崩れる土砂
到着したのは街の入口だ。辺りは薄暗い雲に覆われ、多くの雨が降りしきっている。足元には水が溢れ、くるぶしのあたりまで水でつかる。アンヌやポールはブーツを履いているが、私とリリーは普通の靴を履いていたため、あっという間に水びだしになる。私達は目を合わせると肩をすくめた。
「随分雨も緩くなったらしいけど、かなり降っているね」
「あの工房で良いんだよね?」
ポールが不安げに頷くと、アンヌは頷いた。
「今から行くね」
ポールの言葉に、私とリリーは頷いた。
ポールが呪文を詠唱し、私達は白い光の壁に包まれる。そして、目の前には崖が聳え立つ。その崖の麓には半分以上土砂に埋もれた建物がぽつんと存在していた。その上にある山の斜面は削られ、何度も土砂崩れがあった場所だと見て分かる。これでは誰も近づこうとしないだろう。
私は唾をのみ込み、覚悟を決めた。
言いだした私が行くしかないことは分かっていたのだ。
「行くね。リリーたちはここにいて」
「私も行くよ」
「私も」
「代わりに僕が行くよ」
そう言いかけたアンヌの言葉をポールが首を横に振り否定した。
「危ないよ。あんたはここに残ってな」
「でも、僕の方がお姉ちゃんよりも鼻は利くよ。それに小さい方が自由も利くしね」
アンヌは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべていた。自分だけここに残るという選択肢を選ぶのに戸惑いがあったのだろう。
「アンヌはあと一回、万が一の時、転移魔法を使える?」
アンヌはリリーの問いかけに頷いた。
「だったら、アンヌはここで待っていて。もし、私達に何かあったら、誰かを呼んでほしいの。建物が崩れかけたら、外に連れて出るけど、場合によっては難しいかもしれない」
「分かった。気をつけて」
だが、アンヌは浮かない表情を浮かべたままだ。
私とリリーは目を合わせ、頷く。
その周辺は街の入口付近よりはマシだが、土がぬかるみ、靴が泥まみれになった。私達は転ばないように注意して建物に近付いた。
その時、小さな土の塊が崖の上から落ちてきた。嫌な感じはしたが、私達の身の危険はこの工房への安全にも関係している。
私とリリーは建物に近付くと、扉を開けて中に入る。扉は変形して立てつけが悪く、力では開きそうにない。
「アンヌ、もしかしたら扉が壊れるかもしれないけど」
「構わないよ。そのままじゃ開かないと思う」
その許可をもらい、リリーは壁の隙間に蔦を出し、そのまま扉を強引に開けた。
中に入ると土と埃の臭いが入り混じっている。私とリリーとポールは工房の中を手分けして探す。まず最初に私が探したのは工房の中にある机の引き出しの中だ。だが、それらしいものは何もない。リリーは釜の周辺を探している。ポールも鼻を利かせながら工房の端の荷物置きを中心に探すが、ありかはつかめていないようだ。
手分けしているとはいえ、決して狭くはない。だが、できるだけ見落としのないように探していく。
だが、時間だけが経過し、気持ちが空回りする。
「これ」
ポールは石の塊を手にしていた。
私とリリーの視線に気付いたのか、慌てて首を横に振る。
「お姉ちゃんが昔、作ったものなの。ごめんね。続きを探そう」
彼を見ていると、焦っていた気持ちが少し穏やかにある。
私達は再び気持ちを引き締め、ここにあるかもしれない石を探し始める。
ここにあると言い出したのは他でもない私だ。クラージュとルーネの共通点を見付け、安易に考えすぎたのだろうか。
リリーもポールもその表情に不安を滲ませている。
それとも探す場所が悪いのだろうか。
私は工房内を見渡し、自分なら隠す場所を目で追う。
クラージュでの出来事が脳裏を駆け巡る。そして、果物の残像が頭に残る。
地下だ。
地面は木の板だ。剥がせないこともないとは思う。床板をはいだ場合、強度にどう影響するかは分からないが、そもそもアンヌの祖父はこの場所を復旧させる予定はなかったのだろう。そのつもりであれば、床板をはぐことに抵抗が薄いかもしれない。
「この床板の奥の匂いはかげる?」
わたしの言葉にポールは難しい顔をした。
「この建物にはおじいちゃんの匂いがたくさんあるから。でも、やってみる」
「何で床の下なの?」
彼女は探していた釜の周辺をじっと見る。
「ルーナでは地面の上だったけど、この国では地中に埋めていたよね」
「そうか。私も蔦で探ってみるよ」
リリーは床に手を当て、目を閉じる。
ポールも匂いを辿っているようだ。
わたしは彼らの集中力を削がないために、じっとその場で佇む。
何かヒントはないだろうか。こんな広い場所をむやみやたらに探してもきりがない。
土砂崩れを浴びたとしても耐えられる場所。そして、探そうと思えば探せる場所。
そう考えた時、私の視界はある一点で止まる。それはアンヌの家の錠と同じ金属で作られたと思われるテーブルだ。その下はがら空きになっていて、何もない。
実質これで守れるとは思えない。だが、気休め程度にはなるはずだ。
「ポール。このテーブルの下は?」
彼はそのテーブルの傍に来ると、匂いを嗅いだ。
「微かに匂う気がする」
リリーは驚き、こちらに駆け寄ってくる。そして、床に手を当てる。
「何か箱がある。手のひらサイズより大きい箱だと思う。アンヌに地面を突き破っていいか聞いてくれる?」
私は顔を開けっ放しになった窓から出すとアンヌを見た。
「この工房の床に穴をあけていい? 見つかったかもしれない」
「構わないよ」
私はリリーにその事を伝える。彼女が呪文を詠唱すると、地面から蔦が生えてきて、木の粉が舞い散る。彼女の魔法によって作られた蔦が一つの小箱を手にしていた。リリーがそれを手に取ると、蔦が消える。
それは黒い光沢のある箱で、見るからに頑丈そうだ。
「これかな。魔法もかけてある。でも、私には解けない。アンヌに見せてくるよ」
「私は念のためもう少し探してみるよ」
「僕も」
「すぐに戻ってくる」
リリーはそういうと、先程の入口から外に出た。もうここに入れるのは最後かもしれない。そう思うと、最後まで探したかったのだ。
探し始めて少しして、あけっぱしになった扉から石のようなものが複数個、転がるのが見えた。その量は徐々に増えていく。
まずい。
血の気が引く。
私の予想が間違っているならそれでいい。余計な行動が増えるだけだ。でも合っていたら、私もポールも最悪な状況に陥る可能性もある。
「ポール、ここを出よう」
わたしは少年を抱き寄せ、建物の外に出る。
「美桜、危ない」
リリーの悲鳴に近い声が響く。
私は後ろを振り返る余裕もなく、前へと進もうとした。だが、その時ポールが小さな声を出す。そして、彼はそのままするりとわたしの腕からとびだしたのだ。
ポールを追うために振り返った私はリリーの叫び声の意味を理解する。
土砂が崩れ、それが一つの塊を形成し、崖を駆け下りてきたのだ。ポールはそれに気付いていないのか、地面で何かを探している。その彼の動きが止まり、彼は泥の塊を嬉しそうに拾い上げる。
わたしは頭で考えるより早く、彼に駆け寄っていた。そして、慌ててポールを抱き寄せた。
そのまま逃げればまだ良かったのかもしれない。だが、あの迫る土砂が脳裏にちらつき、思わず顔をあげていた。そして、土砂が目前に迫っているのに気付いた。逃げられない。
そう感じ、腕の中にいるポールを抱きしめた。
その時、地面から無数の蔦が生えてくる。それが一つの網をつくり、土砂を食い止める。土砂が止まったと思った直後、その蔦が裂け、土砂が流れ出てきた。
「アンヌ、ごめん。土地自体をいじる」
そうリリーの声が聞こえたが、私はもう身動きができずにその現状を見守ることしかできなかった。
呼吸の音を飲み込んでしまう程の巨大な地鳴りが響いた直後、凛とした声が響き渡る。
「リリー、詠唱をやめろ」
直後に目の前の土砂が凍りつく。だが、凍りついたのはそれだけではない。眼前が氷の世界と化していた。私は何が起こったのか理解できなかったが、土砂が止まったという安堵から、力が抜け、その場に座り込んでいた。




