第4章:ルナ・オータムは嵐を運んでくる(5)
そして放課後。
「千春!」
朗らかに自分を呼ぶ声は、いつもなら心躍るものである。しかし今は、どこか後ろめたい思いを抱えながら、千春はのろのろとこうべを巡らせた。
背の高い幼なじみが、並びの良い白い歯を見せた笑みで、教室に入ってくる。ホームルームが終わるなり、生徒たちは部活や塾へ向かって、教室内は閑散としている。クラスの違う誰かが入ってきても、とがめられることはなかった。
「どうしたんだよ、暗い顔して?」
千春の前に立った少年――克己は、いぶかしげに首を傾げ、それから苦笑した。
「ああ、昨日はさんざんだったもんな。びっくりするよな、あれだけのことがあれば」
千春の心臓がどきりとはねる。
あれだけのこと。
そういえば、電話では何も言わなかったが、克己は、おぼえているのだろうか。目の前で自分がソル・スプリングに変身したことを。タマには自分がソル・スプリングであることを極力知られるなと言われている。だが、克己に正体を知られて怖いのは、少女に変わったことで、「ますます男らしくない」と、克己に突き放されることだ。
ところが。
「目が覚めた時お前がいなくて、事故に巻き込まれたんじゃないかって焦ったけど、無事に帰ってて安心したよ。オレを置いて逃げたからって、気にしなくていいからな」
克己は再び屈託のない笑みをひらめかせ、大きな手でぽんぽんと千春の頭をなでてきた。
水道管事故だという『虚偽』の暗示は、克己にもかかっているのだ。安堵か、少しの寂しさか。千春はほうとため息をひとつついた。
「今日は部活が休みだから、もう一緒に帰れるぞ。準備できてるか?」
こちらの不安などどこ吹く風、克己は呼びかけて教室の出口へ向かおうとする。
「あ、待って」
千春は慌てて克己を引き留め、数冊のノートを彼に見せた。
「室淵先生から、ずっと休んでる子にノートを届けろって言われたんだ」
そう、それは帰りのホームルームが終わる寸前だった。
『あー、澤森。會場にこれまでの授業のノート、届けてくれやー』
いつものかったるそうな調子で、担任は何ということはないかのように、問答無用で指示を出してきた。今まで一ヶ月、そんなことは言われなかったのに、一体どういう風の吹き回しか。
だけど、隣の席のよしみである。會場奈津里も学校の様子を聞きたいだろう。素直に引き受けた。
それを説明したところ、「そうか」と克己は得心したとばかりに何度もうなずく。
「じゃあ、オレも」
一緒に行くよ、と言おうとしたのだろう。それより一瞬速く。
だん! と。
千春の机に勢いよく手をつくことで、二人の間に割って入る者がいた。
「千春」
いきなり名前呼びで、ぎょっとする。いや、こちらが先に相手を名前呼びしたのだから、逆があってもびっくりすることではないのか。
「あたしも一緒に、會場さんの家に行くわ。いいわよね?」
机に手をついたままの体勢で、周防紅葉は、赤味を増した瞳をこちらに向け、にやっと笑いかける。イエス以外の答えはいらない、と目が語っている。
その後ろでは、克己が唖然とした表情で、千春と紅葉を交互に見やっていた。




