第百十一話 歌姫と騎士 ―A hand is extended to light.―
【異形】の脅威を意識することもなく、人々は与えられた平和を今日も享受していた。
じめっとした大気の中に時おり涼やかな風が吹き抜ける、六月初旬。
もうすぐ迎える梅雨の前触れのようにカラッと晴れた日が続く中、安息日を使ってミコトはある一大イベントを始めようとしていた。
「準備は出来ましたか、先生?」
『はい、軒並み整っています。生徒や一般客の入場も殆ど済んだようです』
「分かりましたわ。ふふっ、レイ、SAMのほうは任せましたわ」
スタジアム内の待機室の椅子に掛け、傍らに立つレイを見上げて微笑するミコト。
外の集まってきている人々の喧騒を壁越しに聞く彼女は、緊張を感じさせない悠然とした面持ちでいた。
対するレイは表情を強ばらせて口数も少ない。
「もっとリラックスしなさいな、レイ。別に戦場に出るわけではないのですから」
「……分かってますよ。で、でも、万が一ミコトさんが転落でもしたらと思うと……」
「責任は全て、わたくしにありますわ。あなたはリハーサル通りにSAMを動かしてくれれば十分。ですから、楽にすることです」
ミコトが前々から構想していた、一般客も招いてのコンサート。
『レジスタンス』や『尊皇派』を巡って少しずつ変わりゆく政情の不安を和らげようというコンセプトで始まった企画は、ミコトの熱意と行動力の高さもあってトントン拍子に進んだ。
レイはこの日、彼女を掌に乗せてパフォーマンスする【イェーガー】の操縦係を任されていた。伴奏には著名なアーティストを招いたほか、ミコトのたっての希望で朽木アキト少年もベースで参加することとなっている。
アキトは同じ待機室の隅で愛用のベースを抱え、ヘッドホンを付けて本番の指の動きを確認していた。
「……アキトくん、普段とあまり変わりませんね。ボクも見習わなければ……」
「そうですわね。けれど……あなたは今のままで十分、素敵ですわ」
片目を瞑って笑い、ミコトは立ち上がってレイへ腕を伸ばす。
自分より数センチ背の高い桃髪の少女に抱擁され、普段の制服よりもだいぶ薄い衣装越しに伝わる柔らかい感触に赤面してしまうレイ。
熱を帯びるレイの頬を両手で挟んでぐにゅーっと押したミコトは、変顔になった彼にくすっと笑みをこぼした。
「み、みふぉとふぁん……」
「うふふ、可愛い」
「むー……ボク男の子ですよー」
男としてもうちょっと格好よく見られたいと大真面目に思っているレイだったが、正直彼の見た目では難しい話であった。
微妙に肩を落とすレイの頭を撫で、「では、行きましょう!」とミコトは意気揚々と声をかける。
連れ立って部屋を出る間際、ミコトはふと立ち止まってレイの顔に顔を寄せた。
「頑張りましょうね、わたくしの騎士」
頬に触れた、潤って柔らかい唇の感触。
たちまち耳まで真っ赤になるレイにまた微笑んで、ミコトは彼の手を引いてSAM格納庫へ向かうのであった。
*
「始まりますよ、ミユキさん」
「ふふ、こういうデートもいいわね、イケメンくん」
開演のアナウンスに会場が静まる中、イオリは隣に座るミユキへ耳打ちした。
胸中でレイへ励ましの言葉をかける彼は、SAM出撃ゲートから出てくるピンク色の【イェーガー】に目を奪われる。
『皆さん、ごきげんよう! 学園の生徒の方、そして学外よりお集まりいただいた市民の方々、わたくしのもとまで足を運んでくだったこと、嬉しく思いますわ! 今日は楽しみましょうね!』
ライブ用にカスタマイズされた【イェーガー】の掌の上で会場全体へ向けて手を振るミコト。
胸元や背中が大きく開いた純白のドレスに、トレードマークである蝶を模した銀色の髪飾り。薄ピンクのグロスや薄赤のアイシャドウは控えめで、彼女本来の美しさを前面に押し出したナチュラルメイク。
煌びやかなその美貌と透き通るような声に会場中が魅了され、歓声の雨が降り注いだ。
『皆さん、わたくしの動画チャンネルを見て、曲のおさらいはできているでしょうかー!?』
「できてまーす!」「はーい!」
『では最初から盛り上がっていきましょう! まずはこの曲、『happiness hope』!』
軽快なリズムとともに始まったユーロビートに、観客たちはところどころ合いの手を入れてさっそく大盛り上がりになる。
SAMの掌の上でもなお普通のステージでのそれと遜色ないダンスをこなすミコト。
振りに合わせて揺れる双丘や、切れ目の入ったスカートから覗く抜けるように白い生足がスタジアムの大モニターに映ると会場の興奮は一層高まった。
「……あんなパフォーマンス、ミコトさまには相応しくない。一体どこのどいつなんだ、衣装担当は」
が、清楚な皇女像から離れたそのパフォーマンスに拒否感を示す者もいた。
その一人である『尊皇派』の若き名手、蓮見タカネは眉間に皺を刻んで側近へと訊ねる。
パンフレットに目をやった側近の男は大変言いにくそうに、上司へ事実を伝えた。
「それが……衣装も振り付けも、パフォーマンスの殆どはミコト殿下自身が行っているようです」
「何だと? 確かに彼女は多彩な人物ではあるが、イメージ戦略というものがあるだろう。こちらのプランに反するような真似をするなど、どういう了見なんだ彼女は」
皇族は高貴にして神聖なる存在でなくてはならない。それがタカネら『尊皇派』の皇族像だった。
神の加護を受けて【異形】襲来の地獄を生き残った皇族は、まさしく神の使徒。彼らには日本を再び統べる正当な権利があり、『レジスタンス』や政府はその地位を簒奪した者たちである――それが政権転覆を狙うタカネの大義であった。
「あの子は私の妹のような存在であったはずだ。許嫁として将来を約束された間柄のはずだ。それなのに……何故、私の意に反する行動を取る?」
苛立ちを露に呟き、タカネは席を立った。
足早に去っていく彼の後に側近が慌てて続く足音が少女の歌声に混じる中、タカネは呪詛めいた言葉を胸中で吐き散らしていた。
(皇室の神聖性を守る大切さを何故、彼女はお分かりになられないのだ。『皇家の奇跡』……それによって民はかつてのように皇室への畏怖を取り戻しつつあったというのに。その血統というブランドを守る責任を果たさず、あのような情婦のごとき振る舞いをするなどとは……!)
男が苛立ちながら会場を後にするのと同じ頃、フユカにねだられてスタジアムまで来ていたナツキはステージに出てきた馴染みの姿に目を剥いていた。
(何故、あいつがあそこにいる!? まさか最近昼休みや放課後に姿を消していたのは、このためだったというのか? 早乙女・アレックス・レイの接触は確認していたが、こんなことになっていたとは……!)
熱気に溢れる会場を徐行するピンクのSAMの掌の上で弾ける笑顔を浮かべ、ミコトははつらつな歌声を届けていく。
簡易ステージのバンドメンバーに混じってベースを弾くアキトの音は、情熱的なビートを刻んで聴く者の心を奮わせた。
♬ さあ飛び立とう、僕らの蒼穹へと
二人一緒ならきっと怖くない
たとえ傷を胸に刻もうと
君を一人で行かせはしない
君が臆病な僕を守るなら
僕だって臆病な君を守るよ
とある少年たちを詞にしたアニソンチックなロック。
会場の熱狂はここで最高潮に達し、曲の終わりには割れんばかりの歓声が響き渡った。
「皆様、ここまで楽しんでいただき、ありがとう存じます! わたくしは明日も学業と訓練に励まねばならず、少し早いですが次の曲をもって最後にいたしますわ!」
会場の中央でSAMは止まり、彼女を高々と掲げた。そこから会場中をぐるりと見渡して、そこにいる人たちの一つの巨大な感情にミコトは胸を熱くする。
皆のその「好き」を受け止めて、ミコトはこれからも象徴であり続けたい。平和の象徴として、彼らに歌を届け続けたい。
世界は歌のように優しくはないかもしれないが――それでも、彼らの安寧を願い、楽しみや癒しを与えたい。
神聖な存在としてではなく、等身大の16歳の少女として人々に寄り添っていきたい。
ミコトはそれを自然の黙示であると信じている。人が与える「神聖なる皇族」という道ではなく、自身が見出した道こそが自然なものと確信している。
「……レイ」
『は、はい? どうなさいました?』
「ちょっとコックピットから出てきて下さる?」
段取りにないミコトの呼びかけにレイは困惑しながらも、指示に従った。
姿を見せたミコトの「恋人」と噂される彼の姿に、会場はざわめく。
「んー、そうですわね、ピンクちゃんの肩まで移ってきてもらえませんこと?」
「は、はぁ……?」
首を傾げつつも機体背面部の足場を使い、肩まで移動するレイ。
そこに立って見渡す会場はまさに壮観だった。三百六十度どこを見ても人がぎっしりと並んで、何かが起こる期待に胸を躍らせている。
(これが、彼女の見る世界……)
初めて知った。大勢の人に見られる緊張、期待してもらえる喜び、そして期待を裏切れない重責。
レイたちが背負って戦う人の「命」、それとは別種の人の「感情」という重圧が肩にずしりとのしかかる。
汗を頬に伝わせるレイを見上げ、ミコトは腰のポーチから取り出した予備のマイクを彼へ放り渡す。
「ちょっ、おわっ!? ぼ、ボクじゃなかったら取り落としてますよ!」
「あなただから投げ渡せたのですよ、レイ。――会場のみなさーん、お騒がせいたしましたわ! ご存知の方も多いかもしれませんが、この方は早乙女・アレックス・レイ! わたくしにとって、とっても大切な人ですの! 最後に歌う『Ich möchte dich sehen.』は、レイとのデュエットでお届けいたしますわ!」
サプライズの演出に会場が沸き立つ中、レイは「ええっ!?」と面食らった。
先程までとは違う汗を流し始める彼にウインクし、ミコトは微笑む。
「できますよね、わたくしの騎士?」
「でっ、できますよ! と、当然でしょう!」
この状況でできないなんて言えるものですか! と内心で叫ぶレイは、汗ばんだ手でマイクをしっかりと握り込み、覚悟を決めた。
流石にミコトのように立って歌うのは気が引けたためSAMの肩に腰を下ろした彼は、眼下の彼女へ目配せする。
「では、聞いてください」
少女と少年の歌声が重なる。悲しいほどに美しいミコトの声に、レイの伸びやかなハイトーンの声が続いていく。
♬ あなたと夢を見てた 幼い夢を見てた
真夏の青空 冬枯れの黄昏 いつだって笑ってた
『いつかまた会えますように』
わたしの言葉 君は首を傾げてたね
『いつだって会えるよ』
懐かしくまだ遠い 思い出の笑顔
巡る夜を越えて わたしは祈ってるよ
今はこの胸に あなたの温度を思い出して
彼に、カナタに会いたい――歌いながら思うレイは、気づけば涙を流していた。
その笑顔がまた見たい。ぶつかり合い、それを経て絆を育んだ彼とまた声を交わしたい。
この思いはきっと届く、そう信じて少年は歌を紡いだ。
同時刻、『レジスタンス』本部のメディカルルーム。
部屋の片隅に置かれたテレビから流れるその歌に、少年を看るナースは聞き入っていた。
「いい歌ね。本当に、綺麗……」
感傷に浸りながら、ナースは少年の点滴を新しいものに変えていく。
と、その時――彼女はある変化を捉えた。
微かに開いた彼の口、ぴくりと震えた腕。
「カナタくん……!?」
何かに……歌に、反応している?
ナースは点滴のパックをカートに置き、テレビのリモコンに飛びついた。音量を上げ、SAMの上で歌う二人の声をカナタへよく聞こえるようにする。
「……ぁ、……ぁ、っ……」
小さく掠れた喘ぎ声が漏れ出ていた。
光のない目は天井をぼんやりと見上げたまま、雫を滲ませる。
涙はたらりと垂れて、彼の乾いた青白い頬を濡らした。
「……ぁ、ぁ……」
まだ言葉は発せない。それでも、訴えようとしている。
相棒を想う、その気持ちを。
「カナタくん……きっと、また笑顔で会えるわ。あなたなら、また……」
半年以上もの間面倒を見てきた少年の骨ばった手を握り、ナースは涙ぐんだ声で呟いた。
確かに彼の心は引き裂かれたかもしれない。しかし、跡形もなく散ってしまったわけではないのだ。
カナタはレイを覚えている。そして、彼へ手を伸ばそうとしている。
ならば、いつか――光を取り戻すこともできるはずだ。
開け放たれた窓から吹き込む初夏の風がカーテンを撫で、揺らす。
前へ進んでいける確かな予感を胸に、ナースは作業を再開するのであった。




