作戦決行の日
私は滑らかな肌触りの洋服を見て、思わずため息をついた。
足の甲を覆い隠してしまうほどの長さのベロアのような光沢のある黒い生地に、襟元には白いレースが縁取っている。腰のあたりには布地が余分に縫われ、リボン結びができる仕様だ。私はそれを結ぶと、思わず鏡に映った自分の姿をじっと見る。
「どうかした?」
「こういうのって恥ずかしいなって思って」
「似合っているよ。普通にね」
アリアは私を見るとくすりと笑う。
その笑い声に続くかのように、ドアがノックされ、ルイーズが顔を覗かせた。
「やっぱり良く似合うね」
「こんな洋服、借りていいの?」
「いいのよ。どうせ使わないし、今は準備をしている間もないもの」
「汚れるかもしれないよ」
「気にしないで。テッサにも言ってあるから」
ブレゾールに行く日、私は以前セリア様からもらった服で行こうと思っていた。ルイーズがこの洋服を持ってきてくれたのだ。数年前、テッサに作ってもらったものらしい。
私が城に入れば私自身も、無事かは分からない。
「私ができるだけ一緒にいるから、大丈夫よ」
ルイーズはそういうと微笑んだ。
お城はこの国のように気軽に入れる場所とはいかないようだ。
書類で申請を出すか、城の護衛に入っていいと許可され、やっと出入りが許される。
彼女は父が大魔術師という城でトップクラスの権力を持っていることと、父親の部屋も城内で与えられていることから、比較的自由に出入りが許されているようだ。
あの私とルイーズの一件は伏せられているのか、特に問題はなかったようだ。
城でラウールが信頼を置いているのは、ニコラさん、エリス、テッサ、ジルベール様、ロレンスさん、フランクさんの五人で、それなりに信頼関係を築けているのはアスドリさんという年配の女性と、セザールさんという年配の男性だ。二人とも、クロエさんの知り合いで、幼い時から二人の面倒を見てくれていたらしい。
ルイーズはウエーブの黒髪の鬘を私にかぶせた。
さらりと黒髪が風になびき、ルイーズがそれを手や櫛を使い整えていく。
これも彼女が準備してくれたのだ。
髪の色を茶髪から黒髪に変えただけだが、その鬘の長さが腰ほどまであるためなのか雰囲気ががらりと変わる。
彼女は私に断ると、サイドを持ち上げ、花飾りで後方に結った。
「行きましょう」
私と、アリアはほぼ同時に頷いた。
部屋を出ると、一階に行く。そこにはすでにラウールの姿があった。
彼は私を一瞥しただけで、表情も変えない。
彼にとってはどうでもいいことはのは分かるが、少しくらい反応はしてほしかった。
「今日は恐らく、城に入った後は客間で待っていてもらうことになる。王妃は夜には帰ってくるから、そこで顔合わせることになると思う。俺も付き添いたいが、おそらく呼ばれないだろうな。そのまま城で一泊してもらうことになるはずだ。アスドリさんが世話をしてくれるらしいから、何かあれば彼女に言えばいい。ただ、あまり厄介なことに巻き込みたくないから、何かあればルイーズかテッサに頼んでくれ。テッサには婚約者として連れてくるという話だけはしている。ただ、偽名で呼ぶようには伝えてある」
「分かった」
私はゆっくりと深呼吸した。
セリア様は心配そうに私たちを見る。
「気をつけてね」
私は彼女の言葉に頷いた。
「何かあった時はよろしくお願いします」
「分かっているわ」
リリーたちには今日、ブレソールに行くということ以外、何も言っていない。余計な心配をかけさせたくなかったためだ。だが、二人は何かを察したのか、この数日間、何度かこちらに顔を出していた。
彼とルイーズと一緒に、ブレソールの町の前まで到着する。
町や城の中まで直接行かないのは、王子が婚約者を連れて来るという話が町全体に広まっているためだ。
私が町に入った証拠を、人の記憶というあいまいなものであっても残しておいたほうがいいとルイーズが提案したのだ。
町につながる門の前に来ると、門番がさっとラウールの傍に駆け寄ってくる。彼らは何か言葉を交わし、横目で私を見ていた。今までこの町に入るときは普通だっただけに妙な気分だ。
だが、そんな妙な気分は町に入った途端、一掃される。
周りから人の目が突き刺さるっていた。
彼と一緒にブレソールを歩いたことはあるが、その比ではない。
おそらくその大部分は私と彼が婚約をすると知っているのだろう。
だが、そんな人々の視線に動揺する私とは違い、ルイーズもラウールも平然としていた。
人ごみを抜けると城にたどり着いた。だが、城についてから、まだ町のほうは穏やかだったと気づかされる。
王子が婚約者を連れてくるという噂を聞きつけ、ここにはすでに野次馬が多数群がっていたのだ。好奇心や敵意に満ちたまなざしが肌に刺さり、何度も深呼吸を繰り返した。
ラウールは城門に立つ男性のところまで行き、私とルイーズは少し離れた場所で彼が戻ってくるのを待った。
ルイーズが私の肩を叩く。
「できるだけ私も一緒にいるから大丈夫よ」
「ありがとう」
臆する気持ちはあるが、臆してはいられない。この瞬間にもシモンの命が尽きている可能性もあるのだ。
私はしっかりするように、と自らに何度も言い聞かせた。
そのとき、城の入り口に立ちはだかっていた男性が動き、城の前に作られた門が消える。
魔法で作られた門なのだろうか。
初めて見る仕掛けに戸惑いはあったが、ルイーズに連れられ、城の中に入ることにした。
中に入ると、今度は赤髪の男性がこちらにあゆみよってきた。
フランクという男性だ。
「ラウール様」
「分かった」
ルイーズは彼に会釈すると、ラウールを向き直る。
「あとは私がつくから大丈夫よ」
「頼む。俺はエリスのほうを見張る。一応、ジルベール様やテッサにも声をかけているから」
私は首を縦に振る。そして、年配の優しそうな赤髪の女性がこちらに歩み寄ってくる。
彼女は私と目が合うと会釈した。
ルイーズは私と彼女の間に立つと、各々を紹介する。
私の名前はクラリス=アルノーと紹介し、この女性がアスドリさんだと教えてくれた。
「初めまして。ここにいる間、お世話をさえていただきます。まずは、お部屋にご案内いたします」
「私も一緒にいていい?」
「構いませんが、ルイーズ様が一緒だと奇異の目で見られるんじゃありませんか?」
「いいのよ。いいたい人間には言わせておけばね」
「そうですね。では、まいりましょう」
私はふたりの会話の内容が掴めなかったが、先導するように歩き出した女性の後を追うことにした。
そこからお城の周りにある廊下を半周ほどし、そこから二階へとあがる。その階段を上がって少し進んだ部屋が私の部屋だ。
「ここが決められた部屋なの?」
ルイーズの意味ありげな言葉に、女性は苦笑いを浮かべる。
「そうですね」
女性はエプロンから鍵を取りだすと、部屋の鍵をあけ、私とルイーズ案内した。
そこはホテルの一室を連想させるような部屋で、ベッドが二つあり、机やソファまである。
二つというのは私とルイーズが泊まることを想定してるのだろうか。
ルイーズは辺りを観察するように見渡した。
「この部屋の掃除は?」
「言いつけ通り、私が一人でしましたよ。ルイーズ様が一緒に宿泊されることも伝えてあります」
「なら大丈夫だね。ありがとう」
「いえ、他ならぬラウール様の頼みですから」
彼女は私を向き直ると再び微笑んだ。
「お茶を持ってきますね。少し待っていてください」
「ありがとう。本当は私も手伝えたらいいのだけれど」
「気にしないでください」
彼女はそういうと部屋を出て行った。すぐに外から鍵がかけれ、ドキリとする。
「鍵をかけるものなの?」
「今回は事情が事情だけにね。いつどこで誰が襲ってくるのか分からないのだから」
「やっぱりラウールとの婚約があるから?」
「それもあるけど、王妃にこちらの主張を伝えた後、どうなるかも分からない。両サイドが開いていたら、多少手荒なこともできるでしょう」
そうルイーズは笑みを浮かべた。




