嵐を呼ぶお姫 第二部 (8)ラマンチャだけお年頃
元タエト騎士のパンチョスにこてんぱんにされたアナとラマンチャ。
踊る羊亭に運び込まれロウィーナ号の船医に治療を受けることになったが…。
14歳の公爵令嬢が繰り広げる剣術+銃+体術のバトルアクション。
滅亡した祖国の秘密と解放を求めて旅をするアナ姫の海洋冒険ファンタジー第二部 第八幕
(8)ラマンチャだけお年頃
パンチョスにこてんぱんに痛めつけられたアナは、旅の騎士キャリバンの助太刀により窮地を脱したが、肋骨が折れて肺に刺さっており重傷だった。
パンチョスに刺された部分は血が止まっていたが縫合が必要なレベルの外傷でありセバスチャンは踊る羊亭のおかみさんに湯を沸かすよう頼んだ。
清潔なシーツの上でアナをうつ伏せにし、衣服を切って脱がせる。
血が張り付いているのと、脱がす際に折れた肋骨がこれ以上内臓を傷つけないようにするための処置だった。
セバスチャンはぬるま湯に浸した布でそっと傷口の周囲を拭くと止血効果のある軟膏を塗り、応急処置をした。
思ったより傷は深くなく、大きな血管は外れている様だった。
ヴォーティーガンは副長ケルビンに急いで船医を呼び、処置を施すよう命じた。
急いで駆け付けた船医はぎょろりとした目をした厳しい顔つきの男だった。
軍医の経験が長いので腕の一本、二本切り落としたって動じそうにないが、相手が船長の恩人であるアナと知って駆けてきた。
息を荒げながら客室に入る。
ぎょろりと周りを見回すと、清潔な布や湯を用意している事に「うむ」と頷く。
「船長、姫さんが重傷だって?」
事情と怪我の具合を聞き取り、治療具の入ったカバンを開く。
見た目の厳つさとは裏腹にきちんと整理され、磨かれた道具が並ぶ。
心配そうなセバスチャンに「わしゃ精霊医術が使える、安心せい」と肩を叩いた。
この時代の医療は迷信や経験則、民間医療に毛が生えたようなかなり怪しい医師も多かったが、幸いロウィーナの船医は精霊医術の使い手だった。
精霊医術とは正教会の大司教クラスの様に呪文を唱えて即回復とはいかないが、精霊または神の力を借りて行う医療でタエトではごく一部の医師が使う事が出来る。
利点は精霊が体内に入り感染症を防止するなど開腹手術をしなくてもある程度の治療ができる事と、感染症予防を精霊の力を借りて行えることだ。各国では秘術とされ、とりわけ魔導大国であったタエトの精霊医術の技術は高い。
「じゃあ、関係ない奴は部屋を出てくれ、助手としてあんた、残って手伝ってくれ」
とセバスチャンを指名する。
治療の知識があるのはこの中で彼だけだと見抜いての事だった。
煮沸消毒した極細の手術針とアラクネという怪物から取り出した極細の糸で縫合する。
船医とセバスチャンは手指の消毒を行い、清潔な布で頭を覆った。
アナへの処置は、まず精製した痛み止めをアナに処方した。海綿に浸した溶液をアナの鼻の近くに置き、ゆっくりと深呼吸させる。やがて眠りに誘われ激痛にゆがむアナの顔が次第に和らいでいった。
「まあ、痛みは完全に無くせないのでこれを噛ませてください」
船医はアナに柔らかい口枷を噛ませる。苦痛で奥歯を噛み砕かない様にするためだ。
次に煮沸消毒済みの清潔な布にドワーフの火酒を染み込ませて傷口を拭きとる。
傷口は割と綺麗に斬れているためそのまま縫合する。
船医は瓶に入った精霊寄せの液体を器に乗せ助手の精霊を呼び出した。
大人の手の平サイズの精霊が姿を見せて「ドラッケンさん、毎度」と陽気に笑う。
「今回は急ぎだで、ちょいと奮発する」
契約を交わす報酬はアドリア山羊のチーズとライ麦と小麦の混合パンをひとかけら、そしてタエトワインの捧げものである。
「いいね、いいブドウの香りがする、パンもいい粉使ってるねぇドラッケンさん」
「ロビンか、感想はいいからささっと支度せい」
「はいはい」
精霊ロビンは捧げものを吸い込む様に吸収するとくるくる回ってお辞儀した。
どちらかと言うと妖精の様だが羽は無く、姿はおぼろげだ。
少年の様にも見えるが半透明の液体のようにも見える。
「契約成立ね」
ドラッケンが言うにはロビンは
交渉が成立し、精霊が極細の針を持って傷口を縫う。医療に協力的な精霊は鉄を嫌うためこの針も特別製だ。妖精銀と呼ばれる特殊な金属で軽くて鉄より丈夫でしなる。
アラクネの糸は傷口が塞がる事には身体と同化し傷は目立たなくなる。女の子のアナにとっては有難い処置だった。
麻酔が効いているのかセバスチャンが塗ってくれた軟膏に鎮痛の効果があるのか、なにかが脇腹を触っている感覚だった。
綺麗に縫い合わせると傷は殆ど目立たなかった。
今度は折れた肋骨の処置だ。
精霊が針を持って体の中に入り込み、折れた肋骨に糸を引っ掻ける。
「ちと痛みますぞ姫様」
船医はひっかけた肋骨を元に戻すように引いた。
「んんーーーーっ!」
声にならない悲鳴を上げる。
肋骨周辺の痛覚神経が鈍痛を脳に伝えている。
麻酔のお陰でかなり痛みは少なくなっているが、骨折から時間がたち若干組織が癒着したのだろうか、めりめりと音がするようだった。
「正確な位置にせんといけませんので、動かないでください」
そう言いながら結構乱暴に引っ張る。
「んんっ! うんんーーーーっくっ!」
「あまり喰いしばらないでくだされ、きれいな歯並びが悪くなります」
「んっぶ、んーーーーーっ!」
肺に刺さった肋骨二本を元に戻し、精霊にお願いして内臓の傷を癒す。
アナは半分涙目でコクコク頷いた。
「即、治るわけではないですが、これで安心です、ただし骨がくっつくまで絶対安静にしてください、剣を振るうとか以ての外ですからな?」
船医ドラッケンはアナの鍛えられた背中を見て、そうとう暴れるお姫様だと悟った。
少女の肢体にうっすらとついた皮下脂肪の下に鍛えられた筋肉が見て取れる。
陶器のような白いふくらはぎや腿の筋肉は柔らかくしなやかな弾力がある。
見た目は華奢な少女だが瞬発筋の発達が見事だった。
船医はそのほかの傷を精霊に頼んで癒しの呪いを施した。
「次はあの少年か」
とラマンチャの処置に入る。
ラマンチャは部屋に呼ばれてアナの隣のベッドで処置を受けた。
「主に打ち身だが、手の甲の傷は縫わんと拙いな、痛いが男の子だ我慢できるな?」
と船医はラマンチャに人差し指を立てて確認した。
麻酔に使う秘薬は貴重で高い。
手持ちが少ないため、ラマンチャには無麻酔で処置に入った。
乱暴に火酒を傷口に吹き付け、低級の精霊が傷口に群がる。
見た目はおぞましいが細菌を食べて感染症を防いでくれているのだ。
「向こう傷は男の勲章だ、どれ通常の糸で縫ってやろう」
針は妖精銀だったが、糸は山羊の腸から出来たものだった。
かっこよく傷跡が残るぞとドラッケンは笑ったが、無麻酔なのでそれどころではない。
ラマンチャは「パンチョスの蹴りの方が痛い、パンチョスの蹴りの方が痛い」と呪文のように唱えながら耐えた。
手の甲を貫通する傷なのだから痛いなんてもんじゃない、
「神経も腱もいっとらん様だし、まあ大丈夫だろう」
手のひらと甲に両方縫い傷が残る。
「こいつは大サービスだ」とロビンが手の中に潜り内部組織を癒す。
痛覚を刺激されて暴れたくなるほど痛かったが、手が腐るよりマシだろ? と言われては耐えるしかない。
終わった頃には脂汗で下着がびしゃびしゃだった。動かさない様にと木の板と包帯で手を固定され、指一本動かせない。ラマンチャは船医と精霊ロビンに感謝して気絶するようにベッドに倒れた。
セバスチャンは、宿の一階にある酒場でヴォーティー船長と船医ドラッケン、そして旅の騎士キャリバンと卓を囲んでいた。
キャリバンには丁重に礼を言い食事を出してもてなした。
キャリバンと名乗った青年は七年前の戦争で領主を失くし、仕えるべき主を探しているという。領主は戦いの傷が癒えず、闘病の末亡くなった。
怪我のせいで世継ぎを成すことは成らず、領主の弟が領地を継ぐことになったのだが、反りが合わず、また向こうも騎士として取り立てなかったため出奔した。
「なるほど、リンド子爵の継承争いですな」とセバスチャンが尋ねた。
パロの北部で最近起きた継承争いと言えばリンド子爵だ。
「よくご存じで」
「兄弟仲の悪さは聞き及んでいました」
キャリバンの口調から嘘はなさそうだ。パロ北部の発音。
騎士としての振舞と作法。確かにパロ北部の出身の様だった。
質問の際に視線は動かず、作り話の類でもない。
装備の剣は北部パロ騎士の好む半片手剣。歩き方からも相当な手練れと見受ける。
「私は仕えるべき主を失った身、ここで出会ったのも何かの縁でございます、セバスチャン卿、どうかドルシアーナ公爵令嬢にお取次ぎ願えませぬか?」
テンペスト公の財宝を目当てに仕官する輩は今まで見てきたが、この青年からそういったものは感じられない。とりあえずアナ様の判断となるためけがの回復を待って相談することになった。
「ところであのタエトの騎士は?」とヴォーティーが切り出した。
騎士パンチョスの事だ。
「たしかラマンチャが言うには元騎士のパンチョスと名乗っていたそうだが」
ヴォーティーは少し苛立ちを見せながらセバスチャンに問うた。
「パンチョスという名の騎士は聞いたことが無い、しかしそれだけ強ければ私の耳に入っているだろう」
セバスチャンは元情報将校だ、タエトの正規軍にいれば知らぬはずがない。
地方領主に仕える騎士ですら頭に入っている。
「私が戦った時、パンチョス卿はタエト騎士流の剣技を使っていましたが、突き技を得意とする流儀でした」
キャリバンは先の戦闘に関する情報をセバスチャンに事細かく話した。
イシュタルに近い東側はイシュタルの影響で斬撃を多用する騎士が多い。
ロングソードよりも曲刀を用いる剣士もいる。
タエト剣術は回転して戦況を見る斬撃+戦況分析の技が多数あるため曲刀と相性が良いのだ。むろんタエト剣術の中に有効な突き技も多数存在するので好みがわかれるところではある。先端の棘が長いモーニングスターも人気の武器であり、鱗の硬い竜人との戦争ではロングソードから曲刀やメイス系の武器に持ち替える騎士も数多く存在した。
騎兵突撃の衝突力が竜人の翼で無効化されたあの戦争では生き残るために人類は工夫を重ねたのだ。
「ロングソードと盾持ち、突き技主体で、腕の立つ騎士、年齢は四十五歳前後…訛りはなくタエト王都に近い出身…」
セバスチャンはパンチョスの顔を見ていない。
自分の頭の中から情報をチョイスし探った。
「装備から海軍ではないな」とヴォーティーも頭を捻る。
「思い出した、おそらく奴はサンチョパンサ卿ではないか?」
「サンチョパンサ卿? 王都の外壁を守っていた守備隊の…」
ヴォーティーも思い出したように呟いた。
サンチョパンサは王都の魔法障壁が完成するまで竜人共を釘付けにする遅滞行動を命じられた指揮官だった。
石弓兵と百騎の騎士で王都正面の砦に籠り竜人を幾度も撃退した名将である。
騎士の位は銀騎士級であるがその卓越した戦術眼から金に勝る銀騎士と呼ばれた。
「パンチョス卿はサンチョパンサ殿か…」
王家に対して恨みはあれど、守った祖国への愛着はあろう。
ラマンチャから聞いたドルシアーナの女王擁立計画は確かに腑に落ちる。
「あの戦いでパンチョス卿は多くの部下を失った。王家に捨て駒にされても王都を守り切った、筋金入りの騎士である」
敵に回っているのが残念でならないが、彼ならばアナを簡単にあしらうのも頷けた。
「まだ無事に生きていたとは…あの戦いでよくぞ」
ヴォーティーは複雑な表情で呟いた。
タエト滅亡を目の当たりにした同胞でもある。敵に回ったのは数奇な運命と言えよう。
東の猛帝国より伝わるという打ち身の内服薬のせいなのかラマンチャ猛烈な眠気で丸一日眠った。
ラマンチャは気が付くとアナと並んで隣のベッドに寝かされた。
アナは処置されたまま毛布を掛けられて寝息を立てている。
相当の疲労と失血があったのだろう。
たまに「あいつブッ殺して差し上げますわ」と寝言を言っている。
よほど悔しかったに違いない。
ラマンチャは寝顔を見ながらパンチョスの言っていた事を考えていた。
「アナは未来の女王様…か」
よく考えてみればすごい事なのだろう。
女王様と屋台で買い食いしたり、共に戦ったり。
身分が違いすぎて想像もつかないが、アナはそんな垣根を飛び越えて来る。
平民で孤児のラマンチャとは住んでいる世界が違うはずなのに、今はこうして同じ部屋に寝かされている。
もしかしてこれは夢なのではないかと思うが痛む右手が現実だと教えてくれた。
船で見た絹のようなきめの細かい肌。
タエト王族である象徴の黄金色の髪。
信念のある眼差しと分け隔てのない慈愛。
あのスリ師の命まで心配するアナのやさしさは自分の事しか考えない他の貴族とは別だとラマンチャは感じていた。
「おはよう…ラマンチャ?」
不意にアナが目覚める。寝顔を眺めていたラマンチャを目が逢ってぱちくりと瞬きをした。
「あ、アナ? あ…えっとおはよう?」
寝顔を見つめていたことに気恥ずかしさを覚えてドギマギする・
「ああ、嫌な夢を見ていたので、起きた時にラマンチャがいて助かったわ」
アナは周りにセバスチャンの気配がないと解ると口調が素にもどった。
「今、何時かしら?」
そう言ってベッドから起き上がる。
毛布から体を出すと、白い肢体があらわになった。
「あ、アナ、ふ、服! 服着て!」
ラマンチャは真っ赤になって後ろを見る。
「治療のあとそのままでしたのね…」
ラマンチャの心臓がまさに早鐘というリズムを刻む。
「あ、うん…なんかあばら骨折れてて、動かさない方がいいと…、あ、俺も治療の後すぐ寝ちゃったからよく覚えてないんだけど、あの見たのわざとじゃないって言うか、忘れてて」
アナは小首をかしげてラマンチャを見た。
「何慌ててるのかわからないわ? 変なラマンチャ」
慌てるわ! 慌てますともとラマンチャは心の中で叫ぶ。
白く透き通った肌に色素の薄い何かが二つ…。
「わあああああああ」
「ちょっとラマンチャ急にどうしたの?」
後ろを向いて叫ぶラマンチャにいぶかし気に尋ねる。
「あの、アナ、お願いだから」
「人にお願いするときは目を見て言って? ラマンチャ」
見れるかぁ!
「あいや…今は見れない、緊急事態だから」
「緊急事態?」
アナが立ち上がって近寄ろうとする。
「うわ、来ないで!」
「怪我が痛むの?」
心配そうにのぞき込む。
下腹部を抑えてラマンチャがうろたえる。
近い近い近い近い!
金色の髪が背中に当たる。
「足の付け根、パンチョスに蹴られたの?」
「いや、これは何でもないんだ! お願いだからわかって、いや解らないで!」
「腫れてる?」
「いやああああああああああああ」
ラマンチャは前かがみになってベッドから転げ落ちる。
「変なラマンチャ」
アナには思春期とかないの?
転がり落ちた瞬間に再びアナの肢体が目に入る。
脳が焼き付くようにショートした。
アナは痛みをこらえて下着をつけた。
肋骨を固定するのにコルセットをキツくない程度に装着する。
「ラマンチャ、コルセットの紐、しめてくれる?」
「いや、無理です…」
真っ赤になって後ろを向くラマンチャに「なんで敬語?」と疑問符をつける。
「これつけるの一人じゃ無理なのよね」
ふんと息を吐くとコルセットを後ろ前にしていったん紐を軽くしめまた後ろ前にして器用に装着する。
つけ方に関してはかなり行儀が悪いというか色気ゼロなのだがラマンチャには手伝ってもらえそうにないので仕方がない。肩関節が柔らかいアナは器用に背中の紐を絞めた。
「以外に出来るものねラマンチャ」
「はい!」
どうも様子がおかしい。
「年頃の男の子は女の子と一緒にいるの恥ずかしくなるとかいうけど…それ?」
「違います!」
「どうして敬語?」
「わかりません!」
「もしかしてパンチョスの野郎から私が王位継承者って聞いたから? 今更、身分なんて気にしなくていいのに」
アナはちょっと悲しそうに呟いた。
「そうじゃなくて、アナが裸だったから!」
「あー、なんかお年頃になると気になるって聞いたわね」
長年、おじいちゃん枠のセバスチャンと旅をしてきたのでその辺の感覚が鈍い。
「えっと、ラマンチャも恥ずかしいのね」
「は、恥ずかしい…なんかおちんちんが痛くなるっていうか…」
「恥ずかしいとおちんちんが痛くなるの?」
「うわああああああ」
女の子がその単語は言っちゃダメだろ!
「忘れてアナ、後生だから」
その時、ドアがノックされる。
「ひゃあああああああ!」
上半身コルセットを付けただけのアナと乙女のような悲鳴を上げるラマンチャを見てセバスチャンは何があったか察する。
アナには後でその辺の事を教えなければと思うセバスチャンであった。
なんとなく気がついてる人は気が付いている登場人物の名前ですが。
二つの古典物語から名前を借りています。
騎士キャリバンという強力な仲間が増えたアナ一行ですが肝心のアナは戦闘不能。
今後予想される黒き教団の追撃にどう立ち向かうか?
久々にヴォーティー船長がちらっと出て来ましたが、彼にも今後活躍してもらいますのでよろしくです。




