長い一日
目の前にいたのは黒々とした髪をした、目じりにしわの寄った女性だ。彼女の笑顔よりも、睨んでいる姿を見たほうが多かった気がする。
「あんたを産んだから、私の娘は不幸になったんだよ」
彼女は憎しみを含んだ声でそう告げる。
彼女と血のつながりがなければどんなに良かっただろう。私はそっと唇を噛み、胸からあふれ出そうになる感情を押し殺して「ごめんなさい」と告げた。
「美桜」
聞き覚えのある声に呼ばれ、目を開けるとそこにはリリーがいた。彼女は目を潤ませ、私の顔を覗き込んでいる。
「よかった。どこか痛くない? 大丈夫?」
「疲れているのだから、ゆっくり休ませたほうがいいよ」
ロロは私に連続的に疑問を投げかけてくるリリーの肩をつかみ、そう諭す。
「だって、泣いていたんだよ。どこか痛いのかもしれない」
「大丈夫だよ」
私は目元に触れる。指先に水滴が付く。そうか。泣いていたんだ。
それはさっき見た夢のせいだと断言出来る。実際の私はそう言われて人知れず泣いていたのだ。
辺りを見渡すと、白い壁の部屋の中にいた。
「レジスさんの家だよ。疲労で倒れたんだと思う」
「そっか。いろいろあったもんね」
私の疑問に気付いたのか、ロロが教えてくれた。
時間にするとほんの数十分なのに、数日分の経験をしたような気さえしてきてしまう。
リリーの目に大粒の涙が溢れてくる。
彼女は慌てて涙を拭うと、はにかんだ笑みを浮かべる。
「何もなくて良かったよ。飲み物でももらってくるね」
リリーはそう言い残すと、部屋を出ていった。彼女の足音が静かな室内に響く。
「ものすごく心配していたよ。倒れてからずっとつきっきりだったんだ。彼女も相当魔力を消費していたのに」
「リリーは優しいもの」
ああやって泣いてくれるのも、彼女が優しいからだろう。
「生きているオーガがいないか探しているの?」
「それに亡くなったオーガの身元が分かるのはその照合もね」
「忙しいのに倒れてごめんね。手伝うよ」
立ち上がろうとする私をロロが制した。
「今日はゆっくりしておいたほうがいいよ。あの洞窟を抜けないから、体力を回復させておかないと」
「でも、じっとしておくより動いたほうが気持ち的に楽かもしれない」
今、ロロが出ていき一人なると夢のことを思い出してしまいそうだった。
ロロは私をじっと見る。
「なら、リリーが戻ってきたら一緒に散歩でもするといいよ。それまでは俺もここにいる」
「ありがとう」
「どうせ手は足りているからね。俺もお礼を言わないとな。お前が来てくれなかったら殺されていたと思う。ありがとう」
あどけないロロの笑顔に、さっきまで私を支配していた悲しみが軽くなる気がした。
「でも、戻ってくるなんて無茶過ぎるよ。ラウールとリリーが来てくれたから良かったけど、来なかったらどうなっていたか」
「そうだよね。まさかあんなに攻撃してくるオーガがいるとは思わなかった」
「レジスさんたちに薬を盛って地下に閉じ込めたくらいだから、相応の人数はいるはずだよ」
「地下に? そこから脱出してきたんだ」
レジスさんが来てくれなかったらリリーがどうなっていたか分からない。
そういえばアリアはどこに誰を呼びに行ったのだろう。ラウールが書状で来たということは、彼女が呼んだのは彼ではないはずだ。ということはレジスさんなのだろうか。
「脱出というよりは、妙なことがあったらしい。レジスさんを見張りをしていたオーガが急に眠って、鍵が勝手に開いたらしい。ただ、閉じ込めていたオーガも誰も開けていないの一点張りで、誰がどうしてそんなことをしたのか不思議がっていたよ」
「眠らされたって眠り薬?」
「違う。レジスさんたちは全く眠くならなかったから魔法だろうと言っていた」
「でも、オーガは魔法が効かないんだよね」
「ただ、あまりに強力な魔法だったら効く可能性がゼロではないらしい。かなりのレベルの魔術師が使ったんじゃないかって話。そういうのを使えるのは銀の魔女くらいだろうって言っているけど、あの人が何も言わずに立ち去っていくってありえないってラウールが言っていたんだ。結局、誰か分からないまま」
そこまで話を聞き、私はそれがアリアの仕業だと確信を持つ。
そう考えるとまさに間一髪だった。
強力な魔法を使えると言われるセリア様。ということはアリアはそれに匹敵するレベルの魔法を使えるということなのだろうか。
そうは見えないけど、彼女はやけに自分の魔法に自信を持っているようだった。
「でも、無事でよかったね」
私がそう言うとロロは笑顔を浮かべていた。だが、急に彼から笑顔が消える。
「俺はお前に花の国の民じゃないかと聞いたけど、本当はそうじゃないといいなと思っている」
「どうして?」
「折角友達になれたのに、こうして会えなくなると寂しいからさ。でも、お前がどうであっても、俺は友達だと思っているよ。だから、何かあったらいつでも相談してくれ」
「ありがとう」
その言い方は今までとは違う、まるで断定しているかのように聞こえたのは気のせいだろうか。
私には彼の言い方が変わった直接的な要因が分からない
その時、扉が開き、リリーが入ってくる。
「じゃ、俺はラウールの手伝いに行くよ」
彼はそう言い残すと部屋を出ていった。
私はリリーの持ってきてきてくれた飲み物に口をつける。
少し酸味のある味わいが口の中に広がる。
「どうする? 先に帰ろうか?」
「少し外を歩きたいな」
「わかった。ラウールのところにも顔を出そうか。心配していたよ」
リリーを見ると、彼女は肩をすくめる。
「案内させたのがまずかったかなと言っていたよ。あのあとすぐに倒れちゃったみたいだからね」
「そっか。気にしなくてもいいのに」
だが、そうしたことを気にしてしまうのが彼なのだろう。
私たちは外に出て見ることにした。目の前には廊下が走り、廊下には静かな森林が広がってる。その廊下をまっすぐ歩いていくと、階段があり下に降りる。そこで何人かのオーガと顔を合わせた。
彼らと挨拶を交わし、外に出る。そこにはきた時よりも多くのオーガがいたが、すっかり日が落ちて暗くなっている。
「みんな地下牢に閉じ込められていたみたいよ。その中でマテオさんが書状を届けようと姿をくらませて、ああいう目にあったんだとおもう」
彼はサンドラに手紙を託し、自らは囮となったんだろうか。その時の状況を思うと、もっと早く気付けたら良かったのにと思ってしまう。そういえばなぜあの時匂いを感じ取ったのだろうか。
「美桜さん」
思いがけない声が響き、顔をあげるとルイーズが立っていたのだ。
「いつ来たの?」
「さっき。サンドラさんを送り届けにね。マテオさんも気付いたみたいよ」
「無事なの?」
「かなりの量出血していたのに奇跡的なくらい異常がなかったの。よっぽど腕のいい誰かが治療したんだろうね」
ルイーズは感心したように口にする。
私はその誰かに見当がついているため、苦笑いを浮かべることしかできなかった。
私達はラウールのところに行く。彼の傍にはロロやレジスさんもいて、真剣な表情で何かを話している。
私たちが近寄っていくと、彼らは会釈してくれた。
「ルイーズ、お前やっぱり侵入しようとしたんだな」
私たちの会話の第一声がロロのため息交じりの声だ。
ルイーズは後ろめたいことがあるのか、少し後退する。
だが、唇を結ぶと一気にたたみかけた。
「違うよ。ロロが塞がっているといったから気になって見に行っただけだよ。でも、今回はよかったでしょう」
「まあ、そうだな。助かったよ」
ロロの言葉にルイーズは満足そうに微笑んだ。
その時、私の体に影がかかる。顔をあげるとラウールが傍によってきたのだ。
「体は大丈夫?」
「大丈夫。倒れてごめんね」
「まあ、今日はゆっくり休んだほうがいいよ。疲れただろうしね」
「そうする」
その時、リリーがルイーズに呼ばれ、彼女の傍までいく。そこでレジスさんと何か話をしているようだった。
「ロロを助けてくれてありがとう」
私はその言葉に驚きラウールを見る。
「助けられてないよ。ラウールとリリーが来てくれなかったら、殺されていたと思う」
「ロロが言っていたよ。お前が来てくれなかったら殺されていたかもしれない、と。だから感謝している」
「私も、助けてくれてありがとう」
感傷的な気持ちが残っていたのだろうか。それともあたりの空気があまりに澄んでいたからだろうか。私はロロと話をした居場所の話を思い出していた。ここでの生活は怖い事もあるが、驚くほど楽しい。ここが私の居場所だと思っていいんだろうか。
「じゃあ、帰るか」
「私、まだきたばっかりだよ」
ルイーズはラウールの言葉に目を見張る。
「みんな疲れているんだから、早めに帰ったほうがいいよ」
ルイーズは残念そうに頷いた。
「またいつでも来てください。今度はおいしい食事を用意しますよ」
レジスさんの言葉に、ルイーズは目を輝かせる。
「喜んで」
私は煌めく星を見つめ、目を細めていた。
その日、部屋に帰ってからアリアに助けてくれたお礼を言おうと思ったが、鞄をあけても彼女の姿はどこにもなかった。




