お姫様と護衛と結婚話
彼女にとって実の母親はどんな存在なんだろう。
血のつながりがあるからこそ親しいわけではないのは、私も身をもって知っていた。
エリスが唇にこぶしを当て、軽くせき込んだ。
ニコラさんが慌ててエリスのそばに駆け寄ってきて、彼女の肩をそっと抱く。
「そろそろ居間に戻りましょう。ルイーズもきっと待っていますよ」
「俺たちも居間に行くよ」
「そうですね。一刻も早く挨拶をしたかったので来てしまいました」
エリスはそう肩をすくめて微笑んだ。
二人は書庫から出て行く。
「彼女って体が弱いんだよね」
「昔からな。どこが悪いというわけじゃないから治療もしにくいんだけどね」
「そっか」
「精神的なものも大きいんだと思う。本当はもっと負担のかからない環境でゆったり過ごせるのがいいんだろうけどな」
それは彼女の環境が許さないということなのだろうか。
彼女は次期女王になる存在だからだろう。
私たちは本を片づけると、居間に戻ることにした。
ちょうど扉のところでテッサさんとクロードさんと遭遇する。
私たちは一緒に部屋の中に入った。
エリスはにこやかにほほ笑むと立ち上がろうとするが、ニコラさんに制された。
そのエリスの隣にテッサさんが座る。
ルイーズは奥のほうで飲み物の準備をしているようだ。
「久しぶりだね。体はどう?」
「もう大丈夫です」
「テッサが見舞にいきたいと言って大変でしたよ」
「そうなんですか?」
ニコラさんの言葉にエリスは目を見張る。
「お気持ちだけで嬉しいです」
テッサの手がエリスの頭を撫でた。
「ごめんね。いろいろ時間をかけてしまって」
「いいえ。私のわがままなのでゆっくり考えてください」
エリスはそういうと、目を細めた。
「クロード、あの棚の上の荷物を取ってほしいんだけど」
ルイーズの呼びかけに応じ、クロードが部屋の奥のほうに行く。
部屋の隅で二人は何か言葉を交わし、棚の上にある荷物をとってもらったようだ。
テッサさんが不意にニコラさんを見る。
テッサさんの視線の応じるように、ニコラさんは首を縦に振る。
そんな二人を見ていたエリスの表情に陰りが現れたのだ。
エリスとニコラさんが一緒にいるのを見るのは、今日が初めてかもしれない。
その眼はクロードさんがテッサさんとニコラさんを見送っていた姿を彷彿とさせる。
エリスの額に手が触れる。
そうしたのはテッサさんだ。
エリスは驚いたように、テッサさんを見て目を見張る。
「もう熱もすっかり下がったみたいだね。ラウールがすごく心配していたから、何もなくてよかった」
その言葉にエリスが頬を染めて微笑んだ。
「お兄様はいつも心配しすぎなんですよ」
「本当にエリスが大事なんだよ」
そうテッサさんが笑顔で告げる。
だが、彼女は真顔でエリスを見据える。
「病み上がりのエリスにこんな話をしていいのか分からないけれど、ずっと言いたいことがあったの」
「どうかされましたか?」
「エリスが私に護衛になってほしいと言ってくれてすごく嬉しい。でも、エリスにそのことで苦労をさせてしまうかもしれない。それでもいいの?」
「そんなことありません。ただ、私のわがままなんです。護衛を決めないといけないなら、テッサさんかルイーズさんがいい、と。もちろん勝手に危険な場所にもいかないし、身勝手な行動もとりません」
よく危険な目に遭っているラウールの普段の行動を思い出してしまった。
ニコラさん的にはどんな感じなんだろう。もっとも彼が窮地に陥るイメージもわかないけれど。
「ラウールにも話をしたけど、護衛の話を受けようと思う」
「本当ですか? ありがとうございます。でも、本当にいいんですか?」
「だって心配だもん。護衛になれば、ずっと一緒にいられるのだから」
エリスはテッサさんに抱き付いていた。
テッサさんもそんな彼女を抱き寄せる。
そんな二人をほほえましそうに見ているニコラさんとは対照的にクロードさんやルイーズはどことなく不安そうだ。
好きな人には危険な目に遭ってほしくないからだろうか。
ただ、ラウールがエリスのそばにいる限りはそうそう危険な目に遭いそうもない気もする。
「ひと段落だね。何かあったら私も手を貸すから」
ルイーズがエリスのそばに来ると、ニコラさんとエリスの分のお茶を出した。
「はい。ありがとうございます」
エリスは頬を赤く染め、にこやかにほほ笑んだ。
お茶を出し終わったルイーズがエリスの正面のソファに座る。彼女はあごに手を当て、眉間にしわを寄せる。
「他にはどんな手段で来るかだよね。ラウールの結婚話といい、いろいろ裏で手をまわしている感じだけど」
「結婚?」
私は驚きのあまり大きな声を出す。
クロードさんにもお見合いの話があったとしたら、同じ年のラウールにも同様の話があってもおかしくないとは思う。
「全部断っているよ。そんなもの」
その時、背後にある扉があき、ラウールが入ってくる。
彼はスケッチブックのような大きなノートを抱えている。
それを私に渡した。
ブノワさんの絵だろうか。
「そうだろうけどね。護衛の話は王にしたの?」
「フランクやジルベールには話をしたよ。向こうの出方次第だな」
「なら、ブノワにも何かするかもしれない」
ルイーズの言葉にテッサさんが慌てて立ち上がる。
ラウールは右手の人差し指で天井を指す。
「さっきテッサの家に寄って、ブノワも連れてきたよ。二階で掃除をしておくらしい」
「入ってきたらよかったのに」
そうルイーズは肩をすくめた。
「でも、よかった。あとは正式に就任するまでが問題か」
テッサさんは寂しげに微笑んだ。
「大丈夫。ブノワさえよければ、私の家で暮らしてもらうから、あいつらも何もできないわよ」
「ありがとう。本当に、ルイーズには迷惑をかけっぱなしだね」
「そんなことないよ。エリスのためでもあるんだもん。王妃のつけた護衛だなんて、絶対に認められない」
そうルイーズは断言した。
エリスの母親はエリスにとってもあまり良い親ではないのだろうか。
それともルイーズたちがそう思っているだけなのだろうか。
私には事情が呑み込めなかった。
エリスは寂しそうに微笑むと、きゅっと唇を噛んだ。
そのエリスと目が合う。
エリスが立ち上がり、私のところまでやってきた。
「それってブノワのですよね。クロエ様の絵ですか?」
私は戸惑いながらも頷く。
エリスに頼まれ、彼女にブノワのスケッチブックを渡した。
彼女は彼女はそのページを丁寧にめくる。
そこには黒髪の美しい女性の絵が描き出されている。
年は十代後半くらいにしか見えず、ラウールの母親というよりはお姉さんか下手すると妹のように見える。
もともと顔立ちの幼い女性だったのだろう。
笑顔はあの優しい物語と一致するほど穏やかで、目鼻立ちはどことなくラウールを思い起こされる。
そして、ルイーズの絵が上手と言っていた意味を改めて実感する。
私はプロの画家がどんな絵を描くのかは分からないが、彼の絵は写実的でその場所にクロエという女性が生きているように感じられたのだ。
「でも、よくわかったね」
「はい。この前、ブノワの部屋に遊びに行ったら、このノートにクロエ様の絵を描いていたの」
「エリスはクロエ様を知っているの?」
「知っていますよ。すごく綺麗でお優しいかたでした」
彼女はそうにこやかにほほ笑んだ。
ラウールたちの国の婚姻制度がどうなっているのかは分からないが、ロロやルイーズの家の話を聞く限りは、日本と同じように一夫一妻制のような気がした。母親が違うエリスがクロエ様を知っているのは、一度離縁しているのか、王と民では何らかの違いがあるのかもしれない。
ルイーズがやってきてそのスケッチブックをエリスから受け取り、ページをめくる。
「前に見たときより絵がかなり増えている」
「ここ最近は調子がいいみたいです」
「そうなんだ。あまり話をする機会がなかったから。今度、私の絵を描いてもらおうっと」
そのとき二階から物音が聞こえる。
「僕はブノワの手伝いをしてきますよ」
そう言い残し部屋を出て行こうとしたクロードをテッサさんが呼び止めた。
「私も行くよ」
そういうと二人は部屋を出て行った。




