終わり 栄太から見た公子
オレの好きな女の子は、超絶天然鈍感美少女。
隣の家に住んでいる五十嵐公子ちゃん。
幼馴染で、オレより一個年下。童顔コンプレックスなオレのことを、いつも格好良いと言って纏わりついてくる。
小さい頃はよく遊んでくれとお願いされたので、オレの趣味のピアノを弾いてあげた。『エリーゼのために』を弾いたときは、ロマンティックだと、うっとりしていた。
小学校に入学して、四年生から入れる音楽のクラブ活動を始めた。オレの耳はC音がドの音になっているので、C管楽器のフルートを選んだ。
次の年には、四年生になった公子ちゃんが入ってきた。
「フルートは難しそう……。ホルンの音が好きだから、ホルンが吹きたい」
ミディアムロングの髪の毛を靡かせて、ホルンパートへ行ってしまった。
公子ちゃんはオレと違って、昔から正統派美少女だ。髪も綺麗だし、大きな瞳にはいつも無邪気な色を浮かべている。少しぽってりとした唇が愛らしい。オレを追いかけてきたのなら、同じパートに入って欲しかった。
フルートも難しいけど、ホルンだって難しい。ホルンの音域は4オクターブくらいあると聞いたことがある。それでも頑張って、公子ちゃんはホルンを練習していた。オレが褒めると、見惚れるような顔で笑った。
中学のブラスバンド部も、公子ちゃんはオレを追いかけてきた。美少女に拍車がかかっている。胸も大きくなっている。それでもオレに懐いてくるので、他の男連中は手を出せないみたいだ。
仮に出したところで、鈍感娘はスルーするだけだ。
「五十嵐さん、今度の休みに遊園地行かない?」
はらはらして見ていると、天然美少女は頭を下げた。
「すみません。今度のお休みは、桜野栄太くんと合奏して遊ぶ予定なんです」
確かに今度の休みは、オレと『コッペリア』を合わせる約束をしていた。
……少しは期待しても良いのだろうか。
♦ ♦ ♦
あまり成績の良くない公子ちゃん。それでもオレを追いかけて、同じ高校、同じオーケストラの部活に入った。
オケ部ではホルンメンバーが去年卒業してしまったので、公子ちゃんを入れて四人しかいない。公子ちゃんは経験者なので、すぐに難しいパートを任された。
ホルンが目立つ曲『水上の音楽』をやることになったので、不安そうな公子ちゃんを励ましてあげた。
「じゃあ、栄太くん。私が『水上の音楽』を上手に吹けたら、お願いを聞いてね」
お願い? なんだろう。そろそろオレのことを追いかけまくっている自分の気持ちに気が付いて、「付き合って」とでもお願いするのだろうか。
『水上の音楽』を上手に演奏出来た彼女は、お願いをしてきた。
「栄太くんのフルートを吹かせて? フルートは難しそうだけれど、音階に挑戦したいの」
「……何だ、そんなことか」
オレは非常にがっかりしたけど、フルートの吹き方を教えてあげた。
公子ちゃんを、デート紛いにクラシックコンサートに誘ってみた。
彼女は胸元が広く開いた、大胆なワンピースを着てきた。赤いリップを塗った唇がオレを惑わせる。公子ちゃんにそんな気持ちは微塵もないのだろうけど。
コンサートが気に入った公子ちゃんと、一緒にあちこちのクラシックコンサートを聴きに行った。帰り道で、オレを意識しているか、試しに手を繋いでみた。公子ちゃんは色白の頬を少し染めていた。
やっぱり思い通り、オレを好きに違いない。確信した。
秋の定期演奏会。チャイコフスキーの交響曲第五番の、ホルンソロを吹く公子ちゃんは言った。
「チャイ5が成功したら、また、お願い聞いてくれるかな?」
今度こそ「付き合ってください」というお願いだろう。
見事にチャイ5を演奏出来た公子ちゃんが頼んできた。
「お願いはね、バッハの無伴奏フルートパルティータの第一楽章を演奏して欲しいんだ」
期待はずれにも程がある。しかもバッハの無伴奏は、結構実力を試される。オレこそお願いをしたい。
「……わかった。バッハの無伴奏ね。もし、オレがミスしなかったら……今度は公子ちゃんにお願いを聞いてもらおうかな」
家に帰って、猛練習した。
♦ ♦ ♦
翌日何とか、ミスせず演奏出来た。
「ミスしなかったオレからのお願い」
「? 私に出来ることならば」
睫毛の長い瞳を瞬かせている。
「公子ちゃん。……オレと、付き合って」
言った! さすがにこの鈍感娘も、自分の気持ちに気付くだろう。公子ちゃんは呆けた顔をした。
「だから、オレと付き合ってって言ってるの。好きなんだよ、公子ちゃんのこと」
ずっと好きだった。いつだってお願いを聞いたり、優しくしたりした。しかし、この子は、呆気にとられた表情のまま。
「す、好きって、付き合うって、もしかして、男女、交際……?」
「そうだよ、男女交際。この鈍感娘。公子ちゃんだってオレのことが好きなはずでしょ。じゃないと、無理して同じ高校なんて入ろうと思わないよ」
彼女の柔らかい身体を抱きしめて、自覚を促した。
自覚のない公子ちゃんは、答えを保留にした。
それから一週間。生殺しの日々が続いた。
部活のときは、いつだって公子ちゃんの可愛い姿を追い求める。
彼女の二重の瞳は、憂えている。オレのことを考えて、憂えている。
返事を辛抱強く待っていると、躊躇いがちにオレの家へ訪ねてきた。
「一応、付き合ってみようかと……。お試し程度で……」
やった! 付き合うならば、公子ちゃんも自覚するに間違いない。
早速、クラシックコンサートへデートに誘った。今度こそ紛い物でない、本物のデートだ。
コンサートの帰り、とてもお洒落してきてくれた彼女はぼやいた。
「ベートーヴェンさん意地悪だよ……。高音ばっかりで音程が不安定になるの」
次にオケでやる、ベートーヴェンの交響曲第七番が不安のようだ。
かなり下心を持って、自分の部屋に誘った。オレの部屋は防音室なので、多少の音は外に漏れない。練習の名目で誘うと、オレの下心なんて気が付かず、ほいほいホルンケースを持ってやってきた。
ベト7は終楽章のホルンが大変と評判だ。
練習してくたびれ果てた、公子ちゃんの唇は少し湿っていて色っぽい。
ぽってりとした唇に思わず軽く口付けた。公子ちゃんは耳まで真っ赤になった。
「少しはオレのこと、好きって自覚した?」
いい加減、自分の気持ちに気付いて欲しい。
「ちょっと、した……」
公子ちゃんは、真っ赤なままだ。小学校、中学、高校の部活までオレを追いかけ回して「ちょっと自覚した」ではないだろう。さんざん、気を持たせて。
これからは「ちょっとした」だけでは、おさまらないようにしてやろう。
オレは今度は強く抱きしめて、深いキスをした。
「もうちょっと、好きになった?」
公子ちゃんは、戸惑いながらも頷いた。
「……うん。私、ずっと、栄太くんのことが好き、だったみたい……。何で、気が付かなかったのかな……?」
「それはね、公子ちゃんが超絶鈍感娘だからだよ」
彼女が格好良いと言ってくれた笑顔で、三度目のキスをした。




