海の王
私の視界に、お城のセリア様の部屋の景色が飛び込んでくる。
私は思わずその場にしりもちをついた。
まだ心臓がけたたましく鳴っている。
あの男の口元を思い出すと、全身に鳥肌が立つ。
「気づかれたかしら」
セリア様は銀の髪をかきあげた。
「おそらく気付いていた。顔がばれても、こちらとしては責められる所以はないから平気だと思うわ。あそこに残ってもデメリットしかないでしょうし」
アリアはそういうと、肩をすくめた。
セリア様は私に手を差し出す。
私は彼女に引っ張られ、立ち上がった。
「驚かせてごめんなさい。昨日、魚人の足跡を見かけて、もしかしてと思ったのよね。まさか本当にあのあたりをうろついているとは」
セリア様は私をイスに座らせる。
私はこぶしを作ると、胸元をたたいた。
「あの人たちは魚人ですか?」
そう判断したのは見た目からだ。
セリア様は首を縦に振る。
「なんであんなことをしたんだろう。まさか、ブレゾールで私を襲おうとした人たちの仲間?」
そう考えたのはブレソールで連れ去られそうになったことが影響しているのだと思う。
「それはないと思うわ。あなたのことが広まっているという話はいまだに聞いていないし、最初から殺そうとしないはずよ。死んでしまっては意味がないもの」
確かに言われてみたらそうだ。
だが、そうでなければあのように人を急に襲うなんて考えられない気がした。
「今まであなたがかかわったのは、程度の差はあれ、穏やかな種族が多かったとは思うわ。魚人にもいろいろな種族がいてね、彼らは魚人の中でも極めて攻撃的なタイプね。ああやって適当なものに狙いを定めてはいたぶったり、攻撃したりしているんでしょうね」
「あそこは彼らの国じゃないんですよね。それなのに襲うなんて」
「そういうことをするのが、彼らなのよ。彼らの言葉を借りればあんな場所に来る物好きはそうはいない。だから、殺して海に沈めてしまえば、その遺体は永遠に見つからない。それを彼らは楽しんで行っている」
銛が刺さっていたのを思い出し、ぞっとする。
「なんでそんなことを」
「楽しいからじゃないかな。私には推測でしか話はできないけれど。昔からあそこには近づいてはいけないと言われているのよ。エスポワールも領地は持っているけれど、海辺には誰も暮らしていないはずよ」
「海はあの魚人たちのものなんですか?」
「その国の周辺の海域はその国のものよ。ただ、今まで海に出る習慣がなくて、海域内に魚人が入り込んでも見て見ぬふりをすることが多かったと思う。あなたの世界では船が発達していると聞いたけれど、この国はそうでもない。だから、海辺から離れてしまえば、もう自分の国という感覚はないと思うわ。だから、明確な境界線を作ることもなかったし、それを良かれとして鳥や魚人などの海に近づける種族が占領している面もあるわ」
私が生まれたころには当たり前のように船も飛行機もあったが、なんでも転移魔法でいけるこの世界では感覚が違うのだろうか。
「彼らに花の国の場所を聞いてみたらどうなんでしょうか? 詳しいなら、知っている可能性もありますよね」
「可能性はゼロではないわ。ただ、話を聞く前に攻撃されそうな気がするのよね。攻撃されても反撃はできるけど、傷つけてしまうと後々トラブルに巻き込まれかねないでしょうしね。運よく話を聞けたとしても、あなたがティメオの娘だと知れば、お金に変えようとする可能性も否めない。その危険を冒す必要性があるのかと言われたら、わからない。それは最後の選択肢でもいい気がするの」
私は頷いた。
「あの海を渡って、花の国のある場所にどうやってたどりつくのかを考えないと駄目ね」
セリア様の言葉で私たちがすべきことを再確認する。だが、よい解決策が思い浮かばず、しばらく考えることになった。
私たちは午前中にはロロと合流し、ポワドンに着く。
ポワドンについた私たちはレジスさんの家に通された。
広間には地図や薬草の種類を書き落としたメモが置いてあり、その地図はほぼ完成しつつあった。
「結構進んだね」
私は驚きをあらわに、その地図を見る。
「お前が寝込んでいる間、ほぼ毎日ここに来ていたからな」
「そうなの?」
「時間もあったし、やれることは早めに終わらせておいたほうがいいと思ったから。今日か、次には難なく終わるとは思う」
「そんなに早く終わるの?」
ロロは頷く。
終わればもうこの国に来ることもなくなるのだろうか。
そう思うと、少し侘しい気がする。
「とりあえず、これを確認してくれ」
ロロは複数枚のメモと地図の私に渡す。
ロロが書き写したもののが正しいかの確認だ。
イスに座り、言われたとおりに目を通していくと、もう私の知らない薬草がないのに気付いた。
だから、彼はこの作業を加速させ、終わらせようとしたのだろうか。
彼が私を誘ったのはそのためだったのだろうから。
ロロは私から少し離れた場所に座り、何かを書き写していた。
何をしているんだろう。
そう思ったとき、ロロと目が合う。
「今日、何かあった?」
私は突然の問いかけに驚き、今朝の出来事を思い出す。
「顔色があまりよくない気がする」
「今朝、出かけていて疲れたのかもしれないね」
「なら、先に帰る? もう作業もほとんどないし、先に帰っていてもいいよ」
「大丈夫。今日で最後なら、きちんとお別れの挨拶もしたいもの」
「無理はするなよ。きっとお前が倒れたら多くのものが困るんだろうから」
「わかっているよ」
私はペンを止める。
「今日、魚人を見たの」
「魚人がいるというと西の海か」
「そう。ロロは魚人ってあったことある?」
「いや、ないな。すごいやばいやつらというのは噂で聞いたことあるよ」
「やばいか。そんな感じかもね」
私は花の国を探していた件をかいつまんで話をした。
ロロはその話を聞いて、苦笑いを浮かべている。
「無事でよかったな。魚人たちのよくない噂はよく聞くよ。西の海に行って、そのまま帰らなかった人とかね。あの辺りはエスポワール領だけど、今はもう誰も近寄らない」
「セリア様もそんなことを言っていたね。実質魚人が占領しているものなんだ。でも、そんなことをしたらほかの国は黙っていないんじゃないの?」
「国の方針として、今はそのまま放置しようということになっているらしい。実質あんなところに行くもの好きはいないからな」
「それ、魚人も言っていたよ」
ロロはあきれたように微笑んだ。
「だから、魚人が花の国のことを知っている可能性もあるんじゃないかと思うの。その話を魚人に聞きたいけど、セリア様は乗り気じゃないみたいで」
「まあ、突然串刺しにしてこようとする可能性もあるわけだしな」
やはり魚人はそういうイメージなのだろうか。
「話し合いができそうな魚人はいないのかな」
「話し合いね」
ロロは眉間にしわを寄せる。
「魚人でもおとなしい部類はいることにはいるんだよ。でも、海の中にいたり、奥地に住んでいたり、普通は顔を合わせることはできないと思う。攻撃的な魚人を制するには海王に頼めばいいかもしれないが、そもそも海王の居場所も分からないしな」
「海王?」
「要は魚人の王。でも、あの魚人の王だから、それなりには怖いらしいよ。性格は分からないけれど、それなりの能力を持っているはずだよ」
「会いたいといえば会えるのかな?」
「会えれば会ってくれるかもしれないが、海王に連絡を取る手段がないからな。ほとんどの国が交流がないと思うよ。セリア様もそうしたことは念頭に置いているんじゃないかな」
「そうだよね」
私よりもこの世界のことをよく知っているのだから。
今はとりあえず目の前の地図の処理をしよう。
私は再び地図の確認に追われた。




