第百十二話 未来への誓い ―"I'll give the assistance!"―
時の流れは人が思うよりもずっと早く進んでいく。
初夏を過ぎてすっかり暑さが染み付いた、七月。
夏服のワイシャツの襟を派手に開け、パタパタと仰いでいる赤髪の少年は一人、廊下を歩きながらぼやいていた。
「廊下にもエアコンつけろっての。貴重なパイロットの身を労わる精神が足りないね、この学園のクソ教師どもには」
「その言い方は良くないんじゃないか、来栖くん?」
背後からかけられた若い男の声にハルは振り向いた。
そこに立っていたのは、青みがかった黒髪を肩のあたりまで伸ばして額が見えるようヘアバンドで留めている青年、湊アオイである。
「あぁ? なんであんたがここにいるんだよ」
「海軍大尉としての仕事だ。君らの担任に通しておかなきゃいけない話がある。……ところで」
近くの教室は静まり返り、中で講義する教員の声だけがドア越しに微かに漏れ出ていた。
つまりは、思いっきり授業時間内なのである。にも拘らず廊下をほっつき歩いているとはどういうわけか――そう呆れ顔で見下ろしてくる長身の青年に、ハルは鼻を鳴らした。
「今の時間は国語。そんなのに時間割いてどうなるってんだって話だと僕は思うね。そんなことしてるくらいなら、もっと軍人としての教育をするべきだ。そうでしょ?」
「……だからサボリ場所を探してうろついたってことか。気持ちは分からなくはない。僕も学生の頃はそう思っていた。だが……今は違う。この『学園』は義務教育ゆえに、軍人としての適性に欠ける者のための『武器』を授けなければならないと知った」
半ば独白めいた口調でアオイは言った。
彼はハルを追い越して職員室のほうへ進んでいき、振り返らずに少年へ呼びかける。
「大方、普段のサボり場所が生徒指導の先生に目を付けられて居づらいんだろう。あてがないなら少し付き合え」
「……な、なんであんたなんかと……」
「言っただろ、軍の仕事だって。君ら【ドミニオン】パイロットに関わる話だ。どうせなら直接聞いていけ」
四つしか年の違わない相手に偉そうにされるのが癪に障りつつも、ハルは咄嗟に断るいい方便を思いつけなかった。
ちゃんと朝飯食って頭回るようにしときゃ良かった――と彼は内心でぶつくさ言う。
「し、『使徒』を代表して付き合ってやる」
「強がりだな。……あいつに似てる」
最後の言葉は聞き取れないほどの小声で呟くアオイ。
ハルを伴って彼は職員室へ赴き、それからキョウジを呼び出して応接室へ移動した。
「お久しぶりです、矢神先生。問題児ばかりのクラスで大変でしょう?」
「ああ、全くだよ。だが、ユイくんや早乙女くんが頑張ってくれているおかげで、当初悲観したよりはマシさ」
「……こっちチラチラ見てんじゃねえよ」
キョウジの隣に掛けてきまり悪そうに身を縮めているハル。
そんな彼に「まあ楽にしてろ」とキョウジが言うなか、向かいに座るアオイは鞄から幾つかの書類を取り出してテーブルに並べた。
「『第二次福岡プラント奪還作戦』。近いうちに始まるこの作戦には、前回と異なり海軍も全面的に参戦することとなります。支援のみならず戦闘にも機体を投入するわけなんですが……いかんせん、海軍の専用機は【ガギエル】のみで戦力に不安があります」
そこで、と前置きしてアオイはハルを真っ直ぐ見つめた。
「我々海軍のサポートとして、『学園』から【ドミニオン】の四名を借り受けたいんです。矢神先生、来栖くん……どうか、良い答えを」
深々と頭を下げるアオイに、キョウジは「ううむ」と唸った。
無精ひげをさする男は懐からタバコとライターを出し、一本吸う。
「ねぇ、僕にもそれくれよ」
「くれてやりたい気持ちは山々だが、子供にはこっちだ」
悪ぶって背伸びしたがる少年にタバコ型のお菓子――コーラとハッカのフレーバーのラムネ菓子だ――を押し付け、紫煙を吐き出してキョウジは言う。
「単純な戦力としては【ドミニオン】は文句の付けようがないスペックを誇っている。だが……パイロットがやや難有りでね。まあ、君は元担任だから分かっちゃあいるだろうが」
「それはこちらとしても織り込み済みです。先の試験での来栖くんの暴走を踏まえ、控えるべきだとルイス中佐はおっしゃられたのですが……僕としては、是非とも強いパイロットの協力は得たい」
【ドミニオン】パイロットの協力を取り付けようというアオイの提言に、グローリア・ルイス中佐もミラー大将も初めは難色を示した。
だが元担任として彼らの資質を知るアオイの熱弁に二人は折れ、こうして彼が談判に訪れたのである。
二度目の失敗は決して許されない。作戦の準備が粛々と進められている今、持てる全てを注ぎ込むのだと青年は決意していた。
「なら、俺は止めないが……学園の生徒を強制的に徴用するのは軍法違反だ。あくまでもあ彼らが志願した上でないと、参加は認められない」
「それも分かっています。だから、僕が直接来たんです」
芯の通った強い声で言い切って、アオイはハルの青い目を見据えた。
研ぎ上げられた刃のごときその眼差しに、ハルの視線は射止められる。
膝の上で拳を握り、生唾を飲んだ少年は青年を睨み返し、そして言った。
「やればいいんだろ? それが【ドミニオン】の役目だってんなら、やってやる。母さんもきっと、それを望むだろうから」
――母さん?
キョウジもアオイも怪訝に思ったが、彼の覚悟を邪魔する問いかけは野暮だと感じてそれには触れなかった。
青年は相好を穏やかに崩し、「ありがとう」とハルへ手を差し出す。
「【ドミニオン】パイロットは僕の新たな部隊に編入される手筈になっている。よろしく頼むぞ」
真摯な青年の言葉にどうするべきか長々と迷った末に、ハルは握手に応えて一瞬で手を離した。
「……可愛くないな、君は」
ぷいと顔を背けるハルに呆れるアオイ。
書類に改めて目を通しつつ、キョウジは言った。
「次のA組の授業は俺の担当だが、その時間で残りのメンツにも話をつけるか」
「いえ、授業時間を削らせるほどのことじゃ……」
「俺の授業なんて機械オタクの戯言みたいなもんさ。別に問題なかろう」
そう言って書類をまとめ、キョウジはタバコを携帯灰皿に押し付けて席を立つ。
それから思い出したようにハルのほうを振り向いた彼は、メガネをくいと押し上げて意地悪い笑みを浮かべた。
「授業をサボった罰として、昼休み俺の雑用を手伝ってくれ」
*
その日の夜、『レジスタンス』本部のお膝元である都市中央区画のとあるバーにて、アオイは人を待っていた。
客の来店を告げるベルがカランカランと軽い音を立て、彼は視線を上げる。
「お待たせ、アオイくん。ごめんなさいね、仕事が長引いちゃって」
「いいって、今は皆が忙殺されてる時期だから。僕のほうも『学園』に顔を出して戻ってきたらまた教練で、もうヘトヘトだよ」
やって来たのは【七天使】の一人である女性、宇多田カノンだ。
普段着の『アーマメントスーツ』ではなくあまり洒落っ気のないラフな格好である彼女は、艶めく長い金髪を揺らしながらアオイの隣に掛ける。
「マスター、いつものお願い♡」
「かしこまりました。しかし、宇多田さんがここを訪れるのも久々ですね」
「でしょう? 私も前みたいに飲みに来たいと思っていたんですけど、昇格してからは一気に忙しくなって。御門少将が格下げ食らって以降、佐官の皆さんは彼の後釜狙いでぎらついてるし……ほんと、疲れちゃいます」
「大変ですね。今日は存分にゆっくりしていってください」
壮年のマスターに「ええ」と微笑み、彼がお酒を入れてくれているのを眺めながらカノンはアオイのほうを向いた。
「入隊一年目のヒヨコちゃんの教育係、でしたっけ。大変でしょうけど、アオイくんには案外向いてるんじゃないですか? 昔から年下の子に教えるの上手かったでしょう」
「まあ、ね。海軍を志願する者は少ないぶん、他より気概のある奴が多い。やる気に満ちた奴はすぐに教えたことを吸収してくれるから、やりやすいよ」
ハルやキョウジと対面していた時とは打って変わって柔らかい口調で、アオイは答えた。
普段は気を張っている青年が唯一こうして自然体でいられる相手が、カノンだった。
二人はアオイが『レジスタンス』を辞めた頃に交際も止めていたのだが、彼が復帰した折にカノンの側から申し出て付き合いを再開していた。
「そういえば、学園に足を運んだって言いましたよね。どんな用件で?」
「ああ、それは……」
【ドミニオン】四名の協力を得ることが出来たと、青年は彼女に明かした。
柑橘の果実酒を一口飲み、それからカノンは呟く。
「大きな戦いになるでしょうね。おそらく『レジスタンス』の創設以来、最も過酷な戦いになる。人員も物資も最大限投入して臨む、負けたら後がない決戦……勝てたとしても、失うものもきっと多いでしょう」
「……そう、だね」
戦いの準備が本格的に始まれば、士官の立場である彼らはこうして呑気に会っていられなくなる。
戦いで起こりうる「最悪」――それを常に頭に入れているカノンは、今日がともに飲める最後の日になるかもしれないというつもりでこの場に来ていた。
「けれど……失わせないように尽力するのが、私たち指揮官の仕事。敵を見極め、味方を知り、戦場という盤をコントロールする。一手のミスも許されない。……そういう立場に、私たちはいる」
押し黙る青年の手を握って、カノンは淡々とした口調で言った。
その声音はアオイにプレッシャーをかけすぎないように努めたもの。クールな雰囲気の彼が見かけ以上に脆いことを、カノンは付き合いの中で熟知していた。
「……なんか、しんみりしちゃいましたね。アオイくん、お酒飲む手が止まってるし」
「だ、だって真剣に話してる時にお酒なんて、失礼じゃないか」
「何のためにこの場所に来たの、って話。……ね、アオイくん。君のお酒の味、教えて」
彼へ顔を寄せて、肩に腕を回し、そしてキスをする。
絡めた舌先でワインの酸味と渋みを味わいながら、乳房と胸板が触れ合うまで距離を縮める。
青年の激しい鼓動を感じるカノンは、しばらくそうし続けていた。この感覚を、大好きな彼と触れ合える喜びを胸に刻み付けるように。
「カノン、僕……っ」
「ふふ、夜は長いですから。もうちょっと飲んだら、場所変えましょうね」
飲み残していたグラスを傾け、カノンは少し赤らんだ顔で微笑む。
今だけは酔わせてほしい。戦いが始まる前の今だけは。
その気持ちはアオイも同じだった。軍の仲間同士ではなくひと組のカップルとしての時間を、夜が明けるまで過ごしていたかった。
「若さとは、良いものですね」
「あら、マスター? もしかしてご無沙汰? 良かったら私たちといっしょにぃ、3――」
「は、はああああっ!? ちょっ、何言ってるんだカノン!?」
「もぉ、必死すぎぃ……冗談よ、じょーだん」
「っ、お、脅かすなよもう……」
酔うととんでもないことを平気で言い出すカノンの悪癖は知ってはいたが、内容がないようなだけにアオイは顔を真っ赤にした。
表情筋ひとつ動かさず他の客のお酒を準備し始めるマスターを一瞥して、溜め息を吐く。
(案外すぐ出来上がっちゃうからなぁ、この子……)
自分のぶんのワインをひと飲みで片付け、アオイは半分酔い潰れているカノンを引っ張り上げて席を立った。
「ご馳走様です、マスター。また来ます。必ず……二人で、また」
「ええ、また。酔ったら足元が危ないですから、どうかお気をつけて」
支払いを済ませ、店を出て生温い夏の夜風を浴びる。
タクシーを呼んで近場のホテルへ向かいながら、アオイは膝の上で穏やかに寝息を立て始めたカノンを眺めて微笑んだ。
(きっと大丈夫だ。僕らには【ドミニオン】がついてる。ナギも一緒にいる。財閥と繋がったおかげで、海軍の艦隊はここ数年で一気に性能が向上した。だから絶対、大丈夫だ)
作戦が終わり、全てが無事に済んだ後、アオイにはやろうと思っていることがある。
きっとカノンは喜ぶはずだ。ともに迎えるその未来に、希望を見出してくれるはずだ。
その未来を作るためにも、何としてでも勝つ。
近いうちに来る作戦へそう強く意気込んで、彼は彼女の髪をそっと梳くように撫でた。




