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エトワールの賢者  作者: 沢村茜
最終章 花の国
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元の世界にもどったわたしは

 翌朝、わたしはお父さんとお母さんが出会ったという桜によく似た花が咲く場所までアリアたちと一緒に来た。どこで送ってほしいかと聞かれたわたしは、いくつかの候補の中からその場所を選んだのだ。


 わたしは荷物を確認した。制服を来て、鞄を持っている。そして、お母さんの指輪。ここに来た時は持っていたものを全て持っていた。髪の毛もルイーズに昨夜のうちにここに来た時の長さにカットしてもらった。

 深呼吸をすると、目の前の人々を見据えた。


「今までありがとう」


 昨夜は遅くまで語り明かしたため、もう語るべき言葉はないと思っていた。

 だが、別れを意識した途端、思わず言葉が溢れてきそうになる。

 その代わりのように、わたしの目に涙が溢れそうになる。


 アリアがそっとわたしの傍まであゆみよってきて、わたしを抱きしめた。


「必ず迎えに行く。でも、大事なのは、あなたがどう生きたいか。そのときには、あなたの好きな人生を歩みなさい。それをお兄様も、お義姉様も願っているはずよ」


 わたしはアリアの胸の中で泣きじゃくっていた。お母さんとアリアに血のつながりはないはずなのに、お母さんはこんな感じなんだろうかと漠然と考えていた。


「そろそろ時間よ」


 セリア様の言葉に促されるように、アリアの手がわたしから離れた。

 そして、彼女は周囲の人に目くばせした。

 周りの人たちはアリアとわたしからそっと距離を置いた。


「あなたの転移時間だけど、どうする? 今ならお義姉様のときとは違って、好きな時間に転移させられるわ。わたしは同じ時間に戻ったほうがいいと思う」


 アリアはそっと顔をしかめた。


「そうだね。母娘揃って家を空けたら、それはそれで大問題だもん」


 彼女は深呼吸をすると、ゆっくりと呪文の詠唱を始めた。

 彼女の指先から金色の眩い光があふれ出てきて、それが線となり、地面に絡みつき、魔法陣を描き出した。そして、そこから金の光があふれ出し、わたしを取り囲んでいく。


 まるで生きているかのような、暖かい光だ。最初、わたしをここに導いた光。

 あのときは突然のことでそんな余裕はなかったけれど。


 ローズが顔をしかめて、後ずさりするのが見えた。リリーはそんなローズの肩を抱いていた。

 セリア様に促され、ルイーズとラウールも距離を置くのが見えた。


 その光から黒い空間が見えた。

 この黒い光が、わたしをもとの世界に連れて行ってくれるだろう。


「またね」


 わたしはそう精一杯の笑みを浮かべた。

 そして、わたしの視界から緑の世界が消失した。




 目を開けたわたしの視界に広がったのは青い空。そして、辺りを見渡すと、見慣れた通学路がある。

 わたしがこの世界を去った日。あれからほんの少しだけ歳をとった。

 髪の毛も切ったし、身長も数ミリ伸びただけ。あまり変わっていないと思う。

 わたしの中にある日本も、記憶のあるそのままだ。


 わたしは通いなれた道のりを辿り、家に到着する。

 これからのことを考え、深呼吸をした。


 だが、引き戸は閉まっていた。わたしは鞄から鍵を取りだすと、戸を開けた。

 家の中はひっそりと静まり返っていて、人気はない。

 買い物にでも出かけたのだろうか。

 家の電話がなり、電話を取った。


「美桜ちゃんか?」


 電話をかけてきたのは叔父さん。すなわち、お母さんの弟だ。


「お母さんが昼過ぎに倒れて。今、病院に来ている。容態は落ち着いているよ」

「病院? 大丈夫なの?」

「大丈夫。お母さんが美桜ちゃんが家に帰るまで黙っておいてくれと頼まれたから悪かったな」

「いいの。どこの病院なの?」


 わたしは電話を切ると、お金を持ち、家を飛び出した。

 そして、タクシーを拾うと、病院まで行く。

 おじさんが待合室で待っていてくれて、わたしはそこでおじさんと合流した。


「おばあちゃんは?」

「大丈夫。病室に行こうか」


 わたしはおじさんと一緒に病室まで行くことにした。

 病室は三階の奥にあった。扉を開けると、一人の女性が窓の外を眺めていた。

 彼女は物音に気付いたのか、凛とした視線をわたしに向けた。

 その目元がわずかに潤んだ。


「おばあちゃん、大丈夫?」

「大丈夫よ。学校は終わったの?」


 わたしは頷いた。

 彼女はじっとわたしを見据えた。

 そして、首を傾げた。


「おかしいわね。今朝会ったばかりなのに、久しぶりに会ったような気がするわ」


 わたしは今まで彼女のきつい言動にとらわれ、その奥にある彼女という人間を見ていなかったのかもしれない。彼女はわたしの想像以上にわたしをよく見てくれていたのだ。お母さんと、そして娘である私を一人で育てるのはたやすくなかっただろう。


 お母さんがこの世界に戻ってきたときは、おばあちゃんもまだ今よりは若かった。

 お母さんはおばあちゃんに本当のことを伝えようとは思わなかったのだろうか。信じてもらえないと思ったのかもしれない。


「飲み物を買ってくるよ」

「わたしが行きます」


 立ち上がろうとしたわたしをおじさんが制した。


「美桜ちゃんはお母さんの傍にいてやってくれ」


 彼はそう言い残すと、部屋を出て行った。

 今、言う必要はない。時間もまだある。

 でも、今、言いたかったのだ。


「おかしいことを言っていると思うかもしれない。でも、聞いてほしいの。わたしのお母さんがどこに行っていたか。そして、わたしのお父さんのこと」


 わたしは深呼吸をすると、ゆっくりと語りだした。

 エトワールという大陸でのあらましを全部伝えるのは難しい。だから、わたしのお母さんが魔法という特別なものにより、ある世界に偶発的に連れていかれ、そこである王家の男性と恋に落ちたこと。その国で内乱が勃発し、その影響でお父さんが亡くなったこと。そして、お母さんがわたしを身ごもった状態で戻ってきたこと。


 おばあちゃんはわたしの話を非現実的だと切り捨てると思っていた。だが、彼女はただ黙ってわたしの話を聞いてくれていた。


「あなたもそこに言っていたの?」


 わたしは首を縦に振った。


「ここではほんの数分しか経っていないけどね」


 おばあちゃんはただ、何も言わずにそうと返していた。

 おじさんが戻ってきて、話は自動的に終わりをつげた。


 家に帰ってから、仏壇にあの指輪を供えた。

 おかあさんがこの指輪の存在に気付いてくれることをただ祈りながら。


 わたしはそれから毎日、病院へと通った。

 おばあちゃんは入退院を繰り返しながら、病状は徐々に悪くなっていくように見えた。

 そして、おばあちゃんがわたしにエトワールの話を聞くことはなかった。


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