資格がない。彼女と自分が立つ場所は、気づいた時には完全に隔絶されてしまったから。「運命」を都合よく信じた彼女は自分の良いようにカグヤを捉え、悪い面、暗い面には目を向けようともしなかった。

 

「もしも、もっと早くカグヤの本心を知れたら……彼女ときちんと向き合えていれば、こんなことには……」

 

 Ifという幻想を何度も見てきたミユキは、首を回して涙の滲む目で風の吹き込む窓を見上げる。

 秋の選挙を前に『尊皇派』を狙ったテロの発生。始動した『第二次福岡プラント奪還作戦』。都市の内外は今、大きな変革期を迎えようとしている。

 逃げ続けた自分にピリオドを打つ時が来た――そう覚悟を決めたミユキは、カグヤとの接触を果たすために動き始めた。

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