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エトワールの賢者  作者: 沢村茜
第三章 オーガの国
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魔法のようなもの

 ラウールが魔法を使い、静かな草原が広がる場所に到着する。強い風が吹き、辺りの草木をなぎ倒していく。昼間食べたクリームの匂いがした。傍には民家が数件立っているが、明かりは消え、暗闇に同化している。


「ここが三十八番地区だ。次は四十二番地区だ。こっちのほうがテッサの家と近いが、ここにはいないようだな」


 彼は再び呪文を詠唱する。


 次に到着したのは先程よりも広い草原だ。いくつかの植物が並ぶがその中にあの食べ物に匂いが含まれている。近くには建物がなく、それが広い草原という印象を与える。先程の草原のように強い風が草を一つの方向に導いていくがその中で風とは違う音が耳に届いた。


 ラウールもその音に気付いたのか辺りに目を走らせる。


 闇夜に包まれた草原の中で一か所だけより濃い暗闇が存在する。その暗闇がテッサの部屋で見た後姿と重なる。間違いないあの男だ。


 私がラウールの腕を引くと、彼も頷いた。


 ラウールは剣を抜き、ゆったりとした足取りで近寄ろとした。だが、男も気配に敏感になってたのか、突然こちらを振り返り、目を見張る。男は草をなぎ倒し、より奥に逃げようとする。


 ラウールは足で追いかけるよりは魔法のほうが良いと判断したのか、足を止める。彼の凛とした声が草原の草木を揺らす風に乗り、波紋状に広がっていく。その間、男の姿が徐々に小さくなっていった。


 彼は何の呪文を使おうとしているんだろう。彼がすることだ。失敗はないと分かっていても小さくなる男の後ろ姿を見ていると気持ちだけが逸る。


 ふっと胸の奥が熱を持ったように熱くなる。だが、その熱は一秒も経たないうちに痕跡さえも残さずに消失する。摺れる音が聞こえ、顔を上げるとさっきの男が転んでいたのだ。男が立ち上がろうとするが、すぐに転ぶ。


 ラウールは呪文の詠唱をやめ、男の傍に駆け寄る。彼の呪文の効果だったのだろうか。


 私はラウールとの距離が離れたのに気付き、植物を踏まないように気をつけながら、彼らの傍に近寄る。ラウールはその時には男の手を後ろに回しきっていた。慣れているのかその動きにも無駄がない。


「王妃の命令か?」


 ラウールの問いかけに男の体が震えた。だが、彼は口を噤んだままだ。


 ラウールはその場で聞き出すのを断念したのか、男の腕を背後でつかんだまま私に外に出るように促した。


 男の足には草が巻き付いている。どうやら、ラウールの呪文が発動する前に、草原の草に自ら足を取られたのだろう。意外なほどあっさりと事態が収束した。


「警察にこいつを連れていく。お前を一人にするわけにはいかないから、ついてこい」


 私が頷いた時、人の足音が聞こえる。最初にルイーズの家に行ったときに見た青いローブを来た男性がこちらに歩み寄ってきた。


「ニコラ様の命でやってきました」


 ラウールは彼らに男を引き渡す。男たちは男の手首に透明な輪をかけ、男の身柄を受け取っていた。手錠の一種なんだろうか。男はラウールや複数の青いローブをした人に囲まれ観念したのか、抵抗は一切しなかった。


 彼らの姿が小さくなってから、ラウールが口を開く。


「あれは魔力を封じるためのものだよ。そうしないと魔法を使われたら逃げられてしまうからな」


 私は納得する。


「俺も帰るか。テッサの家まで送るよ」


 私は彼にテッサの家まで送ってもらうことになった。


 彼が転移魔法を使うと、テッサの家の前に到着する。


 私達は彼女の家の中に入る。テッサの部屋に行くと、金髪の男性がいた。彼は私と目が合うと会釈する。私も頭を下げた。もうそこにはあの男たちの姿はない。警察に引き渡したのだろう。


「恐らくあの方の差し金でしょう」

「それしかないな。悪いな」


 ラウールの言葉に、テッサは首を横に振る。


「気にしないで。無事だったんだもん。ガラスは夜が明けてから直してもらうよ」

「護衛はルイーズに頼んでも構わない。だからいつでも断ってくれ」

「もう少しだけ考えさせて。今回のことは本当に気にしないでね。油断していた私も悪いのよ」


 ラウールは釈然としない笑みを浮かべているように見えた。


「今夜は私がここに残りましょうか?」


 ニコラがそう提案するが、ロロは首を横に振る。


「大丈夫だよ。もうじきルイーズも戻ってくるだろうし、俺がここにいるよ。ラウール達は城に戻ってくれ。エリスはロランド様に預けているんだろうけど、一人にさせておくのは心配だから」


 ロロの言葉にテッサも頷いた。


「分かりました。戻りましょうか」


 その時、ニコラと目が合う。


「明日はナベラに行かれるんですよね。美桜様も足場に気をつけてください」


 そういえばこの人は私を様付けで呼んでいた。様なんてつけられるとかなり気恥ずかしい。


「足場の良いところを通るから大丈夫だよ」


 そうロロが胸を張って答える。


「非常に良いところだけを歩いていったほうがいいですよ」


 ニコラの本意が分からなかったのか、ロロは首を傾げていた。テッサは苦笑いを浮かべている。

 ニコラさんがそう言ったのは恐らく彼の運動能力の高さを知ったうえだろう。彼が良いと思っても、私にとっては悪い可能性もあるわけで。


 テッサがロロに詳しく解説をし、ロロは納得したようだ。


「極力気遣うよ。でも、慣れれば意外と」

「ロロ。美桜さんを危険な目に遭わせたらだめよ。」


 テッサが腰に手を当て、ロロをたしなめた。

 ロロは肩をすくめ、両手を大げさにあげる。


「分かったよ」

「では、美桜様もロロも気をつけて」


 ロロのことは呼び捨てなんだ。ラウールのことは様付けで呼んでいたけど、彼は王子様だ。私が彼と並んで様付けされるのには違和感がある。


「どうかされましたか?」


 私の気持ちが顔に出ていたのか、彼は優しく問いかける。


「美桜様と言うのはやめてください。私は普通の人間なので」


 私の言葉に戸惑ったのかニコラさんは青い目を見開いた。だが、すぐに優しく微笑む。


「分かりました。美桜さんでよろしいですか?」


 私は彼の言葉に頷いた。様なんて私には似合わない。


「では帰りましょうか」


 ラウールとニコラはそのまま家を出ていく。

 もうあのガラスも片付けられていた。


「ブノワさんは?」

「一足先に眠らせたよ。体がだるいらしくてさ。お前も寝ておけよ」


 ロロが私を見る。


「でも、ロロ達は起きておくんだよね?」

「俺は徹夜は慣れているから平気だよ。それに明日に向けて体力を蓄えておいた方がいい」


 私は大人しく寝ることにした。

 部屋に戻ると、電気を付けずにベッドに横になる。ずっしりと体が重くなり、想像以上に夜中の出来事で体が疲れていたのだと気付かされた。

 私の目の前にアリアが現れる。


「ブノワさんの怪我を治してくれてありがとう」

「どういたしまして」

「最後はすんなり捕まえられて良かった。転んで、自分で割ったガラスで怪我もしていたって、間が悪かったんだろうね」

「間が悪いね」


 アリアは苦笑いを浮かべている。


「ガラスは私がちょっと手を加えたのよ。風の流れを一部変えてね。そうじゃなかったら、匂いで追えなかったと思う。私が魔法を使えばそれくらい楽勝だけど、他の人がいる手前、私が直接動くわけにはいかないもの」

「そういえば、匂いは何で? それも魔法なの?」


 私の問いかけにアリアは目を細めた。


「そうね。ある意味魔法だと思う。普通はできないことよ」


 普通という言葉を強調したのはさっきのニコラとの会話を聞いていたんだろうか。私はあくびをかみ殺した。


「今日はもう寝なさい。体力を回復させないと、明日、足手まといになるよ」


 私はアリアに促され、床についた。



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