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エトワールの賢者  作者: 沢村茜
第三章 オーガの国
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絡みつく草木

 瞬きした後には、もう獰猛なオーガの姿はどこにはなく、彼の体は前のめりになって倒れていた。薬を飲みこまないように、息をとめてロロの傍に駆け寄る。彼は顔をしかめながら膝を立て、体を起こしていた。


「ロロ」


 彼に肩を貸そうとするがロロは顔をしかめ、身動きしない。


「何してんだよ。逃げろ。すぐに仲間が来る」

「ロロを置いては逃げられない」

「マテオさんが手遅れになるかもしれない。サンドラだってどこかで怪我をしているかもしれない」


 彼の鋭い言葉が心に刺さる。

 彼の言うことは正論だ。分かっている。

 だが、目の前の彼をおいていくなんてできるわけがない。わたしが元凶なのだ。

 それにアリアが誰かを呼んできてくれる可能性にもかける気持ちが少なからずあった。


「でも、このままだとロロが死んじゃうかもしれない。いっしょに行こう」


 だが、立ち上がったロロは声を漏らし、すぐにその場に膝をつく。見ると彼の足からは多量の血が出ていた。彼らは最初にロロの足を潰したのだ。

 わたしは唇を噛む。


「私の背中に手を伸ばして」


 ロロをかついであそこまで運べるかは一か八かだ。彼は私より背も高いし、体重も重いだろう。だが、彼が歩けるかといえばほぼ無理だ。それなら可能性が少しでも高い方にかけるしかない。私の肩に触れたロロの手が離れる。彼はその前方を食い入るように見つめていた。


 そこには赤い肌の、斧を持ったオーガが立っていたのだ。彼は倒れているオーガを一瞥すると、私達を威嚇した。


「お前たちがやったのか?」


 その問いかけの答えを考える間もなく、彼は私との距離を詰めてきて、斧をつきつける。

 私はオーガから抜き去った金の棒を握りしめ、ロロの三歩手前に立つ。ロロはこうして意識があるだけでも精一杯な状況だろう。私はみようみまねの知識で、腰を屈めて、あの金属の棒でオーガの攻撃を受け止めようとした。


 オーガの斧が私に向かって振り下ろされる。頭よりも体が早く動き、高い金属音が駆け抜けた後、その斧と金属の棒がぶつかり合う。金属棒がいくら硬くても、手にはそれなりの衝撃が伝わってきて、指先が痺れる。


 驚きと共に受け止められたという安堵が湧くが、驚いたのは目の前のオーガも同じのようだ。

 彼はあっけにとられた目で私を見ている。

 私はその棒をオーガの腕めがけて振り下ろした。ちょうど彼の指先に当たり、オーガが顔を歪ませ、斧を地面に落とす。体を伸ばして、その斧をつかもうとするが、私の腕は巨大な足に踏みつけられた。


「小癪な真似を。このまま腕を踏み潰してやろう」


 腕に険しい痛みが走り、私は声にならない声を上げる。私はここで死ぬんだろうか。死ぬなら、一思いに殺してほしい。そう思った時、私にかかってたた重みが消える。オーガの足が宙に浮いていたのだ。


 顔を上げると、先ほどのオーガが苦痛に顔を歪め、こちらを険しい顔つきで睨んでいる。彼の首には木の枝が結びつき、その木が彼の体をわずかながら持ちあげていた。彼の体が地響きとともに後方に倒れた。


 私は腕を体に引き寄せる。何が起こっているのか分からない。リリーが蔦を操っていたのを思い出す。だから、アリアの魔法かもしれないと考えていた。リリーの魔法は効かなかったが、魔法が効くコツのようなものがあるのかもしれない。腕には強い痛みが断続的に襲ってきて、眩暈がしてきた。骨にヒビが入ったのだろうか。今まで捻挫や擦り傷くらいしか怪我をした経験のない私には自分の体がどんな状態かも分からない。


 私は自分の痛みの感覚に気付かない振りをして、ロロのところに行く。ロロの方が状況は酷い。

 わたしの幸い足はまだ傷ついていない。今のうちにロロを連れて逃げるべきだと思ったのだ。

 だが、ロロはあっけにとられてそのオーガを見つめている。彼の首に巻き付いた枝は彼の全身を覆い尽くす。


「大丈夫? 今のうちに逃げよう」

「お前、何をしたんだ?」

「いいから話は後で」


 アリアのこともきかれれば、自分でどうにかするしかない。

 今は私とロロが逃げて、誰かに助けを呼ぶのを何よりも優先させるべきだ。


「逃げよう」


 あの洞窟まで彼を背負う覚悟を決めた時、再び私たちの体に複数の影がかかる。どこからか現れたのか六人のオーガが行く手を塞いでいたのだ。

 私は息をのむ。まだ、私達は迫りくる死の可能性から逃げ切っていなかった。


 彼らの足元にある草が伸び、オーガの手足に巻き付きはじめる。彼らの手足は草に縛られ、身動きが取れなくなる。

 私は心の中でアリアにお礼を言い、ロロの腕をつかむ。その時、オーガの体が炎に包まれた。

 アリアが彼らを倒してくれたのだろうか。

 私は彼らが倒れてくれることを願い、ただ成り行きを見守っていた。その時はそうに違いないと心の中で断定していた。


「逃げろ」


 ロロはそう声を絞り出した。


「大丈夫だよ。きっと助かる」

「違う。あいつらに魔法は効かない。恐らく、草木を燃やすために、自分達で炎を放ったんだ。肉や髪が焦げる匂いもしないのが証明だよ」


 ロロが顔を歪めながらそう伝えた時、オーガ達を包み込んでいた炎の塊が消失する。そして、煙の中に立ち尽くす複数の影を見つけた。その影は煙をものともせず、地面を踏みしめる音とともに私たちに近付いてきた。

 徐々に薄くなっていく煙が、今の状況を的確に教えてくれる。先程私の足を踏んだオーガを含め、七人のオーガが私たちを取り囲んでいたのだ。


 ロロからもらった薬はもう一つも残っていない。


「俺がやる。お前たちは手を出すな」


 彼らの中央にいたオーガがそう辺りに目配せする。さっきわたしの腕を踏んだオーガだ。彼らのリーダー的な存在なのだろうか。彼は私達を鋭い眼差しで威嚇し、距離を縮めてくる。


 早く逃げなければ。そう分かっているのに、体が動かない。死がより身近に迫った私の心臓がかつてないほど、早い鼓動を刻む。恐怖からか、先ほどのオーガに踏まれた痛みからか分からないが手先がうまく動かない。彼は手にした斧を振りかぶった。


「逃げろ」


 どうにかしてこれを防ぐことだけを考える。私は無事なほうの手で、とっさに地面に置いた金属の棒を拾い上げる。そして、それを頭の上に掲げた。


 振り下ろされた斧が弾かれる。オーガが顔を歪めた。


「その棒は、お前遺体から抜き取ったのか」


 蔑んだような言葉に心臓が重くゆっくりとした鼓動を刻んだ。

 オーガが再び棒を振りかざす。さっきよりも強い衝撃が私の腕に襲い掛かる。直接腕を叩かれたわけでもないのに、圧倒的な力の差が私により強い苦痛をもたらした。弾ける音が響き、金属に亀裂が入り、真っ二つに割れた。


「これで終わりだな。この棒の強度などその程度だよ。お前を殺すために先回りしていたが、まさか自分から戻ってくるとはな。二人一緒に殺せて、手間が省けたよ」


 大きな斧が振り下ろされようとした。

 その時、彼の斧を無数の草が包み込み、彼の斧の動きを止めた。


「さっきからなんなんだ。奇妙な術を使いやがる」


 オーガは炎を起こすと、その草を焼き払った。だが、火の消えた斧にまた別の草が絡みつく。オーガは呪文で焼くのを諦めたのか、力技でそのまま振り下ろそうとした。徐々に草木が裂け、私との距離が近づいてくる。


「よくわからんが、これで終わりだ」


 襲いかかる草を完全に両断した斧が私に振り下ろされようとしていた。


 私は金属の棒を握りしめたまま、全身に痛みが走るのを覚悟し、目を閉じた。


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