国を憂える心
私は部屋に戻ると一息つく。
まだ昼過ぎなのに、どっと疲れてしまった。
アリアはいつの間にか部屋に帰っていたのか、ベッドの上に座り込んでいた。
彼女の表情にも疲れが見える。
「眠る?」
「もう少しして眠る」
「アリアはエルフの国に行ったことがある?」
「ない。私が言ったことがあるのはこことエスポワール以外はポワドン、エペロームくらいよ」
「私はアリアの行った国は一応行ったんだね」
「そうだね。だいたいはね。エルフの国は噂では聞いたことがあるよ。あまり他の人種とはかかわろうとしないと聞いたかな」
「ほかに知っていることはないの?」
「鉱物が豊かで、多種多様な植物が採れる。豊かな国だけど、彼女の発言や様子を見る限りは」
アリアはそこで言葉を切る。
国の状態がよほど悪化しているといいたいのだろうか。
「でも、それと国に戻るのは別問題だよね。リリーが望まないのに国に戻ってもそれは他の民の反発を買うだけだろうし、私たちには見守ることしかできないと思うよ」
彼女の言っていることは正論だ。
そして、リリーをこれ以上困らせてほしくない。
だが、アリアの推測が当たっていたとして、マリオンさんが諦めて戻ったら、その国はどうなるんだろう。
私には分からなかった。
「悩む気持ちもわかるけど、花の国のこともあまりゆっくりはしていられないと思うよ。いつほかのものに美桜の存在がばれるかわからないのだから」
「そうだね。とりあえず明日、海に行ってからだね」
私には私のやるべきことがある。
だから、アリアの言葉に頷いた。
アリアは髪の毛をかきあげると、目線をひざに落とす。
その瞳には悲しみが映し出されている。
「あんな状態なら、神鳥にすぐに連れて行ってもらうべきじゃなかったかもしれないね。場所が分かっていても、このままたどり着けないなんてことになったらどうしたらいいんだろう。そもそもなんで神鳥はあのタイミングで私たちを連れて行ったんだろう」
彼女はもうあの場所にたどり着けないと思っているのだろうか。
今日、海を見たからこそ、そう思っているのかもしれない。
「きっと大丈夫だよ。必要な時には必要なものが帰ってくる。私が国に戻る宿命があるなら、その可能性が今後現れるはずだよ」
「そうだといいけど」
アリアは暗い顔を崩さない。
私にも不安はある。だが、どうしたらいいのかも分からない。
もっとも簡単に国に帰れるとしたら、王のみが使えるという転移魔法だ。
「たとえば私が魔法を使えるようになったら、あの場所に戻れるの?」
「原理的にはそのはずだけど、王位に就くというのはどの段階か次第だと思う。王様になりたいと宣言したらなれるものでもないのよ。そのうちの一つが知の書なの。王位につくには地の書を取り込まないといけない。でも、地の書は花の国の中にある。ほかにもあって、そのすべてが花の国にあるの。ティメオも王になるまでにはかなりの歳月がかかったのよ」
「そうなの?」
アリアは頷く。
「それを認めるのは、神様みたいなもの?」
「花の国の守り神かな」
「守り神、か」
私は棚の上に飾っているエリックからもらった木製の置物に触れた。
魔法や、以前フェリクス様の言っていた大事なものの話のように、この世界では私の考えていた常識が通用しないこともある。
私はどこにたどり着こうとしているのだろう。
だが、考えても答えが出ないこともわかっている。
それから置物を棚に直すと、勉強することにした。
セリア様から借りた毒草辞典だ。
不安はあるが、今の私には知識をこうやって取り込むことしかできなかった。
アリアはしばらくは私のわきで本を読んでいたが、しばらくしてベッドに寝転がり、眠りに落ちていた。
アリアはまだ本調子ではないため、どうしてもこうやって休息を求めてしまうことも少なくないようだ。
先を読み進めようとしたとき、ドアがノックされる。扉を開けると、緑の髪に瞳をしたエルフの女性が立っていたのだ。マリオンさんだ。
彼女のわきには頭を抱えたセリア様の姿もあった。
マリオンさんは私と目が合うと、にっこりとほほ笑む。
「さっきは失礼しました。美桜さんは時間ありますか? よかったらお話できませんか?」
「私とですか?」
私の問いかけに彼女は首を縦に振る。
「外でよければ」
「はい。ありがとうございます」
彼女は愛想のよい笑顔を浮かべている。
マリオンさんはあまりにリリーたちと同じで、そのエルフの国のイメージが全くわかない。
私はカギをかけると、外に出る。
セリア様は一度部屋に戻るらしく、私とマリオンさんの二人だけで、庭園に行くことになった。
庭園には人気がなく、私と彼女は切り株で作られたイスに座る。
「美桜様は人間なんですよね」
私は頷いた。
「どこから来たのかとか素性に関する話はしないので安心してください。セリア様からも言わないようにときつく言われていますし。ただ、リリー様のことを少しでも知りたくて。この国でのリリー様はどんなご様子ですか?」
私はそういわれて返事に詰まる。
どう答えていいかわからなかったのだ。
「楽しそうにしているとか、よく勉強しているとか」
「その両方だと思います。努力家で、誰にもやさしくて、すごいと思います」
「そうなんですね。きっとミシェル様によく似たんでしょうね」
彼女は目を細める。
「ミシェル様というのは、リリー様のお父様のことです。私はずっとお城で働いていたんですが、ミシェル様には本当によくしていただきました。アレクシア様も、美しくてすごく素敵な方だったんです」
彼女はリリーの両親のことが好きだったんだろう。
その表情はとても穏やかで、悪意は微塵も感じなかった。
「リリー様は恋人とかいらっしゃるんですか?」
「恋人? いないと思います」
彼女は誰とでも親しく話す。誰かと特別仲がいいという感じではない。
ラウールとマルクさんとは男性の中でも親しいほうだが、彼らの間に恋愛感情があるかと言われるとよくわからない。ロロも同じだ。アランとも仲がいいようだが、二人が一緒のところはあまり目にはしたことはない。
「あなたはそういうことまで聞かなくていいんじゃないの?」
いつの間にかセリア様が庭園の中に入ってきていて、腰に手を当てると私たちを見た。
「ごめんなさい。ただ、好きな相手がいたら、引き離すのは酷かなと思って。あの国に戻ったら、二度とこの国のものたちとは婚姻がでいきなくなるから」
「そもそもリリーが戻るといえばそれは納得の上でしょう」
「そうなんですけどね」
「もっとも、今のリリーは恋愛に興味はないみたいよ。あなたも大変ね」
セリア様の言葉に、マリオンさんは苦笑いを浮かべていた。
「リリーのお父さんのことは聞きました。国を捨てた王族を今更、国民が受け入れるんですか?」
「きっと受け入れますよ」
マリオンさんは困ったように目を細めた。
「それだけ今の国の状態は芳しくなく、今でも彼女のお父さんを慕う人は少なくありません。彼女の父を追ってこの国に来た人もいるくらいなんですから」
「そうなんですか?」
マリオンさんは頷く。
「具体的な名前は控えるけれど、確かにそういうエルフもいるわ。彼らはリリーが国に戻っても帰れるかは分からないけどね」
立場の違いなのだろうか。
それとも考えの違いなのだろうか。
私には分からなかった。
「リリー様がどうしてもここに残りたいなら、私も諦めます。無理に連れて帰っても仕方ないと思います」
マリオンさんは立ち上がると、庭園から下を眺め、動く髪の毛をゆっくりとかきあげる。
「この国の民は楽しそうでうらやましいです」
彼女も何かを抱えている気がして、それ以上用意に聞くことができなかった。
彼女はリリーの好きな食べ物や、どんな本を好むのか、どのような魔法が得意で苦手なのかを聞いてきたため、私はできるだけ忠実に答えることにした。
日が傾きかけたころ、私たちは部屋に戻ることにした。
夕食を食べるとリリーは疲れをにじませ、自分の部屋に直行していた。
私とローズはリリーを見送った後、目を見合わせる。
「リリーのお父さんのことは聞いた?」
私は頷いた。
「そっか。あの国があまりよくない状態という噂は聞いていたけれど、わざわざやってきたということは想像以上に国の状態が芳しくないんだろうなという気がするよ」
ローズの言葉がマリオンさんやアリアの言葉と重なり合い、重みを増していった。




