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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第三部 維新編 
43/74

四一話 仇敵襲来

 主役、ピンチ。


 城壁から出て来た謎の女に、あまりに突然すぎる陽元との再会に、龍久の頭は爆発しそうだった。

 だがそれは陽元も同じようで、目の前にいるのが龍久だという事を認識すると、酷く驚いた様子だ。

「きっ、貴様は南雲龍久! なぜこんな所にいるんだ」

「それはこっちの台詞だ、てめぇには色々と聞きたいことがあるんだ!」

 雪の血縁、『神の系譜』についての事や、二人目の雪について聞きたい事が沢山ある。

 だが、この男がそう簡単に話すとは思えない。

 この男は、雪を川に捨てた張本人なのだから――、龍久の胸にあの時の怒りが蘇る。

「たっ、龍久君、この人と知り合いなのかい!」

 縋り付くようにしていた女が、突然手を離し龍久にさえ脅えだした。どうやらこの女を狙っていたのは、陽元だったらしい。

「ええい、南雲龍久、いいから『その男』をこちらに渡せぇ!」

「いっ嫌だぁ、僕はもうあんな所には戻りたくないんだぁ!」

 怒鳴る陽元、龍久の後ろに隠れて脅える女。

 双方ともに必死であるのだが、龍久はある事に思考を奪い取られていた。

 

「えっ……、男?」


 龍久の思考の九割を奪い取ったのは、この自分の足にしがみ付いている女が、男であるという事であった。

「そんな事どうでもいいよぉ、たっ龍久君、お願いだよぉ僕を助けてよぉ」

「その男を、菊水を渡すんだ、南雲龍久!」

 菊水と呼ばれたこの女の様な男、こんなに色っぽくて愛らしい男が他にいるだろうか、龍久は、ふと自分の足にしがみ付いて無意識の上目遣いに龍久は――。

(かっかわいい……、てっなんで赤くなってるんだ俺はぁ!)

 自分の頬が熱を帯びている事を感じて、龍久は首を左右に振って邪念を振り払った。足元にいるのは男なのだ、と自分に言い聞かせる。

「菊水を渡せぇ、早くしろぉ!」

「陽元、お前なんでこんな所にいるんだ! 俺の弟の嫁は誰なんだ! それに雪の血縁について、全部洗いざらい吐けぇ!」

 邪念を振り払う為陽元に向けて怒鳴り、腰の刀を引き抜く。丸腰の陽元は流石に威勢をなくしたようで、ゆっくりと後退した。

「きっ貴様に話す事など何もない! いいから菊水を――」

「おい、陽元」

 陽元の言葉を遮ったのは、龍久でも菊水でもない、全く別の声だった。

 城壁の上の空に、一人の人間が立って居た。

 黒くて長い前髪を垂らして片目を隠し、もう片方の目には蛇を模した刺青があった。紫色の水干を身に纏った男――。

 龍久の知りえる中で、この様な恰好をしているのはたった一人しかいない――。


「たっ、玉藻!」


 富士山丸で葛葉によって爆発したっきり、姿を見せなかったのだが、ここに来てまさかの再会に驚いた。

「陽元貴様、なぜ菊水がこんな所にいるのだ、三の丸の地下に居ろといったであろう」

「いっいえ、まさか閉じ込めた部屋に隠し通路があるなど気が付かず……」

「ふん、天井を落とすくらいだ、逃走用の通路があっても可笑しくはないか……」

 当たり前の様に陽元と会話する玉藻、龍久の中ではありえないこの二人は、どうやら知り合いらしい。その事実もまた衝撃的だった。

「菊水、逃げるとはずいぶんいい度胸だなぁ、いつもは従順な癖に……」

「あんな事……僕は、僕は嫌だぁ! 絶対に戻りたくない!」

 玉藻を見るなり、菊水は脅えて龍久の足に更にしがみ付く、どんな理由かはわからないが、菊水は玉藻をかなり拒絶している。

 この三人がどのような関係なのか全く分からないが、今は目の前にいる最大の敵玉藻へと集中する。

「玉藻! お前がなんでこんな所にいるんだ」

「お前は……」

 ようやく龍久の存在に気が付いたのか、玉藻はこちらをしばらく見つめてから、あの気味の悪い笑みを浮かべた。

「平助を殺した事も、富士山丸での事も、俺は絶対に許さねぇからな、玉藻!」

「……ふふっ、なるほど」

 玉藻は龍久を見下ろしてほくそ笑んだ。

「お前の縁は本当に恐ろしい物だなぁ南雲龍久、こうやってのこのこと現れて、我が野望さえも邪魔するなど……もはやお前には賞賛の拍手さえ贈りたくなるわ」

「ふざけんじゃねぇ! お前、なんで陽元を知ってんだ!」

 抜身の刀を向けながら、龍久は叫ぶ。しかしそれを楽しむ様に玉藻は微笑む。

「ほう、自分の義妹の実家がどんな家系かも知らなかったのか? 天原家は我らが家系に仕える家来よ、まあこの男は使えん奴だがな」

「天原家が、玉藻の家来の家?」

 それは可笑しい、雪が『神の系譜』だというのならば父親である陽元は天皇という事になる、にもかかわらず玉藻は陽元に対してあまりにも横暴だ。

「どういう事だ、雪が内親王なら陽元は天皇だろう! お前らが求める『血族』って奴なんだろう!」

「…………さあてなぁ」

 はぐらかす様に、あの気味の悪い笑みを浮かべる。どうやら真実を語る気はないらしい。

 すべてを話すとは到底思っていないが、こんな風に虚仮にされると腹が立つ。

「陽元、貴様五年前といい、また失態を侵すつもりか?」

「あっあの時は、あの娘が――」

 言い訳をしようとする陽元を睨みつけて黙らせる、見た目ならば陽元の方が圧倒的に年上なのだが、地位は玉藻の方が圧倒的に上の様だ。

「貴様が上野に集めた手駒を、すべて失う様な事がなければ、もう少しはマシに事を運べたというのに……」

 五年前、上野、陽元、この三つに龍久はある事を思い出した。

 五年前冬、陽元のせいで起こったある事件を――。


「まさか、お時が死んだ辻斬りか……」


 あの雪の日、陽元が黒幕だと雪は言った、あの時は雪の身が心配で深く追及しなかったので、なぜ陽元が上野に浅葱裏を集めていたのか結局わからずじまいだった。

「そういえばそんな事もあったなぁ、滑稽だろう? 人探しの為に集めた浅葱裏共を、探していた人間に斬り殺されるなど、こんな馬鹿な話が他にあるものか」

「じゃあ……あの浅葱裏共は、雪を探す為にお前が陽元を使って集めたのか!」

 とんでもない所で、とんでもない事がつながっていた。

 雪を探す為に、玉藻が陽元に命令して集めた浅葱裏達が、お時を辻斬りして雪に殺された、そんな馬鹿な話があるものか、龍久は行き場のない怒りを感じた。

「おしゃべりはこれ位にしようか南雲龍久、お前は我が野望の前にあって、邪魔者でしかない、お前の縁ごと、ここで抹消してくれるわ!」

 これはまずい、龍久の脳内に富士山丸での玉藻との戦闘が鮮明に蘇る。あんな戦い方をされてはかなうはずがない。

(まずい、逃げないと……でも)

 足元には恐怖に震える菊水の姿がある。どこの誰とも知らない人だが、玉藻に狙われているというと、放っておけない。

(どうする、この菊水って人も助けてやりたいけど、相手は葛葉でも勝てない玉藻だぞ……刀一つでどうするんだよ)

 敵は宙に浮いている、それに刀でどう攻撃しろというのだ。

 成す術のない龍久が追い込まれている、正にその時であった。

 ――一発の銃声が、その場に響いた。

 それとほとんど同時に、頭を撃ち抜かれた玉藻が地面に落ちた。一体何が起こったのか分からない龍久が、ふと振り返ると――。


「大丈夫か、龍久!」

 硝煙が上がる小銃を構える土方と、抜身の刀を持った新八が居た。

「土方さん、新八さん!」

「龍久、おめぇ、おせぇと思ったら飛んでもねぇ奴らに絡まれてるじゃねぇか、モテる男はつらいねぇ」

「冗談言ってんじゃねぇ、新八」

 新八を叱咤しながらも、その視線は地面に倒れてピクリとも動かない玉藻に向けられていた。玉藻は『式神』だ、あれぐらいでは死なないだろうが、しばらくは葛葉と同じ様に痛みで動けないはずだ。

「今の内に、行くぞあんた!」

「えっうわああっ!」

 龍久は足元にいた菊水を俵担ぎで担ぎ上げて、二人の元へと走る。男の割には華奢で軽く、やはり女の様だった。

「おいおい、誰だよその色っぽい女」

「事情は後で話します! それより今は――」

 龍久の言葉を遮る様に、玉藻が立ち上がった。

「全く、まさか『鬼の副長』に撃ち落される日が来るとは……」

 まるで痛みなど感じていない様に立ち上がった玉藻。やせ我慢でもしているのだろうか。

「ちょっとくらっとしたが……ねぇ」

 そう言って、玉藻は舌を出して来た。気味が悪い事この上ないのだが、その舌の上に銃弾が乗っていた。

「痛覚など消してしまえばどうという事はない、それに私に銃弾は利かんぞ」

 鉛の弾を吐き出しながら、玉藻は軽快な陽気で一歩、また一歩とこちらに向かって歩いてくる。刀では勝てないかもしれないが、龍久は玉藻へ刀を構えた。

「龍久、お前は右から行け、俺は左から行く」

 土方がそう言うと利かないと分かった銃を捨て、兼定を引き抜きながら玉藻に向かって走る。それを迎え撃つ玉藻は余裕の表情だった。

「無駄だと言うのが分からないのか?」

兼定の切っ先で、地面を引っ掻きながら走り抜ける土方。

一方玉藻は特に避けるつもりもなく、何らかの術を使う為か、土方に右手を向ける。

「どうだかなぁ!」

 一気に切り上げる土方、しかしその刃は玉藻には届いていない。

 だが、兼定は地面の土を巻き上げた。

「なっ――」

 目に土が入り、玉藻は手で押さえながらよろめいた。まさか土方が目暗ましなどという、小技を使うとは思わず、完璧に油断していた。

「いけぇ、龍久!」

右から玉藻に向かって龍久が切りかかる。

(式神でも首を落とせば!)

 確たる自信はないが、この男に対して躊躇する必要はない。龍久は怒号と共に首を撥ね飛ばす為に、右から左へと真一文字に振りかぶった――。

「うおりゃあああああああああああっっ!」

 

 ガキンッ。

 

 金属が変形する様な音がした。

 龍久は、刀を間違えなく振り抜いたというのに、切り落とした感覚もなく、玉藻の首もそこにあった――。

「言っただろう? 無駄だとなぁ」

 ニヤリと笑う玉藻、そんな微笑みと共に龍久の眼には、自分の刀が映った。

 刀身の中ほどから切っ先まで、ちょうど玉藻に当たったと思われる部分がまるで柔らかい錫の板の様に、グネグネによれている。

 龍久の刀は確かに虎徹や兼定ほどの名刀では無いが、組長としてそれなりに良い給金をもらっていたので、それなりに良い刀をあつらえて、手入れだってしていた。当たり前だが鉄と鋼で出来ている物が、この様に変形するなどありえない。

「私に金属は、利かんのだよぉ」

 驚く龍久に向かってそう言うと、刀に異変が起こった。


 まるで生き物の様にガタガタと震え出すと、突然液体になった。


「うっうわあっ!」

 驚く龍久の手には、鍔と柄しか残っていなかった。

 刀身は全て溶けて、銀色の金属特有の光沢を帯びた液体と成って、玉藻の回りをたくさんの球体となって浮いている。

 刀が溶けたのも訳が分からないし、それが宙に浮いている事も受け入れられなかった。

「首を狙ったのはよい判断だなぁ、『式神』の体は、一度斬られると修復するのに手間がかかるのでなぁ、首など斬られてしまえば、この体を捨てるしかあるまいよ……」

 玉藻が右手の人差指を一本突き出すと、辺りに浮いていた球体が集まって、一個の大きな球となった、大きさはおよそ一尺といった所である。

「だが、我が首は刀では斬れんぞ……くふ、あーははははははっ」

 高笑いする玉藻、そんな彼に呼応する様に周囲に異変が起こった。

地面に落ちている銃弾、主を亡くし横たわっている刀や槍。それらが一同に宙に浮かんで、玉藻の元へと飛んで来た。

《属性は金、方角は西、星は金星、色は白》

 どこかで聞いた事のある文言を口にすると、玉藻の周囲に白く輝く渦ができ、足元に星形の方陣が浮かんだ。

 龍久の刀と同じ様に、金属が溶け出してそれが全て一つに結合していく。

《我が問いかけに応え、汝の力を示せ――白虎》

 そして、金属が何かを形作った。


白点(はくてん)無双(むそう)


 玉藻がそう叫ぶと同時に、その隣には光沢によって白く見える、一匹の金属の虎が居た。

 虎は龍久や土方に向かって吠えると、鋭い眼光とその鋭い牙と爪を見せつける。

「己の無力さを悔いながら、死ねぇ!」

 金属の虎は、その大きな前足で地面を蹴り飛ばすと、龍久に向かって突進して来た。

「うっうわああっ!」

 鍔と柄だけの鈍を放り投げると、龍久はとっさに横に飛び込む様にして、その攻撃を避けた。大きさは一丈を優に超える虎の一撃を食らえば、ただでは済まない。

 炎の鳥に水の亀に続いて、今度は金属の虎。もはや人の戦い方とは到底言えない。

「くそっ、こりゃ化物の戦いじゃねぇか!」

 そう怒りながら、菊水の隣にいた新八もその金属の虎に向かい合う。

 本来この日本に虎はいない。だが、昔の清の書物にその描写がなされている物が数多ある。まるで猫を大きくした様な風貌だが、人を食べるという話も聞いた事がある。

 生き物の虎でさえ恐ろしいというのに、ここにいる金属の虎が恐ろしくないはずがない。

 金属の虎は、三人に向かって襲い掛かってくるが、何とか紙一重で躱していく。

「こいつ、刃が通らねぇ!」

 持ち前の剛力で新八は虎に向かって切りかかるが、生き物ではないので刃は通らない。これでは打つ手がなかった。

「龍久、新八、距離をとれ! 離れれば何とか避けられる!」

 土方に言われ二人は虎から距離を置く、この虎は金属で出来ているせいか若干遅い。自重が重く素早く動けないのだ。

「……ほほう、なかなか目の付け所が良いなぁ、ではこうしよう」

 玉藻が右手を空に上げると、今度は刀身だけの刀が集まって来た。形状はそのままで、五〇本はありそうな刀が切っ先をこちらに向けて宙に浮いている。

「斬る人間がいないのでは、お前達にこの刀の踊りを止める術などあるまい?」

 そう言って玉藻が腕を振り下ろすと、その刀が飛んで来た。

「どわああああ!」

 龍久は悲鳴を上げながらそれを避けるが、その直後に今度は虎が突進してくる、それを避けても、また刀が飛んできて、先ほどよりずっと追い込まれている。

(こんなのずっと続けられるか!)

 もう息が上がってきている、そろそろ何とかしなければ、全員刀に斬られ虎に八つ裂きにされて終わりである。

「ちょこまかちょこまか、うるせぇんだよ!」

 新八が、中に浮かぶ刀の一撃を刀で防いでいた。人間が振り下ろしている訳ではないのだが、とんでもない力が刀を伝わってくる。

「だまりやがれぇぇぇぇぇ!」

 我慢の限界に達した新八は左手で拳を握ると、それを刀めがけて振り放った――。

 地面に叩きつけられた刀、あまりの衝撃で一度跳ね返ってくるが、もう宙に浮いたり切りかかったりしてこない。

 完全にただの刀に戻ってしまった。

「えっ……なんで?」

 驚くのは殴った当人である新八だ、無機物である刀に打撃など利くはずがない、にもかかわらず、殴った刀は動かない。

「まさか!」

 それを見ていた土方が、同じ様に斬りかかって来た刀を、兼定で受け止めその刀身に触れてみると、力なく地面に落ちていった。

「おい藻屑野郎、おめぇのその能力はてめぇの触れた金属か、地面に落ちた弾丸か、死人の刀みてぇな『所有者のいない金属』しか操れねぇんだろう! こうやって触れちまえば、てめぇは操れなくなる!」

 龍久の刀は切りつける為に玉藻の首に触れたし、銃弾だって流れ弾が地面に着弾した物だ、玉藻の金属を操る能力には、大きな制限があった。

「……ちっ、小賢しいな土方め」

 玉藻は舌打ちと共に独り言の様に呟くと、辺りを見渡した。

 するとある物が、玉藻の眼に映る。

「ならば、こうしようか……」

 そう言って、玉藻があの気味の悪い笑みを浮かべたその時だった。


 一発の銃声が轟いた。


 一体どこから誰が撃ったのか、瞬時に理解する事が出来なかった。

 理解する間もなく、土方が倒れたのだ――。

「ひっ、土方さん!」

 龍久が駆け寄ると、土方の右足が撃ち抜かれていた。辺りを見渡してみると、背後に土方が『投げ捨てた』小銃が刀と同じ様に宙に浮いていた。

 その銃口は、土方の足を的確に向いていた。

「う~~ん、刀身と違ってストックが木製の銃は、扱いにくいなぁ……」

 銃床は木製で金属ではない、金属しか操れない玉藻にとって木製部分のある小銃は一尺ほどしか浮いていない。

 もしも全て金属で出来ていたならば、今頃土方は急所を撃たれて死んでいただろう。

「うっくそ野郎がぁ……」

足を撃ち抜かれても必死に立とうとする土方だが、足に力が入らないのか全く立てない。

「陽元、そんなところに隠れておるな、とっとと菊水を連れてこい」

 松の木の裏に隠れていた陽元に向けて命令する。

「ひっひぃっ」

 後方で一人地面に座り込んでいた菊水が、短い悲鳴を上げながら、動かない足で必死にはいずって逃げようとする。

「ええいっ、くそっ!」

 龍久は倒れている土方を担ぎ上げると、走り出した。

 土方が居なければ玉藻を倒すどころか、対抗する事さえできないだろう。

「土方さん、とにかく逃げますよ!」

「馬鹿野郎……逃げるって、どこへ……逃げるんだ」

 松ヶ峰門にも、本営にも戻ることは出来ない。玉藻がそこで術を使えば、富士山丸の様に、何人も死んでしまう。

 だがここに居ても玉藻に嬲り殺されるだけだ、考えている暇もなく、今は逃げる。

「新八さん、土方さんをお願いします、俺は菊水さんを連れていきますから!」

「えっおい、だから誰なんだよその女!」

 状況が読み込めていない新八に土方を預けて、龍久は地面を這っている菊水を再び担ぎ上げた。

「あんたがどこの誰だか知らないけど、乗りかかった船だ、しょうがねぇ!」

「たっ……龍久君」

 今は菊水の正体を詮索する余裕はない、ただ玉藻達に狙われているのであれば、放ってはおけない。

「逃げ切れると思っておるのかぁ!」

 唸り声共に虎が後を追って来た。地鳴りの様に地面を揺らしながら駆けるその姿は、本物の虎以上に恐ろしい。

 虎の動きが気になって、足元がおろそかになっていた龍久は、石につまずいて菊水を放り投げてしまった。

「うわあああっ」

 菊水はころころと二回転してようやく止まった。

「きっ菊水さん、大丈夫ですか!」

 怪我がないか心配する龍久だったが、菊水の眼は別のものに奪われていた。

「たっ、龍久君うしろぉ!」

 後ろを指さす菊水、龍久が振り返った、その時だった。


 虎の体当たりが、龍久を直撃した。


 前足が右腕に当たり、嫌な音が周囲に響き渡った。

 地面に体が打ち付けられ、その反動で二、三度を跳ねた。

 そして仰向けて倒れて、小指一本さえ動かなかった。

 龍久は動かなかった――――。

 

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