海を渡る方法
「私たちは一階の掃除でもしようか。ラウールも来て」
「私も手伝います」
「エリスとニコラはここにいて。すぐに終わるから」
ルイーズは手伝うと言ったエリスにそう言い残し、私たちと一緒に部屋を出た。
私たちが向かったのは書庫だ。
ルイーズはあの本を取り出すと、ラウールに見せる。
「ラウールならこういったこと、できるのかな」
「橋をかける、か」
その言葉に私の置かれている状況を察したのか、彼は私を見る。
「できなくもないとは思う。ただ、橋をかけるよりは、海の表面だけを凍らせたほうが確実だとは思う」
「そうだよね。でも、凍らせるなら他の生物をどこかに移動させないと難しい、か」
ルイーズはそういうとあごに手を当てた。
彼女は状況が分からないながらも、この橋をかけることの重要性を悟っているのだろう。
「花の国の場所が分かったかもしれないの」
ルイーズは戸惑いを露わに私を見る。
私はルイーズにあらかたの事情を話した。
そもそもティメオの娘だと知っていて黙ってくれている彼女に、隠す必要もないと思ったのだ。
「あのあたりにあるのか。だから魚人について調べていたんだね。お母さん、他に何か聞いていなかったのかな」
「お母さん?」
「この本を描いたのは私のお母さんなの。クロエ様と仲が良かったんだって。もともとお父さんと今の王様は親友同士で、そのつながりでね」
ルイーズは魚人について書かれた本を私に見せる。
「そうなんだ」
そう考えるとラウールとルイーズの関係は考えている以上につながりが深いのだろう。
「ラウールは魚人に会ったことないの?」
「ないよ。母さんからもそんな話を聞いたことない」
「そっか。クロエ様と親しいと言っても、ラウールを会わせる必要はないと考えたのかな。そのときに海王とでも面識があれば、魚人との話がうまく進んだ可能性もあるけど」
「魚人相手だと、誰も行きたがらないからな。俺が実際に会いに行ってもいいが、話が通じるかは分からない」
「それはしなくていいよ。何かあってラウールの身に危険が及んだら、きっとセリア様達も悲しむと思う」
私は彼の提案を断ることにした。達と言ったのは、そこにアリアがふくまれていたのだ。
彼が力を貸してくれれば心強いが、彼女は必要以上にラウールが花の国にかかわろうとするのを制していた。きっと何か理由があるのだろう。
そして、確証がないながらも、アリアが気にしているのも、彼の義母であり、エリスの母親である女性なのではないかという気がした。
「わかった。しばらくは静観するよ」
「ラウールはその場所を感じ取っているんだよね。それでも分からないのか」
「距離がはっきりつかめないんだよな」
「でも、王妃の部下がそこにいたということは、そこに渡れる方法はあるってことだよね。ラウールが無理なら、そんな強い魔法を使える人間がエスポワールにいるかな」
ルイーズは具体名を挙げていくが、どれもぴんと来ないようだ。
セリア様、アリア、ラウール、そして数に加えていいか分からないがリリー。私の知る限りだとこの四者が無理であれば魔法で渡ることは難しいだろう。だが、海であることを基準に、魔法にこだわらなければもっと他に適任者がいる可能性もある。
「魚人は泳げるんだよね。なら、花の国まで泳いでいけるのかな」
「海岸線がどうなっているかは分からないが、不可能ではないと思う」
私の問いに答えたのはラウールだ。
「魚人の力を借りてという可能性はないのかな。別に海を渡る力を持っていて、と」
「人間を連れて渡る方法か。なくもないと思うけど、でも、クロエ様に心を開いていた魚人が王妃だけには力を貸さないと思うよ」
ルイーズは腕組みをして首を傾げた。
「仲が悪かったの?」
私の問いかけにルイーズとロロは顔を見合わせた。
「どこから話せばいいのか分からないけど、仲がいいとは言いがたいとは思う」
そうラウールが口にする。
「そっか。なら、違うのかな」
「誰か事情を知る人がいれば。王妃を問い詰めるのは難しいだろうね」
私たちはいろいろ考えてはみたが、結局答えの出ないままだった。
私たちは掃除を適当なところで切り上げ、ラウールにルーナまで送ってもらうことになったのだ。
カップから湯気が浮き上がる。
ラウールはそのカップに口を寄せると、半分ほど飲み干した。
私はラウールがエリスとニコラを城に送り届けてから、セリア様の家の前まで直接送ってもらった。彼自身、セリア様に用があるらしく、二人で彼女の家を訪ねると、セリア様は私たちを迎え入れてくれたのだ。
彼女はお茶を出してくれ、私はセリア様にロロからもらった本を手渡したのだ。
彼女はそれをアリアと一緒に熟読している。
セリア様は魚人について書かれた本について驚いているようだったが、クロエ様から聞いた話をルイーズの母親が書き写したと聞いてから苦笑いを浮かべながら納得しているようだった。
「クロエらしいというか、あの子は本当に誰とでも仲良くなれる娘だったわね」
私はその台詞に疑問に思う。
「セリア様はクロエ様に会ったことがあるんですか?」
「あるわよ。あの子がまだ幼いときにね。初めての人間の教え子だった」
「なら、その次の教え子がラウール?」
「そういうことね」
セリア様がラウールとエリスを引き取った時期があったのも、クロエ様の存在と無関係ではないのだろうか。それなら、人間の王位継承権を持つ二人を預かった時期があったとしても違和感はない。
「どんな女性だったんですか?」
「独特の雰囲気を持っていたわ。本人にその気がないのに、いつの間にか自分の世界に引きずり込んでしまっているのよ。一緒にいると周りが笑顔になってね。ローズ王女とどことなく似ているわ」
ラウールも同じようなことを言っていた気がする。
すごく柔らかい雰囲気を持つ女性だったのだろう。
私の中でクロエ様のイメージはローズにより近いものになっていく。
「あなたもクロエに似ているわね」
セリア様はラウールを見て微笑んだ。
ラウールは苦笑いを浮かべていた。
「ただ、魚人の件は母さんが親しくしていたと言っても、現時点では直接的な接点はありませんからね」
「そうよね」
「今日は、リリーはいないんですか?」
脈絡もなく、ラウールの口からリリーの名前が出てきたことに、私もセリア様も驚きを露わにする。
「何か用?」
「少し確認したいことがあって。城ですか?」
私は何も言えずに黙っていた。
セリア様にどうするかゆだねようと決めたためだ。
「リリーは父親の国に帰ったわ。だからもうルーナにはいない」
彼女はそう端的に告げる。
私が驚きセリア様を見ると、彼女はしっかりとうなずた。
ラウールはリリーの素性についてあらかた知っていたのだろう。
だが、ラウールは難しい表情を浮かべたまま、驚いた様子はない。
「驚かないのね」
「妙な噂を耳にしたんですよ」
「妙な噂?」
その時、セリア様が人差し指を唇に当てる。
ほどなくして家の玄関がノックされた。
アリアは私の膝の上に身を隠し、セリア様が玄関まで行く。
「実はフイユからマリオン様がやってきていてセリア様にどうしてもお会いしたいとおっしゃっているのですが」
私はその声に反応する。アリアも同様だ。
ラウールはフイユとマリオンのどちらに反応したのかは分からないが、眉根を寄せた。
「見てくるね」
ラウールとアリアにそう言い残すと玄関まで行く。
そこにはルーナの入り口付近を警護している兵がセリア様と言葉を交わしている。
「用事を聞いたのですが、何も言わないため、あちらで待たせています。急ぎの用とは言っています」
「分かったわ。連れてきてもらえるかしら?」
男性が合図すると、マリオンさんと別の警護しているエルフが玄関まで到着する。
「わざわざありがとう」
男性たちは深々と頭を下げると、扉を閉め出て行った。
扉が閉まってからマリオンさんがセリア様の腕をつかんだ。
彼女の目には大粒の涙が浮かんでいる。
「お願いがあってまいりました。身勝手なのは承知しています。セリア様、リリー様を助けてください」
そう口にした彼女はきゅっと唇をかみしめていた。




