海辺を支配する民
翌朝、待ち合わせ時刻より早めに外に出ると、すでに窓辺にリリーの姿があった。
彼女は浮かない表情で、窓枠に肘をつき、窓の外を眺めている。
彼女は足音が聞こえたのか、振り返るとはにかんだ笑みを浮かべた。
だが、その表情はいつも通りとはいかず、疲れが見え隠れする。
「昨日はごめんね」
「別にいいよ。でも、大丈夫?」
「大丈夫」
マリオンさんが来たことが無関係ではないのだろう。
私たちは城の外に出ると、一息ついた。
あたりはまだ静かでひっそりと静まり返っている。
リリーはふと視線をセリア様の家のほうに投げかけた。
さっき、彼女が見ていたのも、よく考えるとセリア様の家のある方角だ。
彼女は私と目が合うと、「ごめんね」と小さな声で紡ぎだし、金の髪に触れる。
「帰る気はないけど、気になるのは気になるの。急に来たってことは、国の状態が芳しくないんだろうな、とね」
彼女が歩き出したため、私はそのあとを追う。
「どこかで国を見てみたい気持ちもあるんだろうな。私はお父さんの語ってくれたエルフの国しか知らないけれど、自然はルーナに匹敵するほど美しく、豊かだった、と」
リリーの瞳が朝日を受け煌めいた。
その眼には彼女の父親が映っているのだろうか。
リリーは短く息を吐く。
「王位を継ぎたいとも思わない。でもね、一度だけ行ってみたい場所があるんだ」
「どこ?」
「ラニの丘という場所。すごく自然がきれいで、エルフの国を一望できたんだって。そこで、お父さんとお母さんは出会ったらしくて、お父さんは国にはもう戻れないけれど、もう一度そこに行きたいと一度だけ言ってくれたことがある。だから、私も見てみたいとずっと思っていたの」
リリーはそういうと寂しそうに笑った。
両親の出会った場所か。
親を失っているという共通点があるからだろうか。彼女のそうした気持ちがほんの少しだけわかる気がした。
私も両親の思い出の場所があったとしたら、その場所を一目見てみたいと思う気がした。
「やっぱり見に行けないの?」
「わからない。一度見てルーナに戻ってこれるかもしれないけれど、しっかり決別しておかないと中途半端なのはいけないと思うんだ。別にどうしても見ないといけないわけじゃないしね」
そうリリーは目を細める。
彼女自身、自分の決断に迷いがあるのではないか。
彼女を見ているとそんな気がしたのだ。
私たちは薬草園に行くと、植物の確認をして、お城に戻る。
そして、階段をあがったところで別れた。
私はセリア様に用があると伝えていたためだ。
セリア様の部屋をノックすると、彼女はすぐに扉を開けてくれた。
すでにそこにはアリアの姿もある。
「行きますか?」
「もう少し待って。海の水が引いたときに行きたいのよ。昨日気になるものを見たから、念のためにね」
「気になるもの?」
そういえば、昨日もそのようなことを言っていた。
マリオンさんの出現であいまいになっていたけど。
「確証はないから。でも、私のそばから決して離れないで。あと、誰かの気配を感じ取ったらすぐに教えてね」
私は頷く。
海に行って帰ってくるだけと捉えていたが、セリア様の様子はそれだけではないように思われた。まるで言っては行けない場所に行くような。これから先の目的地はどこにも属さない場所なので、入っていけないということはないはずだった。
「マリオンさんは?」
「まだ眠っているわ。彼女なりに疲れてしまったんでしょうね。家から出ないようにと言っているから、その点は大丈夫なはずよ。朝食も準備しているしね」
「昨日は家に泊まったんですか?」
「そう。彼女を一人にしておくわけにはいかないもの。お父様やアランに任せるわけにもいかないわ」
「彼女はリリーを連れて帰るか、絶対に戻らないという確証があるまでここにいるつもりなんでしょうか?」
「そうでしょうね。マリオンはどうしてもリリーを連れて帰りたいと思っているみたいよ。今のあの国にはリリーが欠かせない、と」
セリア様は短く息をついた。
「リリーが国に戻ることで何か変わるんでしょうか? あの国の状態が悪いのは、気象的な問題なんですよね」
「どんな目的でリリーを呼び戻そうとしているかによると思うわ。国民の人気取りのためなら、効果は少なからずあるでしょうね。マリオンの言っていたように、土地がやせ、作物の収穫がうまくいっていなくて、その解決策をリリーに求めているとしたら、首を傾げざるおえないわ」
セリア様はマスコット的な存在としてリリーを呼び戻そうとしていると考えているのだろうか。
いくら聡明であっても、その国に住んでいないリリーに問題の解決は難しいだろう。
「そんなにリリーのお父さんは人気があったんですか?」
「みたいよ。私はあくまで聞いた話だけどね。それなりの強い魔力を持っていて、誰にでも分け隔てなく接するなら、人気があって当然かもしれないわね。ルーナに来てからしか知らないけれど、彼はできたエルフだと思うわ」
「リリーに似ていますか?」
「そうね。よく似ているわ」
セリア様は懐かしそうに目を細めた。
「そろそろじゃないかな」
アリアは窓を見て、言葉を漏らす。
「そうね。行きましょうか」
彼女はそういうと、私とアリアを交互に見て、転移魔法を詠唱した。
私の視界を包み込む白い光が抜けた後、広々とした海が広がっている。
まるで水平線のかなたにまで続いてそうな無限の海。
まるで作られたような美しい光景に、思わず息を漏らした。
息を吸うと、潮の香りが鼻腔を刺激する。
私の知っている海と似ていたことに、理由もなく胸をなでおろした。
「どう?」
その言葉にここに来た目的を思い出し、辺りに目を走らせる。
だが、最初見た広大な自然の美しさ以上に、何かを感じることもなかった。
「海、くらいしかわかりませんね」
「そうよね」
「この先に花の国があるんでしょうか?」
「方角ははっきりしないけれど、こっちの方角ね」
彼女は西のほうを指さした。だが、そのセリア様の顔が引きつる。
彼女はアリアに目くばせすると、私の腕を引く。
そして、近くの大きな岩の影まで私を導いた。
「セリア様?」
戸惑い疑問を投げかけようとした私を、セリア様は唇に手を当てて制した。
その時、何かが地面にぶつかる音がした。微細な振動を感じ取る。
地震だろうか。
だが、その振動はすぐにやみ、小さな波しぶきと、水のぶつかる音がした。
「確かにここに気配を感じたんだが、気のせいだったかな」
「全く、大丈夫かよ」
今まで聞いたことのない、男二人の低い声だ。そして、砂を引きずる音と水のたれる音も混じる。
セリア様は顔をひきつらせる。
「タイミングをはかって、ルーナに戻るわ。少し離れましょう」
私は新しく出現した何者かの動向を探るために、岩の影から飛び出さないように、注意深く、その音の下ほうを見る。
先ほど私たちの立っていた方向に鈍く光る槍のようなものが突き刺さっている。それが銛だと遅れて気付く。
そのわきに立っているのは頭に尾びれのある緑色の肌をした、二人の体格の良い男性だ。
オーがたちほどではないが、かなり長身で、横にも幅があり、足には尾びれのようなものが付着している。
男のうち、大柄なほうが水かきのある手で頭をかくと、あごに手を当てる。
「こんなところに来る物好きはそうそういないか」
否定的な言葉を紡ぎながらも、男はしきりに視線を周囲にはしらせる。
隣の男は少し離れた場所に立っていたが、辺りを一瞥すると、銛の刺さった場所へと近づいてきた。
そして、自らが持つ銛を傾けると、腰を落とし、水かきのある手で地面をゆっくりとなぞる。
「そうだな。気のせいだと思うよ」
そういった男の銀の口元が怪しくゆがんだ。
私の体に寒気が走る。
男は立ち上がると、大きな銛を握る手に力を込めた。
「お前は本当、せっかちだな」
男が視線を走らせ、ちょうど私たちのところで動きが止まる。
その時、男と目があった気がした。
その直後、男の口元があがる。
彼は銛を手にゆっくりと立ちあがり、こちらに近づいてくる。
アリアの詠唱が聞こえたと思った直後、私の視界から男たちの姿が消えた。




