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第8章:いつか、許せる日が来たら(6)

 非常灯の薄暗い明かりだけが照らされる階段に、ソル・スプリングの足音ひとつが響く。

 ここに来た時には、みんないた。

 タマ。ルナ・オータムとシエロ・サマー。佐名和愚連隊のみんな。みんなみんな、千春をリーデルのもとへ行かせるために、踏みとどまった。

 みんな、大丈夫だろうか。怪我はしていないだろうか。

 そして思考は自然と、大好きな人のところへたどりつく。

 克己は無事だろうか。リーデルが幼なじみをどうするつもりかはわからない。彼のアミクスだったカレンと、結果的にそれを奪った洋輔の子である、千春が好きな相手だと知ったら、克己がなにをされるかわかったものではない。

 最悪の事態を考えれば、歯がかちかち鳴る。目の端に涙がにじむ。

 無事を祈ることしかできない自分をもどかしく思いながら、踊り場に貼られた階数表示がついに十階まで来たことを示す。

 十階は町長はじめ、佐名和町の職員でも、ごく一部の選ばれたものしか入れない。フリーマンが人間社会にまぎれ込むには、うってつけの場所だ。

 しかし、町長室だけかと思った最上階は、いくつもの部屋と、入り組んだ廊下が占めていて、そう簡単に目的地には着かせてくれそうにない。あせって周囲を見回した時。

「案内が必要か?」

 突如横からかけられた声に、ソル・スプリングはびっくうと、飛び上がりそうなほどに身をすくませてしまった。

 おぼえのある声だったので振り向けば、予想通り、青い鱗に覆われたフリーマンが、「よお」とのんきに手をあげる。

 警戒心丸出しで『シュテルン』をかまえるソル・スプリングに、

「まあ、待てよ。話を聞く余裕くらい持てってんだ」

『うお座のイクスィス』は、両手を前に突き出して、『待て』の意を示した。

「もうお前と戦う気はないぜ。俺のアミクス候補に傷をつけるほど、俺は非情なやつじゃあない」

「誰が、そんなことを信じると思う?」

 戦いの姿勢を解かないまま、ソル・スプリングがにらみつけると、「そういう慎重なところも好ましいな」とイクスィスは笑って、親指で廊下の奥を差した。

「リーデル様……リーデルは、この先だ。お前の幼なじみもそこにいる」

 ソル・スプリングが驚きに目をみはるのを待っていたかのように、イクスィスは肩を揺らした。

「『敵に塩を送る』って言うんだっけか、こういうの? 恋敵が有利になるように取りはからうなんて、俺もニンゲンに混じって、ほだされたかねえ」

 どうやら彼の言うことに嘘はない、本心からの言葉らしい。ソル・スプリングは『シュテルン』を下ろし、ゆっくりと『うお座のイクスィス』の隣をすり抜ける。

「ありがとう」

 今出せる、精一杯の礼を口にすれば。

「恩はアミクスになってくれればいいんだがな」

 フリーマンはあごに手をやって、本気だか冗談だかわからないことを言う。

「それは無理」

「残念。でも、諦めないからな」

 イクスィスが諦めないように、千春は克己を諦めない。

 この平行線は絶対に近づかないことを感じながら、ソル・スプリングは奥へ進む。

 次第次第に、なにか曲がかかっているのが聞こえてくる。このピアノ演奏は、ベートーベンのピアノ協奏曲第五番『皇帝』だ。

『町長室』と札がかかった両開きの扉を、静かに開ける。演奏の音がさらに大きくなった。

「……来たか。カレンの息子。いや、今はもう娘だったか」

 想像していたより若々しい声が、ソル・スプリングを出迎える。展望窓に向かって座っていた人物の椅子が半回転し、こちらを向く。

「ようこそ、魔法少女ソル・スプリング。私がフリーマンの『皇帝ウアンディ』、リーデルだ」

 高校生ではないかと見間違うくらい若い姿をした男性が、執務机の上で手を組んで、その上にあごを置き。

 ゆうるりと、くちびるを三日月にかたどるのであった。

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