113話 とある親子の七転八倒
この章はある人物視点の物語となっています。
……眠い。
仮想世界という非現実の世界の中にあって、俺はその意識を溶かそうとしていた。
「っといかん、ここで落ちてはイカン。しかし……」
眠いな。
仮想世界の中にあっても、眠いものは眠い。やはり人間の三大欲求というものは、抗うことの敵わぬ理だというのだろうか。
「いや……」
愛する妻と娘を思い出せ。あの2人の幸せそうな顔を思い出せば、多少の寝不足など吹き飛ぶはずだ。そうだ、思い出せ。長期の出張を彼女に告げた日の夜のことを。あの日の恐怖に比べれば、こんな三大欲求の1つ、容易く克服できるはずだ。
おや、どうしたんだ膝君。何をそんなに笑っているんだい? あれ、おかしいな。目から汗が……。
まぁいい、目が冴えてきた。結果オーライだ。
何がオーライなのか本当のところはわからないが、とにかくこの思考には蹴りをつけたほうがいい。俺の本能はそう告げていた。
思考を切り替え、周囲を見渡す。
「……本当に、何度見ても面白い世界だ」
青く茂った絨毯に規律的な波が描かれる。
「この風、太陽……どう見ても本物にしか感じない」
短く刈り上げたブロンドヘアもわずかに揺れ動き同意し、自慢の鎧は陽光を反射してもなお漆黒の輝きを保っている。
「さて、もうそろそろ約束の時間になるが……何かあったのかな?」
総一郎のいる我が家が何らかの危険な事態に陥るとは考えにくいが、心配という名の波動が徐々に強くなってくる。
「連絡を取るか」
とフレンドリストを開き、一番上に載る名前に指を伸ばす。
その時、
【教官、お久しぶりです、ハイブです。お元気ですか?】
目の前に浮かぶのは、私への挨拶と懐かしい戦友の名。
ビックリしたままの表情で、私は指をぎこちなく動かす。
【あぁ、久しぶりだねハイブ君。こっちは私も御菊もイルも元気だよ】
むしろ元気すぎるほどだよ。
【そちらはどうだい?】
【こっちも元気にやってます。リーフも相変わらずですよ】
それは何よりだ。この子たちは初めて会った時からとても元気で明るかった。その輝きが今も色褪せてないということが、私には非常に嬉しく感じられる。
おっとそうだ。ついでに息子のことも聞いておこう。
【それは良かった。ところで、そちらの新婚カップルさんたちはどうだい? アツアツかい?】
【あれ、教官ってソウたちのこと知ってましたっけ?】
イカン。私は総一郎のことを知らないていだったのを忘れていた。
【あぁ、御菊に聞いてね。凄く強い少年だと聞いてる】
【なるほど、そうなんですね】
ふぅ……何とかなったか。
【それがソウの奴、数日前からこっちにインできないらしいんですよ。何か予定があるのかって聞いても答えられないの一点張りで】
総一郎がこっちにインしてない? どういうことだ? 葵さんという子とデートで忙しいとか? いや、夜遅くまでアイツが女の子を連れ回すとは思えない。だとしたら……
【そうなのか。まぁ彼にも何かの事情があるのだろうね】
全然わからんから後で由紀子に聞こう。
【まぁリアルではちょいちょい会ってるから大丈夫だとは思うんですけどね。あ、そうだ教官。今度都合が合えばソウと会ってみませんか? 俺、2人のPvPとか超見てみたいです】
すまないハイブ君。残念ながらその答えは既に出ている。私ではあの子に逆立ちしても勝てないよ。アレは、人間の勝てる相手ではない。それに、由紀子が当分は正体を明かす気はないと言っていたからね。会いたいのは山々だが、由紀子には逆らえない。ゴメンよ。
少しだけ遠回しに難しい旨の返事を送ると、彼から気にしないでくださいとすぐにチャットが返ってきた。気持ちのいい少年だ。本当に総一郎はいい友人を持った。
【そう言えば教官たちはシコクエリアにいるんですよね?】
【そうだよ。君たちはチュウゴクエリアだったかな】
大規模アップデートが配信された初日。私と由紀子、そして瑠璃の3人はシコクエリアを選択した。シコク自体に理由はない。強いて言えば、総一郎たちがチュウゴクエリアを選んだからだ。
総一郎たちと別ルートを選んだ理由は2つ。1つはこちらとの接触をこれ以上増やさないため。そしてもう1つは――
【どっちが先にエリアを解放するか競争ですね。俺、負けませんよ】
【こちらこそだよ】
彼らと競いたくなったからだ。
■ □ ■ □ ■
「あなた~」
笑顔でこちらへ両手を広げ走ってくるロングヘアの美人。皺1つない真っ白なローブを揺らし、徐々にその姿が大きくなる。まぎれもない、我が妻、由紀子。今日はその顔ですか。
「会いたかったよ、今日の君も美しいね」
「ふふ、ありがとう」
40時間ぶりの抱擁を交わし、首の後ろに回した手でサラサラの髪を撫でる。うん、この髪も作り物だな。顔だけでなく、髪も完全に偽装とは。相変わらずの変装術ですね、由紀子さん。
さて、もう1人にも挨拶しようかめ。
「瑠璃、そんなところから近づいても――」
右へと首を回し、こちらに近づいてくる悪戯娘に牽制を入れる――が、俺の視界に、あの子の姿は一遍も映らなかった。
「えいっ」
「うおっ!?」
膝が折れ、視界が一瞬下がる。
「えへへ、今日も瑠璃の勝ちぃ!」
俺の背後で膝カックンを成功させた天使が後光の差すような笑みでVサインを作る。人のいる場所では常に頭に乗せてる狐のお面を被っているから、こうして笑顔を見れる瞬間というのは非常に貴重だ。我が人生の宝玉だ。
「まさか……敢えて気配を匂わせ、その方向を誤認させるなんて……瑠璃、またとんでもないことを」
「ふふん。これ、お兄ちゃんにも通用したんだよ。凄いでしょ」
「は、はは、あぁ凄い凄い、瑠璃は凄いな~」
娘の頭をすっぽりと覆うほどの手で優しく撫でる。その返しに娘はご満悦のようで、もっと褒めてと笑顔で催促してくる。だがこれはちょっと凄すぎる……。
気配をズラすなんて、一体どうやったらできるんだ? 一流のボクサーが殺気や気合を放つだけでジャブを打ったかのように錯覚させるアレに近いのか? う~ん、わからん。これでは確かに総一郎も不意を突かれるだろうな。
いやはや……我が娘ながら、とんでもないな、これは。この子には絶対にこれ以上の武術を教えてはいかんな。この子と総一郎がその気になれば、大国の国家元首でも〇〇できそうだ。俺の昔の部隊が護衛に付いたとしても、まず阻止は不可能だろうな。
「あなた、顔色悪いけど……大丈夫?」
「あ、あぁ、問題ないよ。それよりも由紀子。総一郎は何かあったのか? さっき友達のハイブ君から暫くこっちに来てないと聞いたんだが」
「総ちゃん? ここ最近は毎日ゲームしてるわよ? それ以外では伸二君たちと遊びに行ったりしてるみたいだけど」
「ん? じゃあどうしてここに来てないんだ? もしかして別のゲームでもしてるのか?」
「それは無いと思うけど……」
わからん……総一郎が何を考えているのか。誕生日プレゼントを受け取る時のあの子の考えは手に取るように分かったというのに。
――はっ、まさか、
「もしや、葵って子と別れたとかじゃ――」
「あー、それは無いわね。むしろラブラブすぎてもうお腹一杯って感じよ。期末テストの時なんて毎日葵ちゃんの家で遅くまで勉強合宿してたみたいだし、この前なんてウキウキで花火大会の予定調べてたし」
「そ、そうか」
その答えにはホッとしたが、これで増々わからなくなったぞ。
う~む、まぁこういった時はアレだな。
「まぁ総ちゃんのことだし大丈夫でしょ」
「だな」
考えても分からんなら、考えん。動かすならやはり、脳ミソでなく筋肉に限る。
「加護持ちのプレイヤーがある時期から揃ってパッタリと姿を消してるらしいけど、気にすることじゃないわね」
「いや由紀子さん、それだよ」
あまりにもわかりやすい答えに思わず筋肉が反応した。
そう言えば総一郎は日本のサーバーで77個しかない《加護》という特殊なスキルの1つを所持してるんだったな。じゃあ何かのイベントに引っ張られたという訳か。なるほどな、合点がいった。
考えてみれば、由紀子が分からないことをそのまま放置しているはずがないか。
「そういうことなら心配はいらなさそうだな。で、今日はどっちに進む予定なんだい?」
一安心し、由紀子に今日の行動を問う。
大規模アップデート前はオキナワやナガサキなど、十分に冒険できなかったエリアをこれでもかと探索した。その際にいくつかのレアイベントにも遭遇したが、彼女はどこか物足りなさそうでもあった。
だが大規模アップデートが配信されてからは、これまでの鬱憤を爆発させたかのように新しいエリアへとドンドン足を進めていった。きっと今日も未開のエリアへと足を踏み入れるのだろう。
「そうねぇ、今日はイマバリの町に行ってみない?」
「おや、てっきりまだ未発見のダンジョンを探しに森や山に行こうと言うかと思っていたが。情報がまだ集まってないのかい?」
彼女はこれまでどこから仕入れたのかとツッコミたくなるような情報を大量に仕入れてきた。今いるシコクのエヒメエリアで確認されている町はイマバリ、マツヤマ、ウワジマの3つ。てっきりもう情報は集め終わったと思ったのだが。
その俺の疑問に、由紀子は首を横に振る。
「今回から、それはもう止めたの」
「止めた? それって、情報収集をかい?」
「えぇ。総ちゃんたちを見てたら、何もわからないところに突撃するスリリングな冒険も面白そうだなって思えちゃって。だから今回からは情報収集は少し控えめにすることにしたの」
そうだったのか。だがここはゲーム、仮想世界。そういったリスクを敢えて選択することのできる場所だ。由紀子がそれでいいなら、俺に反対する理由はない。
まぁ控えめにすると言っていた割には、総一郎のことなんかはやけに詳しく調べてたなと思わなくもないが……この件をツッコむのはやめておくか。勘だが、HPが減りそうな気がする。
「瑠璃もそれでいいかい?」
どんな返答が来るかは大体わかっている。由紀子が瑠璃の意思を確認せずに行動を決めることはないからな。だが、このおてんば姫の小さな口から発せられる声を少しでも聴きたい俺は、敢えて身を屈めその答えを求める。
「うん、いいよ」
っかああああ……堪らん可愛い。
少しだけ頬を赤らめて、ニコッと笑う君は一体どこの天使だい?
そのクノイチ衣装も、頭に乗せてる狐のお面も、何もかも可愛いよ。
「じゃあ久しぶりにハローワークにでも行って、普通の冒険をしてみるか」
「うん!」
という訳で、本章は総一郎の父親視点で進めていきます。
家族でもありトッププレイヤーでもある総一郎も当然のように話には絡んできますので「んなこたいいから総一郎を出せ」という方もお付き合いいただけたら幸いです(;´∀`)
次回『とある夫婦の寸歩不離』
更新は木曜日の予定です。




