不思議な声
「お前は剥がせないのか?」
「恐らく無理ですね」
リリーは木の傍に歩み寄ると、皮に触れた。だが、彼女は首を横に振り、振り返る。
「取り方は木に手を当てるだけです。この木が認めた相手なら皮が綺麗に剥がれ落ちます」
「刃物では切れないのか?」
「死にたいならどうぞ。いくらあなたでも無事では済まないと思います。それで可能であればアルバン達がわざわざローズをここに連れてくるとは思えません」
ラウールは短くため息を吐くと、木の傍まで来る。目を閉じ木に触れていた。だが、リリーのときのように変化はない。
彼もダメなのか。
ラウールの視線が私を見る。
「お前がやってみろ」
「そんなの無理です」
「誰もできるなんて期待してないよ。軽く考えろ」
彼のいうことは正論だ。でも、私がやっても正直無駄だと思う。
だが、彼が一刻も早くこの木を欲していることは想像に堅くない。その可能性が低くても賭けたいと思うのだろう。
私は木に近寄ると、その鱗に触れた。その私の触れた部分が白い光に包まれる。優しく、あたたかいながらも、驚くほど清浄な光だ。
なぜあなたはこの木を求める?
優しい女性の声だった。
私は辺りを見渡す。だが、リリーとラウール以外に人気はない。そして、二人にはその声が聞こえないのか不思議そうに私を見る。
深呼吸をして、出来るだけ端的に告げる。
「ティエリの治療薬を作るためです」
大事に使ってください。
そう手元が強い光に包まれ、なにかがごそっと手に触れる。見ると木の皮がそこだけ剥がれ落ちていた。だが、そのはがれた部分は再び強い光に包まれ、何事もなかったかのように再生される。
私は驚いた顔をしているリリーに歩みより、それを渡した。
「美桜も取れるの?」
「私も分からない。でも、女の人の声が聞こえて、どう使うのかと問われて答えたら取れた」
むしろ、なぜこの二人が取れなかったんだろう。
「でも、これで王女の病気は治るね」
そう口にしたリリーの足もとがふらつく。私は彼女の体を支えた。
暗がりで気付かなかったが、彼女の顔色が随分と悪いのに気付いたのだ。
「リリー?」
「お前は転移魔法を使えないよな」
ラウールが私を見た。
「魔法なんて使ったことはありません」
「大丈夫。町に戻るくらいなら使えるよ。疲れただけだよ。気にしないで」
「まずはニコラのところへ戻ろう」
私はふらつくリリーを支えながら、さっきの場所にもどることにした。
ラウールはニコラにエミールの木が採取出来たことを告げる。
「こいつらを町の入口まで送る。もう少しだけこいつらを頼む」
「分かりました」
ニコラは微笑む。
「大丈夫だよ。転移魔法くらいは使える」
「お前たちにはまだ今日中にやってほしいことがある。その体力をそのために残しておけ」
リリーはそれ以上ラウールに反論しなかった。
ラウールが詠唱すると、私達の足もとが光輝く。
妖精の集落の入口に私たちは立っていた。ローズは近くの木陰で倒れている。
「後は頼んだ。俺はここまでしかお前たちを送れない」
「薬ができたらどうしたら良いの?」
「俺が取りに来ても良いが、この国の民には心象が良くないだろう。できれば持ってきてくれ。門番にも話をつけておく。リリーも一緒に来るとは思うが、その時は一緒に町の中に入るようにしてくれ。ローブで頭を隠して、俯いていれば妖精だとはばれないと思う。町の外にいたら、あいつらの残党が残っている可能性もあるからな」
「分かりました。前もって話をしておくべきだと思ったのですが、ティエリの診断って誰がするんですか?」
ラウールは私の言葉に眉根を寄せる。
「この国の妖精が倒れてしまったの。その症状を薬屋に話せば、エリス王女の症状と似ていると。もしティエリなら、この薬を飲ませればどうにかなるかもしれない」
「俺が見てもいいが、明日でいいか。ニコラを一人であのままにしておくのも気がかりだ。あいつがそうそうやられるわけはないと思うが」
昼間だと妖精たちが外にいることもあり、夜同じ時間に待ち合わせることにした。その時に薬の受け渡しをしようと決める。
彼は「頼む」と言い残し、その場を立ち去った。
リリーはぐったりと座り込んでいる。大丈夫だと言っていたが、余程無理がたたっていたのだろう。
「アランを呼んでくる。少し待っていて」
リリーは手にしていたエミールの木の皮を差し出した。
「アランが来てくれるなら、戻って来なくて大丈夫だよ。その代わり、大変だと思うけど、ティエリの治療薬をお願い。美桜がいなかったら誰もその文字を読めないもの」
私はリリーの手を握り締め、なんども頷く。そして、城までの道を駆けていく。
幸い人にほとんど会わずにお城に到着する。アランの部屋はフェリクス様の隣だ。
城の中に入ると、階段をかけあがろうとした。
「美桜」
名前を呼ばれ振り返ると、アランがちょうど階段で降りてきたところだった。
「リリーとローズ様は?」
「二人共無事です。今、町の入口に二人がいて、できれば二人を城の中まで送り届けてほしいんです」
「分かりました。美桜も行きますか?」
私は手のひらにあるエミールの木を握りしめる。
心配だから行きたい。でも、傍にいるのが私のするべきことではない。
私は首を横に振る。
「ザザの在り処を教えてください。今からティエリの治療薬を作りたいんです」
「ザザなら地下への階段を下りて、まっすぐいったところに貯蔵庫があります。そこにあるのを使ってください」
私はお礼を言い、その足で地下まで行く。そして、正面の突き当りの部屋で足を止めた。ドアを開けると、鈍い音が地下室に響き渡る。私が入ると部屋に電気が灯る。そこはどうやらハーブなどの貯蔵庫だ。
だが、ラベルを確認した私はその場で凍りついた。
当然書かれているのは、この世界の文字だ。私は話はできるが、文字を読めない。
直線と曲線がまじりあう文字を見て、私は頭を悩ませた。
お城の一階に戻り、誰に解読を頼むべきだろうか。マルクさんならまだ食堂にいるかもしれない。
「下から三番目の棚の向かって右から三つ目の茶褐色の瓶よ」
歩きだそうとした私に聞き馴染みのある声が聞こえる。そこにはアリアの姿がある。
「いつの間に鞄の外に出てきたの」
「さっき転移魔法で外に出た。早く手に取りなさい」
私は茶褐色の瓶を手に、アリアと一緒に調理場まで行く。
そして、メモを取り出して、その方法に再び目を通した。
イネスとエミールの木の皮を丁寧に洗うと、細かく刻む。これをすりつぶす必要があるらしい。私は戸棚を開け、使えそうなものがないか探してみる。すり鉢に似たものを見付け、それを活用することにした。
「結構手際が良いんだね」
「日本にいた頃っていっても分かんないと思うけど、自分で料理していたんだ。それとなんとなく似ているからだと思う」
「そっか。少しは役に立っているんだね」
「そうだね」
私は思わず笑みを浮かべる。それをすり粉状になったのを確認して、ザザを混ぜる。ザザは何か混ざっているのか少し粘度のある水だった。
「元の世界に帰りたい?」
アリアの問いかけに私は手を止める。帰りたいと言えばこの場は綺麗に収まるだろう。でも、なぜかそこのときは本心を語ってみたくなった。
「帰れる方法があるなら帰ると思う。今は好意でこの城で住まわせてもらっているだけで家もないもの。でも、怖い思いもしたけど、日本にいるときはこんなに笑うことってなかなかなかった気がするの。だからほんの少しだけ心残りかもしれない」
「そっか。でも、きっとここに美桜が来たのには意味があるんだよ。もちろん、元の世界で美桜が産まれたこともね」
私は滲んだ輪郭をクリアにするために目元を拭い、手を洗う。
疲れているからか、今日は感情が高ぶりやすい。今日はダメな日だ。
「そうだといいね」
恐らくアリアは一般論を語っただけなんだろう。それは分かっていたが、なぜか今まで置かれた私の環境に妙にマッチしていた。
「とりあえずティエリの治療薬を作りなさい。できたら味見をしてあげる」
「これって健康な人でも飲めるの?」
「さあ、各々毒がないみたいだから飲んでも構わないと思うよ。ただ、そこに書いてある摂取量は守ってね」
私がメモに視線を落とすと、下の方に小さく大さじ三杯分まで飲んでも大丈夫と書いてある。ここでもさじで分量を量ったりすると知り、新鮮な気持ちになる。
「あなたはこの国の人なんだよね。リリーたちの前に顔を出さなくていいの?」
「誰がそんなこと言ったの?」
「違うの?」
「違うよ。まあ、女王とは顔を合わせた事があるけどね。この国には数多くの生き物がいるの。同じに見えても実は細かい違いがあったりとね。だから大まかな理由で同じ人種というのは争いのもとよ」
「生き物って?」
「人間、やこの国の妖精の他にね、他の妖精、即ちドワーフやゴブリン、獣、魚、そしてそれらの混血が数多く生きているの」
私は驚きアリアを見た。
だが、彼女にとっては話の一区切りがついたのか、大きな欠伸をする。
「しばらく眠るから、できたら起こしてね」
「ちょっと待って」
だが、彼女はそう言い残すと私のバッグの中に入った。鞄の中にいて疲れたんだろうか。走ったりしたので揺れたり、潰されそうになったりとそれなりにきつかったのかもしれない。
今はこの薬を作ることだけ考えよう。これから少し力がいる。最後の仕上げにザザを入れてすりつぶす必要がある。今日動き回っていたのでさすがに疲労は感じるが、もう少しだけと言い聞かせることにした。




