海王の娘
岩の破片が私の頬に触れるが、ほんの少し頬をかすめただけで済んだ。
天井を仰ぐと、花の国で作り上げた要塞と同一のものが私たちを取り囲んでいたのだ。
ラウールは苦笑いを浮かべると天を仰ぐ。
「なんというか、便利な能力だな。さすがに今回はまずいと思ったよ」
「能力というよりは自発的に守ってくれたみたいだけどね」
私はあいまいな笑みを浮かべる。
つぶれると思った瞬間、私たちの体をあの植物が取り巻いたのだ。
アルバンたちに見られていなければいいが、それは今の段階では分からない。
顔をあげると、魚人の少女と目が合う。
魚人の娘の前でこのことを明らかにすべきではなかったのかもしれない。
だが、もう後悔しても遅いのは分かっていた。
「そう。あなたは花の国の民なのね」
私は首を縦に振る。
「なら、彼女もなのね」
彼女の視線がとらえたのはアリアだ。アリアは気まずそうに顔を背けた。
ラウールが氷を溶かし、辺りが水に戻る。
「アルバンたちに見つかるんじゃないの?」
「あいつらはおそらく転移魔法でルナンの町中に戻ったはずだ。あの崩落で命を守るにはそれが最適だからな。それに見つかってもこれをあいつらには壊せないだろう」
彼は氷漬けになる状態のほうを危惧したのだろう。
まずはここからどうやって脱出するかだ。
「まずはここからどうするか考えましょう。この要塞は少々のことでは壊れないとは思う。でも、ずっとここにいるわけにもいかない」
「問題はここからどうするかだな。この要塞を解けば岩盤が直撃するし、派手に攻撃をしようものなら、崩落が起きても仕方ない。セリア様が来てくれるのが一番いいが、あのフイユ王をどうやれば説得できるのか」
「道を作れなくもないけど、道を作り上げても何らかの拍子に崩れたら対処できるかどうか」
彼らに壊されたことでこのあたりの岩盤が弱くなっているのだろう。
「出るなら、フイユのほうがいいんだよね」
「まあ、セリア様もいるしな」
私は要塞に視線を走らせる。
確証があったわけではない。だが、何か言いようのない確信があった。
ラウールのいったことを成し遂げられる、と。
私の胸が熱くなり、その鼓動と体が一体化したような感覚が襲ってくる。
今要塞を作っている草木が動き出すのが分かった。ゆっくりと私たちがさっきた方向に向かって伸びていく。
土の削れる音や崩落音が響いたが、私たちの体に直接危害が加わることもない。
徐々に人が一人通れるほどの道が作り上げていく。
そして、その植物が外気に触れたのを感じ取る。
できたと思う。
私はめまいを起こし、その場に座り込みそうになる。
腕をつかまれ、顔をあげるとラウールが私の体をつかんでいた。
「ありがとう」
「外までつながったのか?」
「多分ね」
「先に外に出よう。歩けるか?」
私は頷くと、その水からあがり、植物の道の上にのりあげる。
魚人の少女もゆっくりと水からあがると、地面の上に立った。
その彼女の体をラウールが支えようとしたが、一足早くあの透明な膜のようなものが彼女を覆った。
彼女の白い肌がわずかに赤味を伴う。
「この先はフイユなの?」
「そうだと思います。外に出た途端、つかまるかもしれませんが」
「ただ、ここにいるよりはましね」
そういった彼女の言葉に促されるように、私たちはラウールを先頭に来た道をゆっくりと歩いていく。この草はアリアの言っていたようによほど頑丈なのだろう。
時折崩れ去る音が聞こえるが、その草の道が崩れることはなかった。
あなの奥に光の塊が現れ、徐々にそれが大きくなっていく。
ラウールが外に出ると、一瞬動きを止めた。
そして、私たちに出てくるように促した。
私は魚人の少女が先に出るのを待ち、外に出る。
そして、洞窟の外に出たラウールが一瞬動きを止めた理由に気付いた。
そこにはセリア様とフイユ王、そしてリリーのの姿があったのだ。
リリーは私に抱き付くと、そのまま泣き出していた。
「どうしてリリーが」
ラウールに促され振り向くと、私たちの入ったはずの地面かなり大きく崩れていたのだ。あの崩落はこの場所にも相応の被害をもたらしていたのだろう。
「無事でよかった。セリア様から地下に入ったと聞いて、心配していたの。ずっと戻ってこないし、変な音もするしで」
「大丈夫だよ。会えてよかった」
そのとき、あの魚人の少女が地面に座り込む。
リリーとラウールは慌てて彼女に駆け寄った。
ラウールは彼女に回復魔法をかけるが、いまいち体の調子が戻らないのか、青ざめた顔を浮かべている。
この場所では、リリーはともかくフイユ王の前ではアリアの力は借りられない。
治癒をするなら、アリアしかいないはずだ。
「先に彼女をどこかゆっくりできる場所に連れていきたい。話はそれからします」
「この娘は魚人か?」
今まで抑圧的だった、フイユの王が顔をひきつらせ、少女を見つめる。
少女はゆっくりと顔をあげ、フイユ王のほうを見る。
「申し遅れました。私は海王の娘のラシダです。この体制でいることをお許しください」
立ち上がろうとするが、彼女は足をふらつかせ、それをラウールが抱える。
「海王の娘?」
その言葉に驚いたのはフイユ王たちだけではない。私たちも同様だ。
私の中である結論が導かれるが、それを口にするのは憚られた。
「とりあえず事情を説明するのはあとね。もし、問題があるようなら、ルーナかポワドンにでも連れていくわ」
「少しぐらいなら構わん。お前がいたら、人間どもは寄ってこないだろうしな。寄ってきたら自分で対処してもらう」
「感謝するわ。ゆっくり話せる場所を提供して。監視されない場所をね」
セリア様の言葉にフイユ王の顔が引きつる。
「なら、私の部屋に来てください」
「勝手に城に人間を連れて入るなど」
リリーの提案にフイユ王は顔をひきつらせた。
ラウールが私を見る。
私も彼の意思をくみ取り、うなずいた。
「俺も王に話があります。恐らく人に聞かれないほうがいい話かと」
「仕方あるまい」
王が苦渋の表情を浮かべながらも了解したことで、私たちはリリーの部屋に案内されることになった。
彼が私たちを護衛していた二人組に何か言葉をかけ、呪文を詠唱する。
そして、私たちの視界から青空が消えた。
目の前に現れたのは、そこには黒のローブを着たエルフだ。
彼らは私やラウールと一緒にリリーがきたことに戸惑いを示しながらも、王が一緒だからかその疑問を口にすることはしなかった。
リリーは扉を開け、私たちを迎え入れる。
リリーの部屋はセリア様の家くらいの広さがあり、その本の多さはロロの家の書庫を連想させた。
彼女はこの時間をどんな気持ちで過ごしてきたのだろう。
リリーがイスを用意すると、そこにラシダが腰かける。
彼女のそばにはセリア様が付き添う。
「話は何だ」
真っ先に王が会話を切り出した。
「この国の緑が枯れた原因は、ルナンの魔法で、この国の自然の力を吸い上げていたためです。恐らくそれを人に注入して、人工的に植物の力を取り出そうとしていたのでしょう。けれど、もうそれを破壊したため、この国に少しずつ自然は戻っていくと思います」
「お前は何者だ。なぜそんなことが。そもそもルナンの技術力でそんなことが可能なのか?」
「それは分かりません。俺はラウールといいます」
「まさか、エスポワールの王子」
彼は頷いた。
「王妃が王妃なら、義理とはいえ、息子も息子だな」
「ラウールのお母さんはクロエであって、あの人じゃない」
そうリリーが口にする。
「責められても仕方ないことをしたんだ。黙っていたのは申し訳なく思っています」
「クロエか。クロエが生きていたらこんなことにはならなかったのに、あの国はどこまで私たちを苦しめば済むんだ」
ラウールはその言葉に苦虫をかみつぶしたような渋い表情を浮かべる。
「ここで約束を反故にするといえば、それは人間と同じだ。お前たちとの約束は守るよ。リリーは解放しよう」
「いいんですか?」
「仕方あるまい。この国が救われたんだ。そう神が導いたのだろう。ただ、本当に神がいるなら、あのとき王妃を殺してくれていたら、よかったのに」
その言葉に皆辛辣な表情を浮かべているが、一番苦しんだ表情を浮かべているのは私のローブの中に隠れたアリアではないかという気がしてならなかった。




