88:夢の発見
「……おい、これはどういうことだ?」
今、日色は自分が泊まっていた宿屋へと帰還していた。
イヴェアムからは、『獣人族』たちがこぞって国外へと撤退して行ったので、後はもう我々だけで何とかできると言われた。
処理が終われば連絡するから待っていてくれということで戻って来たのだが……。
何故か…………自分の部屋に会話もまともにしたことがない他人が二人いた。
一人は自分が寝ていたベッドを占領し、一人は身体に負った傷を治癒魔法で治している。
よく見なくても分かる。二人は四人の勇者の二人だ。
名前は覚えていないが、間違い無い。
何故その二人がここにいるのか? そしてもう二人はどうしたのか?
この状況を作ったであろう者に問い質す。
「説明しろバカ弟子」
首根っこを掴んで、猫を持ち上げるようにする。
「う~申し訳ありませんですぞぉ~。言うの忘れてたのですぞぉ~」
宙に浮かせられながらシュンとなっているニッキ。
それを見てミカヅキが楽しそうに笑って、「バ~カバ~カ、おこられてるぅ~」と、ニッキを罵っているのが聞こえるが今は無視だ。
ニッキが言うには、日色が会談場所から戻った時、伝えなければならないと思いながらも、ミカヅキとのやり取りなどで、すっかり忘れてしまっていたらしい。
どういう状況で、こんなことになっているのかニッキから説明を受け、思わずこめかみを押さえてしまう。
「なるほどな。その竜巻使いの攻撃に巻き込まれて、残りの二人は飛んで行ったというわけか」
「あ、あの丘村っち?」
「少し黙ってろ」
「あ……うん」
ニッキとの会話に入ろうとした赤森しのぶをすっぱり切り、彼女も日色の不機嫌さが見て取れて理解しているのか押し黙る。
「赤ロリはどうした?」
「あ、それはですね、変態たちを迎えに行くと言ってどこかへ参りましたですぞ!」
「……はぁ、ホント面倒だな」
まだ来ていない仲間たちを迎えに行ったみたいだが、ニッキとミカヅキのお守りが嫌で、逃げ出したに違いなかった。
やれやれと頭をかきながら、自分のベッドに寝ている皆本朱里に視線を送り、軽く溜め息を吐くと、今度はしのぶに顔を向ける。彼女は不安そうに目を見返してくる。
「今は仕方無いからベッドを貸してやるが、夜には出て行けよ?」
冷たく言い放ったあと、踵を返して部屋から出て行こうとすると、しのぶが慌てて声を出す。
「あ、待ってぇな!」
「あ?」
「え……あ、そのな……ホンマに丘村っちなん……やんな?」
「それがどうした?」
今の日色は『インプ族』の姿なのだから戸惑うのも無理は無い。だがしのぶにしてみても、声や背格好、そしてその態度は明らかに丘村日色そのものと判断するに難しくはないだろう。
「ホンマゴメンッ!」
「…………」
突然勢いよく頭を下げて謝罪する彼女を無表情でジッと見つめる。
「こんなこと頼める義理やないんは分かっとる! けどな、頼れるんは丘村っちしかおれへんねん!」
「…………」
「こ、ここは『魔人族』だらけやし、外にも迂闊に出られへん……せやから……」
「しばらく匿ってくれ……ということか?」
しのぶはピクッと肩を震わすと、そっと顔を上げながら「……アカン……かな?」と問う。
日色は彼女の目をしばらく見つめて溜め息を漏らす。
「あのな、お前らはここに攻めてきた敵だぞ? そして依頼とはいえ、オレはこの国を守る立場にいる。どの面下げて言うんだお前は?」
本当に呆れる。自分の立場というものを全く理解していない。
同郷のよしみで、この状況を見て見ぬフリならしてやろうというのに。
「お前らは勇者だろ? 『魔人族』を滅ぼすために『人間族』に召喚された英雄だ。そのお前らが、もう戦いませんから『魔人族』が住む国に、傷が治るまで住まわせてくださいとよく言えたもんだな」
日色の辛辣な言葉に、言い返すこともできずに下唇を噛む。
「大体、おかしいと思わなかったのか? お前らみたいなのほほんとしたゲーム脳の奴らを、戦場に送った理由が」
「……え?」
どうやらまだ気づいていないらしい。
「……はぁ、お前らはただの捨て駒だ」
「そ、そんなことあらへんよっ!」
「いいや、オレはさっき直接国王に確かめた」
「へ? 直接ってどういう……」
日色はこの国にいたのに、いつ確かめたのか分からなくて混乱しているようだ。
「あの愚王は、否定しなかったぞ? お前らのことをオレが捨て駒だと言った時にな」
「……う、嘘や……」
「大体お前らは何故あんな王を信じることができたんだ? 自分の娘を犠牲にする王が、正しいわけないだろうが」
「……っ!?」
日色の言葉に、まるでハンマーで頭を殴られたかのような衝撃を受けた表情を見せる。
「それにだ、この世に送還魔法なんて無い」
「……へ? 無い?」
「そうだ」
「そ、そんなわけあらへんて! だって王様は魔王が知ってるって言うとったし!」
「ホントに信じてたのか? よく考えてみろ。何故魔王が知ってる。仮に知ってるとしたら、何故召喚魔法を知ってる『人間族』が知らない?」
「そ、それは……」
「それにだ、お前らこの世界の文献や書物は読んだのか?」
「書物……?」
「そこには召喚された勇者は確かに『人間族』を救ったと書いてあるが、どの本にも元の世界へ帰還したなどと書かれたものなどないぞ」
ショックを受けたかのようにしのぶは瞬きすらせずに固まっている。そして徐々に顔が青ざめていく。
「お前ら、ここに来て半年以上、何してたんだ?」
「……」
「どうせ国王に指示された任務だけをこなして、偉いさんの相手して、毎日毎日城で楽しく過ごしてたんじゃないのか?」
しのぶは過去を思い出し、まさしくその通りだと言わんばかりにゴクリと喉を鳴らした。その態度を見て、呆れたように日色は首を振る。
「やはりな。与えられたレールの上を指示された速さで歩いて、それで戦争に勝つ? お前ら、世界を舐めてるのか?」
「あ……」
「一度でも一人で冒険に出てみたことがあるか? モンスターに殺されかけたことは? その手で人を斬ったことは? 殺したことは?」
「う……」
「温室の中でぬくぬく育てられた犬が、野生の猛獣や狂犬揃いの戦場に放り出されて無事なわけがないだろうが」
しのぶは立っているのが限界といった具合に膝を折る。
「国王は気づいてたんだろうよ。お前らは人も殺せない役立たずだとな。だからこの戦争で捨て駒にした。もしここでお前らが殺されれば、今度はそれを理由に民たちを煽り、更なる戦争を起こす火種にしようとした。そんなところだろ」
「嘘や……」
「勇者は力一杯戦った。だが『魔人族』は卑怯な方法で彼らを謀り殺した。これが許されていいのか? 死んだ彼らの無念を晴らすためにも皆で仇をとるのだ……とか何とか言って、お前らの死を起爆剤として扱っただろうな」
「……そんな……せやったらウチらがしてきたことって……」
信じられないといった感じで両手を頬に当てて絶望の表情を作る。
「まあ、不幸だったのは周りにそれを気づかせてくれる者がいなかったことだが、普通は気づくもんだぞ。あの国の怪しさにな。だからオレは出て行った」
「そ、そんな! せやったらあん時、ウチらに教えてくれてもええやんか!」
「甘えるな」
「う……」
殺気を含んだ視線をぶつけられ気圧されてしまう。
「少し考えれば誰でも分かることだ。どうせお前らは浮かれてたんだろ? ここはゲームのような世界で、オレらは勇者だ。怖い者など無い……とな」
「あ……」
「だからおかしなことに気がつかず、何とかなると息巻いて、不確定な要素に見向きもせず、他人に言われるがまま日々を過ごした。何も考えず危険な世界で過ごしてきた報いだ」
「う……」
「ここはアニメやゲームのようなご都合主義の世界じゃない。お前らは勇者かもしれないが、何もせず英雄になれるほど世界は簡単じゃない。今の状況は、お前らの甘さが招いた結果だ」
「せ、せやけど……」
まだ納得していないというよりは、納得したくないという意思が見える。
「……愚王が送還魔法の話をした時、確かお前ら二人は、他のバカ二人と違って、少し疑問を持ったような顔をしていたが、あれはオレの見間違いだったようだな」
日色は話しているうちに、段々と召喚された当時のことを思い出していた。
そして国王ルドルフが送還魔法について語った時、いや、それ以外でも召喚された者が元の世界に帰るまで、向こうの世界では存在が無かったとして扱われるなどと詭弁のような言葉を並べ立てていた時も含めてだ。
少なくともしのぶと朱里だけは、その言葉に疑問を持っているような表情をしていたのを思い出したのだ。
「そ、それは……」
何やら言い難そうに顔を伏せる彼女を見て確信する。
「どうせ、こう思ったんだろ? 嘘かどうかは分からないが、こっちに来る魔法があるんだから、必ず帰る魔法もあると」
「……っ!?」
「それに、勇者という肩書き、ファンタジー世界、そういったものに浮かれていたお前らは、そんな重大な疑問をあっさりと捨て去った。何とかなる。自分たちは仲間が四人もいるのだ。支え合っていればいつか元の世界に戻れる……とかな」
日色の言葉に口をパクパクさせて固まっている。彼女の額からじんわり汗が流れ出て、日色の言葉が完全に的を射ていることを証明した。
「そんな確証などどこにもありはしないのに、お前らはせっかくの疑問を押し殺した。ハッキリ言ってやろうか? この状況を生んだのは、そこに寝ている奴も含め、お前ら二人のせいだと言っても過言じゃない」
「そ、それは……」
「少しでも疑問を浮かべた時、他の二人に対し言葉にしていれば国王のやることに疑問を持つことができた。それをしなかったお前ら二人の状況判断の甘さが今だ。愚か過ぎて呆れるほどだ」
日色に何も言い返さないのは、彼女が日色の言うことが正論だと分かっているからだ。確かにその時に言葉にしていれば、四人で話し合う機会も持てたかもしれない。
少なくともこの状況になるまで何も気づかないという愚鈍さからは抜け出せた可能性がある。
しかし彼女は、いや朱里も含めて彼女たちは、日色の言う通り、目の前の輝かしい未来に浮かれて、小さな疑問のことなど忘れていたのだ。
その疑問が、自分たちの運命を左右することも知らずに目を向けなかったのだ。この状況を生んだのは、自分たちのせいだと言われても、全く反論できないのである。
それからしばらく沈黙が続く。傍にいるニッキとミカヅキも、余計なことを言うような空気ではないことを悟っているのか黙っている。
「……間違ってたんですね……私たちは」
その空気の中、口火を切ったのは寝ていたと思われていた朱里だった。
「しゅ、朱里っち!?」
思わずしのぶがベッドに駆け寄り、彼女の顔を見つめる。先程より幾分か顔色が良くなっているのでホッとした。
「心配したで……朱里っち」
「ごめんなさい……しのぶさん」
すると朱里は苦痛に顔を歪めながらも上半身を起こそうとする。
「あ、まだ寝てなアカンて!」
「いえ、大丈夫……です」
「朱里っち……」
そうしてしのぶの制止の声を無視して上半身を起こすと、腕を組んでこちらを見つめている日色の顔を見る。
「本当に……丘村くん……なんですね」
「……ふぅ、これなら理解できるか?」
そうして『元』の文字を使い、人間の丘村日色に戻る。無論二人はギョッとなるが、やはり日色だということが分かり得心したような顔を見せた。
「何や、丘村っちは、やっぱその方がええな」
「ここは魔界だ。鬱陶しい諍いを避けるためには『魔人族』の姿の方が良いに決まってるだろ」
無愛想に言う日色を見て、朱里は少し笑みを浮かべる。
「ふふ、やはり丘村くんです。覚えていますか丘村くん」
「あ?」
「日本にいた時、あなたは私たちと話した記憶が無いと言いましたが、実は私とは入学式の時、一度だけ話しているんです」
もちろん日色はそのことは覚えていない。というより彼女が出鱈目を言っていると思っていた。少し物悲しそうに目を伏せる朱里だが、説明しようと口を動かす。
「丘村くんは、入学式が終わってすぐに図書室に行きましたよね?」
そういえば行ったなと内心で頷く。
「その時、私も行きました。私も本を読むのが好きなので、どんな本があるのか楽しみで、つい足を延ばしてしまったんです」
「その時に会ったってことか?」
まるで覚えていない。
「はい、図書室へと入ろうとした時、逆にあなたが出てきました。その時、ちょうど肩がぶつかってあなたが持っていた本が落ちました」
「……あ」
ようやくそういうことが確かにあったなと思い出す。
「思い出しましたか? 会話という会話ではありませんでしたが、その時、私が本を拾ってこう言いました。『本、お好きなんですか?』と。その時、私に何と答えたか覚えていますか?」
「……さあな」
そんなこといちいち覚えていない。彼女はよく覚えているもんだと感心する。
「あなたはこう言いました。『生きがいだ』」
突然部屋の中を沈黙が襲い、皆の目がこちらに集中する。少し恥ずかしくなったのか、日色は目を空へと向ける。
「そんなこと言ったか? 出鱈目だろ?」
「いいえ、それだけの会話でしたが、あまりにも単純で、それでいて複雑で、とても印象に残っているんです」
か弱そうに微笑みながら答える。
ニッキは「さすが師匠ですぞ! よ、知識欲の権化!」と言って調子に乗ってたので拳骨をお見舞いしておいた。それを見たミカヅキにまた馬鹿にされているニッキ。
「はぁ、それで? その話が何のためになる? まさかそれで同情を引こうとしてるのか?」
「いいえ、ただ丘村くんとお話ししてみたかっただけです。こっちに来た時は、すぐに離れ離れになってしまいましたから」
「そうやったんか……朱里っちと丘村っちがそんな出会いをしとったなんてな」
「出会いなんてどうでもいいだろ。今はお前らのことだ。オレとしては夜までに出て行ってくれたらそれでいい」
「…………そうですね、これ以上は、丘村くんに迷惑がかかりますから」
「ちょ、ちょっとそんでええの朱里っちは! まだ気分も良くあらへんねやろ? それにや、ここを一歩でも出るといつ襲われてもおかしないねんで?」
「ですが、千佳さんたちを探さなければなりませんし」
「そ、そやけど……」
確かに吹き飛ばされた二人がどこにいるのかは気になる。しかしここは言ってみれば敵地のど真ん中。しかも勇者で『人間族』である自分たちが、そう簡単に今の状況で国外へと抜け出せるとは思えない。
「それにな朱里っち、丘村っちの話がホンマやったら、ウチらにはもう人間界の居場所はあらへんのとちゃう?」
「そ、それは……」
二人が悲しそうに目を伏せる。
ルドルフ国王は勇者を捨て駒として使った。仮に無事に帰還したとても、また傀儡として扱われるだけだし、そんな国王の下で、まだ戦いたいと願うほど馬鹿でも無かった。
「どうでもいいが、近いうちにここへ魔王の使いがオレを呼びにやって来るぞ」
「えっ!?」
二人はそれぞれ顔を青ざめる。それもそのはずだ。彼女たちは魔王を倒しにここまでやって来た。その魔王が自分たちを許すわけがないのだ。見つかったら殺されると考えるのは至極当然の発想だった。
「むむ? 何故師匠が呼ばれるのですかな?」
ニッキが首を傾けて聞いてくる。
「ニッキはバカだよ! そんなもんご主人がかっこいいからにきまってるもん!」
ミカヅキがそれに続く。
「むぅ~バカとは何事ですか! それに師匠がカッコ良いのはボクが一番分かっているですぞ!」
「ちがうもん! いちばんわかってるのはミカヅキだもん!」
「ボクですぞ!」
「ミカヅキだもん!」
ポカッ! ポカッ!
「のわっ!?」
「みゅっ!?」
「お前ら、ちょっと外へ行ってろ、鬱陶しいから」
頬を引き攣らせて怒っている日色を見て、二人は頭を擦りながらしょぼんとなって部屋から出て行った。
そんな三人のやり取りを見ていた朱里が、
「仲良しなんですね」
「目が腐ってるのか? アイツらはオレの部下だ」
「部下って……出世したんやな……丘村っちは」
「お前らと違って遊んでたわけじゃないからな」
そう言われると反論できない。自分たちも遊んでいたわけではないと思いたいが、日色と比べると恥ずかしくなる程度の経験しかしていないのも事実だ。
「ところで、さっさとどうするか決めろ。言っておくがオレは手は貸さんぞ」
「な、何でなん?」
「関係無いからだ」
ズバッと言われしのぶは固まる。
「あの時と一緒ですね……関係無い」
「そうだ、お前らとオレとは何の関係も無い。ただ一緒に召喚されてきたという共通点があるだけだ」
「他人やから……関係あらへんから、ウチらがどうなってもかまわんっつうことか?」
少し怒気の混じった言い方になっている。
「ああそうだ」
「そんな!」
「お前らだって、オレが一人でこの世界をどう生きてきたかなんて考えてもいなかっただろ?」
「そ、それは……」
「オレが初めて人に似たモンスターを殺した時に感じた思いも、ユニークモンスターと戦って死にかけたことも、人をこの手で傷つけたことも、何もかも知らないだろ?」
「で、でもそれは当たり前やんか!」
「ああ、当たり前だ。だって関係無いからな」
「だからそれは……」
日色は躊躇なくここから畳みかけていく。
「なら知ってたらオレのために遠くまで駆けつけたというのか? お前らがのほほんと城で食っちゃ寝してる時に、遠くの魔界でオレがモンスターに囲まれていると知った時、お前らは一目散に駆けつけたというのか?」
「…………」
「それは無いな。そんな高尚な思いがあるのなら、こんな世界にオレが一人で生きていくと言った時、是が非でも止めてるはずだからな」
「…………」
「結局お前らは自分たちのことしか考えていない。戦争に参加したことも、本当に『魔人族』は滅ぼさなければならない存在なのかどうかも調べようとしなかったろ? それは自分のことしか考えていないからだ。この街や、魔界を見て回ったか? 『オーキッド族』の集落に行ったことがあるか? あそこの奴らは人間に仲間を滅ぼされても、自分たちが我慢すれば戦争はいずれ終結すると信じて耐えていたぞ? 『シュカーラ族』のことは? 奴らは人間に救われた過去があり、いつか人間も『魔人族』を好きになってくれると信じて祈っていたぞ? それに……」
「もう止めてぇっ!」
「…………」
しのぶは両耳を塞ぎながら、これ以上は聞きたくないという姿勢を貫く。
「それでもお前らは、何も考えず『魔人族』を滅ぼすのか? 滑稽なんだよ、お前らの短絡思考は。周りを見てみろ。世界は単純じゃないんだよ。いろんな奴らが、いろんな思いを持って生きてる。お前らがどんな正義を持ち戦って来たのか知らんが、オレからすれば何も見ようとしていないお前らの方が悪に思えるがな」
そのまま日色は扉を開けて外へと出て行った。残された二人は時を止めたように目線を下に向けていた。
日色が部屋から出た時、すぐ近くにいた人物が面白そうに笑みを浮かべながら言葉を投げかけてきた。
「ずいぶん苛めるではないか。何も知らぬヒヨッコ相手に」
「……帰ってたのか」
それは赤ロリことリリィンだった。
「何をイライラしてる? いつもの貴様なら、話を聞くまでもなく放置しておくだろうに」
「……まあな」
「……ところでいつまでその姿でいるのだ?」
「あ?」
「まあワタシとしては、どっちでも構わないがな。ククク」
そこでようやく自分がまだ人間の姿だったことを思い出した。少し感情的になって忘れてしまっていたようだ。リリィンには、この半年の間にもうバレているので良かったが、このまま外に出れば面倒なことになっていたので感謝した。
日色は『化』の文字で『魔人族』になり、そのまま宿屋の外へ出て行く。そこにはミカヅキたちと、いつの間に帰って来ていたのか変態紳士ことシウバと、ドジメイドことシャモエがいた。
「ノフォフォフォフォ! これはこれは、お久しぶりですねヒイロ様!」
「ご、ごごご無沙汰申し上げておりますですぅ!」
「ああ」
気の無い返事が返って来て、二人は首を傾ける。
そしてシウバがリリィンに近づいて「どうかされたのですか?」と事情を聞く。
「何でも同郷の者たちの不甲斐無さに呆れているようだぞ」
それだけ言うと、リリィンは日色の傍に近づく。
日色は大きく息を吸って吐いた。自分でも何故これほど二人に対して憤りを感じたのか分からなかった。
彼女たちがあまりにも短絡過ぎたからかもしれない。こんな者たちとともに召喚されたと思うと気分が悪いと思ったからかもしれない。
ただ単に、今回のことで抱えたストレスを発散したかっただけなのかもしれない。自分は選んで危険な道を選び、ここまで生きてきた。これは自負である。一人でもオレは生きていけるという。
だが彼女たちは、国に守られ、誰からも敬われ、ただ一つのことだけを信じて生きて来て、それが裏切られてここにいる。
そして立場も何もかも失ったような悲劇のヒロインを気取るように、助けてくれるのは当然でしょと言うように保護を求めてくる。
その愚かさが、日色には理解できなかった。助けてほしいから、そう言えば誰かが助けてくれると彼女たちは信じている。
そんな助けてくれという言葉さえ言えない者たちがいることを彼女たちは知らない。
また、助けてくれと大声で叫んでも、無下に扱われる、無視される、それとも届かない、だがそれでも叫ぶことしかできない者たちのことを彼女たちは知らない。
挫折も無く、絶望も知らず、ただ喜楽しか経験してこなかったツケが今彼女たちに回って来ている。
そしてそのツケは自らが動かなければ決して払い終わることはない。それなのに、また考えもせず日色に助けを求めてくる。
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、これほどまでとはな」
「仕方無かろう。旅も経験しておらぬ小粒どもが、理解できる世界ではないわ。まして戦争など以ての他だろうな」
クククと楽しそうに目を細める彼女を見て、相変わらず趣味が悪い笑い方をする奴だと嘆息する。
「ま、放っておけばいい。なぁに、ここの魔王様はお優しい、たとえ見つかったとしても、すぐに殺されることはあるまい」
リリィンの言う通りだと思った。今回の戦争でイヴェアムが実に魔王らしくないと大いに感じた。
戦争を起こした敵にまで情けをかけるとは、正気の沙汰とは思えない。彼女は今後の交渉などに使うと言っていたが、体の良い言い訳にしか聞こえなかった。
どんな者の命も尊重する。それは大変高尚な思いだが、時と場合を考えなければならない。事実、クロウチの時も、さっさとトドメを刺しておけば、彼が最後の手段を使う暇も無かったのだ。
「……どこの王も馬鹿ばっかりだな」
人間王であるルドルフは、完全なる愚王。魔王は世間知らずの甘ちゃん。獣王は相対して理解したがただの戦闘馬鹿。
「ククク、どの国も、どの王もくだらない連中ばかりだ。いっそ別の国を建てて纏める方が、良いのではないか? ん? 王にでもなってみるか?」
「冗談だろ。そんなものに興味は無い」
「ククク、言うと思ったよ。だが正直なところ、そう悪い話でもないぞ?」
「は?」
「今はどの国もまともではない。どうしてそうなったか、分かるだろ?」
「王が馬鹿……いや、種族間の問題か」
「そうだ。他種族同士がいがみ合い、互いを認め合わないことから諍いが始まり、それがやがて収拾もつかないほど大きなものになっていった」
遥か昔は皆がともに手を取り合っていたのにも拘らず……だ。
「今の魔王だって、本質のところでは『魔人族』のことしか考えてはいない。皆が平和になれれば良いと思っていてはいても、やはり重きを置くのは同じ種族の者たちだ」
「まあ、それは当然だと思うがな」
誰だって他の種族より同族を優先する。それが自然だ。
「だがもし、どの種族も平等に扱う国があったとしたらどうだ?」
「……何だって?」
リリィンの目を見ると、こちらを挑むような目つきで見てきた。
「……貴様には以前言ったか? ワタシには野望があると」
「……そういや、何度かジイサンやドジメイドから聞いたな」
「そうか」
突然リリィンが遠い目をして空に浮かぶ雲を見つめる。
「そう、野望。ワタシには野望がある。それは……」
「…………」
「……【万民が楽しめる場所】を作ることだ」
「楽しめる?」
「ああ、誰にだって好み、趣味嗜好があるだろ?」
「ああ」
「そんな者たちが退屈しないで、誰もが楽しめる場所をワタシはいつか作りたいと思っているんだ」
正直日色は驚いていた。基本自分勝手なリリィンが、まさかそんな他人を思いやるようなことを考えているとは思ってもいなかったのだ。
「貴様、今失礼なことを考えただろ?」
「……さあな」
相変わらず勘の良い奴だった。
「それで? その場所を作りたい理由は?」
「は? そんなもん面白いからに決まっているだろうが」
「……は?」
「考えてもみろ。万民だぞ? 『人間族』も『獣人族』も『魔人族』も『精霊族』も何もかも、一所に集まってともに娯楽に勤しむんだぞ? 魔法大会というのもいいし、腕力勝負、知恵比べ、早食い競争。な、面白いと思わんか!」
日色は彼女の考えに衝撃を受けていた。今の状況では確かに夢物語のようなものだろう。しかしもし実現したとしたら、それは確かに見てみたいと思った。
「ならアレだな、マラソンや料理対決とかもいいかもな」
「おお! さすがはヒイロだ! それは面白そうだ! きっと見たことも無い極上の料理も拝めるだろうな!」
クハハと本当に楽しそうに笑う彼女を見て、初めてリリィンを尊敬したかもしれない。
「……なるほどな、【万民が楽しめる場所】……か」
「まあ、国である必要は無いのだが、いっそのこと大きな国を作って、万民をそこに住まわせた方が面白いと思ったのだ! クハハハハ!」
「……今初めて分かったかもな」
「ん? 何がだ?」
シウバやシャモエが何故リリィンを信頼しているか、彼らは言ってみれば世間のはみ出し者扱いをされている存在だ。
そんな彼らがリリィンの野望を聞いて、その未来に希望を感じて惹かれたのだろう。
万人――つまり禁忌と呼ばれる『魔獣』のようなハーフでも、『精霊』として何かが欠けた異端な存在でも、それら全てを含む者たち。彼女は差別することなく一人一人を見てくれている。だからシウバたちは惹かれているのだ。
「……何でも無い」
「そ、そうか? それより先程の話だ。もし国を作ったら、王になってみないかヒイロよ」
「言っただろ? 王になど興味は無いと」
「む……むぅ」
少し頬を膨らませこちらを睨んでいる。
「お前が建国するのなら、お前がなればいいだろうが」
「そんなめんどくさそうなものに誰がなるか」
「そんなめんどくさそうなものを押し付けるなアホ」
「な、誰がアホだっ!」
憤慨する彼女の顔をチラリと見て少し頬を緩める。
「だが、そうだな……お前の夢の先は見てみたい気持ちになった」
「へ……あ、そ、そうか?」
突然日色の笑顔が向けられ、リリィンは照れたように頬を染める。
(面白い。コイツの考えることはホントに面白い。確かにそういう場所があるのなら、見てみたい)
だが当然彼女の野望は、一朝一夕でできるものでは無いし、時代が時代だ。下手をすれば日色が生きている間には見られないかもしれない。
(ん~ヤバイな。本気で不老不死を考えてしまってるな)
人間を止めるのはさすがに嫌だなと思っていたが、できることならこの世界の者たちが、そう、地球に住む人々のようにオリンピックやスポーツに勤しむ姿を見てみたいと思った。
きっと面白い。それに是非料理大会はやってもらいたい。無論その時は審査員として参加する。そう思うと思わず未来に希望を見出し、頬が緩んでしまう。
だが道のりは険しく長い。日色はもう一度、戦争でボロボロになった街中を見回す。
「夢……か」
「ん? どうした?」
「いや、そういやこの世界に来て、夢らしいものを持ったのは初めてだ」
「夢? 貴様にも夢があったのか?」
「失礼だぞお前。さっき言っただろ?」
「え?」
「オレの夢は、お前の夢の先をこの目で拝むことだ」
「……いいのか? そのような夢で」
日色がまさか自分の夢をそこまで後押ししてくれるとは思わなかった。だからそれこそ夢心地のような感じだった。
「いいも何も、オレが見てみたいと思っただけだ。そんな【イデア】をな」
「そ、そうか……そうか!」
パアッと子供のように満開の笑顔を浮かべるリリィン。
「だがな赤ロリ、それはとてつもなく難しいぞ」
日色の言葉にキョトンとなり、すぐさま腕を組んで不敵そうに笑う。
「フフン、それこそ望むところだ! 我が辞書に不可能などないわ! クハハハハハ!」
「……そうか。覚悟はあるんだな」
「無論だ!」
「なら、オレも手を貸してやろう」
するとポカンとなるリリィン。
何故なら、そんなにあっさりと手伝ってくれるとは思っていなかったのだろう。
だからこそ、これからどうやって口説き落とそうか悩んでいたのに、思わず肩透かしを食らったように固まってしまった。
「と、当然だ! き、貴様はワタシのものなのだからな! 手伝うのは決まっている!」
指を突き付け、内心では嬉しくてたまらないのか、口角がユルユルになっているが、必死に大声を出しながら誤魔化してくる。
「ふざけるな。これはあくまでも依頼として受けてやる。対価はそうだな…………その場所での自由権ってとこか?」
「じ、自由権だと? ……何を考えている?」
「さあな。乗るのか? 乗らないのか?」
「むむぅ…………ええい! ワタシの器を見くびるな! 自由権だろうとなんだろうとくれてやるわ!」
「ほほう、言質は取ったぞ」
もし言い逃れても、この記憶を『映』の文字で見せればいいだけだ。それでも渋るのなら《文字魔法》を使って強制的に言うことを聞かせる。
実際にこの国へ来て、いや、リリィンとともに旅をして初めて良かったと思う出来事だった。まさか自分の夢が見つかるとは思っていなかった。
もちろんこの【イデア】を見て回るというのも夢ではあるが、それはどちらかというと趣味の延長戦上にある目的の一つだ。
この世界では確かに日色の夢は果てしなく難しいものだろう。だが必ず叶えてみせると決心した。
(そのためにも、この赤ロリをサポートしつつ、戦争を何とかしなければならないんだよな……)
日色の夢は、ある重大な決心が必要になる。
それは三国の諍いを失くすこと、もしくは別の方向へと導くことにある。
それがどれほど危険を孕み、難解なのかは理解している。だがそれでもやると決めたのだ。
(そうだな、やりたいことをやるだけだ。そのためにもまずは動くしかないな)
まさか自分がこんな決断をすることになろうとは思いもよらなかったが、不思議と心は晴れやかだった。やはり無気力に日々を過ごすより、目的がある方が潤いが出るということなのだろう。
(険しいが、やる価値はある)
決意をその目に秘め、空を見上げた。




