第百十七話 救恤の歌姫 ―"Relief"―
夜が開けた二日目も、彼らの進軍は滞りなく行われた。
第一~第三師団は早朝に大阪基地を発ち、その日の夕刻には広島基地へ到達。
道中に何度か『第二級』以下の【異形】の集団からの襲撃を受けるも、【七天使】や【機動天使】率いるSAM部隊でこれを撃退する。
中でもミコトの活躍は目覚しかった。
最新型【機動天使】・【ガブリエル】を駆る彼女は自ら最前線に出向き、兵たちにその威光を見せつけていた。
「さあ、皆さん! わたくしが力を与えます、存分に戦ってください!」
彼女のイメージカラーである桃色にコーティングされた陸戦型SAM、【ガブリエル】。
細身の体躯に複数の『コア』と『魔力増幅器』を埋め込んで張り出した胸部、纏うマントや手に持つ長槍は、宇多田カノンの【イスラーフィール】と同じ系譜だ。
前身機との差異は、頭部を覆う赤いトサカ付きの兜。皇家のミコトが乗るにあたり威厳を演出しようとデザイナーが取り付けたものであるが、これも『魔力増幅器』としての機能を有し、さらに『アイギスシールド』を展開するための機構も施された優れものである。
「ミコトさま、頼みます!」
兵たちが戦う前線を後衛から見通すミコトは、彼らの要請に頷いて「魔法の杖」の役割も兼ねる槍を掲げる。
「【祈りよ、汝の骨肉となれ】」
素早く紡がれる短文詠唱の後、槍の穂先から桃色の光輝が放たれて兵士たちを暖かく照らす。
広範囲に及ぶ魔法の光が彼らを優しく撫でると、疲弊していた兵たちにたちまち力が湧き上がった。
【ガブリエル】の第一の能力、即効性の回復魔法。これは体力・魔力問わず一気に全回復させるという、現存する回復魔法の中でも最高の効能を持つものである。
歓声にも似た雄叫びとともに残る『巨鬼型』や『巨豚(オーク型』へ立ち向かっていく部下たち。
だが、ミコトの仕事はこれで終わりではない。
「【祈りよ、汝の闘魂と化せ】」
次いで穂先から撃ち出されるのは、赤きオーラ。
兵たちの頭上より降り注ぐ光の雨は、更なる力を彼らに与えた。
「うおおおおおおおおおおおおッッ!!」
その光を浴びた瞬間――彼らの動きは、一気に鮮やかになる。
振り下ろされる敵の拳も、振り回される丸太の棍棒も、一切命中しなくなる。
その動作の変化に【異形】たちは目を剥き、苛立ちを露に吼え猛った。咆哮の連鎖は敵の攻勢をより強め、放たれる暴力は無作為に目の前のSAMたちを襲う。
(その程度、『技』ですらない。ならば、わたくしの兵たちは負けませんわ)
勝敗は見え透いている。
ミコトの微笑みに違わず、支援魔法によって機動性および攻撃力を大幅に向上させた兵たちは、敵の攻撃を全て躱して急所へ一撃を食らわせた。
次々に絶命していく仲間を見て、後方に残っていた【異形】たちは恐れをなしたように一目散に逃げ出していく。
「ミコトさま!」「ありがとうございます、ミコトさま!」「殿下がいれば、今度こそ基地もプラントも奪還できるかもな!」
もう何度目とも知れない【異形】の波状攻撃の一波を凌ぎきり、兵たちの歓喜の声が上がった。
それを聞きながらミコトは通信のチャンネルをレイへ繋げ、訊ねる。
「そちらはどうですの?」
『こっちも片付きましたよ。しかし……前回と比べても、奴らの波状攻撃の頻度が上がっています。継続的な攻めでこちらを消耗させるのが一番効くと、奴らも理解しているのでしょう』
数の【異形】と、質のヒト。
短期の戦いならば後者に軍配が上がるが、長期になると相性は逆転する。
遠征ということで不利な長期戦を強いられるため、ミコトの回復魔法はそれを補う「鍵」と言えた。
「大丈夫です。わたくしの魔法ならば、比較的少ない魔力で皆を癒せます。体力・魔力の面では問題ないでしょう。ただ……」
『……精神面では、分からない?』
「ええ。いくら回復魔法があるとはいえ、兵一人あたりの負担はなるべく減らさねばなりません。カグヤ司令の『スイッチ』プラン――これを怠らず実行せねばなりません」
通常よりも早いスパンで兵の交代を行い、一人一人に継続してかかる負担を減らす『スイッチ』プラン。
長期戦を勝ち抜くためにはこれが不可避だと改めて説くミコトに、レイは頷きを返した。
普段はおっとりしているように見えて戦場では凛然と兵を率いるミコトを、彼は頼もしく思う。
『魔力を使えば使用者の脳には負荷がかかります。兵たちはあなたの魔法を望むでしょうが、どうか無理のないように』
「ご心配ありがとう。今のところは、平気ですわ」
そう言って通信を終え、彼女らは広島基地を目指して前へ進んでいくのであった。
そして、その日の夜。
飛空艇内の部屋を消灯させ、就寝しようとしていたレイは、二段ベッドの下からミコトに話しかけられて瞼を開いた。
「……レイ。少し、お願いがあります……良いですか?」
「いいですけど、明日も早いですよ。手短にお願いします」
「分かっていますわ。では、言いますが……あの、あなたのベッドに行っても良いでしょうか?」
「……は?」
言われたことが理解できずに呆けた顔になるレイ。
同じことを繰り返し言われてようやく飲み込んだ彼は、「いやいや」と焦りを露に早口で答える。
「だ、ダメですよそんなの! ボクはただのパイロットで、あなたは皇女殿下です! それ以前に、男と女です! あ、あなたはボクが何か変なことをしないか警戒しないんですか!?」
「警戒するのなら、初めから同室を拒否していますわ。……どういう意味かは、お分かりでしょう?」
レイとは対照的にミコトは穏やかな声で言った。
誰かと同じベッドで寝るなど幼少期に姉と一緒になった以来だ。イレギュラーな状況にしどろもどろになりつつも、「あ、あなたがそう言うなら」と彼は身体をベッドの端に寄せる。
梯子を伝って上がってきたミコトが隣に来ると、シャンプーのフローラルな芳香がレイの胸を妙にドキドキさせた。
「こっちを向いてくださらないの、レイ?」
「だ、だって……寝顔、見られるの、恥ずかしいですし……」
二人とも細身なため一緒に寝るには問題はなかったが、それでも少し狭い。
恥ずかしいと言いながらもごそごそと身体の向きを変えたレイは、すぐ目の前にある少女の整った顔に頬を赤らめた。
化粧を全て落としてもなお劣らない、自然な美しさ。大きな目を縁取る睫毛は長く、鼻筋はすらりと通っていて、唇は瑞々しい果実のよう。
――鼓動がうるさい。何故だか体温が上がっている。その澄んだ青い瞳に見つめられると、呼吸までも乱れてしまう。
「……あ、あの、ボク……」
寝巻きのゆったりした胸元から覗く、抜けるように白く柔らかそうな双丘からレイは思わず目を逸らした。
ミコトはそんな彼へ腕を伸ばし、ぎゅっと胸元まで抱き寄せる。
互いの体温が密に感じられる距離で、彼女は少年の金色の髪の毛に顔を埋めて同じシャンプーの匂いを嗅いだ。
「温かい……こうしていると、いま地上に出ていることも忘れてしまいそうですわね。いつぶりでしょうか……誰かとこうして眠るのは」
皇ミコトは、孤独だった。
幼い頃は乳母が共にいてくれたが、大きくなるにつれてそれもなくなった。
周りの者は彼女を如何に政治的に利用しようか画策する者ばかり。許嫁の蓮見タカネも幼少期は兄のように接してくれたが、彼も政治の世界に足を踏み入れて変わってしまった。兄や姉は成人して公務に忙殺され、ミコトと関わる時間は殆どなかった。
いつだって、彼女は一人だった。だが今は違う。ここでは皇女ではなく一少尉だ。そばにはレイがいてくれる。
戦いという非常事態でなければ、皇ミコトは自由になれない。しかし、自身の願い通りいずれ世が平和になれば、彼女は再び孤独な玉座に戻らなければならなくなる。
自由と立場――相反するそれらの狭間で彼女は一人、懊悩していた。
「……レイ。わたくしは近い未来、許嫁の蓮見タカネ氏と結婚することになります」
唐突にそう言ってレイを困惑させてしまうミコトだったが、それも構わず話を続ける。
「『尊皇派』として、彼がわたくしたち皇室を尊敬しているのは事実でしょう。しかし、彼はわたくしという個人を愛してはおりません。彼の伴侶は皇室の威光そのものなのです。その『容器』さえあれば、『中身』が誰であろうとどうでもいい。むしろ、愚物のほうが操りやすくていいとすら思っているかもしれません」
蓮見タカネは利益を何より優先する人間だ。自らが稼ぎ、自らが名声を得、自らが至上の食や女、財物を手に入れることこそを理想とする男だ。
無論、彼には大義もある。『尊皇派』としての主張の全てが嘘だというわけでもないだろう。しかし、それはあくまで二の次なのだ。彼にとって大義は手段でしかない。
タカネの両親が天皇家に近づき、彼をミコトの許嫁にしたのも、皇室と繋がることによる利権を狙ってのことだという噂は常々出回っていた。
「わたくしは……ただ、愛や平和を歌えればそれでいいのです。政治も戦いも擲ち、他に誰もいない辺境で、愛する者と共に静かに過ごせれば、それで……」
ミコトはレイの手を握り、指と視線を絡めた。
逃したくない。この人と一緒に居続けたい。好き、なのだと思う。異性として、レイのことが。
何度か会って言葉を交わすうちに、気づいたら彼のことを恋慕していた。彼の理知的な微笑みが、照れて仄かに赤らむ頬が、憂いを帯びながらも希望を捨てない真っ直ぐな眼差しが、愛おしくてたまらなくなっていた。
それでも――ミコトにそれを口にすることは許されない。
皇女の肩書きは、彼女の生き方を縛り付けて離さない。タカネとの結婚は今上陛下が直々に決めたことだ。それを覆せるだけの力も勇気も、彼女にはなかった。
「……あなたと出会えて良かった。あなたと共にここに来られて良かった。あなたの色々な表情が見られるだけで……わたくしは、満足していますわ」
「ミコト、さん――」
レイはいたたまれなくなったように首を横に振り、そして、ミコトへ顔を寄せて口づけする。
少年の華奢な腕に抱かれ、その接吻を受けるミコトの胸はじんと熱くなった。
この人となら身体を重ねてもいい、この人との愛に溺れたい――けれど、そう思っていてもミコトは最後の一線までは踏み越えようとしなかった。
「ありがとう、レイ。キスだけでも十分、わたくしは嬉しかったですわ」
鼓動が早まる胸を押さえ、桃髪の少女は上体を起こした。
餌がお預けになった子犬のような顔をしているレイにくすりと笑い、彼の頭をそっと撫でてやってから、彼女は布団から抜け出てベッドを降りる。
「……ミコトさん。その、すみません、ボク、ちょっと変でした」
「変ではありませんわ。変なのは……あなたにそう言わせてしまう、わたくしの方」
不味いことをしたと思わせてしまったことに胸を痛めつつも、ミコトはそれを正面から謝ることが出来なかった。
ひんやりとしたベッドの上に身体を投げ出して、少女は上の段にいるレイへと手を伸ばす。
それきり、二人の間に会話はなかった。自分が彼に対して抱いた想い――少女はその片付け方を、夜が更けるまで模索し続けるのであった。




