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エトワールの賢者  作者: 沢村茜
第三章 オーガの国
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いつもと違う空気

 「夕方迎えに来るね」


 ルイーズはポワドンに通じる洞窟の前で笑顔を浮かべ、私達を見送る。


「いつもごめんなさい」

「いいのよ。そんなに時間がかかるものでもないもの」


 彼女はそう優しい笑みを浮かべていた。

 だが、ロロは腰に手を当て、訝し気な目でルイーズをじっと見る。


「何かよからぬことを考えてないよな」


 思いもよらぬロロの言葉だったが、ルイーズの目が泳ぎ、彼女はロロから目を逸らした。


「考えてないよ」

「なら、何で目を合わせないんだよ」

「何かこっちのほうを向きたい気分だったの。そろそろ行かないと待ち合わせの時間に遅れるよ」


 彼女はそう笑顔を浮かべると、ロロの肩を軽く叩く。

 ロロもこの場所でじっとしておくのが気になったのか、ため息をつくと私を一瞥した。

 とりあえず今から入るんだろう。


 だが、ロロはルイーズが気になるのか何度か振り返っている。


「いつも通りだと思うのに、何か違うの?」

「あの目はいつも何か企んでいるときの目なんだよな。突然突拍子もないことをしだすから心配なんだよ」


 お互いのことを分かっている二人の関係性がすごく微笑ましくて、笑ってしまった。

 ロロは私の気持ちに気付いたのか、頬を赤く染めると黙ってしまった。


 洞窟の入り口にたどり着くと、いつも案内してくれるマテオさんとは違うオーガがいた。緑の肌をした始めて見るオーガだ。


「ようこそいらっしゃいました。私が案内します」


 彼は人懐こい笑みを浮かべるが、その笑顔にどこか違和感がある。うまく言えないけれど、作ったような笑顔だ。初対面の人にこうしたことを考えるのはすごく失礼だと気付き、あまり気にしないようにと言い聞かせる。あれから七日程空いているので、地図のチェックかと思いきや、彼はさっさと歩き出す。


「地図は?」

「すみません。忙しくて調べられなかったんですよ」


 ロロは一瞬だけ眉根を寄せる。だが、何も言わずに彼についていくことになった。

 近くの森に案内された時、ロロが案内してくれるオーガを呼びとめた。


「今日は昼前に帰宅しようと思うが構わないか?」

「構いませんよ」


 彼はロロの言葉ににこやかな笑みを浮かべるが、私は驚いていた。

 そんな話は一言も聞いていない。

 言い忘れていたのだろうか。


 移動する時、余程遠い場所でなければ歩いて移動する。道中で人とすれ違うことはあったが、今日は誰ともすれ違わない。ただ、どこかにオーガが潜んでいるのか、視線だけは感じる。

 この前より一段と奥の広場に連れて行かれた。この前決めた、私とロロが確認する場所だ。


「後で迎えに来ますので、終わってもこちらで待っていてくださいね」


 彼は三度そう繰り返すと、踵を返し立ち去っていく。ロロは辺りを見渡し、調査を始めていた。私も彼と同じように探すべきだと分かりながらも、今日感じた違和感を解消したくなり、ロロの傍に行く。


「何か、おかしく」


 ロロは口元に手を当てた。黙っていろと言いたいんだろう。

 恐らく、彼も違和感を覚えているのだ。


「とりあえず、続きをして、早めに帰ろう。今日は俺の傍から離れるな」


 私はそう小声で囁いたロロの言葉に頷いた。


「そういえば、匂いってあれ以降、嗅ぎ取った?」


 あのテッサが襲われた日のことだろうか。私は首を横に振る。

 そういえば、あれはアリアの魔法だったんだろうか。彼女にはぼかされ、その後ナベラに行ったこともあり忘れていた。


「あの時は、何も聞かずに信じてくれてありがとう」

「そんな嘘を吐いてもメリットはないしさ、ある種の勘だったとしてもバカにできないと思ったんだよ。後を追ってもあの時間だと目撃者もろくにいないだろうしね」


 勘か。そう考えると彼が信じてくれた理由にも納得できる。


「それに」

「何?」

「何でもない。続きをしようか」


 私たちは分担し、作業を始めようとした。

 私は何気なく目の前の植物に触れる。


 あの匂いを感じたのが、アリアの魔法だったら、納得できる。ただ、あの時の会話は暗に魔法ではないと言っているようにも感じられる。それは後からアリアに聞けばいい。今日は午前中で帰るのだから。


 そう思ったとき、私の胸が熱を持ち、鼻を妙な匂いがつく。

 生臭くて、そんなに珍しい匂いではない。どこかで嗅いだことのあるような。

 そう思った時、私はそれが何の匂いか察した。私は少し離れた場所にいる、ロロのところまで行く。


「血の匂いがしない? 誰か怪我をしたのかな?」

「血?」


 ロロは不思議そうな顔で辺りを見渡す。かなり強い匂いなのに何でそんな顔をするんだろう。

 私はそんなに鼻がいいわけでもないし、逆にこの世界の人の嗅覚が悪いと感じたことはなかった。

 勘違いなのだろうか。そう思っても、生臭い匂いが鼻をつく。


「他に何か分かるか?」


 ロロの顔色が変わる。

 私は目を閉じ、匂いに集中する。血の匂いに遮られているのか、その影で何か違う匂いがする。鼻の奥にじんわりと広がっていくような。ただ、あの食べ物のようにはっきりとした匂いじゃない。


「水かな……?」


 だからこそ、疑問形の返答になってしまっていた。


「水か」


 ロロは手にしていた地図を広げ、そこに線を書き込む。


「この近くじゃないの?」

「恐らく違う。俺は全く匂わない。この辺りに川があるけど、細かい川も湖もあるし、それだけでは分かりにくいな」

「でも」

「今は俺を信じてくれ」


 そう言われると、何も言えなくなってしまった。

 ロロはしきりに辺りに注意を向けている。


「近くに誰かいるの?」


 私はできるだけ小さな声で問いかける。


「今はいないと思う。少し離れたところで監視しているのかもしれないな」


 私の全身に鳥肌が立つ。その匂いが強くなっていったのだ。今、血が出ているのかもしれない。


「血の匂いが強くなった」


 ロロはその言葉で私の感じている状況を感じ取ったようだ。

 この前と同じなら、はっきりと場所を教えてくれればいいのに、なぜこんなにぼかされているんだろう。


「喧嘩かな。オーガってすごく力ありそうだし、粗そうだよな」


 ロロは立ち上がると、草原の端に行き、辺りを仰ぎ見た。

 私も彼の隣に行くが、ここはかなり深い森の中だ。視界に隅に川が見えるが、そもそもその辺りとは限らない。

 呻く声が私の耳をかすめた。私はその声の主を知っている。


「マテオさんの声。マテオさんが血を流しているんだと思う」


 ロロが私を凝視する。


「俺、辺りを見てくるよ」

「私も行く」


 ロロは難しい顔をしていたが、頷いた。そっちのほうが双方の安全を守れると思ったのだろう。

 だが、ロロはなぜ私の聞いた、感じたというものを信じてくれるんだろう。空耳の可能性だってあるのに。


「さっき言いかけて止めたのにも関係あるけど、俺が父親から聞いた話が本当なら、信じる価値はあると思う」


 ロロは私の気持ちを汲み取ったようにそう言葉を述べる。

 ロロの父親は薬師で既になくなっていることは知っている。だが、もう一つ彼の父親に関することを聞かされたのだ。彼は花の民に会った、と。ロロはまだ私がその国の人ではないかと勘違いをしているのだろうか。


 今は相手が相手だし、できればさっきのオーガが戻ってくる前にここに戻ってきたほうが良い。それにマテオさんに何かあったとしたら、サンドラの身も危うい可能性もある。私はその誤解を解くよりも、マテオさんを探すことを優先しようと決めた。


 私達は木の陰に隠れながら、辺りを伺い先へと進んでいく。目的地はさっきの場所から見えた川だ。時間的な猶予から、とりあえず近場の川から探そうと思ったのだ。幸い、さっきのオーガがついてきた様子はない。


 川辺につくと、近くの茂みに身を隠し、辺りを伺う。私の感じている血の匂いを再び感じることはない。もうことが終わったのだろうか。そして見当違いの場所を探しているのだろうか。


 かなりの道を歩き、あのオーガが私達に気づくのではないかという心配が私の胸を過ぎる。


 だが、前を歩いていたロロが足を止める。


「ここで待っていろ」


 ロロは茂みの外に出ると、辺りを見渡した。そして、私を手招きする。


 私はずっと中腰でいたため、外に出てホッと胸をなでおろしていた。だが、その安堵もつかの間、私の目に飛び込んできたのは明らかに水分が失われているオーガの姿だ。その体には輝く金色の金属の棒が突き立てれており、命がもう宿っていないのは一目で分かる。そこにいるのは一人だけではない。他にも数体金属の棒を突き立てられたオーガが倒れていたのだ。そして、その奥からさっきと同一と思われる血の匂いをかぎ取った。


 私とロロは奥に歩を進める。そこにはうつぶせになったマテオさんの姿があったのだ。彼の腕や足からは多量の血が流れおち、小さな水たまりを形成していたのだ。

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