私を断罪したのはあなたですよね?
パンパン! と手を叩く音が高らかに鳴り響いた。
軽快な音楽を奏でていた楽団は一斉に動きを止め、招待客たちは手を叩いた張本人に注目する。
そう、私の目前で決め顔でポーズをつけている王太子クレマン・ボランに――
「マリーズ・セリエール! 君のような女性は未来の国王たる私の妃にはふさわしくない。今このときをもって、婚約は破棄する!」
力強く断言したクレマンは、爽やかの権化のような金髪碧眼の美青年。誰もが敬愛する素晴らしい王太子様。
だから建国記念祭のパーティーでこんな常識外れな行動をしても、誰も咎めない。オーディエンスは「ほほう。これはこれは」「ついにですか」なんて言いながら、ちらちらと私を見るだけ。
でもね、おかしいと思わない? 婚約者がいる王太子には、別の令嬢がゼロ距離で寄り添っているのよ?
とんでもなく非常識で不義理な行為でしょ?
だけど、私にはそんなことを主張する必要なんてない。もちろん、クレマンに抗議する気も皆無だ。
いずれ私が断罪されることはわかっていたし、むしろ待ち望んでいたのだから。
私が小説の悪役令嬢に転生したと気づいてから六年。
婚約成立回避も婚約解消もできず、歯痒い日々だったわ。
きっとゲームの強制力が強い世界なのね。
ただ、幸いなことに私の末路は命に係わるものではない。だからそこが救いではある。
もっともクレマンには不安は覚える。小説の世界ならともかく、現実では性格が合わない、赤い瞳が気持ち悪いという理由だけで婚約者をないがしろにして断罪するのだから。
恋は盲目というから、仕方ないのかもしれないけれど。
彼が愛する恋人、ラシェル・ジョフレ伯爵令嬢はピンク色の髪をして、どこもかしこも丸みを帯び、きゅるんとした目でふわふわ綿菓子みたいなんだもの。
いかにも弱そうで、クレマンはそんな彼女を守るのが自分の使命だと思っているのでしょうね。
「殿下の御心のままに」
私は静かに王太子の主張を受け入れ、膝を曲げて頭を下げる。
「君が虐げていたラシェルはね――」
「は?」
従順な私に投げ掛けられた意外な言葉。
驚いた私が反応するよりも早く、斜め後ろから怒りに満ちた低い声が聞こえてきた。
護衛騎士のレナルドだ。
『お願いレナルド、黙っていて』
私と彼だけに通じる会話魔法で言葉を飛ばす。すぐに不機嫌そうな声で『わかった』と返ってきた。
よかった。レナルドは私のことになると沸点が低いんだもの。
それにしても、クレマンは今なんて言ったの? 私がラシェルを虐げていたですって?
そんなことはしていないわ。悪役令嬢のフラグを立てないようにしていたのだから。
でもこれは小説どおりの展開よね。となると、考えられる理由はふたつ。
クレマンは世界の強制力でそう思い込んでいる。でなければ、クレマンに嘘を吹き込んだ人間がいる。このどちらかよ。
前者ならいいけれど、後者だったら王太子の資質を問われる問題だわ。
まあ、私にはもう関係ないことだけど。
いずまいを正して、クレマンの次の言葉を待つ。
「君が虐げていたラシェルは、私の命の恩人なんだ!」
私の内心を知らないクレマンは、どうだとばかりに声を張り上げた。小説のヒロインであるラシェルは恥ずかしそうに頬を染めて俯いている。
でも、なるほどね。
ひっかかる前半部分はひとまず置いておいて。二人が出会うきっかげは王太子の危機だった、と。なかなかにロマンチックね。
私はここが小説の世界だと知っている。けれど内容の知識はほとんどない。たまたまSNSで流れてきた紹介PVを流し見したことがあるだけなんだもの。
だから元庶民の伯爵令嬢ラシェルと階級社会にがっちり組みこまれているクレマンが、どうやって知り合ったのかは気になっていた。
この様子だとそのあたりをクレマン自らが語りそうだわ。
『なあ、お嬢。浮気男の話を聞かなくちゃいけないのか?』
また背後からレナルドが会話魔法で話しかけてくる。
『いいじゃない。本人たちは純愛のつもりなんだし、最後に聞いておきましょうよ』
『ちっ』
レナルドったら、舌打ちしているの? お行儀が悪いのだから。
「あれは六年前――」クレマンが語りだす。「私は諸事情があり変装をして城下に出ていた」
ふむふむ。六年前といえば彼も私も十二歳。ちょうど婚約が成立したころね。
「ところが護衛たちとはぐれたうえに、とある教会の裏手にある池に落ちてしまった」
んん? 池に落ちた十二歳の男の子? しかも教会の裏?
なんだか……
「周囲にひとけはなく私は死を覚悟した。だが溺死寸前の私を、自分の命の危険をかえりみずに助けてくれた天使がいたのだ! その天使こそがこのラシェル!」
クレマンは顔を輝かせてラシェルを見つめる。
『それってお嬢が助けたやつじゃないか?』
レナルドが呟いた。
『私が見知らぬ男の子を助けたのは、六年前だった?』
『ああ。俺がお嬢に引き取ってもらってすぐだから間違いない』
『……でもあの子は金髪碧眼ではなかったし、同じようなケースがたまたまあっただけよね、きっと』
あの事件はよく覚えている。いつもどおりにお忍びで出かけた帰りのことだった。偶然、池で溺れている男の子を見つけた。周囲には人影はなく、レナルドも私の忘れ物を取りに行っていておらず、かといって助けを求めに大人を呼びに行く猶予もなさそうな状況で。
私は咄嗟に池に飛び込んで、死に物狂いで男の子を引き上げた。そして前世の知識を駆使して、飲んだ水を吐き出させて心臓マッサージをして。『なんとか息を吹き返したかな』というタイミングでレナルドが戻ってきた。
『確かに外見は違うけどな』と、レナルド。『変身魔法が使えれば、簡単に変えられる』
そうよね。裏に池がある教会は都で一ヶ所だけだし、そうそう男の子が溺れているなんてないでしょうし。
となると――。
私は少年を助けたけれど、彼が意識を取り戻す前にその場を離れた。少年は明らかに貴族か裕福な家庭の子供で、関わり合いたくなかったから。そしてちょうどこちらに来る人の気配を感じたから。
だから私のあとに少年――クレマンを助けたのがラシェルならば、だいたいの筋は通る。
その場合ラシェルは居合わせただけなのに、『助けた』と嘘をついていることになってしまうけれど。
『たいした嘘つきだな、あのラシェルってやつは。本性をばらしてやりたいな』
レナルドが会話魔法でため息をつく。
『やめて。推測でしかないし、そんな必要はないわ』
クレマンは嬉しそうな顔でラシェルの思い出話を滔々と語っている。当時はその時限りで縁が切れたけれど、最近になって再会しただとかなんだとか。
それからすぐにクレマンの話は、王太子の命の恩人である素晴らしいラシェルに私がしたという非道な行いの数々を糾弾する内容になった。
もちろんどれもこれも、まったく身に覚えはない。だけど証拠があるのですって。不思議なことがあるものなのね。
とにかく糾弾の内容があまりに退屈で、あくびが出そうになったとき――
「ああ、殿下。不出来な娘で申し訳ございません」
そんな声とともにお父様が姿を現した。お父様は大の煙草好きだから、きっと今まで喫煙室にいたのだろう。娘にまつわる騒ぎを聞きつけて、ようやく馳せ参じた、というところね。
そんな父は私を一瞥することもなく、突然の宣告をした王太子に慇懃に謝罪し始めた。となればこのあとは――
「マリーズは即刻セリエール公爵家から除籍いたしましょう」
ああ、やっぱりね。そうなると思っていたの。お父様は冷徹で家族は自分の駒だと考えているひとだもの。私のことなんて、簡単に切り捨てるだろうと思っていたわ。
「それがよかろう」
父の提案に陛下がおもむろに頷いた。そして――
「私も父上の意見に賛成です。弱者に鞭打つような悪女に慈悲はいりません。平民・マリーズは国外追放、いっさいの財産分与は認めないというのがよろしいでしょう」
クレマンが爽やかな声で言い放つ。
それに父や陛下が賛同し、私、悪役令嬢マリーズ・セリエールの庶民落ち国外追放エンドは確定したのだった。
◇◇◇
「いやあ、本当にお嬢が言ったとおりになったなあ」
しきりに感心しているレナルドは、私を見て「実は魔女だったりして?」と軽口を叩いた。
「誰が魔女よっ」
素早くツッコミを入れると、レナルドは明るい笑い声をあげた。
でもはたから見れば楽しそうな様子の私たちは、ただいま追放の途上だ。
昨晩断罪されて、今朝早くにお父様によって屋敷を追い出された。昨晩中でなかっただけマシだけれど、肉親とは思えない冷徹さよね。
とはいっても想定内ではあるから、いつでも旅立てるよう準備はできていた。
私たちは見張っている監視員を『庶民落ちして身一つで王都を追われた』と納得させるため、それぞれ旅行鞄をひとつだけ持ち、簡素な旅装で大通りを歩いている。これから乗合馬車に乗ってとなりの街へ移動する。
追放で唯一の懸念がレナルドの同行を咎められないかだったけれど、杞憂だった。さすがに元公爵令嬢のひとり旅は危険だと『公明正大なヒーロー』が気遣ってくれたみたい。
きっと元婚約者の見るに堪えない死体が見つかっては、世間体が悪いからでしょうね。
でも実は、私はひとり旅をしたって問題はない。自分が悪役令嬢だと知った日から、とある魔術師に師事して隠れて魔法を研鑽してきた。
そこで出会ったのが三歳年上で、庶民出身ながらとんでもない魔力の持ち主であるレナルドだった。しかも彼は身体能力も高い。
両親を亡くし天涯孤独だという彼をセリエール邸に引き取ってからわずか一年で剣術を極め、騎士の称号を得てしまった。
だから彼も私も、よほどのSS級魔術師に襲われでもしない限りは安全に旅をできる。
むしろわたしたちふたりが揃うと最強と言っていい。世間には魔法が使えることをいっさい明かしていないけれど、師匠のお墨付きだから間違いない。
だから旅なんてまったく怖くない。
私はレナルドの軽口に、ふと思いついたことを言葉にする。
「もし私が魔女だったなら、うまく断罪を回避できたかしら」
「かもな」レナルドは大きくうなずいた。「ああ、あのクソ王太子。本当にムカついた。王子のくせにどこに目がついているんだ。お嬢があんな矮小な悪事をするわけがないだろうが」
「待って。それだと巨大な悪事はしていそうに聞こえるわ」
「旦那様たちからすれば悪事していたって言えると思うが?」
「悪政を正しただけよ。こっそりと」
これまた、自分が悪役令嬢だと知ったときからやっていたことのひとつだ。
私の父親であるセリエール公爵は、犯罪には手を染めていない。けれど選民思想の持ち主で、平民は貴族に搾取されて当然との考えの持ち主だった。
それは前世庶民だった私には、とうてい受け入れがたいもので。
ちょこちょこっと、邪魔をした。
でもお父様だって、私のことを手駒として考えていないのだからおあいこよね?
「お嬢は世間に知られれば、勲章もののことをいくつもしているのになあ」
呆れたようにため息をつくレナルド。
「大袈裟よ。私は自分の納得がいくように動いただけ」
でも私のこういう性格が、クレマンは嫌いだった。はっきりそう言われたわけではないけれど『女のくせになぜでしゃばるのか』と腹を立てていたみたい。
それと彼が嫌うもうひとつが、私の赤い瞳。「まるで血のようで薄気味が悪い」とあちこちで愚痴をこぼしている。
レナルドなんて「ピジョンブラッドルビーのようで綺麗だ」と褒めてくれているのにね。
「そんなことよりもレナルド、自分はどうなのよ? あちこちからお誘いが来たのでしょう?」
レナルドは見目麗しい。軽い口調とはかけ離れた王子様的容貌で、髪は燃え盛る炎のように赤く、魅惑的(本人談!)な瞳は濃緑色、そしてスラリとした身体をしている。
騎士としては細身なのに、昨年初出場した御前試合では近衛騎士を負かして優勝し、王宮中を驚愕させた。
そのため以前からレナルドには、破格のお給金での騎士やら護衛やら愛人やら結婚やらのお誘いが絶えない。
「言っているだろ? お嬢といるのが一番面白い」
レナルドがにかりと笑う。
「なにしろ初対面で俺を蹴り飛ばした令嬢だからな。魔法を教わりにきたのに、体術で挑んだ変わり者」
「しょうがないじゃない。使える魔法はまだろくになかったんだもの」
私が師事した魔術師は、弟子をとらない主義だった。そんな彼に唯一いた弟子が、レナルドで。『身寄りがないことが気の毒に思えた』というのが迎え入れた理由だという。
だから両親とも健在で貴族の私は絶対に弟子になんてしないと、師匠は拒んだ。
だけどどうしても師匠の弟子になりたかった私は、彼の一番弟子を負かしたら採用してくれと一方的な約束をして、レナルドに勝負を挑んだ。
そして師匠とレナルドが魔法勝負だと思い込んでいるところを、前世で習得した空手の中段回し蹴りで不意打ちをして、レナルドに勝ったのだ。
あれから六年。レナルドと私は同じ師から魔法を学んだ学友であり、ともに育った兄妹でもあり、婚約解消を企む共犯であり、こっそり立ち上げた会社の共同経営者であり。
そして誰よりも気の置けない親友としてずっと一緒にいる。
「あれ、師匠だ。なにしているんだ?」
レナルドが私たちの進行方向を指し示す。そちらを見れば、大広場の噴水前に私たちの魔法の師匠がいた。
かつて『伝説』とまで言われた最高レベルの魔術師アンゼルム・ブライス。
その名声は遠い他国にまで及んでいたけれど、先代国王と袂を分かち宮廷魔術師を辞したのと同時に隠居。
魔術師として仕事をすることもなく、弟子もとらず、ひたすら趣味の観劇だけに没頭している偏屈お爺さん……
「おお、マリーズ、レナルド、ようやく来たか。待ちくたびれたわい」
白く長いひげをたくわえた師匠が、人込みの中で手を振りながら機嫌よく笑っている。
昨晩、レナルドと私は王宮を辞したあとに師匠の元へいって、経緯の説明と別れの挨拶を済ませた。
なのにここに来ているということは、もしや。
「師匠、お見送りにきてくださったんですか! オペラハウスに行く以外は一切外出しないくせに」
出不精で人嫌いの師匠が……と感激していると、師匠の笑みが微妙に変化した。
「可愛い弟子たちとしばしの別れとなればの。ついでに詫びもある」
「「詫び……?」」
レナルドと私は顔を見合わせた。師匠がこんなことを言うときは、たいていろくなことがない。
「やはりのう、わしが手塩にかけて育てた弟子がバカにされたままでは、腹の虫がおさまらんのよ」
「いや、お嬢と俺が師匠の弟子だなんて誰も知らないじゃないっすか」
「それはそれ。ということでの、わしの名前をきちんと出して、王太子に婚約祝いを贈っておいた」
いたずらげな表情の師匠。
「いったいなにを贈ったんですか」
「うむ。聞いて驚け。ラシェル・ジョフレの過去を映す鏡だ。今頃彼女が語った功績・被害がすべて嘘だとわかり、王宮中が大騒ぎになっておるんじゃないかの」
またレナルドと私は顔を合わせた。そんなにすごい魔法があるとは信じられない。けれど師匠ならできそうな気もする。
「で、師匠、『詫び』ってのはなんです?」
レナルドの質問に、私もそうだと思い出す。
「うむ。それはな――」
師匠が口を開きかけたとき、猛スピードでこちらに向かってくる馬車の音が聞こえてきた。
何事だろうと思う間もなくそれは姿を現して、私たちの目の前で止まった。
中から血相を変えたクレマンが転がり出てくる。その勢いのまま突進してきたかと思うと、勢いよく私の両手を握りしめた。
「命の恩人は君だったのだな! なんて申し訳ないことをしてしまったんだ!」
「「は?」」
レナルドと私の声が重なったけれどクレマンは構わず話し続ける。
「君が助けてくれるのを、ラシェルは物陰から見ていただけだったんだ! そして君たちが去った後に何食わぬ顔で私を助けたふりをした! とんでもない卑劣な女だ!」
「予想以上に最低女だった!」
レナルドは声を上げて笑うと、瞬時に表情を変えてクレマンの手首に手刀を入れた。
「なにをするっ!」
「そっちこそお嬢になにをする。もう婚約者でもないのに、断りも入れずに触るなんて失礼にもほどがある。それとも王太子殿下は女好きのくずなのか?」
クレマンがことさら『王太子殿下』を強調したせいか、あきらかに周囲の空気が変わった。騒ぎを遠巻きにしていた野次馬がざわざわとし始める。
「違うんだ!」とクレマンは焦った顔で声を張り上げる。「きのうのことは、なかったことにしてほしい。婚約は解消しない。やり直したい!」
「寝言は寝て言えよ」
「君はそんなことは言わないよなっ」
クレマンがすがるように私を見た。
「殿下。むしろどうやったら、そんなにてのひら返しができるのですか?」
「ラシェルの話はすべて嘘だった! 君にいじめられたというのは自作自演。私のために刺繍したというハンカチはステラというブランド品」
『お嬢が設立した、女性自立のためのブランドじゃん』
『そうね。庶民向けのお値段設定だから、まさか貴族社会に出回るなんて思わなかったわ』
レナルドと私はそっと肩をすくめあった。
師匠はわかっていたのかニヤニヤ顔だ。
そんな私たちの反応に気づかず、クレマンは続ける。
「それから孤児向け寺子屋教室の設置――」
あら。これも私がやったものだわ。
「貧民街で流行しかけた伝染病の早期封じ込み――」
対策を考えたのも、特効薬のレシピを考案したのも私ね。
「カードゲームをしながら片手で食べられる、総菜を挟んだパンの考案――」
サンドイッチも確かに私が自分の会社で始めたわね。
「王都全域をカバーする水路システム故障の復旧――」
庶民エリアの復旧に政府の腰が重くて仲良しさんたちが困っていたから、師匠とレナルドと私で魔法を使ってこっそり直したやつね。
「家事をする女性向けの便利な魔道具の新商品の数々――」
私もたくさん開発して、自社でたくさん売ったわね。
「そして魔獣侵入を阻む結界具の素晴らしさといったら! あれで軍のあり方を変えたぐらいだ」
結界具は私が考案した魔道具の中でも、最高傑作のやつだわ。
そんな大層なことになっていたの。まったく知らなかったわ。クレマンにも政治にも興味がなかったから。
「ラシェルが自分の功績だと言っていたものは、すべてマリーズの功績だった!」
「え、待って。今の件すべてで彼女は嘘をついていたの!?」
「全部、お嬢の成果じゃん」
あまりの衝撃に、思わず絶句する。
これは、なかなかにヘビーな案件だわ。ラシェルのあくどさは相当なものじゃない。
『お嬢、もしかしたら』とレナルド。『あのラシェルって伯爵令嬢も前世の記憶があるんじゃないのか? で、王太子池ポチャ事件でお嬢に目をつけてさ。じゃなきゃお嬢の功績を全部把握して横取りできているなんておかしい』
『なるほど。どのみち――っ!』
レナルドとの会話魔法に意識を向けていたら、またもクレマンに手を取られてしまった。すかさずレナルドに手刀を入れられて涙目になっていたけれど。
それでもクレマンは、私にすがるような目を向けてきた。
「どうか私を許してほしい。私は君を完全に見誤っていた。なによりあの日あの時、池で私を助けてくれた人が私の理想であり女神であるんだ。どうか婚約破棄はなかったことにして――」
「ムリ」
クレマンはなにを都合のいいことを言っているのよ。呆れてしまうわね。
しかも。言下に断ったことがショックだったみたい。クレマンは驚愕の表情で固まっている。
「我が国が誇る麗しき王太子殿下」
私はことさら丁寧に言葉を紡ぐ。
「私に一方的に婚約破棄をつきつけ、反論する時間も与えずに国外追放を言い渡したのは、殿下ですわよ? どうして私があなたの元に戻るなどという、ふざけた夢を見られるのかしら」
「ほんと、それな」
レナルドと師匠がうんうんとうなずいている。
「そ、そんな酷いことをいわないでくれっ!」
クレマンがまたも私に触れようと迫ってきたから、ギリギリのタイミングで身をよじって避ける。
目標を失ったクレマンは無様に転倒した。そのまま私のスカートにしがみつく。
「酷いのはどちらでしょうか。私の赤い瞳を忌み嫌い『悪魔の目』と陰で蔑んでいたのも知っていますわよ?」
「す、すまなかった! 何度でも謝るからっ。君の頭脳と行動力は私の妃にふさわしい。というか予言によると、私は君を妃に迎えなければ破滅するのだ! だから――」
「もう一度だけ言いますわね、殿下。なんの落ち度もない私を断罪したのはあなたですよね?」
「マ、マリーズ、後生だからっ!」
クレマンが必死に私のスカートにしがみつくのを、レナルドが蹴り飛ばす。
「次にお嬢にふれたら、その汚らわしい手を剣でたたき落とすからな!」
「私は王太子だぞ!」
「だからなんだ。お嬢はなあ、すでにトゥルニエ帝国王太子が第一王子の妃に内定しているんだよ」
まあ、レナルドったらたいそうな嘘を思いついたものね。
トゥルニエ帝国といったら、国力も兵力も我が国の何倍もある強大な国だ。
国交は少なく謎に包まれた国だけど、師匠の若くして亡くなった奥様がトゥルニエ出身だった。
だからレナルドはそんな大嘘を思いついたのかしら。
ふと師匠を見れば、なにやら満面の笑みでレナルドを見つめている。
とりあえずここはレナルドに話を合わせるとして。
私はぎゃあぎゃあ抗議をしているクレマンを一瞥してから、くるりと背を向けた。
「相手をするだけ時間のむだよ。行きましょう、レナルド。それから偉大なる魔術師様。馬車の停留所まで、うるさいコバエから私たちを守ってはいただけないでしょうか」
「お受けいたしましょうかの、お嬢さん」
師匠がわざとらしく答えて、先頭に立って歩き出した。すぐに背面のスカートに重みを感じた。クレマンがしがみついたのだと、見なくてもわかる。
「邪魔ですわ」
「ふぎゃんっ!」
私が文句を言ったすぐあとに、クレマンが情けない悲鳴をあげて地面に転がった。やったのは師匠だ。
レナルドも私も魔法を使えることを隠しているから、師匠に護衛を頼んだのだけど。まだなんの説明もしていないのに、師匠は察してくれたらしい。さすが我が師匠。
それから私たち三人は師匠の結界魔法に守られながら和やかに停留所に向かい、なにごともなく乗合馬車に乗り込んだのだった。
◇◇◇
ガタゴトと揺れる乗合馬車の中で、レナルドと私は車体に身体を寄せるようにして向かいあってすわっている。
馬車は満員で見知らぬ人々がいるから、私たちは魔法で言葉を口に出さずに会話をしていた。
『師匠ったら、めんどくさい餞別をくれたものね』
まさかここにきてクレマンが私と結婚したがるなんて。
『いいんじゃないか? 俺もお嬢が不当な評価を受けたままは嫌だったし。お嬢が事を荒立てるなってうるさかったから、我慢してただけだぞ?』
そう言うレナルドは、確かに不満そうな顔をしている。
『だってどう思われようと、この国に未練はないから気にならないのだもの』
師匠や庶民の仲良しさんたちとのお別れはさみしい。
けれど貴族社会に私の居場所はなかったし、無理に作るつもりもなかった。王太子と仲が冷え切った婚約者なんて、侮蔑の対象だったから。だから離れられてせいせいしたという気持ちのほうが大きい。
『会社もボランティア組織も信頼できる部下に譲ってきたし。私はレナルドが一緒ならば、どこにいても楽しいわ。貯金がたくさんあるのだから、しばらくはのんびり諸国漫遊を楽しみましょうよ』
『俺が一緒ならば、ね』
なにが嬉しいのか、レナルドが相好を崩す。
「ところで、これはなにかしら」
声に出しつつ、師匠が別れ際に渡してくれた包みを開く。中から出てきたのはトゥルニエ帝国帝都のガイドブックだった。
「どうしてこんなものを? 師匠の奥様の故郷に行ってこいということかしら?」
私たちは行き先を決めていないし、今までにトゥルニエ帝国に行きたいと言ったこともないと思う。
「そうなのかもな。じゃ、行き先はトゥルニエ帝国で」
「もっと近場からにしましょうよ」
「どこだって同じだろ。どうせ――」
『隣街からは転移魔法で移動するんだから』
レナルドが会話魔法に切り替える。
この魔法は彼と私のふたりだけで開発したから、使えるのも私たちだけ。誰にも聞かれたくないことを話すのにうってつけの魔法なのだ。
『でも座標を知らないもの』
転移魔法を行うには転移先の座標を知っているか、その場所を明確にイメージできるかのどちらかが必要だ。
だけど私はトゥルニエ帝国についてはほぼなにも知らないし、訪れたこともない。
『俺が知ってるから問題ない』
『そうなの? どうして?』
今までレナルドがトゥルニエ帝国の話をしたことなんて一度もなかったはず。
なぜ知っているのか気になったけれど、レナルドは答える代わりにあくびをした。
『悪い。きのう徹夜だったから眠い』
『そうなの?』
昨晩は急な追放に対応するため、レナルドも私も忙しく動いていた。けれど夜中には就寝できたはずなんだけど。
『ちょっとな。個人的な対応があったから。ま、お嬢はのんびり覚悟を決めておいて』
『え、なにがあったの? それに覚悟って?』
だけどレナルドから返事は返ってこなかった。腕を組み、目をつむっている。よく見れば彼の目の下にはうっすらとクマがある。
本当に『個人的な対応』とやらをしていたらしい。
レナルドは私のすべてを知っていて、私もレナルドのすべてを知っていると思っていた。だけど、どうやらそうではなかったみたい。
トゥルニエ帝国のことも覚悟の意味もわからないし、なんとなくもやもやする。
でもレナルドが起きたら尋ねればいいだけのこと。
そう気持ちを切り替えて、ガイドブックを読むことにした。
◇◇◇
何度も転移魔法を重ねて移動をして。
レナルドに『これで最後の転移だ』と言われて出た先は、はるか遠くに雪をいただく山々を望み、眼下には素晴らしいバラの庭園が広がる優美なバルコニーだった。
「ここは……まさか宮殿?」
庭園の規模やそこに見え隠れする見張りの騎士、バルコニーや建物の壮麗さからすると、宮殿としか思えない。
でもどうして、こんなところに出たのかしら?
「そ、ここはトゥルニエ帝国の皇城だ」
レナルドはこともなげに言って、にかりと笑った。
「こ、皇城って! どうしてそんなところに侵入したの! というか侵入できたの? 普通こういうところは強固な結界が……!」
「実家だから俺はフリーパス」
「じ……?」
え、実家ってどういうこと?
戸惑っている私の耳に「ああっ、殿下が女性とーー!!」という叫び声が聞こえた。
声がしたほうに目を向けると、庭園の騎士のひとりがこちらを指さしながらわなわなと震えていた。
「本当に帰ってきたんですね!!」
「よっ、ルーカス、昨夜ぶり」
気軽に答えるレナルド。
――今、レナルドは殿下と呼ばれていたわよね?
騎士は「報告だ!!」と叫びながら走り去る。
「あの、レナルド?」
「うん、お嬢ならもう察したと思うけど、俺は『トゥルニエ帝国王太子の第一王子』ってやつ。本名はアナトール・レナルド・トゥルニエ。黙っててごめんな」
「ちょっと、待って。混乱してる……」
片手で額を押さえつつ、レナルドの視線からそっと逃れる。
ええと?
レナルドが孤児だというのはきっと嘘で。なぜか師匠の元で弟子をしていて。
どうしてか私の誘いに乗って、私の側仕えとしてセリエール家で働いていて。
けど、本当は帝国の王子様?
なによりレナルドは、クレマンになんて言った?
『お嬢はトゥルニエ帝国の王太子が第一王子の妃に内定している』って言ったわよね。
あれってどういう――
「お嬢」
レナルドが額に添えていた私の手を取り、顔をのぞきこむ。
なんだか腹が立つくらいにいい笑顔をしている。
「好きだ。結婚してほしい」
「……っ!」
どうしてなのか、私の鼓動がドキンと跳ね上がった。俯いて彼の視線からまた逃れる。
「で、でもレナルドと私はそういうのじゃないでしょ? 親友で学友で共犯で……」
「そこに夫婦が増えても問題ないだろ?」
「そ、それは……」
どうなのだろう。わからない。
だってずっとレナルドは私の一番大切な友人だった。異性だと意識したことはない。
レナルドはレナルドだもの。
「じゃあ聞くけど、もし俺がほかの女と結婚したらどうだ?」
レナルドが結婚?
彼を見ると、またも腹立つくらいに優しげな笑顔を浮かべている。
「好き嫌いにかかわらず、俺は妻を優先せざるを得ない。お嬢に会えるのは一日に何時間もない。もしかしたら会えない日もあるかもしれない。俺のとなりはお嬢の場所じゃなくなり、代わりにぽっと出のどこの馬の骨ともわからない令嬢の場所になる」
「……そんなのは嫌だわ」
「だろ?」
「……考えただけで胸が潰れそう」
「潰れないさ。俺はお嬢しか妻に迎えるつもりはないから」
レナルドの指がそっと私の目元に触れる。離れたとき指には雫がついていた。
「これって私はレナルドが好きということかしら?」
「そう。お嬢は俺を大好きだと思うぞ? もう一回聞くな?」
レナルドが笑みを深くする。
「お嬢。初めて会ったときから、俺はずっとお嬢に夢中だよ。俺と結婚してほしい」
「初めて会ったときって、私があなたを蹴り飛ばしたときじゃない!」
「あの強烈な一撃で虜になったんだ! だって可憐な女の子がスカートを翻して、まわし蹴りをかましてきたんだぞ?」
「蹴りが良かっただなんて、ただの変態だわ」
思わず笑いがこぼれる。
レナルドも楽しそうに笑っている。
その顔を見て、自然と『好き』という想いがあふれだした。
「レナルド。結婚の申し込みを受けるわ」
「まあ、はなからそれ以外の選択肢をお嬢にやるつもりはなかったけどな!」
腰に手を回されて、レナルドに抱き寄せられる。
こつんと触れ合う額と額。
「ちなみに昨晩中に爺さんにも両親にも、今日結婚相手を連れてくるって報告済み」
「それって――皇帝陛下と王太子殿下夫妻?」
「大正解」
レナルドが微笑むのとほぼ同時に、庭からワッと歓声があがった。いつの間にかたくさんの騎士が集まって、私たちを見上げている。
「あ、ほらあそこにいるのが両親」
レナルドは指さし説明したかと思うと、私を抱き上げた。
驚いた私は思わず彼の首にしがみつく。
「刮目せよ! アナトール・レナルド、ついに愛しい人を手に入れ戻ってきたぞ!!」
庭園に集まった人たちがさらに沸く。
レナルドは六年は王宮を離れていたはずなのに、なんだかすごく盛り上がっている。
みんなに愛されているのかもしれない。
さすが、私のレナルドね!
私も嬉しくなって、さらにレナルドにしがみつく。
レナルドが私を見てにっこりとしてから、唇を重ねてきた。
ああ、なんだか胸の奥が弾んでいる。
そうね、今まで気づかなかったけれど、私はレナルドがものすごく好きなのだわ。
◇◇◇
六年前。レナルドが師匠のもとにいたのは、伝説の魔術師にどうしても師事したかったかららしい。師匠の奥様の伝手を頼り、皇族という立場を最大限に使って弟子入りしたのだとか。
それから半年もしないうちに私が現れて。蹴り飛ばされたレナルドの目標は、少しばかり変わった。
伝説の魔術師のもとで魔法極めつつ、初恋相手を振り向かせる。
そのためには皇族から除籍されて構わないと考えていたそう。
さすがレナルドというか。思い切りが良すぎるわ。大好き!
「いや、確かにアナトール殿下は魅力的かもしれないけれど。やっぱり生まれ故郷のほうがいいと思うんです。どうぞ戻って私と結婚してください」
トゥルニエ皇城の、バラに溢れた庭園の一角にあるガゼボ。レナルドと私はここでティータイムを楽しんでいる。
そしてガゼボのすぐ外ではクレマンが正座し、頭を地面にこすりつけていた。
彼は王太子を降ろされ、その上私を妃に迎えない限りは王族からも除籍されるのだという。
どうしてそうなるのかはよくわからない。レナルドは『世界の強制力ってやつじゃないか』と推測している。
私がなにも知らずやった数々のことが、本来ならヒロインがすることで。それらのせいで、私がヒロインと世界に認識され、クレマンはヒロイン《私》とのハッピーエンド以外を迎えることができない。でなければ悲惨な末路なのではないか、と。
真実はわからないけれど、もちろんクレマンへの私の答えは決まっている。
「むり。私を断罪したその口で、薄気味の悪いことを言わないでくださいな」
「……で、でもっ……うっうっ……」
あらやだ。ついに泣き出してしまったわ。
『レナルド。どうしてこんな人を城内に招きいれたのよ!』
『俺たちのラブラブっぷりを見せつけたかったから』
悪びれもなくそう言うと、レナルドは私の頬にキスをした。
それだけじゃない。レナルドは私を自分のひざの上に座らせて、私を抱きかかえるようにしている。しかも私は手ずからクッキーを彼の口に運んでいるし。
かなり痛々しいお馬鹿な恋人同士だけど、レナルドはこれをするのがずっと夢だったらしいから仕方ない。私もレナルドが喜んでくれると、とても嬉しい。
『でももう十分でしょ。彼が来て二日よ』
そうか、とうなずくレナルド。
「おいクレマン。さすがに気の毒になってきたよ」
バッとクレマンが顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃの顔は期待に輝いている。
「王族を除籍されたら、うちに来るといい。従僕見習いの枠がひとつくらいは空いているだろう」
絶望の表情になるクレマン。
ちなみに、転落人生になってしまったのはクレマンだけではないみたい。
嘘つきラシェルは平民に戻され国外追放になったとか。
私に冷淡だったお父様は、煙草の火の不始末でなんと王宮を半焼させてしまったらしい。爵位は剥奪され、財産は多少は残っているものの、社交界からははじき出されたという。
「じゃ、そろそろお家へ帰りな」
レナルドがそう言い終えると、クレマンの姿が消えた。彼が転移魔法でどこかに送ったのだろう。
「これで邪魔者はいなくなったぞ、マリーズ」
「自分が楽しんでいたくせに」
「あの間抜けがマリーズを不当に扱ったぶんぐらいは、仕返しさせてくれよ」
またもレナルドが私のほほにキスをする。
――彼はトゥルニエの皇城に来た日から、私を口では「マリーズ」、会話魔法では『お嬢』と呼び分けるようになった。
彼にマリーズと呼ばれると、慣れなくてなんだかむずがゆい気がするけれど、嫌いではない。
もちろんお嬢呼びも大好き。
「レナルドって私を好きすぎないかしら?」
「まだまだ、こんなものでは愛情表現が足りないが?」
レナルドが優しくキスをしてくれる。
いくら彼が私を大好きで、陛下や王太子夫妻が歓迎してくれていても、よそ者の私がレナルドの妃になることに不満がある人は山といる。
この皇城での暮らしはきっと大変なものになるに違いない。
だけど心配はしていないの。
私はレナルドが一緒にいてくれれば、どこにいても楽しいもの。
断罪劇はうまく回避したし、出不精で人嫌いの師匠も私たちの結婚式には参列してくれるという。
「とても最高よね」
私はレナルドと視線を合わせて微笑むと、彼にお返しのキスをした。
《おしまい》
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