冷たい女性
私たちが一番恐れているのは不意打ちと、人質を取られることだ。エリスたちはラウールといっしょにいるため、まず大丈夫だろう。それにテッサもニコラさんも一緒だ。問題はシモンだが、これはもう運にかけるしかない。
鍵が開き、アスドリさんが入ってくる。
ルイーズは彼女の傍に行き、鍵を受け取ると、内側から施錠する。
「ルイーズ様、ロレンス様が探してましたよ。できれば部屋に来てほしいとおっしゃっていました」
ルイーズは心配そうに私を見る。
私を一人にしておくのは気が引けたのだろう。
「大丈夫だと思いますよ。あの人もそんなすぐには手を出さないでしょう。今は興味本位な城の人間がこのあたりをうろついてますから」
その言葉に驚きの声をあげたのは私だ。
「ラウールの婚約者が来たからね」
「それもルイーズ様と一緒にですね」
そういうと、アスドリさんがくすりと笑う。
さっきもそんなことを言っていたような気がする。
「なら今のうちだね。すぐに戻ってくるよ」
彼女は気をつけてと言い残すと部屋を出て行った。
「ルイーズ様と本当に仲がよろしいんですね」
「はい。いろいろ親切にしてもらっています」
女性は私を見ると微笑んだ。
「ルイーズ様だけではなく、あのラウール様が誰かと婚姻をなさりたいというなんて、驚きました」
「そうなんですか?」
「ええ。あの方は誰かに好意を持つことなど考えられないとばかり思っていました。こういう当たり前の感情があったなんて、嬉しいです」
彼は私に好意を持っているわけではない。だが、理由を話すわけにもいかず、私は会釈する。
彼女の目には涙が浮かんでいた。
彼女は彼のおかれた状況を知っているのだろう。
すぐに破断になる婚約に、彼女をぬかよろこびさせたことに罪悪感を覚える。
本当に、彼がこれから誰かを好きになれる日が来るのだろうか。
「私とルイーズが一緒に来たことに何か意味があるんですか?」
「ラウール様とルイーズ様は結婚前提におつきあいをなされていると皆が噂をしていたんですよ。お互いにそのつもりはないとは知っていたのですが、お二人はあえて否定することはしなかったので」
今まで言葉の節々にそういった話題を感じ取ることはできた。
「どうして否定しなかったんだろう」
「ルイーズ様は自分が盾になることで、ラウール様を守ろうとしたんですよ。あのルイーズ様を押しのけてまで王子に交際を迫まる女性もそうそうはいないし、自ずと彼女以上の相手でないといけないというプレッシャーを周囲に与え続けていたんですよ。それでも、全てを防げるわけではなく、無理な申し出は何度もありましたけどね」
彼女の言う意味は分かる気がした。
美人で家柄もよく、人柄も申し分ない。天才肌なところはあるが、誰とでも打ち解けられる。そんな彼女に勝てると思える人間はそうそういないだろう。それに相手はあのラウールだ。私もこんな事情でなければ、絶対にこんな状況に陥ることはなかっただろう。
「ブレソールの人からしたら、王子の恋人が婚約者に付き添っているということですか?」
「そういうことですね。いずれ、ルイーズ様たちのほうが嘘だったと皆気づくでしょうけど」
考えてみると奇妙な状況だ。
好奇な視線の意味にも気づき、ほっと胸をなでおろした。
私の花に香ばしい香りが届いた。
アスドリさんがお茶を入れてくれたのだ。
「ルイーズ様が戻ってくるまで一休みしましょうか」
彼女はお茶を入れたカップを差し出すと微笑んだ。
彼女の入れてくれたお茶を飲み終わった時、ルイーズが戻ってきた。
彼女は私の隣に座ると会釈した。
彼女はアスドリさんの入れてくれたお茶を口に含んだ。
「明日には家に戻れるのかな」
「数日は滞在してもらう可能性も少なくないと思います。婚姻がうまくいくなら尚更」
「そう」
ルイーズはそう呟くと何かを考え込んでしまった。
用事ができてしまったのだろうか。
私がその理由を問いかけようとしたとき、ドアがノックされ、若い女性が入ってくる。
彼女は私たちをみると一瞥する。
「ソレンヌ様がお呼びです。部屋にご案内するように、と」
「まさか、こんなにすぐ?」
「急に予定があきまして、今すぐ連れてくるように、と」
ルイーズは不安そうに私を見た。
私は頷く。大丈夫だと伝えるためにだ。
このあと、二人きりになる時間を作らないといけない。
今まで話でしか聞いたことのない王妃との顔合わせに、心臓がいつもの倍以上の鼓動を刻み始めた。
私たちは部屋を出ると、三階へと連れていかれる。三階の廊下をぐるっと半周したところで、女性が足を止めた。彼女はこぶしを作ると、扉をノックする。
若い女性がドアから顔を覗かせ、私たちを一瞥する。
彼女はドアをあけると、私たちを迎え入れた。
部屋の中に入ると、そこには一人の女性が佇んでいた。
「クラリス=アルノー、あなたがラウールとの結婚を申し出たのですね」
威厳のある女性。その言葉がしっくりくる。
女性は私を見て、冷たい笑みを浮かべていた。
その笑みがほかの人に映る。
「二人だけで話がしたいわ。あなたたちは下がりなさい」
女性たちが踵をかえし、扉のところに戻っていこうとする。だが、ルイーズは身動きしない。
「ルイーズ、あなたもよ」
「でも、彼女を一人きりにするなんてできません」
私はルイーズを見ると、わずかにあごをしゃくる。
ここからは巻き込まないためにも私一人で交渉すると決めていたのだ。
アリアの力さえも極力借りずに済むようにしなければいけない。
彼女は不安そうな顔をしながらも、唇を引き締め、他の人と一緒に部屋を出て行った。
私は心の中で深呼吸をした。
ドアが閉まるのを確認して、王妃が話をした。
「あなたも不安でしょうね。でも、込み入った話になるから、二人のほうが都合がよかったのよ」
冷たいだけの目に鋭い眼光が宿る。獲物を狩る獣のようだ。
私は全身に鳥肌が立つのを感じた。
思わず後退しそうになった自身を心のうちで諌めた。
私は今までいろいろな民に出会った。だが、ここまで威圧的な視線を送る人間に出会ったことがなかった。それはアルバンたちも例外ではない。
「あの子もそろそろ結婚を視野に入れないといけないのに、ああいう感じで。あなたのような人がいてくれて安心しました」
王妃は口元だけで微笑んだ。
その彼女の口元が引き締められた。
「それで一つ聞きたいのだけど、あなたは今、どこで暮らしているの? あなたの両親は何をされているのかしら?」
私はその言葉に息を呑む。
彼らは騙された存在であるべきだ。
そうアリアが提言したことで、私は名前をはじめ、嘘の経歴をラウールに伝えてもらうことになった。
嘘の経歴を伝えることで、私の素性を探られる可能性はある。
王子の妻となるべき存在であれば、そうして当然だ。
だが、ティメオに娘がいたとしらない彼女なら、素性を偽る女がやってきたとしても、王子をだまして妻になろうとする人間がやってきたと考えるだけだろう。
私は深呼吸をした。
「言い方が悪かったかしら。あなたはどこの出身なのでしょうか? あなたの名前の戸籍がどこにもないのよ。あなたの本当の名前と、指紋をとらせてもらえるかしら。あなたがエスポワールの人間であれば、何らかの形でデータが照合するはずよ」
「差し出しても構いませんが、データーは一致しないと思います。私はこの国の人間ではありません」
私はかぶってた鬘をほどく。
王妃の瞼が震える。
彼女は私が誰かわかったのだろう。




