嵐を呼ぶお姫 第二部 (20)パンチョスも走る
逃げる学者エドアール、探すアナ、戦場に急ぐパンチョス、各個撃破を狙うセバスチャンとキャリバン、命が危ないラマンチャと殺意の屍メイド。大混戦はまだまだ続きます。
(20)パンチョスも走る
――デイビーデレの街 市場 エドアール
エドアールは拠点である正教会に急いでいた。
人気のない市場を駆け抜ける。
普段なら沢山の人でにぎわうこの市場もこの時間は人っ子一人見当たらない。
後ろを振り向き追っ手が居ないかと確認しながら走る。
追っ手はない。
安心し、気が抜けた瞬間、身体が疲労を思い出し一気に足がもつれる。
普段の運動不足の足にデイビーデレの坂道は酷であった。足は縺れ息を荒くして四つん這いになる。エドアールは辺りをもう一度見まわすと市場の屋台の陰に身を隠し、ひとまず息を整える事にした。
「はあはあ、はあ、ひう、これは…はあ…私のものだ、海賊共に渡してたまるものか」
エドアールの研究ではあの魔導器に魔神を呼び出す機能を見つける事は出来なかった。ピスケースの孵卵器と呼ばれるあの魔導器は本当に孵卵器だったのだ。
「やはり、はあ、はあ…実地に勝る学問はなしだな…ふう…あれは魔力を増大させるものではないのか? くそ情報が欲しい」
エドアールは頭を掻きむしりながら考えた。
半魚の魔神。
孵卵器。
魔導を増幅させる魔術数式。
ピスケース=うお座だ。
十二宮?
魔導器は横道十二宮に関係するのか?
まだある十二宮との関係は?
ああ、この研究を持ち帰りたい。
最後のうお座に孵卵器がくる理由は?
ともかく正教会へ逃げ込もう、あそこは誰も手が出せない場所だ。
エドアールは爪を齧りながら考えをまとめた。
聖騎士ラインより過去の書物が必要だ。
聖騎士の手の届かぬ場所にある書物。
エドアールは卵を抱いて震えながら爪を噛んだ。
――デイビーデレ市街 港付近 パンチョスとスケアクロウ
「なにやってたんですかパンチョス殿」
「それはこっちのセリフだ案山子の、ほら、しっかり立て」
パンチョスは左手でスケアクロウの首根っこを摑まえて闇を奔る。アナに蹴られた膝関節が痛むがそんなことは言っていられない。
「回復薬とやらを呑め、ありったけをがぶ飲みだ!」
パンチョスはスケアクロウの怪我を治すように薬袋を押し付ける様に渡した。
「これ、今の技術では作れない貴重な品なんですよ、使い時を考えないと」
「使い時は今だ、オレの怪我は骨折だ、そんな薬で治るような怪我じゃあない、それに屍兵の人数が居る、時間との勝負だ」
パンチョス自身も多少は飲んだが骨折の痛みが和らいだ程度だ、その辺に落ちていた板切れを腕に巻いて応急処置はしたがとてもロングソードを振るえる怪我ではない。
「案山子の! 踏ん張り時だぞ? 聖騎士王とやらに歪められた歴史を取り戻すんだろ?」
「パンチョス殿も騎士ではないか?」
突然の励ましに戸惑いながら問う。
聖騎士王の騎士であるパンチョスは元々敵である。何故我らに味方するのか常々不思議に思っていた。
「ああ、元騎士だ。主君はワシらを捨てて今はデカい墓の中だ」
その答えに憂いは無く力強ささえ感じた。
「まずはこの国を火事場泥棒から取り返すが先だろう?」
スケアクロウは最初パンチョスの行動原理が自分たちを捨て駒にした王族への復讐と見ていた。しかし付き合ううちにそれだけではない何かを感じる。この力強い眼差しはどこを見ているのだろうかと強い興味を持ったがいつもはぐらかされる。
「それに今はお前らの雇われの剣士だ、賃金分は働くさ」
パンチョスは白い歯を見せて笑った。
「そういえばアナ姫は?」
「してやられた、思いのほか動けるのにビックリしたが、あれではまた戦闘不能だ」
「た、卵は?」
「学者先生が持って逃げた、この状況は予想外だが、まあ学者先生の方は想定通りだ」
骨折した腕を振って見せる。
「なんか嬉しそうですな、パンチョス殿」
アナ姫の拉致に失敗し、卵の行方も分からぬというのに目を輝かせるパンチョスに対し、スケアクロウが訝しげに尋ねると、パンチョスは嬉しそうに答える。
「ワシに予想外という事は、ヤツにも予想外という事だ」
「ヤツ?」
「狐だよ、いや猟師か」
この時点で卵を持ち去られた情報はパンチョスとアナ達市街組しか知らない情報であった。パンチョスは屋根の上の石弓魚介兵の配置や斥候共の連絡が密になっていることから自分たちの襲撃を完全に読んでいると判断し戦闘プランを変更した。
アナ達の待ち伏せを覚悟で突入したのだが予想外が二つあった。
第一に陸の上でもヴォーティー一家が予想外に強かった事、特に屍騎士を宛てた副長は完全にミスマッチだったはずだが耐えて見せた。完全武装の屍騎士にカットラスでは攻撃力不足であり、しかも中身は屍騎士だ、こっちは相打ちでも勝ちなのだ。
副長ケンブルは石弓魚介兵がパンチョスを討つまで、打ち込む隙があろうと辛抱強くチャンスを待ったのが功を奏した。なるほど良い作戦プランだとパンチョスはヴォーティーを評した。
第二にアナが戦闘可能であったこと。ヴォーティーの強さも予想を超えていたが想定内であった。しかしあれ程念入りに戦闘力を奪ったにもかかわらず戦闘に参加してきた。よもや自分が圧倒されるなど予想の範疇を超え過ぎだ。パンチョスは自分を圧倒するならあの異国の騎士しかないと戦力を分断したのである。戦力が整わないうちに戦わされたのは自分だったのかと悔いたが、後悔を楽しむ余裕はない。
戦争とは予想外の連続である事をパンチョスは良く知っている。
「まあ、予想外を相手に押し付けたほうが勝つんだがね」
ぺろりと唇を舐めるとスケアクロウの背中を叩いた。
「時間との勝負だが、我々の勝ち筋は十分にある」
「え? 何ですか?」
「卵とやらは、あれは恐らく電池だ」
「電池とは?」
「なんだインテリのくせに知らんのか? まあ平たく言うと魔力を作り出す装置だな」
「いや電池ぐらいは知っていますよ、古代リント人のアレでしょう? それが何故、勝ちにつながるのかという事です?」
「案山子の、お前さん魔力切れだろう? お前さんが復活すれば数の優位を再び保てる、そして奴らを分断したままに出来る、それにそいつを使えば今まで以上に屍を操れる」
「今まで以上にですか?」
「そうだ、あの嬢ちゃんが復活した時、卵を中心に精霊共が騒いでた、魔術師でもないワシにも見えるぐらいな」
アナ姫が動けたのは恐らくあの卵型魔導器の仕業だろう。
魔力を増幅する効果もあるようだ。
パンチョスの新たな作戦プランはこうだ。
大天使の卵を確保してスケアクロウの魔力を回復、追ってくるアナの足止めを指示させる。防御中心の遅滞行動だ。出来ればアナを消耗させたい。あの痛がりようでは興奮が冷めれば戦闘不能だ。
第二に拠点に残して来た案山子を起動する。恐らくあの狐はこちらの戦力が組織立つ前に各個撃破を狙ってくるだろう。時折見える屋根上の光の点滅が狐に情報を伝えている違いない。情報将校のやりそうなことだ。
拠点に置いてある「案山子」は戦闘に堪えない役立たずの屍で作った屍兵だが挟撃することに意味がある。あの若造騎士を倒すには組織立った軍が必要だ、盾で守りを固め、背後から飛び道具で攻勢をかける。あの剣技、並みの兵では数を頼んでも太刀打ちできん。パンチョスはキャリバンに対して攻城戦に匹敵する周到さが無いと討ち取れぬだろうと評価していた。
「でもどうやって卵を奪取するのですか?」
スケアクロウが自身でも考えながら質問する。こと戦略において頭の回転は自分以上であるパンチョスを信頼しての言葉だった。
「卵とやらを欲しているのは誰だ?」
「小娘と我々、あとあの学者ですか?」
「もう一声だ」
「正教会?」
パンチョスはニカっと笑って答える。
「そうだ奴らは魔術を排斥しながら魔術を欲している、そうだ案山子の、ヤツが逃げ込む先はそこだろう?」
「パンチョス殿?」
「走るぞ案山子の、出し抜くには走るしかない」
パンチョスは市場通りの長い坂を駆け上がった。
――デイビーデレ市場
息を整え、再び走り出すタイミングを見ていたエドアールは肩を抱いてふらふらと歩く二人組を見かけて息をひそめた。
「酔っ払いかな?」
と楽観的に通り過ぎるのを待つ。
「おいしっかりしろ案山子の! 若いのに体力なさすぎだぞ?」
「パンチョス殿がタフ過ぎるんですよ」
肩を貸している騎士風の男には見覚えがある。酔っ払いなんてとんでもない、さっきまでアナと戦っていた敵だ。エドアールは恐怖におののきながらも口を押えて必死に声を殺した。
「案山子の、あの学者先生の足だとここいらで息つく筈なンだがなあ?」
恐ろしい程、的確に予想をされている。エドアールは思わず悲鳴を上げそうになり身を固くして耐えた。
「でも人っ子一人居ませんよ?」
「隠れているンだろ? なあ、学者先生よ居るんだろ!?」
そう言って近くにあった樽を乱暴に蹴り上げる。
「あまり時間が無いから、出てこないと交渉なしで殺して奪う、なあ学者先生、ちっとそれ貸してくれ」
パンチョスはまるで居るのが解っているように呼び掛けながら足蹴りで屋台を揺する。
段々と近づいてくる破壊音。
等間隔で蹴る音が響く。
「なあ、居るんだろ先生?」
屋台を蹴り飛ばし破壊する。まるで童話の狼だ。私は木の家に住む豚、奴は狼だ。エドアールは歯を食いしばった。
リズムが上がっている。
徐々に早くなる破壊音。
心臓が早鐘の様だ。
「三つ」
急に始まったカウントダウンに息が詰まる。それは余りにも正確だったからだ。
もう近くまで破壊音がする。
こんなちゃちな屋台など狼に吹き飛ばされてしまう。
「逃げよう、ここにいたら殺される。いや駄目だ狼の方が足が速い、やり過ごすんだ」
口の中で祈りながら呟く。
死が近づいてくる。
確実な足取りで。
「二つ」
二つ隣の屋台がカウント共に壊れる。
もう間に合わない。
「一つ」
エドアールは神に祈った。
「神様…ッ!」
神に祈りが通じたのか、破壊音が止んだ。
隣の屋台は蹴り壊され、倒れている。
急に訪れる静寂。
歯の根が合わない程の恐怖をかみ殺してエドアールは身を固くした。
「よう先生、ボンソワール?」
恐怖に引き攣った顔でエドアールは横を振り向く。白い歯をニッと出して笑うパンチョスに失禁するほどの恐怖を感じた。
「なあ案山子の、この先生、パロ出身なンだよな、ワシのパロ語通じてないのか?」
「あー『ル』の発音もっと小さくじゃないですかね?」
「ああーなるほど」
パンチョスはそう言うと乱暴に屋台の天板を蹴り飛ばしてエドアールを引きずり出した。
「共通語でこんばんは先生、ちょっと時間が無いので手短に言うとだな」
エドアールは目を見開いて首を横に振った。
「殺さないから持ってるもの出しな?」
エドアールは痙攣したかのように首を横に振ったが交渉の通じる相手ではない。狼は豚と交渉しないし慈悲もかけない。
「もう一回言うが、三度は言わないぜ学者先生。持ってるもんを出しな? その代わりあんたの欲しい情報を一つやろう、抱えてる卵だか何だかの情報だ、で、あんたはその卵を案山子のに貸せ、悪い事は言わん殺さないし、協力関係になりたい」
この卵型の魔導器を本国に持ち帰らなければ処分されるだろう。しかし今死ぬか、後で死ぬかという選択肢であれば選択肢は一つしかない。選択肢を提示している様で強要している。エドアールは全てを諦めて大天使の卵を差し出した。
「よし、案山子の、魔力を回復しろ」
パンチョスは屋台の陰に隠れるとスケアクロウに卵を渡した。
「凄い、この魔導器から魔力が溢れて来る」
「嬢ちゃんというか姫の銃があれだけの威力を発するには此奴から何か得ているんだろう? それにあの回復力だ、そうでなくてはつじつまが合わン」
パンチョスには魔法の知識は無いが予想はつく。
「で、パンチョス殿、私に魔力を回復させて何をしようというんです?」
「近くに配置した屍はいるか?」
「一体だけ」
「十分だ、あの屋根の斥候を攻撃させろ」
「アナ姫の足止めをするのでは?」
「一体だけで何ができる? 斥候を先に叩く、情報将校に情報をくれてやることはあるまい?」
「はあ」
「猟師には狐になってもらうンだよ」
パンチョスは不敵に笑うとエドアールに天使の卵と水薬の瓶を渡した。
エドアールは奪われると思っていたので何のことか良く解らず、パンチョスと卵を交互に見るとただただ頷いた。
「約束通り返すぜ学者先生よ、その水薬は疲労回復の効果がある、せいぜい姫さんに捕まらんように逃げ回ってくれ、あと教会はやめとけ、おそらくバレとる」
「あの…」
「情報はお互い生きて居たらな」
パンチョスは言うが速いか再び走り出した。交渉中に息を整え俄然元気に市街を目指す。行動に無駄がない。
スケアクロウも必死についていくがパンチョスの行動の訳が分からない。
「パンチョス殿、折角手に入れた魔導器を返してしまって良いのですか?」
パンチョスは何を言っておるのだと不思議そうな顔でスケアクロウを見て言った。
「案山子のは嬢ちゃんに追いかけられたいのか?」
スケアクロウの表情を見て笑う。
「そういう事だ」
アナとの対決には負けたが、戦場の一要素でしかないとパンチョスは考える。
最終的に勝てばよい。今回の目的はアナ姫の拉致と魔導器の確保だが、中期的目標でしかない。アナ一行の作戦参謀であるセバスチャンを排除するという短期目標さえ達成できれば今後の戦略的に大きな躍進である。ヴォーティー船長とパロの青年騎士が仲間に加わったのは予想外だが、こちらの兵力さえ確保できればセバスチャンに二対五十の戦力差で戦える。大盾で囲んで弓で狙撃すれば頓死だ。 あの狐は各個撃破を狙ってくるだろうが、狐は戦況を確認するために必ず定時連絡を確認する。連携が取れなくなれば考えるだろう。奴の優先は姫さんだ、迷ってくれればこちらの戦力が整う。
「まあ、切り札もいるしな」
「なんですかパンチョス卿」
「ともかく時間との勝負だ、案山子の、街中の屍どもを門の所に集めろ、遅滞戦闘だ。我々は拠点まで走る」
「まだ走るんですか?」
スケアクロウは悪い顔色をさらに悪くして尋ねると、パンチョスはスケアクロウの肩を叩いた。
「軍事の基本は移動だよ案山子の、魔導の歴史とやらを取り戻すンだろ? これはその第一歩だ」
パンチョスは何を見据えるか。
護国の騎士はアナ姫になにを求めるか?
セバスチャンはパンチョスの策略に対抗できるのか?
次回、決着。
待て次号!




