4 ちょっと好き
悩んだ末、お隣の栄太くんの家へ行きました。
栄太くんは自分の部屋へ、私を入れてくれました。
部屋は防音室です。ピアノとフルートが置いてあります。防音室は、羨ましいです。好きなときにいつだって楽器の演奏が出来ます。
「それで、返事は?」
促されました。まだ迷ったまま、私は答えました。
「一応、付き合ってみようかと……。お試し程度で……」
白砂先輩の、別れるとき面倒という発言が頭に残っています。
それでも栄太くんは、ぱっと顔を明るくしました。
「お試しでも良いよ。公子ちゃんがちゃんと自覚するまで、待つからね」
「自覚を、待つ……?」
私が好きと言うまで、待つのでしょうか。
ポケットから栄太くんはチケットを取り出しました。
「これ、記念に一緒に行こう。奮発してS席取ったよ」
チケットを見ると、有名なプロオーケストラの、チャイコフスキーの演奏会でした。ピアノ協奏曲もやりますし、チャイ5も演奏されるみたいです。
嬉しい曲目ですが、高校生にS席チケット二枚は高いと思います。
「折半にしようか?」
せめて自分の分は出そうかと考えました。
「いいんだ。付き合い記念。絶対チャイ5がいいって思ったからね」
栄太くんはエアリーヘアをふわふわさせて笑いました。昔から好きな笑顔です。
「まあ、じゃあ……お言葉に甘えて」
チャイ5コンサートが、初デートになりました。
♦ ♦ ♦
デートなので、気合を入れました。
ベージュのタートルネックセーターに、花柄プリントの膝上フレアスカートとロングブーツです。バッグは栗色の小さ目のものです。また、赤いリップをつけました。
家の外へ出ると、栄太くんが待っていました。明るめブルーの上着が整った顔に似合っています。白いシャツから鎖骨が見えて、ドキッとしてしまいました。
「じゃあ、行こっか」
また手を繋いできました。付き合っていると思うと恥ずかしいです。私は顔が赤くなった気がしました。
オーケストラのホールでも、手を繋ぎっぱなしです。プログラムを見たいです。
プロの演奏するチャイコフスキーは、素晴らしかったです。私のホルンソロなんて、全く比べものになりません。私はすごく興奮しました。
「すごかったね」
アンコールの後、外に出てから栄太くんが言いました。
「すごかった! またプロオケ一緒に行こうね」
私は興奮冷めやらずに、繋いだ手をぎゅっと握り返しました。
「プロオケも良いけどさ。公子ちゃんだってホルン上手だよ。参考にして、明日から吹けば良いんじゃないかな。明日からはベートーヴェンの交響曲第七番だよ」
「……ベト7なのは知っている。譜面書き換えもやったし。だけど、ベートーヴェンさん意地悪だよ……。高音ばっかりで音程が不安定になるの」
ベト7の話を聞いて、ちょっと落ち込みました。ホルン殺しの曲です。
「まあまあ、公子ちゃんならば大丈夫だよ。何なら、今からオレの部屋で練習していく?」
ありがたいお誘いです。私は家に帰って、ホルンの入ったソフトケースを持ってお隣へ行きました。
私のホルンはベルカットホルンなので、ベルと本体をくっつけて、チューニングしました。栄太くんの部屋にはチューナーもあります。
音程合わせしてから、栄太くんのピアノ伴奏で練習しました。やっぱり難しいです。高音が上手に出せません。
必死で吹いているうちに、すっかり唇が痛くなってしまいました。唇の面積が増えた感覚です。
「栄太くん~。無理だよ~。唇が痛い」
私が泣き言を言うと、栄太くんが近寄ってきました。
「見せてみて」
栄太くんは、私の唇を見ようと顔を近づけました。とても綺麗な顔のドアップです。
私が戸惑っているうちに、栄太くんはちゅっと軽くキスをしました。
「…………!」
私は痺れたままの唇を押さえ、呆然と栄太くんを見ました。
くりっとした大きな瞳。空気を含んだような軽やかで、ふんわり柔らかな質感・雰囲気のヘアスタイル。エアリーヘア。あどけない唇が、私の痺れた唇と重なったようです。
私の顔は多分真っ赤です。栄太くんは悪戯っぽく言いました。
「少しはオレのこと、好きって自覚した?」
逆らえない天使スマイルです。私はぎこちなく頷きました。
「ちょっと、した……」
ホルンのマウスピースとは、全然違う感触。柔らかかった、唇。
栄太くんのことが、好きなんだ……。小学校、中学、高校と追いかけて、やっと私は自覚しました。




