第4章:ルナ・オータムは嵐を運んでくる(8)
時間は、ソル・スプリングが飛び立つ数分前にさかのぼる。
色とりどりの薔薇が花弁を開く緑地公園に、紅葉はたどりついていた。
いつもはウォーキングや犬の散歩を楽しむ人でにぎわう公園は、やけに静まり返っている。それもそのはずで、公園に来ていた誰もがその場で気を失って倒れ、意識を保っている人はいない。
その合間を、勝手知ったるように紅葉は歩き、噴水広場へ向かう。
やはり人や犬が倒れ込んでいるその中心に、ひとり、立っている者がいた。
いや、それは人間ではない。紅葉が確信するのを待っていたかのように、背を丸めていた小柄な相手が振り返る。
「ブブンブン、おーやおや」
その顔は、さながら蜂のよう。
「まだ気絶していないニンゲンがいたとは。この『蜜蜂のメリサ』の姿を見たからには、ただで済むとは思うまいブブブン?」
蜂顔の『自在なるもの』は、背中に蜂の羽根をはやし、ぶぶんと耳ざわりな音を立てる。しかし、紅葉はフリーマンを見てひるむどころか、にやりと笑みを浮かべ。
「ただで済まないのは、そっちよ」
掲げた右手でくるくるくる、とステッキを回す。
それは、ソル・スプリングが持つものに似た、赤い卵の先端を持っている。
『降りよ、秋の影。取り巻け、清涼なる風。ルナ・オータムの名のもとに!』
途端、春に似つかわしくない涼しい空気があたりに吹いたかと思うと、ぶわりと赤い光ともみじが紅葉を取り巻く。
それらがおさまった時、その場に立っていたのは、ソル・スプリングと雰囲気の似た、赤いドレスをまとう赤髪の少女。
「ルナ・オータム、推参!」
魔法少女に変身した紅葉は、赤い『シュテルン』を『蜜蜂のメリサ』に突きつけるように向ける。
「ブンブブン!? なんと!?」
「驚いてる間にやっつけるわよ!」
両手を掲げて驚愕を示すメリサに、ルナ・オータムは『シュテルン』をふりかぶって、なぐりかかる。
だが、敵もただの間抜けな蜂ではなかった。
「ブブン! 甘い甘い、花の蜜より甘いことよ!」
羽で空気を打って宙に舞い上がり、ルナ・オータムの渾身の一撃を避ける。
「くらえいっ、ブンブン!」
フリーマンが突き出した手から、甘ったるいにおいをともなった黄金色の液体が放たれる。はちみつだ。ルナ・オータムは巧みにそれをよけるが、はちみつは次から次へと放たれて、次第に足場を狭くしてゆく。
「あっ」
ほんの一瞬の油断から、ルナ・オータムははちみつを踏んづけて足を滑らせた。地面に広がったはちみつの池にあおむけに倒れ込み、そこにさらに、追いはちみつがかかる。べとべとになった体は、自由を奪われてしまった。
「ブンブブン! なーにがルナ・オータムだ!」
宙に浮きながら、メリサが腹を抱えて笑う。
「それにその変身能力。お前もフリーマンの血を引きながら、ニンゲンに味方する愚か者か!」
ルナ・オータムはくちびるをかんで答えない。それが答えだ。
「リーデル様のため、裏切り者は始末せねばな、ブブンブン!」
メリサの手から、今度は蜜蜂の群れが現れる。いくら魔法少女でも、蜂の大群に刺されたら、痛い、だけでは済まないだろう。ルナ・オータムがはちみつから逃れようと身をよじった時。
「――紅葉!」
元の名を呼ぶ声と共に、ピンクの光がはじけて、蜜蜂も、はちみつをも消し去った。




