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エトワールの賢者  作者: 沢村茜
第五章 エルフの国
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鍵を握る女性

「エリスを連れてきているなら、早く言ってくれればいいのに。美桜さんはどうする?」

「私はもう少しここにいるよ。すぐに戻る」


「分かった」

 エリスに会いたい気持ちはあるが、ラウールのお母さんの描いた本をもう一度読んでおきたかったのだ。

 だが、エリスにとっては継母に近い存在で、彼女の前でその本を読むのは気が咎めたのだ。


「後でロロを呼ぶね。何かあったら言ってね」

「ありがとう。でも、さっきの話だけどいいの? ブノワさん、大変じゃない?」


 人の絵をそれでいて本格的なものを書こうとしたら、一、二時間程度ではすまない気もする。

 ラウールが出て行く前にいうべきだったのかもしれないが、タイミングを見失ってしまったのだ。


「ブノワは喜んで描いてくれると思うよ。ブノワもクロエ様が大好きだったんだ。クロエ様の絵を見て、ブノワは絵を描きはじめたんだよ」


 その女性は周りにかなり影響を与え続けていたのだろうか。

 生きていたら一度会ってみたかったとは思う。

 若くして亡くなったのは病気だろうか。


「エリスも」


 そう言いかけたルイーズの口が止まる。


「なんでもない。何かあったらいつでも呼んでね」


 私はルイーズに別れを告げると、もう一度お花の好きな少女の絵本を読むことにした。

 この少女がアリアだとしたら、茶色の髪の男性は誰なんだろう。

 物語上は兄妹になっているが、絵を見る限り歳が離れすぎている気もする。

 年の離れた兄妹がいてもおかしくはないが。


「アリア、この本を読んでみて」


 私がバッグをあけると、アリアは眠そうに眼をこする。

 彼女はセリア様と一緒に夜遅くまで起きていることがかなり増えたのだ。

 彼女はゆっくりと浮き上がると、その本に視線を落とす。


「クロエの描いた絵本か」

「こういう橋って植物でかけられないのかな」

「できなくもないとは思うよ。でも、今の美桜にできるかと言われればよくわからない。植物がそこまで力を貸してくれるかも、気力が持つかどうかもルイーズの言った通り、やってみないと分からないし、かなり集中力がいるとは思う。だから、そのためには海辺の魚人をどうにかしないとね。魔法で橋をかけるにしても、詠唱中に攻撃をしかけられたらどうしょうもないでしょう?」

「魚人か」


 方法を探すのも大切だが、結局そこに戻ってきてしまう。


「クロエの本だけではなくて、ほかの本に目を通してみたら?」

「そうだよね」


 ロロの見つくろってくれた本は五冊。一つは薬草辞典のかなり分厚い本だ。ぱらぱらとページをめくっただけで、知らないものも散在する。もう一つは毒草辞典。これもかなり分厚く、薬草辞典の倍の厚さがある。次の本はこの大陸の歴史について書いてある本で、特にエスポワールについて触れられている。もう一冊が魚人についての歴史が記された本だ。国の成り立ちから、海王について、その魚人の種類が描かれている。


「こんな本があるんだ。さすがというか」


 アリアは魚人についての本を食い入るように見つめていた。

 国の成り立ちは今から二百年前。今の海王が国という形を作り上げたそうだ。


 彼らは国として一つのまとまりがあるというよりは、似た種族で寄り添ったという形に近そうだ。彼らは自由気ままに生き、自分たちの土地を土地だと主張し、人間との争いが絶えなかったようだ。そこでその記録は終わっている。


「クロエ様の影響でというのはいつくらいなんだろう」

「二十年ほど前だと思う」


 クロエ様が出てくる前に凶暴化した魚人が、彼女の存在でおとなしくなり、再び凶暴化したのは分かっている。


「クロエ様と魚人のことは何か知っている?」

「さあ。私はエスポワールのことには詳しくないもの」


 なら、ラウールたちに聞くのが一番いいのだろう。

 だが、気になる思いは尽きない。

 クロエ様が多くの民に影響を与えたのか、凶暴化している魚人に影響を与えたのか。彼らを総べる王を変えたのか。

 そして、彼女の存在の喪失が再び彼らを以前の関係へと引き戻すこととなった。


 彼女が影響を与えたというのは海の王だろうか。

 何があったのかを見たら、今の魚人の状況が見えてくるような気がしたのだ。


 その時アリアが私のバッグの中に姿を隠す。

 扉があき、ロロが入ってきた。


「その本、見た?」


 私は頷く。


「一通り目を通したよ」


 その中で一番聞きたいのはやはり、お花の好きな少女についてだ。

 私はその本をロロに見せる。


「クロエ様の絵本のように橋をかけられたらと思っているの?」

「そこまでできるかは分からないけど、できれば渡れると思わない? ルーナにはセリア様もいるしさ」

「確かにね」


 彼女に相談してみる価値はあると思う。

 私はその隣の、魚人について書いてある本に触れた。


「これは? ルーナにはなかったのに、この国にはこうしたものが伝わっているんだね」

「それはクロエ様が魚人から聞いた話だよ。何かの参考になればとのこしていたみたい」

「そうなんだ」


 必ずクロエ様が出てくる。

 それほど彼女はこの件には欠かせない人物なのだろうか。


「さっきルイーズがクロエ様がいたときは魚人の活動がおとなしくなったと言っていたけど、何かあるの?」

「クロエ様は魚人たちの命の恩人なんだよ。クロエ様が強い治癒能力を持っているのは聞いた?」


 私がうなずくとルイーズは言葉をつづける。


「彼女は昔から種族を問わずに傷の治療をしていたんだ。彼女がエスポワールの次期王と懇意にしていると聞いたら、人間には攻撃をしなくなったんだと思う。だから、彼女が亡くなってからはその状況が一変したという感じなんだ。詳しいやり取りがあったのかもしれないけど、それは俺には分からない」

「そっか」


 クロエ様は魚人自体から好かれていたのだろうか。

 だが、ほんの少しクロエという女性の一端を垣間見た気がした。

 そうした分け隔てなく接するからこそ、天使と呼ばれていたのだろうか。

 そのとき、書庫がノックされる。


「本を片づけておくよ。持って帰るときはここからとってくれ」


 ロロはそういうと、棚の隅に積み重ねておく。

 クロエ様の本の上に薬草辞典を重ねて。


 ロロが返事をすると、茶色の髪の少女が入ってきた。その隣には金髪の男性の姿がある。

 私はテッサさんと二階にいった彼がエリスに付き添っていることが意外だった。

 だが、ロロがここにいるということは、テッサさんとクロードさんが一緒にいるはずだ。


「美桜様、お久しぶりです。今日、美桜様が来ていると聞いて、お兄様に無理をいって連れてきてもらいました」


 エリスはそういうと、私のそばまできて、私の手を取った。

 私はロロがクロエ様の絵本を隠した理由に気付く。エリスにクロエ様の絵本を見せることをためらったのだろう。

 ルイーズやロロがラウールの母親を慕っているということを悟られないためだろうか。


「久しぶりですね」


 彼女は以前会ったときより身長は伸びたが、相変わらず愛らしい雰囲気を醸し出している。

 王女という言葉がぴったりだ。


「ローズやリリーも元気にしていますか?」


 私はリリーという名前に胸が痛む。

 だが、このことはしばらく他言はしないとセリアと決めたのだ。


「元気にしているよ」

「そろそろ穀物の収穫でルーナも大忙しですよね。私も本当は行きたいのだけれど」

「無理ですよ。王妃様がいる間はエリス様は城にいらっしゃいませんと」


 そうニコラさんが苦笑いを浮かべる。


「もちろん、分かっていますよ。それが今の私にできる唯一のことですもの」


 彼女はそう寂しそうに微笑んだ。


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