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雪華散りゆき夜叉となりて…  作者: フランスパン
第二部 京都編 新選組
24/74

二三話 近江屋事件

 一一月一五日 京都 近江屋。

 雪は龍馬と長岡の三人で軍鶏鍋が来るのを楽しみに待っていた。

 京に来るのは久しぶりの事だったが、あいも変わらずこの街は美しいけれど殺伐とした雰囲気を纏っていた。

「雪、おまんは飲まんのか?」

「酒は嫌い、全然酔えないんだもん」

 お銚子を向けた龍馬に向けてそっぽを向く雪。だが龍馬は高らかに笑った、そんな彼を見ていると雪も自然に笑みがこぼれた。

 別に熱い訳ではないのだが、無性に風に当たりたくなって窓際から京都の街を見た。

この店は宿屋ではなく醤油屋である、拠点に使っていた寺田屋で襲撃された事もあって、此処を避けた為だ、だから景色は宿ほどいいわけではない。

「龍馬、龍馬は何時か蝦夷に行くんだよね」

「そうじゃお龍なんぞもう向こうの言葉を勉強しちょる、気の早い女ぜよ」

 お龍は長崎で帰りを待っているのだろう、本を片手に言葉の勉強をしている彼女の絵は簡単に浮かんで来た。

「……私も付いて行って良いかな、蝦夷に」

 意外な事だったのか龍馬も中岡も吃驚したように眼を見開いていた。でも雪は始めから龍馬について行くつもりだったのだ。

「おう、一緒に蝦夷でええ国を造るか」

 そう言って豪快に笑う龍馬。雪も吊られて微笑んだ。

 だがそんな時、外に人影がある事に気がついた――。


 それは龍久だった。


 隣になんだか見覚えのある童水干を着た男もいる。

 新選組に場所を気取られたかと思い短銃に手を伸ばすが、龍久はただ真っすぐ見上げるだけで襲ってくる気配がない。

「(話があるんだ)」

 雪にしか聞こえないようにそう龍久が言う。龍馬も中岡も気が付いていない。

 雪は悩んだが下に降りる事にした。


***


 龍久は雪が降りてくるのを待った。

 何を話せばいいのか分からなくなって来た、ただあの時の事を謝ってこの思いを伝えたかった。三年間龍久が思っていた事を――。

「来たぞ龍久」

 路地から現れたのは雪だった。

 来てくれた、その喜びで胸がいっぱいになった。しかし同時に緊張して来た、何を話せば良いのか分からなくなりそうだった。

 雪は少し距離を取って止まった。明らかに警戒している様だった。当然だろう今は追う者と追われる者なのだ、警戒しないはずがない。

 龍久は腰の得物に眼をやると、打ち刀と脇差を引き抜いた。

 それを見て身構える雪だが、龍久はそれを葛葉に手渡した。

「持ってろ」

 たった一言そう言うと、雪に近づく。丸腰であるからなのかそれとも驚いているからなのか、雪は間合いを取ろうとはしなかった。

「……久しぶりだな、雪」

 そう言うと、雪はやはり吃驚した様だ。でも少し気恥ずかしく答えてくれた。

「久しぶり……龍久」

 仮面の下で雪は一体どんな表情をしているのだろうか、あれほど会いたいと願った雪が、今此処に居る、手を伸ばせば届く所に居る。龍久はそれだけで胸がいっぱいだった。

「雪、顔を見せてくれるか……」

「……それは嫌だ」

 雪は仮面越しに右目を押さえた。あの傷を気にしているのだろうか、龍久と別れた時はあんな傷は無かった。一体この三年雪はどんな生活を送って来たのだろうか。

「雪、俺の話を聞いてくれるか?」



 龍久は雪に自分の三年間の話をした。

 土方に助けられて新選組に入った事、平助という友達が出来た事、自分が組長になった事、他にも色々合った事を話した。

 雪は決して笑ったり口を挟んだりしなかったが、黙って聞いていてくれた。

 あらかた話終えると、無音の時間が訪れてしまった。

 気まずい、何か話さなければと思うのだが何も浮かんで来ない。ただ雪が傍に居てくれるだけで、龍久の鼓動は早くなる一方だった。

「……雪、お前はどうしていたんだ」

 話す事が無くなって、雪にそう尋ねてみたが彼女の表情は暗い。また自分は傷つける様な事を言ってしまったと、後悔した。

「……龍久は変わらないんだね」

「えっ……」

 雪はなんだかものさみしげに言った。だがその言葉の意味は分からなかった。

「龍久、それで用件はなんなの? まさか私と昔話をしに来た訳じゃないだろう」

「あっいや……」

 そうだ、自分は雪に三年間思っていた事を話そうと思っていたのだ。だがいざその時になると口が上手く動かない物だった。

「……まさか私に自首をしろと言いきたのか!」

 話せずにいると、雪が痺れを切らしてそう怒鳴った。

「ちっ……違う」

「ならなんなの?」

 雪は上目遣いで龍久に尋ねる。もしも仮面が無かったらきっとこの上なく可愛い顔が見えただろう、そして抱きしめずにはいられなくなっていただろう。

「ゆっ雪……俺お前にずっと言いたい事があったんだ……聞いてくれるか?」

 そう言うと雪は頷いてくれた。

 緊張した、この胸の音が果たして雪に聞こえていまいか不安で仕方がない。だが今言わなくてはいけない、龍久は全ての思いをこの言葉に込めた。

「俺、ずっとお前の事が――」


 その時、まるで天を割る様な悲鳴が響きわたった。


 それが一体誰の物なのか龍久には分からなかった。状況も全く理解できていない。

 しかし、雪は違っていた。その悲鳴を聞いて近江屋の見る。

「中岡さん」

 人の名を呼ぶと、近江屋へと向かって走り出した。

 状況は少しも理解できなかったが、龍久は雪の後を追い近江屋へと入った。

「…………」

 葛葉も黙ってそれに続いて行く。

 雪は二階へと上がって行った。雪は村正に手を当てながらじりじりと戸に近づき中の気配を伺う。

 そして戸を開けた。

「――っ!」

 真っ先に雪に届いたのは、鼻を着く血の匂い。そして次に苦しそうなうめき声。そして力無く倒れている見覚えのある人影――。


それは坂本龍馬だった。


「りょっ、龍馬あああああ!」

 雪は叫んだ、そしてすぐに龍馬に駆け寄った。

 龍馬は頭を切られていて、その傷口は脳まで達していた。

「しっかりしてよ龍馬、死んじゃ駄目だ龍馬!」

 雪は龍馬の頭を押さえて少しでも血の流れを押さえようとする。しかし指の隙間から血はどんどん溢れだしてくる。

 このままでは龍馬は死んでしまう。せっかく見つけたたった一つの希望が無くなる、雪の生きる希望が消えてしまう。

「龍馬、龍馬はこの国を変えるんだろう! まだ変わってないよ、何も変わってないよ龍馬ぁ、私は龍馬の造る国を見るって約束したんだよ!」

 高杉と約束した、必ず自分が見届けるとそう約束したのだ。

 こんな所で終っていいはずがないのだ、坂本龍馬はこの国を変える事が出来る人間なのだ、新しい事が出来る人間なのだ。こんな所で終るはずがない。

「……雪、そうじやのぉ……こじゃんと良い国つくらんとなぁ……」

 龍馬はそう弱弱しく言った。雪は龍馬の手を握り締めた、その手から徐々に暖かさが無くなり、脈が弱くなっているのが分かる。

「そうだよ龍馬、造ろう! だからぁ死なないでよぉ、龍馬ぁ」

「……ゆきぃ、見えるぜよ」

 眼は既にうつろでどこを見ているか分からない。龍馬は何もない空を見ながら雪に語りかけた。

「ええ国じゃ……まっことまっことと良い国じゃ……」

 まるでうわごとの様だった。彼しか見えない何かが見ているのだろうか、それともただの虚像なのだろうか、それは誰にも分からなかった。

「龍馬?」

 呼びかけたがもう答えは無かった。

雪を恐怖と不安が襲った。体の中を何かかさかさとした物が這いずった様な感じがした。

「龍馬、嘘だろう……ねぇ目を開けてよ……まだ何も終ってないよ、何もしてないよ……」

 必死に呼びかけるが、雪の言葉に龍馬が答える事は二度と無かった。

 そして全てを理解した、――――坂本龍馬は死んだ。



 あの坂本龍馬が死んだ。

 龍久は亡骸の前で声を上げてなく雪をただ唖然としている事しか出来なかった。

「坂本を……一体誰が……」

 新選組では坂本に手を出す様な話は無かった。というより彼がどこに居るかも葛葉に教えられた龍久しか知らなかったのだ。では一体誰が殺したのだ。

(いや、坂本は『大政奉還』で敵を一気に増やしたはずだ……くそぉ一体誰だ)

 雪はただ坂本の亡骸の前で泣いている。

 何処かで見た事ある様な光景で、龍久にとっては酷く不快だった。

「雪……大丈夫か?」

 龍久は心配で声を掛ける。彼女に近づきそっと肩に手を置こうとした時だった。

「あぶねぇ龍久!」

 葛葉が龍久に体当たりで押し倒した。

 一体何が起こったのか分からない。反転した視界の中で龍久が見たのは短銃を構える雪の姿だった――。


 乾いた銃声が轟いた。


 弾丸は宙を貫き柱に当たった。柱の穴を見て龍久は開いた口が塞がらなかった。

 雪が銃を撃った、なぜ、どうして――。

 龍久にはその理由が分からない、なぜ雪がそんな事をするのかが。

「龍久……謀ったなぁ、護衛の私を誘い出して、その間に龍馬を暗殺する手はずだったんだろう!」

 恨みの籠った雪の声は、まるで鬼の鳴き声の様に低く鋭かった。

「ちっ、違う! 俺は本当にお前と話がしたかっただけなんだ!」

「黙れぇ! そんな言い訳聞きたくない!」

 雪は再び龍久に銃口を向ける。撃たれる訳にはいかないと立ちあがると隣の部屋の襖に向かって飛び込んだ。

 再び短銃が火を噴いたが、龍久には当たらず畳に着弾して、穴を開けた。

「雪! 俺は何も知らないんだ、頼む話を聞いてくれ!」

 龍久は襖の後ろに隠れて、雪に向けて必死に呼びかけた。

「黙れぇぇぇ!」

 だが雪は何もかもを拒絶して、また引き金を引いた。今度は龍久の眼と鼻の先をかすめて行った。

「龍久もうよせ、今は何を言っても彼女にはとどかねぇよ」

 いつの間にかこちらの部屋にやって来ていた葛葉がそう言う。だが龍久は諦め切れるはずも無かった。

 せっかく再会して、やっとこの思いを伝えられるとそう思っていたのに、神はなんて非情な物なのだろうか。

「……ゆっ……、雪君か」


 死にそうな男の声がした。それは龍馬と共に斬られたと思っていた中岡慎太郎の物だ。彼に気がつくと雪はすぐに傍に駆け寄る。

「中岡さん、しっかりして下さい!」

 彼が生きている事を確認すると、雪は彼を担ぎ階段の方に向かって進んで行く。

「雪!」

 追おうとしたが、雪の威嚇射撃で動く事が出来なかった。

「違う、違うんだ雪! 俺は、俺はただ!」

 龍久は必死に叫ぶが、それが雪に届く事は無かった。




 一一月一五日、後に近江屋事件と呼ばれるこの一件で、『薩長同盟』『大政奉還』などの立役者であった坂本龍馬が暗殺された。

 共にいた中岡慎太郎も酷い重傷を負った。雪は向かいの土佐藩邸に運びこんだ。

 龍久もそれを追い掛けたが、土佐藩邸の中では手も足も出なかったのであった。

龍久は身を持って何かを実感した。

何か途方も無く大きな物が今変わろうとしている事を――。




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