第百八話 おれ/俺たちは ―To a dear friend.―
昼下がりの中庭の芝生に寝そべって、シバマルは晴れ渡った空をぼんやりと見上げていた。
腕を頭の後ろに回して枕がわりにする彼は、つい六日前、試験の直後にユイから聞かされた「お願い」のことを思い返す。
――【ラジエル】の後継パイロットに立候補してくれませんか?
彼女のその言葉を、シバマルはにわかに信じられなかった。
しかし「なんでおれなんだ?」という彼のそんな第一声に、ユイは笑って言ったのだ。
――あなたはカナタさんにとって、マナカさんと並んで最初のお友達ですから。
力だけならば他にいいパイロットはたくさんいる。同クラス内でもイオリやカオル、カツミ、ユキエといった優秀な者たちが名を連ねている。
にも拘らず敢えてシバマルが選出されたのは、カナタとの友情が――絆が、誰よりも強いものであるから。
カナタの意志と共鳴した【ラジエル】の『コア』に最も適合できる人材は他にいない、そうユイは説いた。
友達の意志を継いで戦う。シバマルに、迷いはなかった。
(【ラジエル】後継パイロットの選考日が、今日……他にも候補は何人かいるって話だけど、大丈夫かな、おれ……)
今はただ結果発表を待つことしか出来ないのが、もどかしい。早く答えを知りたいけれど、知るのも少し怖い……シバマルはそんな気がした。
柔らかい芝の感触と青々としたその匂いを全身で感じる彼は、「ああっ、もう!」と特に意味もなく叫んでから、深々と息を吸い込んだ。
「ツッキー……おれ、頑張ってるよ。頑張ってるからな」
共に空を飛べなくとも、同じ景色は見られるかもしれない。
流れる雲を間近に見るのはどんな気分なのだろう。綿菓子のような入道雲に手を突っ込んでみたら、どんな感触なのだろう。
未知へと思いを馳せるシバマルは、「きっと楽しいんだろうなあ」と目を細めるのであった。
*
七瀬イオリは毎週のように都市西部の工業区域へと赴き、そこに隠された『尊皇派』の拠点で新型SAMのパイロットとして訓練を重ねていた。
体高3メートルほどの『市街戦闘用SAM』、【イェーガー・反逆者】。
既存の【イェーガー】をベースに、狭い市街地での戦闘に対応できるようサイズを縮小、それでいて魔力の出力は通常機にも劣らないパワーを出せるようにデザインされた機体である。
「しっかし、ほんとに凄い火力だよなコイツ。仮に市内で戦闘になったとして、ちょっと過剰な気がするけど」
いつものように試し打ちし、的である数メートル先にある鉄製の人形を赤々と溶かしてのけた緋弾の火力を空恐ろしく思うイオリ。
そんな彼に得意げな笑みを浮かべて言うのは、訓練を監督する九重アスマだ。
「過剰なくらいでいいんですよ。『レジスタンス』が同じようなものを用意している可能性がゼロだって、言い切れるわけじゃありませんからね」
「まあ、そうだけどさ……ところで、このアームちょっと重いのが気になるんだけど。前腕の魔力増幅器、もう少し小さくできないのか?」
「いつもいつも、文句が多い男ですねアンタは。アームは特に僕のこだわりだってのに……」
「でも、出来ないってわけじゃないんだろ? 『純真なるメカニックボーイ』様には」
「その呼び名、僕は嫌いなんですけど」
そう言いつつ否定はしないアスマは手元のタブレット端末をタップし、そこに何やら打ち込んでいく。
頭の中の設計図を文字と図に起こしていく少年を横目に、イオリは【リベリオン】の走行動作テストを始めた。
資材を片付けて用意したスペースを走り回る【リベリオン】の駆動はスムーズであったが、やはりイオリにはまだ違和感が残っていた。
「あのさ……これ、もうちょっと俊敏にできないか? これじゃ小回りのききにくい狭い路地とかだと、普通に足の速い人なら逃げ切れそうだけど」
「現状のシステムで可能な限りの速度と小回りは実現しているつもりです。それでも足りないってんなら、もっと別の……根本的に異なるモデルを生み出すしかないですね」
イオリの要求への答えとしてアスマが弾き出したのが、「完全新型モデルのレッグパーツの開発」であった。
元々アームのカスタムに並々ならぬこだわりを持っているアスマには、部位単位の改造のノウハウは十分にある。
あとはデザインさえ閃きさえすれば、すぐに製造に入れるはずだ。
「全く新たなものを作り出すんですから、時間がかかることは承知しといてください。ですが、必ずやり遂げてみせます。一応、こっちは付き合ってもらってる立場ですから……それくらいの誠意は見せますよ」
SAM開発と改造にしか興味を示さない質のアスマのその言葉に、イオリは軽く目を見開いた。
正直、自分は単なるデバイサー扱いだと思っていたのに――存外、誠実に向き合ってもらえているらしい。
「なあ、九重。お前、俺のこと付き合わせてる立場って言うけどさ……お前自身、どういう気持ちなんだ? 蓮見さんの言葉について、どう思ってる?」
もし互いの意識にズレがあったなら、それを出来うる限りすり合わせる必要がある。
認識の齟齬を修正する目的で問いかけたイオリに、アスマは小首をかしげた。何故そのような質問をするのか、皆目見当がつかない、というように。
「あの人の言うことは正しいですよ。今の『レジスタンス』は腑抜けてる、だから天皇陛下の威光で再び国をまとめなくちゃいけないんです。それなのに、あのお姫サマは優しい戦いがどうのって……箱庭で育てられて現実を知らないから、彼女はそんなことを言えるんだ」
『尊皇派』の主張は当然正しい。だから、それにそぐわないミコトの言葉が気に入らない。
イオリはアスマの言葉をそう捉えた。何故「正しい」と思うのか――それが彼の話から見えてこないことに一抹の不安を感じながらも、それ以上は聞かずに彼は話題を変える。
「なあ、今度一緒に飯でもどう? パイロットとメカニック同士、もっと親睦を深めるべ」
「却下です。飯なんてわざわざ店に行かなくても、カップラーメンでもあれば十分ですから。時間と金と手間と、あとあなたと付き合う気苦労の無駄です」
「最後のは余計だろ……。俺、ちょっとはお前と仲良くできてたつもりなんだけど」
誘いのセリフを遮って断固拒否してくるアスマに、イオリはがっくりと肩を落とした。
そんな二人を遠巻きに微笑ましく眺めているのは不破ミユキと、白衣姿の若い女性メカニックである。
「アスマくんは素直じゃないわねぇ。無愛想な自分に構ってくれるイオリくんのことは、彼ももうちょっと大切にしたほうがいいと思うんだけどね」
「ええ……でも、私としては今のツンツンしたアスマくんのほうが推せますね。素直になれずに突き放しちゃうけどどこか気になってる誘い受けアスマくんに、気づけば心優しいイオリくんは虜になっちゃうんです。はぁ、尊い……」
「鼻血出てるし眼鏡ずり落ちてるし涎垂れてるし……ちょっとは自重しなさい、ヒマリちゃん。彼らは玩具じゃないのよ」
ヒマリと呼ばれた瓶底眼鏡の腐女子研究員の頭をぺしゃりと叩くミユキ。
イケメンや美少年が並べば即妄想を始めるくらいいわゆる「沼」にハマってしまっているヒマリだったが、ミユキに諭されてなお盛り上がれるほどの図太さは持ち合わせていなかった。
「失礼いたしました」と一言詫びてから、彼女は声を低めてミユキへ訊く。
「まあそれは置いといてですね……本当に動かれると思います? 蓮見氏」
「んー、どうかしらね。主張を通すためにSAMを使えば、市民の反感は免れないわ。たとえ『レジスタンス』が腐った果実だとしてもね。彼としても、それはなるべく避けたいはずよ」
しかし、最悪の道を選ばねばならない未来がないとも限らない。それゆえに蓮見タカネはアスマやミユキらメカニックを自陣営にスカウトし、イオリを取り込んで兵士として育成しているわけだ。
そして短期的な武力介入に十分な十数機のSAMを用意しているあたり、タカネはその未来をほぼ回避できないものと見ている。
もちろん最小限の戦闘に留めるために尽力はするが、一切血を流さずに済みはしないだろう――その認識を、ミユキは彼と共有していた。
「道具なしじゃ、庭師も腐った果実を効率的に切り落とせない。蓮見氏が庭師なら、私たちは鋏や脚立みたいなものなのよ。腕の届く位置なら手作業で済むかもしれないけれど、実際全てがそういうわけじゃない。……それだけ、広がっているのよ。『レジスタンス』の腐敗は」
タカネの力ではどうにもならないところを、イオリらSAM部隊の武力で変える。
言葉で通じないならば力をもって動かす――古代からの人類の常套手段だ。
「美しくはないわね、そういうのは。でもね、それがヒトよ。汚くて、欲にまみれてて、誰もが本当に正しいものを見つけられずに迷ってる……」
眼鏡の下の野性的な瞳の中に映るのは、袂を分かったかつての恋人。
自分も、銀髪の彼女も、タカネやアスマも、きっとそうなのだ。ヒトは【異形】という共通の敵がいてもなお、一つになれずに意見を戦わせてばかりいる。
「それが、人……」
「まっ、あまり開き直るのも良くないんだけどね。……柄にもなくシリアスな話しちゃってごめんなさいね。さ、そろそろお昼にしましょ」
「そ、そうですね。アスマくーん、イオリくーん、お昼休憩ですよー!」
ミユキは深刻な面持ちから一転、普段のおちゃらけた笑顔を浮かべる。
ヒマリの呼びかけに少年二人が機体のもとを離れ、上階から研究員の一人が運んできたコンビニのパンやおにぎりへ手を伸ばしていく。
「俺カレーパン貰うからな」
「カレーパンって……三島さん、カレーパンはカスが溢れて床が汚れるからやめろって前にも言ったじゃないですか! ああっ、僕の工房が汚れちゃう……!」
「いや、それは分かっていたんだがね、七瀬くんが今日はカレーパンの気分だって言うから」
「アンタのせいかよっ!? 食うんなら上で食ってくださいよ! それから食べかすはちゃんと自分で掃除すること! いいですね!?」
アスマの剣幕に気圧されて何度も頷くことしか出来なくなるイオリ。
二人のやり取りにくすっと笑うミユキは、こんな平和な日常が続けばいいのにね、と内心で呟いた。
*
その翌日、月曜日。
授業と訓練を終え、食堂でシバマルやレイ、イオリと一緒に夕食を取っていたユイのもとに、一通のメールが届いた。
差出人は、宇多田カノン。訓練を済ませて腹を減らした生徒たちでごった返す周囲を少し気にしながら、ユイはテーブルの下でスマホをタップする。
「……シバマルさん」
「ん? どした?」
メールに一通り目を通したユイは、イオリらと談笑するシバマルの肩を軽く叩いた。
イオリに昨日の「デート」についてあれこれ聞いていた彼だったが、ユイの真剣な顔を見て表情を改める。
「……もしかして、あの件?」
「ええ。決まりましたよ、あなたに」
小声で、しかし確固とした声音をもってユイは告げた。
その知らせに、少年の茶色の瞳は静かに見開かれる。
何かを言おうとするが格好良いセリフを思いつけずに口を開閉させるだけのシバマルに、ユイは頬を膨らせた。
「冗談ではありませんよ?」
「わ、分かってるよ。でも……なんか、実感なくてさ」
「それでも、乗れば自覚できるはずです。あの機体のコックピットにはきっと、彼の思いが残されています。わたしたちがそれを信じる限り」
これからの同僚で先輩でもある少女に真っ直ぐ見つめられ、シバマルは凛とした面持ちで頷いた。
その彼の真剣な表情に、ユイは不覚にもどきりとさせられてしまう。顔立ちは普通でレイやカナタには遠く及ばない彼のことを、素敵だと思ってしまった。
「ゆ、ユイ? おれの顔になんか付いてる?」
「えっ!? いえ、何も付いてませんよ!」
「んー、だったらどうしてそんなにじーっと見てたの? あ、もしかしておれのこと」
「――お、思い上がらないでくださいね! あなたはわたしより年下で、同級生とはいえ後輩で、背丈もそんなに変わらないただの友達でしかないんですから! べ、別に何とも思ってないんですからね!」
顔を真っ赤にして捲し立てるユイの剣幕に、話に夢中になっていたレイとイオリが二人のほうを向く。
真顔で見てくる二人に対しどうしたらいいのか分からず、ユイはとりあえず尋常ではない勢いでラーメンをすすり始めた。
会話の暇もないほどにかっ込む少女に、男子たちは呆気に取られるしかない。
「……なんか、穏やかではありませんね」
「あー、レイ先生。風呂のあと、ちょっと話あるから部屋来てよ。いおりんも一緒に聞いて欲しいから、部屋いろよな」
「分かりました」「おっけー」
レイとイオリの了承を取り付け、シバマルはカツ丼を食べ進める手を止めて考え込む。
自分には果たして、レイやユイと同じだけの戦果を挙げられるだろうか。特に飛び抜けた才能のない自分は、足を引っ張ってしまわないだろうか。
彼の不安な横顔を一瞥したユイは、視線は前に向けたまま彼の腕にそっと触れて言った。
「大丈夫です。信じましょう、自分を――そして仲間を」




