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99:ミミルの笑顔

 確か半年くらい前にここ【獣王国・パシオン】にやって来た時、ひょんなことから獣王が住む《王樹》に入ることになり、そこで一人で探検している時に一人の少女に会った。

 赤茶色の髪の毛を持ち、頭の上にはトレードマークとも呼べるほどの大きな青いリボンをしている。感情が豊かというほどではないが、愛嬌のあるクリッとした大きな瞳と透き通った白い肌は、将来美人になれるであろう資質を感じさせた。


 ただ彼女はボードのようなもので筆談をしていたのだ。何でも昔病気のせいで声を失ったとのことだった。

 ハッキリ言って日色には同情すれど必要以上に干渉するつもりはなかったが、どうにも彼女の表情を見ていると苛立ちを覚えてしまったのだ。

 彼女は自分の人生を誰かのために生きている。それは素晴らしいことだと言うものもいるだろう。


 もし本人が全面的にそれを望んでいるのであれば何も思うことは無かった。だが彼女の目の奥には、諦めや悲痛の感情が潜んでいるのを発見してしまった。

 そしてどういうわけか、彼女が自分に向ける笑顔が偽りのように見えて鬱陶しく思えた。

 ほんの気まぐれには違いないのだが、思わず《文字魔法》で彼女の声を元に戻したのである。


 そうしなければならないような奇妙な感覚もあったし、それに彼女の本当の笑顔を見てみたいと思ったのもまた事実だった。

 治癒してから、自分の行為の意味に気づき彼女には口止めをしてから、速やかに国を離れた。あのままその場に居れば間違いなく面倒な事になっていたに違いない。

 無論それからは会っていなかった。というよりもほとんどその事実を忘れていたのだが、そんな彼女が今目の前に現れた。

 あの時と同じような青いリボンを身に着けて。


「ヒ、ヒイロ様……ヒイロ様ぁぁぁぁぁっ!」


 まるで王女らしくない全力走りで駆けてくる。このままではかなりの威力が予想されるボディーブローをくらいそうだったので避けようと思った時、


「……む?」


 服を誰かに掴まれていた。


「チ、チビウサギ!」


 ララシークの仕業だった。彼女は面白そうに口元を緩めて、


「女の抱擁は黙って受けるのが男ってもんだぜ?」

「何を……ぐふっ!」


 掴まれていなければ余裕で避けられていたのだが、それも叶わず青リボンの少女――ミミルに突撃をくらってしまった。抱擁なんていう甘いものではない衝撃だった。

 もちろん彼女は攻撃をしようとしていたわけではなく、嬉しさのあまり抱きついただけみたいだが。


「ヒイロ様ぁぁぁ~」


 胸にその小さな頭を擦りつけるようにして頬を綻ばせている。皆はその光景に呆気にとられているが、レオウードとララシークはニヤニヤしていた。


「ミ、ミミル様! お離れください! その者は敵です!」


 バリドの忠告も何のその、全く聞き入れていない様子でミミルは顔を上げ日色の顔を視界に入れる。


「ようやく……ようやく会えましたヒイロ様!」

「ぐ……分かった、分かったからいい加減離れろ!」


 するとギュッとさらに彼女の抱きしめる力が強まる。


「嫌です! またどこかへ行かれてしまうのでしょう?」

「はあ? お前何言って……」

「ガハハハハ! ヒイロよ、今のミミルに何を言っても無駄だぞ! その子の頑固さはワシ譲りだからな!」


 レオウードが珍しいものを見たといった感じに大笑いしている。だが彼の言うことを示すように、ミミルは口を尖らせながら、意地でも離さないといった強い意思をぶつけてくる。

 そんな彼女を見て浅く溜め息を吐くと、素早く『透過』という文字を書く。


 ――スカッ!


 ミミルは突然そのままスルリと日色の身体を通り抜けてしまう。


「えっ……ええっ!?」


 ミミルだけでなく、その場にいた者は全員顎を落とすほど驚く。

 日色は何事も無かったかのように再びレオウードに対面するが、ミミルはキョトンとしながらももう一度手を伸ばして触れようとするが……やはり触れない。

 そこに日色は立っているのに、まるで立体映像のように空振りしてしまう。


「残念だったな青リボン」

「う~ヒイロ様っ!」


 頬をぷく~っと膨らませるミミルは、諦めずに何度も何度も手を伸ばすが雲を掴むが如く手応えを感じない。


「ほほう、それがお前の魔法かヒイロ」

「少しは参考になったか獣王」


 二人は互いに微かに笑みを浮かべながら視線を交わす。


「フフ、しかしミミルにもそのような一面があったとはワシも驚きだぞ」

「……あっ! そ、その……し、失礼致しましたお父様!」


 ミミルは正気に戻ったかのように体裁を整えて恥ずかしそうに顔を俯かせる。


「よいよい、それほどヒイロはお前のお気に入りだということだろ?」


 ぷしゅ~っと頭から湯気を出すかのように顔を真っ赤にしている。


「普段から誰よりも大人びているお前を、こうも取り乱させるとは、やはりお前は面白いなヒイロよ」

「よく分からんが、どうやら……」


 ミミルの顔を見つめる。彼女は急に見つめられてドキッとしているのか頬を染める。


「前よりは幾分マシに笑えるようになったようだな」


 日色の言葉を受け、少し目を見開いた彼女はニッコリと笑いながら、「はいっ!」と元気に返答した。

 どうやらもう自分を偽って過ごしていないようだ。日色もまた治した甲斐というものを実感していた。


「しかしミミルよ、どうしてここにヒイロが来ていると知ったのだ? 別に触れ回ったわけではないはずだが?」


 レオウードの問いにミミルは「それは……」と言いながらララシークの方を見つめると、いつの間にか彼女の頭の上には白い物体がチョコンと乗っていた。

 それは以前、日色も見たことがあった。

 彼女曰く精霊らしい。

 名はユキちゃんと言っていたことを思い出した。その姿は雪の日に、子供たちが作るような雪細工の雪ウサギそのままだった。


「……チビウサギ、お前まさか……」

「ナハハ! その通りだ! ここに来てすぐにユキちゃんをミミル様のもとへ向かわせた。もちろん小僧の来訪を知らせるためにな」

「本当かミミルよ?」


 レオウードが尋ねると、ミミルはハッキリと頷き肯定した。


「はい。ユキちゃんは喋ることはできませんが、氷で字を書いて頂きました」


 なるほど、それでこちらの存在が彼女に知れ渡ったというわけだった。ということは、彼女がこうして一目散に駆けつけ、抱き付かれることも当然ララシークの狙いだったというわけだ。


「やってくれたなおい……」

「ナハハ、さっきのお返しだ」


 やはり自宅で日色に一本取られたことを根にもっての犯行だった。日色は本当に抜け目の無い彼女に対して、怒りよりも呆れてしまい溜め息が零れた。


「と、ところでお父様、どうしてヒイロ様がこちらへ? ミュアちゃんからお聞きしたお話ですと、ヒイロ様はその……『魔人族』とともに戦場へお立ちになられているとのことでしたが」


 不安そうに彼女が顔を曇らせる。


「何でもワシと話をしに来たらしい」

「お父様と……ですか?」

「うむ、ミミルよ、この場にいてもよいが邪魔をせぬようにな」

「は、はい! 申し訳ありませんでした!」


 そうして頭を下げて、その場を離れるのかと思ったが、何故か日色の隣に位置取っている。


「……ミミル?」

「何でしょうかお父様?」

「い、いや、こちらへ来たらどうだ?」

「それはできません」

「ど、どうしてだ?」

「ここが良いのです」


 物凄いキラキラした笑顔で言う。


「お父様はこの場にいてもよいと仰られました」

「う、うむ……」


 皆も確かにそう聞いた。


「ですからミミルは、ヒイロ様のお傍を離れません」


 きっぱりと言う彼女を見て、レオウードもそれ以上何を言っても断固として聞かないだろうと判断したのか何も言わなかった。


「……まあよい。ところでヒイロよ、お前はこれからどうするつもりだ?」

「あ?」

「ワシとこうして話した後だ」

「誰かに決闘場所を案内してもらおうと思ったが、そっちは承諾するのか?」

「別に構わんが、教えられなくとも問題無いとも言っておったろ?」

「まあな、だから別にその件に関してはもういいって気がしてきた。だからハッキリ言って用はもう無い」

「……帰るということか?」

「ああ」


 その瞬間、ミミルが悲しそうにこちらを見つめてくる。ようやく会えたというのに、また別れるのが辛いのだろう。


「アノールドたちには会って行かないのか?」

「ああ、コッチのチビウサギにも言ったが、今は会わない方が良さそうだしな。楽しみは後にとっておく」

「……そうか」


 レオウードは腕を組んで思案するように微かに唸る。その彼を無視するように日色は指先に魔力を宿す。その行為を見た者は、ここから去るつもりなのだろうと確信する。


「なかなか楽しめた」


 そして文字を書こうとした時――。


「まあ待て」


 レオウードの言葉にピクリとして動きを止める。


「……何だ?」

「そう慌てなくてもよいだろう。もう少しゆっくりしていけ」


 不安顔をしていたミミルがハッと表情を変えてレオウードを見つめる。


「断る。もういる理由が無い」


 だが日色の言葉に意気消沈するミミル。


「ほう、そうか。客人の為にもてなしの用意があると言ってもか?」


 日色の耳がピクッと動く。


「……もてなしだと?」

「ああ」

「…………一応聞こうか?」


 してやったりと言った感じでレオウードは頬を緩める。


「実は昨日《アクアハウンドの肉》が手には……」

「しばらく厄介になろう」


 《アクアハウンドの肉》という言葉は忘れることはできない。何故ならこの世界に来て、一番衝撃を受けた肉だったのだから。

 正直に言って頬が蕩けるような美味さを宿したソレを、もう一度食べてみたいと思っていたのだ。


「おお、そうかそうか!」


 レオウードが小さくガッツポーズをして、ミミルにウインクをする。そう、彼はミミルの為に、日色を留まらせたらしい。彼もまた親バカなようだ。

 ミミルはミミルで、花が咲いたようにパアッと笑みを浮かべると日色の顔を見つめる。


「ヒイロ様、こちらのおもてなしが出来上がるまで、ミミルとお話してください!」

「めんどくさいな」

「はうっ!」


 ショックを受けたように肩を落とす彼女を見て、


「すまんがヒイロ、ミミルの望む通りにしてやってくれ。その代わり食事の方は満足のいくものを用意しよう」

「…………仕方無いな」


 日色が魔法の効果を解き、


「案内しろ青リボン」

「ヒイロ様……はいっ! こちらです!」


 そう言ってその場から二人が去って行く。



     ※



「しかし本当に飯で動くとは、アノールドから聞いてはいたが……」


 レオウードはアノールドから日色が食べ物と本で釣るとついてくると教えられていた。だがこうも簡単に思惑に乗ってくれるとは拍子抜けするように簡単だった。


「それがヒイロの魅力……ともあの馬鹿弟子たちは言ってましたがね」


 肩を竦めながら言うのはララシークだ。


「ですが本当によろしいのですか? あのような輩にミミル様を任せてしまって……」


 バリドの不安は尤もだ。

 日色はハッキリ言って得体が知れない。万が一を考えてしまうのは当然のことだ。


「ミミルの為にしたことだ。あの子も喜んでいたではないか」

「し、しかし!」


 そこでララシークが笑みを浮かべながら喋る。


「安心しろってバリド。さっきも言ったように、めんどくさい事態を招くようなことをするような奴じゃねえ。それにせっかくの食事をふいにするようなこともしねえはずだ。まあ、アノールドたちに聞いたことだがな」

「ララシーク様、ですが……やはり信じられません!」

「ならお前が近くで監視したらどうだ?」

「そうさせて頂きます!」


 そう言ってバリドは《玉座の間》を出て行く。


「はぁ、相変わらず固い奴だねぇアイツは」

「ガハハ! 自分の目でもって真実を見極める。それは良いことだと思うがララ?」

「ま、そうとも言いますがね」


 楽しそうに笑っているレオウードを見てララは少し思ったことがあったので尋ねる。


「レオ様、小僧を留まらせた理由は、本当にミミルの為だけでしょうか?」

「ん? そう言っただろ?」

「…………それだけではないでしょう?」

「何の事だ?」

「あわよくば小僧をこちら側に引き込めないか考えているでしょうに」

「…………」

「この国の良さを存分に味わわせて、戦い難くする。まあ、それも戦略の一つって言えばそれまでですが」


 するとレオウードはフッと頬を緩ませる。


「いや、確かに最初はそのつもりだったのだがな」

「……違うと?」

「あの小僧と話してみて、それは不可能なような気がした」

「…………」

「奴は良くも悪くも真っ直ぐ。確かアノールドがそう言っていたな」

「はい」

「それが痛いほど伝わった。奴は自分の思う通りに進む。そこにどんな横槍が入ろうともな」

「…………」

「今奴はどんな理由かは分からないが、『魔人族』の側に立って戦うことを決めている。恐らくそれを変えるのは無理だろう。奴自身も、自分で一度決めたことを簡単には覆すことはせぬだろう」

「なるほど」

「たとえそれこそ食べ物や本などで釣ったとしても心変わりはせぬ。小さいことならまだしも、大きな選択をした理由を別の理由で変えることはせぬ人物だ」

「ほほう、そこまでレオ様は感じたのですか……」


 一国の王にここまで言わせるとは、本来なら一般人相手に有り得ないことだ。


「それになララ、ミミルの為という理由が一番大きいのは最初からだぞ」

「…………この親バカめ」

「ガハハ! それ最高の褒め言葉だぞ! ガハハハハハ!」

「というか、あなたのことですから、ミミル様の婿にとか考えてると思ってましたが……」

「何を言ってるんだララ?」


 キョトンとする彼を見て、ララシークは自分の考えは行き過ぎだったかと判断する。


「そんなの当然ではないか! あれほどミミルが気に入っているのだ! それにミミルの恩人でもある! いや、待てよ……確かククリアも会ってみたいとか言ってたな……」


 彼の言葉を聞いて「あれ?」とララシークは固まる。


「もしククリアも気に入ったと言ったら、その時は二人の婿にするか! よし、そうしよう! ガハハハハ!」


 どうやら考えは行き過ぎではなく、足り無さ過ぎだったようだ。ララシークはジト目で彼を見つめながら思った。


(あの小僧……これから大変だなきっと。修羅場にならないといいが……)


 日色のこれからを思い、心の中で合掌しておいた。



     ※



 日色はミミルに、懐かしい場所に連れて来られていた。

 そこは、日色とミミルが初めて出会った庭園だった。

 半年前とほとんど変わらない様相を呈していたが、ここは澄んだ青空が見上げられるので悪くない場所だったのだ。

 ミミルは嬉しそうに庭園の中心へと歩を進めると、クルリと回り日色を正面に捉える。そして静かに頭を下げる。

 何故そのような行動をとるか謎だった日色だが、次の言葉で納得した。


「改めて申し上げます。あの時、ミミルの声を取り戻してくださり、本当にありがとうございました」


 そして顔を上げた彼女の目から涙が流れ出ていた。


「あ、申し訳ありません。何だかこうしてまたお礼を言えたことが嬉しくて……」


 彼女は涙を指で拭いながらも必死に笑みを浮かべている。

 日色は少しの気恥ずかしさを感じながら頭をかくと、ゆっくりと彼女の前に立ち、トン……と優しく人差し指の先で彼女の額に触れる。

 ミミルがポカンとしながらも、頬を染めながら手で額に触る。


「ヒ、ヒイロ様……?」

「言っただろ。この借りはいつか返してもらうと。だからそれまで、忘れるなよ?」


 その言葉が無性に彼女の心を掴んだのか、これまでで一番の笑顔を作る。


「はいっ! いつか必ず、ですね!」



     ※



 バリドは今見ている光景が信じられなかった。

 何故ならミミルが今まで見たこともないような表情を浮かべていたのだから。

 日色という少年に額を突かれ、何かを言われて笑顔を浮かべるミミル。その笑顔は一辺の曇りなどなく、見た者全てを惹きつける魅力を備えていた。


 事実、バリドも彼女の表情に見惚れてしまっていたのだから。

 幾らミミルの声を取り戻してくれた恩人だからといっても、今は敵側に立っている少年であり信じるに値しない存在だと思っていた。

 勝利を得る可能性の高かった戦争が、彼のせいで一気にひっくり返されたのだ。とてもララシークやレオウードのように完全に信を置くわけにはいかない。

 何かあれば自分が命をかけてもミミルを守らなければと思いここまでやって来たのだが、あまりにも幸せそうなミミルの顔を見て、毒気を抜かれる思いだった。


 今彼らは《アクアハウンドの肉》で作られた料理を堪能している。少年が美味しそうに食べる姿を見て、ミミルもまた嬉しそうに笑っている。

 誰がどう見ても平和な光景だった。


(一体彼は何者なのだ……?)


 増々日色という少年のことが分からなくなってきた。突然戦争中に敵地のど真ん中に単身でやって来たと思ったら、その理由は国王と話がしたいという。

 しかもこうやって敵の城でのうのうと食事を摂っている。

 まさに常軌を逸している。常識では考えられないことばかりだ。バリドは誰かの頭の中を初めて本気で覗いてみたいと思ってしまった。


 型破りにもほどがある。あり過ぎる。理解不能な存在に、こちらの頭がどうかしてしまいそうだった。

 だが不思議と彼を見ていると心が落ち着いてくる自分がいる。理性では彼を信じるなと言っているのだが、本能では安堵しているのだ。

 それはきっと、彼女の、ミミルのあの笑顔を見たからだろう。

 そしていつの間にか、ミミルの護衛にやって来ていた兵士も料理を貰って笑っている。

 耳を澄ませば、どうやらアノールドの話(ほぼ悪口や面白体験)をしているようだ。


「…………どう思う?」


 バリドがそう呟くように言うと、


「……楽しそう」


 いつからそこにいたのか、バリドの背後にはペンギンの着ぐるみを着た小さな存在から可愛らしい声が放たれていた。

 彼女はバリドと同じく《三獣士》の一人であるプティスだった。


「楽しそう……か」


 コクンと頭を動かして肯定するプティス。

 しばらくそこで彼らを見つめていると、食事が終わったのか日色は立ち上がってミミルとともにその場を離れて行く。恐らく《玉座の間》に戻るのだろう。


「俺も向かう。外からの監視は任せたぞ」


 またも頷きを返す彼女を一瞥してからその場を後にした。



     ※


 再び《玉座の間》へと戻って来た日色を見てレオウードは苦笑を浮かべている。


「もう帰るか?」

「ああ、やることは終わった」


 ミミルの暗い表情を見て、思わず誰もが手を伸ばしそうになるが、いつまでも日色を留めておくことができないのもまた事実である。

 それも彼女は分かっているのだが、割り切れない思いを抱えているのだ。ここで別れたら、次に会えるのはいつになるか分からない。

 そう思うとやはり別れたくないと思って、そんな顔をしてしまうのは仕方が無いのだろう。


 さすがの日色も、彼女が寂しがっていることは理解している。

 何故ならこの表情は、これまで旅してきて幾度となく見てきたことのある顔だからだ。しかしここで留まることなどできはしない。やるべきこと、いや、やりたいことがあるからだ。


「チビウサギ、アイツらに伝えておいてくれ。楽しみにしてるってな」

「おう、だが忘れるなよ? 決闘にはワタシも出るんだぜ?」

「ああ、分かってる」


 その理由は、アクウィナスが一番彼女の参戦を懸念していたのだから。もし彼女が参戦するようなら、是非とも日色の力を借りたいというくらいだった。それほどまでに彼女は強い。


「あ、それとオッサンが、オレのことをいろいろ暴露しやがった件については青リボンに聞いた。どうやらお仕置きしなきゃならないらしいが、逃げないようにこの件については奴に教えるなよ?」

「あ、ああ……」


 ララシークは日色の暗い笑みを見て頬を引き攣らせて、アノールドの命がもうすぐ尽きてしまうのだろうと思い心の中で合掌した。

 そしていまだ落ち込んでいるミミルを見て溜め息を漏らす。


 トン……。


 またも彼女の額を突く。


「え……?」

「次は歌を聞かせろ」

「……ヒイロ様?」

「得意と言ってたろ? それとも自信が無いか?」

「い、いいえ! 練習しておきます! たくさんたくさん、ヒイロ様のために!」

「……期待しておこう」

「は、はい!」


 嬉しそうに返事をする彼女を見てから視線をレオウードへと移す。


「……獣王」

「……ああ」


 しばらく睨みあった後、


「「――次は戦場だ!」」


 二人同時に通じ合っているかのように言葉を紡ぐ。

 そして日色は『転移』の文字を使用してその場から姿を消した。



     ※



「行ったな」


 レオウードは隣にいるバリドに向かって言う。


「はっ!」

「で? どうだった奴は?」

「…………あの者がどうであれ、今は敵です」

「クク……今は……か」


 いつもなら容赦無く辛辣な言葉を放つバリドが、ずいぶんやんわりとした言葉を吐くものだと思い楽しそうに笑った。

 バリドまで変えてしまったのかと思って、増々日色が欲しくなってきた。


(婿にと、冗談交じりに言ったが、これは本気で考える必要が出てきたな)


 心がワクワクしているのを感じ、思わず頬が緩む。そしてもう一つ、日色とは是非戦ってみたいと強く思った。


(こうまで楽しみになるとはな。面白い! ならば力尽くでお前を手に入れてみせようヒイロ!)


 この国の為に、そして我が娘ミミルの為に! 改めて決意を胸にする獣王だった。






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