92:先代魔王
大志たちが連れて来られたのは洞窟内のはずなのに、とても明かりに満ちている場所だった。
だがそれは日の光ではなく、青白い宝石が強烈な光を放っているようだった。
その発光元の巨大な石は四つあり、洞窟内だというのに、地面から巨大な樹の根っこのようなものが生えて、それらを一つ一つ支えるように絡み包んでいる。
それが入口を挟んで左右に二つずつ存在していて、入口から真っ直ぐに行ったところには階段があり、その上にはまるで玉座のように綺麗に装飾された椅子が一つあった。
「やぁ、待ってたよ」
その玉座には一人の人物が座っていた。
そしてその左には、真っ白な髪を持った女性が控えている。
「……子供?」
大志は先程話しかけてきた玉座に座っている人物の姿を見て思わず呟く。大志の見た通り、確かにそこには子供が座っているのだ。
歳の頃は大体十歳くらいだろうか。金色の髪の毛を持っていて、にこやかに微笑んでいるその姿は、老若男女問わず魅了しそうな威力を備えている。
美少年――言葉にすれば簡単だが、もしテレビなんかに出ると、一躍スーパーアイドルになれるであろうと思ってしまうほどの美貌を持つ。
隣にいる千佳でさえ、見惚れている感じである。それほど整い過ぎている顔なのだ。
(というよりも、ゲームやアニメから飛び出してきたような感じか)
まるで作られたような美を感じて、思わずその美に引き込まれそうになった大志は喉を鳴らす。もしあの少年が大人になれば、さらに美に磨きがかかり、それはもう万人をも惹きつけてしまうのではないかと思った。
「さあ、こっちにおいで。話をしよう」
その少年は、こちらの思っていることを理解しているかのようにクスッと笑うと言葉を発してくる。
無意識に足が動き向かおうとしたが、視界に入ったテッケイルの姿を見て我に返ったように目を見開く。
「な、なあテッケイル、どうした?」
彼が何故か尋常ではないほどの汗を額から流していたので尋ねたのだ。その目は、信じられないものを見ているかのように大きく開かれている。
そして一文字に結ばれていた口が、重そうに開いていく。
「ま、まさか……そんな……裏切ったんスか……?」
テッケイルの言葉は玉座の方へと向けられている。
大志は少年がテッケイルを裏切ったのかと思って、そんな言葉を発したと思っていた。
「答えてほしいッス! 裏切ったんスか――――キリちゃんっ!」
明らかに親しげな呼び方に大志は、自分の考えが的を射ていると確信した。
「あ、あの子供を知ってるのか?」
だがその問いに対しテッケイルは微かに首を振る。
「違う……いや、違わないッスね。あの少年のことも知ってるッス。けど、今オイラが聞いているのは君のことッスよキリちゃん!」
そうしてテッケイルの視線が少年ではなく、その傍に控えている女性に注がれる。話の流れから、彼が少年ではなく女性に対して言葉を発していることを理解した。
「陛下、開口しても宜しいですか?」
女性が少年に対して丁寧に頭を下げる。
「うん、いいよ」
「感謝致します」
あっさりと了承を貰った彼女が、テッケイルに顔を向ける。
「お久しぶりですねテッケイルさん」
「……キリちゃん」
歯をギリッと噛み締めながら絞り出すように声を出す。やはり自分の知っている人物だと判断し苦々しい表情をする。
「何故そんなとこにいるんスか? キリちゃんの傍にいるのはイヴェアム様だけじゃなかったんスか!」
「…………」
「……最初からなんスか? 最初からイヴェアム様を裏切って……」
愕然とした表情で話す彼を見て、楽しそうに口を開くのは少年だ。
「いいよ05号、本当のことを教えて上げなよ」
「ほ、本当の……こと? い、いや、それよりも05号ってどういうことッスか?」
パニックに陥っているテッケイルを尻目に、冷ややかに彼を見下ろしながら05号と呼ばれた彼女は言う。
「私は識別番号05号、諜報特化型ヴァルキリア。あなたの知っているキリアとは、私があなた方に溶け込むために作り出した存在です」
「な……何を言ってるんスか?」
「我が主はただ一人、ここに居られる陛下だけです」
「そ、そんな……」
ガクッと膝を折って地面に顔を向ける。
「そ、それじゃ今までオイラが手にした情報も全て……?」
「はい。あなたが常に私を介して情報を渡してくれていたのは知っていますね? 無論、こちらの都合の良いように改ざんしたものを国に知らせてきました」
テッケイルの顔が増々青ざめていく。
「な、なら『獣人族』が最近、『人間族』と不穏な密約を交わしていることも、会談によからぬ企てがあるということも全て……?」
「はい、こちらの都合の良いように伝えさせて頂きました」
ガリッと地面を爪でかく。
「な、なら会談は!? 魔王様は!? 【ハーオス】は!?」
「安心して下さい。こちらにとって予想外な事態が起きてしまい、会談は別として、彼女も【魔国】もどうやら無事のようです」
テッケイルは大きく息を吐き安堵のため脱力した。
「まあ、あくまで人のやることだからね。いろいろ失敗はあるということだよテッケイルくん」
少年は、いまだに笑みを崩さない。まるでその失敗すらも楽しんでいるかのようだ。
「…………そうッス。一番問題なのはあなたのことだったッス」
テッケイルがキッと少年を睨むように視線をぶつける。
「アハハ、怖いなぁ。駄目だよそんな目で睨んじゃ。これでも元は君の上司なんだから」
「くっ……」
上司……?
大志は二人が視線を交わしているのを見て、
「な、なあテッケイル、あの子供は何者なんだ? 上司って?」
「…………」
「フフフ、教えて上げなよテッケイルくん?」
大志は少年を見て、再びテッケイルに視線を戻す。
そして観念したかのように彼は大きく息を吐くと静かに真実を語る。
「彼は――――――――――――――――魔王ッスよ」
テッケイルの言葉を聞いて、大志だけでなく千佳も同様に固まっている。
「え……ねえ大志、魔王って女の人よね?」
「あ、ああ……国王様からはそう聞いてるけど……」
戸惑っている二人に対し、テッケイルが苦笑を浮かべる。
「ああ、言い方が悪かったッスね。彼は魔王でも一つ前の魔王。つまり先代魔王様ッス」
「せ、先代?」
大志が目を開き少年を観察した。
当の本人である少年は相変わらず楽しそうに微笑んでいる。
「あの時、オイラの目の前に現れたアレ……やっぱあなたの仕業だったんスね」
「アハハ、懐かしかったでしょ? でも成長したじゃないか。まさかアレを一回殺すなんて。昔はアレに片手であしらわれていたくせにね」
「お蔭様で今は《魔王直属護衛隊》ッスからね」
「時は確実に流れてるってことだね」
「……それよりも、生きてるってことは、あなたが死んだのは偽りだったってことッスね?」
「そういうことだね」
「でもどうやられたんスか? あの時、確認したのはアクウィナスさんッスよ? 『魔人族』最強を背負う存在。そんな人が死を偽装されたことを見抜けなかったことが不思議でならないッス」
大志もアクウィナスの名は聞いている。魔人の中だけでなく、もしかしたら地上最強に相応しい存在だと。そんな人物を、あの少年はまんまと騙し抜いたということだろうか。
だとするならあの少年はどれほどの実力を有しているのか、想像するだけで身体が震えてくる。
「うん、アイツの目が最も厄介だったよ。だからそうだね、さっき生きてるって言ったけど、正確には生き返ったという方が正しいかな?」
「生き返った……?」
「まあ、もっと正確に言うならば、今もまだ不完全なんだけどね」
「不完全……?」
「それ以上は秘密かな? まだね」
人指し指を立てて口元に持って来て片目を閉じながら言う。
「……何が狙いなんスか?」
「ん~今も言ったけど不完全なんだ。だから、完全になること……かな」
「…………?」
「意味が分からないって顔してるけど当然だよね。なら今世界に起こっていることを、そっちの勇者くんに説明してもらったらどうかな?」
テッケイルは「え?」と言葉を漏らしながらゆっくりと大志の方を見る。
「え……俺?」
「そうそう、君たちは攻め入ったじゃないか、【魔国・ハーオス】にね」
※
元魔王の言葉にテッケイルはギョッとする。
そしてあの時、イーラオーラがすんなり勇者たちに橋の通過を許した意味が理解できた。
だがそのお蔭で、今ここにいるキリアの存在と、情報収集役の自分を真っ先に捕らえた意味を考えて一つの真実を見出すことができる。
「……戦争……してるんスか?」
「おお~、さすがはテッケイルくんだね。そう、君の考えている通り、今は戦争中だよ。あ、ちなみに『人間族』と『獣人族』は結託しているからね」
「なっ!?」
最悪の状況であることを把握する。
キリアには、その二つの種族が会談前に、何かしらの行動を起こしているという事実を伝えておいたのだが、彼女が先程言った通りだとしたら、その情報はイヴェアムに伝わっていないということだ。
だがそこでもう一度思い出す。
キリアはイヴェアムも【魔国】も無事だと言った。ということは、少なくとも攻め落とされてはいないということだ。
しかし戦争中ということは、今も予断を許さない状況が続いているということだ。何しろ二つの種族が結託して『魔人族』を滅ぼそうとしているのだから。
仲間たちのことを思い、ギリギリと歯を噛み締めているテッケイルを見て元魔王が言ってくる。
「少し予定外なことが起きたというのはさっき聞いたよね。それは一重に君のせいでもあるんだけどなぁ」
ギクッとテッケイルは身体を硬直させる。
それはきっと自分がジュドムに情報を流したことを言っているのだろう。
「まあ会談自体はどうなろうが計画に支障は無かったんだけど、それでも君の力を侮っていたことも事実だったからね。今度の手錠は、身体能力を制限するものじゃなくて、魔封じ効果のあるものにしておいたしね」
ここに連れて来られた時は、確かに愛用のペンを取り上げられて、身体能力を制限する手錠だけを付けられていた。
テッケイルの魔法は、愛用のペンさえ取り上げれば使えないと元魔王は思っていたのだろう。
尤もそういうふうに見せるように普段からテッケイルが行動していたからだが。
こういう時のために切り札として誰にも知られないようにしていたのだが、それも気づかれたようで今度は魔法自体を封じる手錠をされたというわけらしい。
「これで君にはもう何もできない。ここに呼んだのは、簡単に言うとこれからのことについて話すためだよ。本当ならここにはあと二人、残りの勇者たちもいるはずだったんだけど、どうやらこれもまた予想外で、調べたところ、イヴェアムの傍にいるみたいなんだよね」
その時、大志と千佳が全身に電撃が走ったようなショックを受けた表情を見せる。無理もない。敵の大将に仲間が捕らえられていると知って穏やかではいられないだろう。
「そ、その話!」
「ん?」
「その話、もっと詳しく聞かせて!」
千佳が我を忘れたように詰め寄っていく。
「だ、駄目だ千佳!」
大志が彼女の前進を止めようとするが、彼女の目の前に現れたのは十字傷の男だった。
「あ……っ!」
いつの間に千佳の前に現れたのか、その速さに大志は驚愕していた。
「女、それ以上進めば片足を斬る」
鋭い殺気が刃物のように千佳の身体を突き刺す。
「千佳っ!」
殺気に当てられ膝をついた千佳に大志は駆け寄って肩に手をやる。
「アハハ、駄目だよそんなに怯えさせちゃ」
元魔王の言葉に軽く頭を下げる十字傷の男。
「あ、そうそう。残りの二人の勇者については問題無いと思うよ。イヴェアムはバカみたいに甘いし、殺されるとは思えないしね。まあ、軟禁はされるだろうけど」
だが大志たちにとっては、その言葉を信じるわけにはいかないはずだ。何故ならば大志たちはイヴェアムのことを何も知らないのだ。もしかしたらもう殺されているかもしれないと危惧しても不思議ではない。
ガタガタと恐怖と不安で震えている千佳の身体を大志は支える。
「た、大志……」
「……信じよう。しのぶたちは生きてるって」
元魔王の言葉を信じるのではなく、仲間たちの強さを信じることにしたようだ。
そして不安気ながらも大志のその言葉に千佳もまた力強く頷きを返す。
このやり取りを見るだけで、勇者たちの絆は確かなものだということが分かる。
「さていいかな?」
元魔王が話の続きを再開する。
「これからのことを話すって言ったけど、もちろん理解しているよね? 君たちには拒否権が無いってことを」
テッケイルたちの身体に嫌な汗が噴き出ている。
「まず、余が何故今回の戦争を引き起こさせたのか理由を話してあげよう」
ゴクリと三人が唾を飲み込む。
「今回の戦争、別に結末なんて実のところどうでもいいんだ」
「……どういうことッスか?」
「戦争を起こした、という事実が必要なだけだったんだ」
「……?」
「フフフ……」
そうして元魔王が椅子から立ち上がって、ゆっくりと階段を降りてくる。
「人っていうのは面白いものでね。正の感情より、負の感情の方が高まり易い。それもほんの些細なきっかけ一つだけでもね」
「……何が言いたいんスか?」
ピタッと階段の途中で足を止める。
「負の感情は何よりも強い。それに染まり易い。真っ白な器にはもってこいなんだよ」
何を言っているのか分からずテッケイルは眉をひそめてしまう。
「フフフ、少し喋り過ぎたね。とにかく、戦争を起こしたことで、この世界に負の感情が高まりつつある。余の目的はその感情をもっと強めること。そうすれば……フフフ」
「…………変わらないッスね、その顔」
「おや? そうかい?」
「変わらない……まるで人を駒のようにしか見ていないあなたのその目は、魔王の時と全く変わっていないッス」
「フフフ、だからこう言いたいのかな? そんな目をしているから排除されたんだと?」
「…………」
「さっきも言ったように、排除されたんじゃない。排除されてあげたんだ。余の目的のためにね」
「…………」
「さて、ここらで君たちの役目を教えておこうか」
元魔王は大志たちに顔を向ける。そしてハッとなって手をポンと叩く。
「あ、そう言えばまだ自己紹介がまだだったかな?」
その笑顔は今までの会話を聞いていない人からすれば、ただの可愛らしい子供のように目に映るのだが、大志たちは寒気だけしか感じていない様子。
「まあ、余の過去はそこのテッケイルくんが言ったように先代魔王だよ。つまりは今の魔王であるイヴェアムの兄なんだけど……」
兄なのかよと大志が突っ込みたいような表情をしている。
「覚えておくといいよ。今日から君たちの主の名前だ」
クスッと笑みを浮かべて少年が口を開く。
「余の名はアヴォロス。アヴォロス・グラン・アーリー・イブニングだよ」
※
先代魔王の名前を聞いた大志は自分たちがとんでもないことに巻き込まれていることに改めて恐怖を抱いた。
先代魔王の噂はヴィクトリアス王であるルドルフに聞き及んでいたからだ。
残虐非道、冷酷無比、聞くだけで背筋が凍るほど冷たい人格を持つ人物だと聞いていた。
まさか子供だとは思わなかったが、テッケイルの表情を見て、それが偽りではないことを確信する。
だからこそ、先程から感じる寒気が止まらない。今大志たちの命は、彼の掌の上にあるのだ。いつでも握り潰すことができる。
千佳も顔を青ざめて震えている。どうしてこんなことになったのか、大志は力強く目を閉じて歯噛みする。その歯がガチガチと音を鳴らす。大志もまた自分が震えていることに気がつく。
「さてと、いろいろ話が脱線したけど、ようやく本題に入れそうだね」
恐怖を与えている原因の少年――アヴォロスが口を開く。
「君たちの役目だけど、テッケイルくんはしばらく監禁させてもらうよ」
テッケイル自身、その言葉を予想していたのか表情は変えない。
いや、彼自身、もしかしたらここで殺される覚悟をしていたのかもしれない。それなのに監禁で済んだことに内心では訝しんでいるのか。
そして次は大志たちの番だ。
「勇者たちなんだけど……君」
そうして指を差した――――――――――――――――千佳にだ。
「……え?」
「そう、君だ。君は良い器になりそうだ」
「え……器?」
何のことか分からず呆けてしまっている千佳。
それは大志も同じで、アヴォロスの言っている意味が分からず彼の顔を見たまま固まっている。
するとアヴォロスが、先程見た四つの光る石の一つを指差す。
「君にはアレに入ってもらうよ」
「な、何をっ! あがっ!?」
その時、大志の首筋にトンと衝撃が走る。
同時に意識が混濁していく。
「うん、君は少し黙っていようね」
前のめりに倒れるそうになるが、それでも耐えて必死に顔だけを動かして背後を見ると、そこには目の前にいたはずのアヴォロスの姿があった。
そして彼は千佳の腕を掴む。
「た、大志っ! ちょ、ちょっと離しなさいよっ!」
その時、大志は確かに見た。
どす黒く、ドロドロしたような魔力がアヴォロスから滲み出てきて、それが腕を伝って千佳の身体へと流れていく。
「離しな……さ……い……っ!?」
次第に千佳の目が虚ろになり、糸が切れたマリオネットのように力を失っていく。
「ち……かぁ……っ」
必死に下りてくる瞼を開けながら千佳に手を伸ばす。だが無情にもアヴォロスに引き摺られ、千佳は青い石に向かって行く。
大志が見たアヴォロスの黒い魔力が千佳の身体を覆い、まるで手のように掴んで持ち上げるように宙へと浮かぶ。そのまま青い石の前にまで近づけられていく。
そして彼女の身体が石に吸い込まれていく。
「……た……いし……」
その時、千佳が自分の名前を呼んだのが分かったが、そこで大志は倒れてしまい意識はブラックアウトした。
※
「なあ、レニオン様まだ目が覚めないらしいな」
「ん? ああ、何でも《魔王直属護衛隊》のオーノウスにやられたらしいな」
そんな会話をするのは『獣人族』の兵士たちだった。今彼らは任されている【ムーティヒの橋】の防衛のため、この場で異常が無いか監視をしているのだ。
昨日の夜、驚いたことに《三獣士》のバリドに連れられ第二王子のレニオンが運ばれてきた。彼は意識を失っており、身体もボロボロで満身創痍だったという。
その光景を見た兵士たちにも激震が走った。
レニオンは《三獣士》にも劣らない実力の持ち主であり完全な武闘派だ。その彼がこうもボロボロにやられたこともそうだが、《三獣士》が助けに入らなければならなかったという状況に驚愕したのだ。
何でもココにいるはずのない魔王や《魔王直属護衛隊》が突然現れたことに全員に動揺が走ったという。その強さも噂に違わず、人間や獣人の兵士たちがあっという間に制圧されていった。
状況に変化が生じたということで、態勢を整えるために一度退避することを余儀なくされた。
レニオンは休養のため、この【ムーティヒの橋】まで連れて来られたという。
ここなら戦力も十分に存在するし、医療班も充実している。
だがあれからずいぶん経つがいまだに目を覚まさないレニオンを、兵士たちは心配していたのだ。
口や態度は悪いが、国王であるレオウードと第一王子のレッグルスがいない今の現状では、レニオンの存在は指針になるのだ。
彼がこのまま戦線離脱してしまえば士気の低下にも繋がっていく。だからレニオンがやられたということは、特定の兵士にしか伝えられてはいない。
「心配だな。早く復帰してほしいぜ」
「そうだな。あれでも戦いに置いては信頼されてるからな」
兵士たちは笑い合っている。
「それにこの橋にいれば一応の安全だろ?」
「まあな、まさか今の状況で『魔人族』が攻めてくるとは思えんからな」
「だな。まあ攻めてきても間違いなくこの戦力に返り討ちに遭うだろうしな」
もう一度互いに笑い合っていると、そこへ一人の獣人の兵士がやって来る。何でも慌てているようで肩で息をしている。
「お、おいどうした?」
兵士はやって来た兵士の男にそう尋ねるが、膝に両手をやり息を整えている。余程急いでいたのだろうことは理解できる。
「ふぅ~、ちょっといいか?」
男が顔を上げると、兵士たちは、
「あ、ああ」
「何かあったのか? あ、まさかレニオン様が目を覚ましたのか?」
その質問に男は首を振る。
「いや、そんなことじゃない」
「ん? だったらどうしてそんなに慌ててるんだ?」
「そうだよな。ん? ところでお前、初めて見る顔だが、もしかしてここの防衛に回された口か?」
すると男はニッと口元を歪める。
「いや、防衛というより……破壊……か?」
「……は? お前何言って……っ!?」
――ブシュッ!
突然男が腰から抜いた武器に斬られた兵士は、そのままガクッと膝をつき意識を手放す。
「な、何をっ!?」
もう一人の兵士は声を驚愕し、男に対して咄嗟にこちらも剣を抜くが、
「遅いな」
あっという間に間を詰められて身体を斬られる。
だが痛みを感じるというよりは、まるで脳を揺らされたように身体が言うことをきかなくなる。薄れゆく意識の中、その男の顔をよく見た。
やはり見たことがない顔。
着用している鎧は同じで、眼鏡をしている。しかもその太刀筋は見事としか言うことがないほど神業的なものだった。
「う……あ……」
その男はこちらを見下ろしながら一言言う。
「寝てろ。起きたら全てが終わってるだろうがな」
※
日色は『絶刀・ザンゲキ』の特殊効果である、魔力を宿して相手を斬れば、相手の意識を奪うことが可能になる力を使い二人の兵士をあっという間に倒した。
ここはまだ【ムーティヒの橋】から大分離れている所であるが、少し小高い丘のようになっており、周囲を見回すためならもってこいの場所なのだ。
(やはり橋の上にもそれなりに待機してるな)
長い橋の上にも大勢の兵士たちが常駐していた。実際問題、橋を壊すだけならそれほど難しくはない。だがここに来る前にイヴェアムに頼まれたことがあるのだ。
『できるだけ被害を最小限に』
言外にはなるべく敵でも傷つけないでほしいと込められていることは日色は気づいている。普通なら馬鹿な事を言うなと一笑にふすような戯言だが、
『ヒイロならそれができそうだから言うのだが……どうだ?』
そう言われると否定し辛かった。
(ったく、厄介な頼みごとを引き受けてしまったな。だがまあ……)
『もし無事に帰って来てくれたら、毎日は無理かもしれないが、またお前のためにムースンに腕を奮ってもらおうと思う!』
そんなことを言われれば頑張るしかなかった。【魔国・ハーオス】の料理長ムースンが作る料理は絶品だった。またあの料理が食べられるというのなら、少々めんどくさいことでもやってのけてやろうと思ったのだ。
(さて、どうしたものか……)
日色はもう一度橋をじっくりと観察する。ここの橋は、他の橋よりも短い。それも極端にだ。いや、他の橋が異常に長いだけなのだが。ここも見た感じは二キロほどはありそうな橋だ。
幅は十メートル以上はあるようだが、それほど頑丈そうには見えない。
(まあ、幾ら頑丈でもオレには関係無いが)
そう思い、少し目を閉じてプランを立て始める。
しばらく考えた後、
「よし、かなり目立つが牽制にもなるだろうしやるか」
両手の人差し指に魔力を宿す。
そして書き終わった瞬間、予め腕に書いてあった『転移』の文字を発動させる。
突然橋の手前に現れた日色に対し、獣人全員が唖然としていた。
一体どこから現れたのか分からない。ただ外見が同じ獣人の兵士ということもあって、呆然として見つめていただけのようだ。
(馬鹿な奴らだな。オレならこんな怪しい奴、速攻で攻撃かますが)
そう思いながらも、攻撃してこないなら都合が良いと、まずは右手の人差し指を橋に向けて、その先に青白く光っている文字を飛ばす。ピタッとくっ付くと即座に発動。
すると、だ。
「おわわわわわ!」
「へ? のわっ!」
「す、滑るぅぅぅっ!」
突然橋の上にいる者たちが、転び出したのだ。
しかも転んだ後も止まらずに滑り続けている。しかも橋の上にいる者たち全員がそうなっているので、とても異様な光景に土の上に立っている者たちは唖然として固まっている。
(クク、そのまま固まってろ)
そして今度は左手を橋の方に向けて――。
「さあ、ボーリングの球のように転がっていけ!」
文字を発動させると、日色の指先から凄まじい風が生み出される。
その風は塊となって橋の先から放たれて、向こう岸まで飛んで行く。
「「「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」」」」
橋の上にいる者たち全員が、まるでところてんのように向こう岸まで押し出されていく。誰一人抵抗できず、面白いように滑っていく。
何とか滑りを止めようと橋にしがみつこうとするが、ツルンと何の引っ掛かりも生まれずそのまま身体は流されている。
しかもその勢いは凄まじく、橋から投げ出された者たちは、その勢いのまま盛大に地面へと転がっていく。
橋の上にゴミ一つ無くなったところで日色はニヤッと笑みを浮かべた後、素早く文字を書く。その文字を橋に向けて放ち発動させる。
――ドゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!
突然橋にヒビが入り、崩壊しだした。
崩れた破片が海へと沈んでいく。
そしてあっという間に、大陸と大陸の架け橋だった二キロほどのそれは、何も無い空間へと早変わりした。
呆気に取られる兵士たち。向こう岸の兵士たちなどは、突然多くの兵士が転がって来たことも含めて皆が皆、夢の中にいるような感覚で立ち尽くしていた。
(呆気ないもんだな。少しは邪魔されると思っていたが……馬鹿みたいに呆けてるなんてな)
それだけ異常なことを日色が起こしているからなのだが。
(まあ、これであの女の頼みごとも叶えられたし文句はないだろ)
今回日色が行った【ムーティヒの橋】崩壊は、何と死傷者や行方不明者もゼロだった。誰も傷を負わせず事を成した日色なのだが、本人にとっては意外に簡単な仕事だった。
まず最初に橋に向けて放った文字は『摩擦無』。
『摩擦零』かどっちかにするか悩んだが、別にどっちでも同じ効果があると思ったので書き易い方にしただけだった。
文字の通り効果は橋の摩擦抵抗を無くすこと。
つまり立っているだけでも不可能に近いほど滑ってしまうのだ。氷よりもなお、オイルを撒かれたよりもなお滑る。無論空気摩擦は現存するので、転がってもそのうち止まるとは思うが。
まるで宇宙空間に身体を委ねているような感じで、一度力が込められれば、その方向にしばらくは止まることなく動いてしまう。
だがそれだけでは不完全だ。
だから今度は『風圧弾』という文字を使い、橋の上にいる連中を押し出そうと考えた。三文字にしたのは二キロもある橋から連中を風の力で綺麗に追い出す威力を得るためだ。
そして最後は『大崩壊』。
これも文字通りの効果だ。
発動された文字で、橋は見事に綺麗サッパリ崩壊した。
これなら上手くいけば誰も死なずに済む。本当なら橋の上に誰がいようが、『大崩壊』だけで事足りたのだが、イヴェアムの頼みごともあったので、この方法を取ることにした。
(さて、奴らが呆けてるうちにオレは)
そう思いながら『転移』の文字を書こうと思ったその時、
「――――待て」
明らかに自分に向けられただろう声が、不思議なことに上空から聞こえてきた。そこに視線をやると、翼を持った鳥の顔をした獣人がそこにいた。
「……鳥人間?」
思わずそう呟いたが、まさしく鳥人間そのままだった。
「お主、何者だ?」
「……見て分からないか? お前らの仲間じゃないか」
少しもそんなことを感じさせないように肩を竦めながら言う。すると鳥人間の目が細められ、ゆっくりと日色の前方に降り立ち口を開く。
「俺は兵士全員の顔と名前を記憶している。その中にはお主のような銀髪を持った者はいない」
日色は今、いつかの懐かしい獣人の姿になっているのである。
「ほう、それはまた結構な特技だな」
これだけの獣人の兵士の顔と名前を暗記しているとは、凄まじさを通り越して呆れてくる。
「もう一度聞く。何者だ?」
「答える義務は無いな」
すると相手の目がさらに鋭さを増す。
「なら、力ずくで口を割らせてやろう」
突然翼をはためかせたと思うと、そこから複数の羽が飛んで来た。
――ザクザクザクザクッ!
横に跳んで避けるが、地面にはまるでナイフのように羽が突き刺さっているのを見て、当たるわけにはいかないと判断する。
再び羽を投げつけてくるが、軽やかに日色は避ける。
「ほう、なかなか良い動きをするな。部下たちにも見習わせたいものだ」
「それはどうもだな」
相変わらずの仏頂面で日色は言葉を吐く。
「ならこれならどうだ?」
今度は真っ直ぐではなく、放物線を描くように無数の羽が向かって来る。日色の背後は崖になっているので、そちらに向かって跳んで避けるわけにはいかない。
日色は舌打ちをして、仕方無くその場から上空へと跳び上がって避ける。
しかし鳥人間はしてやったりと笑いを浮かべる。
「そこでは避けることは叶うまい!」
最初から狙いは、日色の逃げ道を空だけに絞ることだったようだ。
再び無数の羽が空中にいる日色を襲う。このままでは針ではなく、羽が生えたサボテンの出来上がりになってしまう。
しかし、ヒュンッとその場から再び上空へと舞い上がる日色を見て鳥人間は目を大きく見開き驚愕を表す。
ターゲットを失った羽は、そのまま真っ直ぐに突き進んでいく。
「飛んだ……だと?」
見た目が獣人であり、翼も持っていない日色が飛んだことが信じられないといった様子だ。
日色の腕には『飛翔』という文字が光っている。これも設置していた文字の一つなのだが、それを知らない相手が理解できないのも無理は無い。
鳥人間は怪訝な表情を作ったまま、翼を動かして同じように空へと昇ってくる。
「お主、本当に獣人か? いや、この感覚……魔法?」
「ご名答」
「馬鹿なっ! 獣人のお主が魔法を使えるわけが!」
「その謎は……」
「…………」
「勝手に想像してろ」
素早く『煙』の文字を書いて発動させる。すると突然文字からボワッと煙が出現する。その濃さで、周囲を確認できない。
「ならば!」
翼を大きく動かし風を起こして煙を晴らす。
そしてしばらくして、そこにいたはずの日色の姿が見えなくてギョッとする。
「ば、馬鹿な……一体どこへ……?」
実はもう『転移』の文字を使って【魔国】へ戻ったのだが、彼はそのことを知らず、しばらく付近を捜索させたという。無論見つかりはしなかったが。




