第7章:王子様を助けにいくのはお姫様の役目(3)
ああ、と。絶望のため息がもれる。見るのが怖いと思いながら、かたわらの克己を見上げる。
幼なじみは、唖然とした様子で口を半開きにし、イクスィスを見ていた。が、やがてのろのろと、千春のほうを向く。
彼がなにかを言う前に。かき消すように、千春は『シュテルン』をかざして、日本語ではない呪文を唱えた。
『来たれ、春の光。まとえ、咲きほこる花。ソル・スプリングの名のもとに!』
もう夏なのに、桜の花びらが舞う。涙の代わりのように。
ソル・スプリングに変身した千春は、もう一度克己を見上げる。変身すると、さらに身長差が出るのだな、と今さら気づいて、くすぐったい気持ちとともに、目の隙間が熱くなる。
克己が動くより先に。自分でけりをつけるとばかり、ソル・スプリングは蝶の羽根を背中にはやして、軽く砂を蹴った。
「やっと俺と遊んでくれる気になったか、アミクス!?」
「お前のアミクスじゃない!」
イクスィスが手のひらから生み出す泡を、ピンクの光の壁を生み出して消滅させる。フリーマンは舌打ちして第二波を浴びせてきたが、旋回するように宙を舞い、ことごとくを避ける。
そこから急降下。ルナ・オータムがそうしているように、『シュテルン』を直接イクスィスに振り下ろす。
ぽかんと軽い音を立てて、フリーマンを動物の姿に戻すと思っていた一撃は、しかし、かざした手から生まれる青い壁によって、さえぎられていた。
「熱烈だねえ」
イクスィスがひゅうと口笛を吹き、もう片方の手をのばしてくる。意外と強い力につかまれたら、逃れることはできない。即座に羽ばたいて身を引き、効くかどうかわからない、決め技の呪文を使おうとした時。
「ハアアアアッ!!」
裂帛の気合いとともに、克己がイクスィスに突撃した。いつかのようにぐっとえりをつかみ、今度は足払いをかける。
ソル・スプリングとの戦いに夢中になっていたフリーマンは、不意を突かれて完全に体勢をくずし、砂浜に無様にひっくり返った。
「千春!」
克己が叫ぶ。今この瞬間だけは、ほかのことを考えてはいけない。彼がくれたチャンスを逃してはいけない。
『放て、浄化の輝き。「自在なるもの」はあるべき姿に還れ!』
ピンク色の光が、砂浜にうつぶせになったイクスィスを直撃する。
「うおおおおおーーーーーっ!?」
その姿がみるみるうちに流線型を描き。
人間と同じ大きさのマグロに、手足がはえたような生き物が、呆然として立ち尽くしていた。
「えっ。正体それなの?」
思わず今までのあれやこれやを忘れて、素の感想がソル・スプリングの口からこぼれおちる。
「ええい、今日はここまでにしておいてやるぜ!」
マグロの口がぱくぱくと動き、ひとの言葉をしゃべる。もう色々と突っ込みを入れる間もあらばこそ。イクスィスは全力で海に向かって走ってゆくと、勢いよく飛び込み、意外にすいすいと泳いで、波間に消えた。
後に残るは、宙に浮かぶソル・スプリングと、呆然と見上げる克己の二人。
「千春……」
幼なじみの呼びかけに、びくりと身をすくませる。
なにを言われるのか。怒りの言葉か。侮蔑の罵倒か。それとも、親友であることをやめる宣告か。
聞きたくない。どれも聞きたくない。
その考えが脳を占めたソル・スプリングが取った行動は、ふいっと克己に背を向け、そのまま飛び去ることだった。
「千春! 千春!」
克己が大声で自分の名を叫んでいる。
幼い頃、遊んでいる時にはぐれると、いつも自分を呼んでくれた、真剣な声。
好きだった。大好きだった。
だから、もう、一緒にいられない。
『シュテルン』を持っていないほうの手で顔をおおう。
涙はもう、出なかった。




