第百十八話 海を制す者 ―"I hate a sea."―
作戦開始から三日目に行われるのは、『中国エリア』から『九州エリア』へ渡る『海越え』だ。
海軍の巨大輸送艦隊と合流した陸・空の合同部隊は、早速その日の十一時過ぎから海峡へと臨むことになる。
「ぷはっ! やっぱ氷の海は冷えますねー、先輩!」
港の波止場から氷の割れたところに飛び込んで寒中水泳していたのは、水無瀬ナギ少佐だ。
ずぶ濡れな『アーマメントスーツ』姿の彼に手を差し伸べ、引っ張り上げてやっている湊アオイは、後輩の無茶な行いに溜め息を吐く。
「お前、万一事故死したらとか考えないのか?」
「海は僕の遊び場ですもん。だいじょーぶですよ、心配しなくても」
「……ナギ!」
思わず後輩の腕を掴む手に力を込めてしまうアオイ。
彼の剣幕に怯んだようにナギは身体を縮こまらせ、項垂れた。
「……すみません。でも、僕は先輩より先に死ぬつもりはありませんから」
「縁起でもないことを言うな。僕だってそんなつもりは毛頭ない」
天気は快晴。風もない。気象条件としては最良だ。
だが、それでもアオイの胸の奥底では「嫌な予感」が燻っている。それはナギの発言のせいか。それとも――彼の本能が訴える直感か。
「第一艦隊の準備が整ったようだ。僕たちも出るぞ、ナギ」
「はーい」
ナギにタオルを放ってやりつつ、アオイは踵を返して氷面から波止場へとよじ登った。
濡れた髪をさっと拭く後輩も後に続き、二人は足早に艦へと戻る。
「遅れてすまない。【ドミニオン】のパイロットは?」
「いえ、まだ発進予定時刻まで余裕ありますから。あの四人はもう、機体に乗って射出機のところで待機してます」
SAM格納庫の愛機のもとまで駆け寄ったアオイは、側にいたメカニックの若い女性に確認する。
彼女の答えに頷いて【イェーガー・海戦型/指揮官機】に搭乗し、彼は『アーマメントスーツ』の胸部にはめ込まれた『宝玉』に指先を触れた。
「目覚めよ」
声紋と指紋認証で『コア』を起動させると、液晶モニターと照明が点灯してコックピット内が色づいていく。
深呼吸し、機体と自身の脳がリンクしていくのを待つ。
復帰してから初の大型任務に緊張しながらも、アオイの覚悟に揺らぎはなかった。
(大丈夫だ。僕たちなら、皆を守りきれる。勝って使命を遂げられる。その暁には、カノンに……)
彼女に渡すつもりで買っておいた指輪は今、『スーツ』の腰元のポーチに入れてある。
その指輪とカノンに誓って、アオイはこの戦いを何としても勝ち残らなくてはならない。
「――湊アオイ、【イェーガー・海戦型/指揮官機】、出撃する!」
「水無瀬ナギ、【ガギエル】出るよ!」
同時刻、ナギの青き機体もカタパルトより飛び出し、氷海へと潜り込んだ。
厚い氷をものともせず叩き割って、その残滓を海中に漂わせながら西進する【ガギエル】。
流線型のシルエットが特徴的なコバルトブルーのこの機体は、イルカのそれに似た背びれや尾びれを持ち、四肢の指先には薄らと水掻きの膜が張っている。
尾びれで水を打って勢いよく進んでいく機体の先には、早速『大蛸型』の【異形】が数体出現した。その体長は四メートルは下らない。
「普通は三メートル程度なんだけど……ま、いいや。デカイやつを倒したほうが、僕の株も上がるってもんでしょ!」
にやりと笑みを浮かべ、ナギは腕に装着しているランチャーを敵へ照準する。
白く尾を引いて放たれる弾丸は動きの鈍い蛸の【異形】らを捉え、爆砕した。
緑の血液と蓄えられていた墨が爆発とともに流出し、にわかに視界を埋め尽くす。
「ちょっと困るね、そーいうの! 匂いに釣られて、他の奴らも来ちゃうじゃんか!」
振り返り、さらに数発撃ち放つ。
直後、爆発。別種の血液も混じり合い、彼の周辺の海水はドス黒く染まっていった。
漂うヒレの残骸は『凶鮫型』のもの。それを見て「お昼にしたら美味しそう」とか場違いなことを考えてしまうナギだったが、頭を振って眼下を見やる。
艦が氷を溶かすために発している魔力を感知して、今にも新たな敵が襲い来るだろう。先ほどのはまだ前哨戦。攻勢が激化するのは、ここからだ。
「前回みたいに海上からサポートがあれば、助かるんだけど」
海中にまで届く光魔法を扱う御門ミツヒロ中佐の【ラミエル】は第三師団に属し、到着までもうしばらくかかるという。
ここは海軍の腕の見せ所でしょ――呟いて気合を入れるナギは海底より上昇してくる複数の『凶鮫型』を捕捉し、手近にあった『大蛸型』の残骸を掴んだ。
それを餌に鮫たちのもとへ少し近寄り、そして反転。
艦から離れるように南下していく彼の狙い通り、鮫たちはSAMという標的と餌の一石二鳥に引かれて追撃を開始した。
「もっと来なよ! 僕のとっておき、見せてあげるからさ!」
先の第一次作戦で瀬那マナカが採った、魔力液を餌に大量の敵を誘き寄せ、それを一気に叩く戦術。
海中で魔力液の欠乏は死を意味するため、そっくり真似するわけにはいかなかったが――粘っこく匂いも強い『大蛸型』の血液ならば、魔力液にも劣らない働きをしてくれるだろう。
「【うねれ、うねれ、母なる潮。その腕で生命を掻き混ぜ、胎内へ還したまえ】!」
【ガギエル】の掌の中に浮かぶのは、潮流の「卵」だ。
水属性と力属性の魔力を内包した「卵」をそっと胸に抱え、ナギは『凶鮫型』を引き連れて艦からさらに離れていく。
獲物を捕らえる役割を担う『突撃役』の鮫たちが弾丸のごとく迫り、その頭部の一本角で【ガギエル】を串刺しにしようとする。
彼らが発する殺意、海中を猛スピードで横断することによって生まれる水の流れの変化を、ナギは肌で感じ取った。
(震えるね。本当に、身体が震えてしょうがないよ。でも、心は――)
後ろからだけではない。前後左右、各所から鮫の軍勢が押し寄せてくる。
彼らは本当に敏感だ。どこまでも真っ直ぐ、貪欲に、獲物を喰らわんとする。全員には到底行き渡らない少なすぎる牌を狙って、自分こそが捕らえんと躍起になっている。
剥き出しの殺意は人に備わる原初的な恐怖を呼び起こす。ナギもそれは例外でなく、彼の操縦桿を握る腕は小刻みに不規則なリズムを奏でていた。
――だが。
「楽しいよ! こんなにスリルのある遊びなんて、地上のどこでだって出来やしないもん!」
凄絶な笑みを顔に貼り付け、鼻を潰すほどの死の芳香を味わうナギ。
激しく乱れる心音はその魔法の発動までのカウントダウンだ。
さん、に、いち――鮫の角が【ガギエル】の肉体を貫こうとした瞬間、「卵」は放り出される。
直後生み出されたのは、全てを飲み込む潮流であった。
『――――――――!?』
一直線に猛進していた『凶鮫型』は須らく、その潮に為すすべもなく押し流された。
水圧に背骨がへし折れ、ヒレがもぎ取られ、ミキサーにかけられた食物のごとく彼らはバラバラになっていく。
が、その運命を辿るのはナギも例外ではない。彼は即座に最大出力で足底部と背部のスクリューを回し、全霊をもって尾びれで水に抗った。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」
手繰り寄せてくる巨大な腕は、少しでも気を抜けば彼を呑み込んで押しつぶすだろう。
だが、彼は海で散るなど死んでもごめんだった。
水無瀬ナギは海が嫌いである。
彼の大好きだった父親も、五つ年上の兄も、そして同期の恋人だった少女も、海の魔物に喰われて死んだ。彼らの遺骸は文字通り海の藻屑と化し、指一本帰ってくることはなかった。
ナギは海を憎んでいる。そこに棲む【異形】たちを皆殺しにしてしまいたいと本気で願っている。海に抗い、海を征し、海にいる敵を討つ――それが父や兄、恋人の仇討になると信じて戦い続けてきた。
生身で海に入るのは、彼なりの無謀な海への挑戦。その挑戦を笑って楽しむのは、ひた隠しにしてきた恐れを克服するため。
恋人を失い、兄代わりだったアオイが軍から離れて孤立して自暴自棄になったことも理由の一つではあったが、グローリア中佐らが頭を痛める行為にはそういったわけがあった。
「僕は、海に負けない!!」
見上げた先にあるのは、氷面。
それは人にとっては分厚い壁だが、SAMの鋼鉄の身体なら十分に砕ける程度だ。
最後の力を振り絞って水を蹴り、引っ込めた首を思いっきり突き上げる。
ドゴッッ――!! 重低音の轟きと同時に、潮を制した機体が氷海上へと勢いよく躍り上がった。
「は、はっ……見たか、これが、僕の……!」
全身の筋肉が悲鳴を上げている。酷使したスクリューは負荷に耐え切れず壊れ、装甲は所々剥がれ落ちて見るに堪えない様相を呈していた。
喘ぐナギは氷面に落下し、ひび割れたそこに静かに沈み込んでいく。
鮮明な冷たさを背に、ナギはモニターに映る白い太陽に大切な人たちの笑顔を重ね、微笑んだ。
と、その時――。
『ナギっ!』
虚脱感とともに眠ろうとしていたナギの耳朶を、叩く声があった。
彼女か、とナギは思った。小柄なナギをいつもからかってきていた、背が高くてお調子者の彼女が迎えに来たのだと。
だが、太陽をバックに舞い降りるその影は――彼女の乗っていた【イェーガー・海戦型】ではない。
「……【ドミニオン】」
『ナギっ、だいじょうぶ!?』
差し出された手が【ガギエル】を引き上げて、かき抱く。
黒い光沢のある体躯に甲虫のような四枚の翅を持つ【ドミニオン】の救済に、ナギは一筋の涙を流した。
『ナギ、ナギっ……!』
最上フユカ。
海での遊び方を教えたら夢中で聞き入ってくれた、幼気な少女だ。
ここに来るまでの船旅の中、ナギは仕事の合間を縫って『使徒』の四人と親睦を深めるべく色々なことをした。よく晴れたデッキの上で一緒にお昼を食べたり、自作の長い紐を垂らした釣竿で釣りをしてみたり、海鳥が飛んでいればちょっとした豆知識を喋ったりした。
男子三人――特にナツキ――はナギを面倒臭がって遠巻きに見ていることが殆どだったが、フユカは好奇心旺盛に付き合ってくれた。
「ありが、と……」
助けてくれる仲間がいる。海で仲間を失っても、また海で出会いがある。
共に艦に乗ってくれた少女に感謝の言葉を捧げ、ナギは目を閉じて束の間の眠りに就くのであった。
*
「海中の敵反応、半数以上が一気に消滅! この広範囲攻撃は、水無瀬少佐によるものです!」
モニタ上のレーダーの反応を凝視していたオペレーターの報告に、「でかしたぞ!」とミラー大将は叫んだ。
彼の隣でグローリア中佐も口元を微かに綻ばせるが、すぐに表情を改めて部下へ問う。
「【ガギエル】の状態は?」
「っ、いま通達が入ったところです! 【ドミニオン】四号機によって、艦内SAM格納庫へ移送されたとのこと! 水無瀬少佐の命に別状はありません!」
聞きたかったことを全部言ってくれた部下に「ありがとう」と微笑み、それでようやくグローリアは安堵できた。
私情で部下を贔屓するのは軍人としてはいけないことだが、女性として息子のように大切に思ってきた子の帰還を喜ぶのは間違ってはいないだろう。
「待機中の三機を出して、【ガギエル】の穴を埋めなさい。良いですね?」
「はっ! ――磯村機、浜辺機、三浦機、出撃せよ!」
グローリアの指示に部下たちは迅速に応え、それから一分と間を置かずカタパルトより三機が射出された。
良い部下を持ったことに感謝しつつ、グローリアとミラーは司令室の主モニターを見つめる。
が、その直後――新たなる敵影をレーダーが捉え、鋭くアラートを鳴らした。
「前方、九州エリア側より敵襲を確認! 『飛行型』複数が一斉に、森林から飛び立った模様です!」
「拡大した映像を出せ!」
ミラーの一声でモニターの戦場図の上にポップアップする映像。
そこに映っているのは確かに有翼のモノであったが、これまでに確認された『飛行型』とは根本的に異なっていた。いや――そもそも、【異形】ですらないと思われた。
広げられているのは黒い翼。身体に纏うのは金属光沢。細長い四肢と体躯は人型で、その頭部にはガラス色に光る目と獣のごときあぎとが備わっている。
「……まさか」
その影を目にした誰もが絶句していた。
自分たちは白昼夢を見ているのか、皆がそう思わざるを得なかった。
その姿を見紛うわけがない。だからこそ、にわかには信じられない。
「我々の管理下にない、SAM……!?」
新たなる敵が牙を剥く。




