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87:それぞれの戦場

 その場にいた獣人の兵士たちも『魔人族』の兵士に捕縛され、指揮官の一人であるクロウチも落ちた。そしてゾンビ兵の恐怖も過ぎ去った。

 『魔人族』たちは大いに喜び大手を振っていたが、無論この戦域を勝利に収めただけで、まだ他の場所では獣人や人間の兵士が暴れている。

 そのため即座にイヴェアムが兵士たちに喝を入れ、他の者の助力に向かうよう指示した。


 そうしてその場に残ったのは日色、イヴェアム、アクウィナスの三名になった。


「おい魔王、これを受け取れ」


 日色は懐から一枚の紙を取り出し彼女に投げた。


「な、何だコレは?」

「会談の場にいた筋肉男からお前に渡せって頼まれた」

「筋肉……男? ……ああ、ジュドム殿からか? あ、これはあの時ジュドム殿の仲間が彼に手渡していたテッケイルの文!?」


 慌てて紙を広げて中に書いてある文字を読む。文字を追うごとに彼女の顔が険しくなっていく。そして身体を震わせ、額からも大粒の汗を垂らしていた。

 アクウィナスもその紙の内容が気になったようで、彼女から受け取り目を通す。


「…………そういうことか」


 その声は酷く疲れを含んでいて、とても低い声だった。彼も予想だにしない内容が書かれてあることが容易に想像できた。



     ※



 日色がクロウチを倒した少し前、【獣王国・パシオン】の第二王子であるレニオン・キングは絶対的な窮地に立たされていた。

 今回の計画では『魔人族』の主力を『人間族』が引きつけている間に、『獣人族』が【魔国・ハーオス】を攻め落とすというものである。


 その際、父である獣王レオウードと、兄であるレッグルスは、魔王を討つために会談場所へと向かった。

 だがそこには魔王だけではなく《クルーエル》の面々もいるので、獣人の最高戦力である《三獣士》をお供につけようとしたが断られたのである。

 確かに魔王を討つことは大切だが、それよりも【ハーオス】を制圧する方が優先すべきことだとレオウードは言った。

 それに計画では《聖域の間》に入った魔王たちは、二十四時間は出て来られないようにすると言っていたので、レオウードがその場で待機するのも念のためだと言っていた。もし何かが起きて出てきたとしたら、全力で足止めすると。


 だが父であるレオウードが、二十四時間後出てきた魔王を自分の手で討ちたいと思っていることなど息子である自分には筒抜けだった。それだけ前回、魔王にしてやられたことに腹を立てていたのだろう。

 さらにその場には最強と目されるアクウィナスもいるので、本当の目的は単純に彼と戦うことではないかとも思った。いや、実際自分の考えは正しいだろう。何よりも強者を求めるのは父の性分だ。


 そして今、その計画が大幅に変更されていることは明らかだ。何故なら自分の目の前には、ここにはいないはずの《魔王直属護衛隊》の猛者が三人も立ちはだかっているのだから。


 小さく舌打ちしながら周囲を見回す。

 『魔人族』に倒された自軍の兵士たち、そして今立っているのは自分だけという状況で、しかも相手は『魔人族』最高戦力が三人もいる。


(けっ……こりゃ覚悟を決めねえといけねえかもな)


 そのわりには焦燥感にかられた表情とはかけ離れたように、楽しさで笑みを浮かべていた。

 さすがは獣王レオウードの血を引くだけはある。これほどの窮地に立たされていても、決して敵に背中を見せないのがレニオンのプライドなのだから。



     ※



「さ~てぇ、大人しく拘束……されるつもりはなさそうねぇ~」


 《魔王直属護衛隊》の《序列五位》であるシュブラーズが、腰に手を当てながらレニオンを見つめている。

 イヴェアムから受けた命は、第二王子の捕縛。彼の存在があればこの戦争を有利に進めることができ、交渉もし易くなる。

 だがこれほどの戦力差を見せつけられてもレニオンの戦意が一向に衰えることが無いのは、正直に感心した。


「ふん、このような輩、ワシ一人でも殺せたものを」


 《序列二位》のマリオネが不愉快そうに言葉を漏らすが


「でもぉ、捕縛は魔王陛下のご命令だもの。破るわけにはいかないでしょ? それに、あなた一人じゃ、敵を殺せても手加減して捕縛なんて器用な真似できないしねぇ」

「ちっ」


 彼女の言う通りなのか、反論せずに腕を組む。そしてその場で一歩踏み出し口を開いたのは《序列四位》のオーノウスだ。


「王子レニオン、その身柄、拘束させて頂こう」


 するとレニオンはニッと口角を上げる。


「へっ、できるもんならやってみやがれ! このレニオン様はそう簡単に落ちねえからなぁっ!」


 すると持っていた剣を空へと向けると、その剣を中心にどんどん風が集まって来る。徐々に小さな竜巻が生まれていく。

 レニオンが両手で柄を握り締めて、三人に向けて剣を振り下ろす。


「喰らいやがれっ! 《竜巻落とし》っ!」


 生み出された竜巻が、剣から離れて三人へと飛んで来た。


「ふん、若造が」


 マリオネが二人の前に出ると、右拳に魔力を込める。


 ――ブィィィィィィン………………ドガガァァッ!


 青白い魔力が拳を覆い、そのままの状態で地面へと拳を突き出す。すると突然、地面から土でできた巨大な手が現れる。


「我が魔手(ましゅ)にて粉塵(ふんじん)となるがよい!」


 その巨大な手が、向かって来る竜巻をいとも簡単に握り潰した。


「なっ!?」


 まさかあっさりと防がれるとは思っていなかったのか、レニオンは悔しそうに歯噛みする。


「温いわ若造、レベルが違うのだよレベルが」


 マリオネは完全に上から目線で微笑み、それを射殺さんばかりの目で睨んでいるレニオン。


「このまま芥子粒にして」

「ちょっと待ちなさいな」


 シュブラーズが制止の声を掛けると、マリオネは邪魔をするなと言わんばかりにギロリと目を剥く。


「何だ?」

「何だじゃないでしょぉ? あなた、陛下の命に逆らう気?」


 そこでハッとなり、渋い表情をする。どうやら熱くなって忘れていたようだ。


「ふん、なら貴様が何とかするんだな」

「はいはい、力馬鹿はこれだから」


 彼女は溜め息交じりに肩を竦める。だがその時、物凄い魔力をどこかから感じる。三人がそちらに一斉に顔を向けたので、レニオンも目を動かした。


「何だアレはっ!?」


 レニオンが驚くのも無理は無い。何故なら遥か上空には、黒い塊が浮かんでいるのだから。しかもそれがどんどん大きくなる。そして目を凝らしてみると、地面から何かを吸い寄せているように見える。


「アレは……モンスターかっ!?」


 レニオンの判断は正しく、それはモンスターであり、上空には自分の部下であるクロウチが生み出したはずのモンスターたちが集結させられていた。


 そして耳をつんざくほどの凄まじい爆発音が周囲に轟く。それと同時に激しい爆風が襲ってきた。レニオンだけでなく、マリオネたちも吹き飛ばされないように、戸惑いながらも足を踏ん張っていた。


「ちょ、何よこれぇぇぇ~っ!?」

「ワシが分かるわけなかろうが!」

「むぅっ!」


 《魔王直属護衛隊》三人がそれぞれ、感想を表に出している。


 しばらく経ち、空を見てみると、先程まであった大きな塊は跡形も無く消えていた。


「ぐっ……一体何が起こってんだ……クロウチは何をしてやがる?」


 レニオンには理解できない事態が起きていることは確かだった。そしてそれは嫌な予感とともに膨れ上がっているようのか、彼は覚悟を込めた表情を見せる。


「勝負に出るしかねえな……」


 超常の力を持つ魔人三人を睨みつけたあと、レニオンは静かに目を閉じた。

 対して《魔王直属護衛隊》の三人も先程の大爆発は予想外だった。

 膨大な魔力を感じたが、あれほどの爆発を起こせる者を三人は知らない。魔力の強さで言えばアクウィナスなのだが、彼があのような魔法を使った過去は無いからだ。

 故に他の誰かが起こした行動なのだが、日色の存在に気づいていない彼らには見当がつかない。


 しかもあの爆発の下は、確かイヴェアムがいる所である。

 それに気づいた彼らは今すぐにでも向かいたかったが、ここを放置することもできない。

 そんな時、である。


「シュブラーズ殿、ここは俺に任せてもらえないか?」

「何か良い案でもあるのぉ、オーノウス?」

「いや、この状況では、多対一を得意とするお主たちよりも、俺の方が何かと都合が良いだろう」

「ふん、よく言うわ。魔法も使えぬ獣如きが」


 マリオネは悪態をつくが、オーノウスは表情一つ変えずにこう言う。


「その通りだ。だがあの者を捕らえるのには、俺が的確だと判断した。それに陛下のことも気になる。そうだろ?」

「む、むぅ……」


 互いに睨む形になっているが、それを見てシュブラーズが呆れたように息を吐く。


「どうでもいいけどぉ、あちらさんが準備を整えちゃってるわよぉ」


 彼女の言葉でレニオンの方を見ると、彼は目を閉じて集中していた。


「とにかく、ここは俺に任せて、いや、マリオネ殿には残って頂こう。シュブラーズ殿は陛下の元へ」

「二人で大丈夫なのぉ?」

「ほざくな。本来ならワシ一人で良いといっているだろうが」

「そういうことだ、陛下を頼むぞシュブラーズ殿」

「分かったわ~」


 シュブラーズはその場を二人に任せてイヴェアムの元へと向かって行った。

 そして今まで集中していたレニオンが、カッと目を見開くと、彼を中心にして凄まじい暴風が出現する。


 だが二人はそれに身体を吹き飛ばされることなく地に足をついている。

 レニオンは明らかに先程よりも強い攻撃をしようとしている。そして今度も剣を上空へと向けると、今度は上空に巨大な竜巻が幾つも出現する。


「この国を破壊するのが目的じゃなかったが、こうなったら全てを吹き飛ばしてやらぁっ!」


 家一軒を軽く覆えるほどの複数の竜巻が、国に降り注いだら確かにここら一帯は更地になってもおかしくはない。


「吹き飛びやがれぇっ! 《竜巻荒らし》ぃぃぃぃぃっ!」


 だが上空に振り上げていた剣が、そのまま振り下ろされることは無かった。


「……がはっ!?」


 レニオンは大量の息を口から吐き出す。そして腹部から伝わってくる激痛に顔を歪めている。歯をギリギリと噛み締めて、自分の攻撃を防いでいる人物を見つめる。

 それはオーノウスだ。

 彼は目にも止まらない速さでレニオンの間を詰め、剣が振り下ろされないように挙げられている手を左手で掴み、残っている右手で彼の腹部を殴打した。


 その衝撃は普通に攻撃されたはずなのに、身体の芯を揺らすほどのものだった。下手をすれば、その芯ごとへし折れていたのではないかと思うほどの衝撃であろう。


 馬鹿な……何て力してやがる……っ!? と言わんばかりに、レニオンは片目を閉じて激痛に顔を歪めている。


「国は傷つけさせんよ」


 オーノウスは静かにそう言うと、レニオンの手から力が抜けていき、カランカランと剣を地面に落とす。すると上空に存在していた竜巻群が次々と霧散していく。


「ち……っくしょうっ!」


 レニオンは拳を突き出しオーノウスを攻撃しようとするが、パシッと簡単に受け止められる。


「寝ているんだな、獣人の王子よ」


 オーノウスが、彼の意識を絶とうと首に手刀を落とそうとしたところ、上空から殺気を感じて、無意識にその場を離れた。


 ――ザクザクザクザクッ!


 オーノウスがいたところに、鳥の羽が、鋭い刃物のように地面に突き刺さる。それを見て、誰の仕業か確認するために上空を見上げるた。

 そこには背中の翼をはためかせ、こちらに降りてくる人物の姿があった。


 その人物はオーノウスから視線を外さずに、倒れているレニオンを優しく抱える。


「……バ……リド……?」


 レニオンの言葉で、その人物の正体が明らかになる。


「ほう、お主が《三獣士》の一人、《鳥人(とりびと)》バリドか。またの名を確か……《雷侯(らいこう)》のバリドだったか」


 オーノウスは目の前にいる外見上は完全に鳥人間であるバリドを見つめる。


「……俺だけではない」

「何?」


 バリドがそう言うと、辺り一面を一瞬にして氷が覆った。


「これは……っ!?」


 オーノウスだけではなく、マリオネも同様に眉をひそめて警戒している。するとレニオンたちの傍の凍った地面がモッコリと膨らみ、大きな氷の塊が生まれる。


 ――パリィィィィィィン!


 突如その氷塊が割れたと思ったら、中から子供のような小さな体躯の、明らかにペンギンの着ぐるみだと分かるようなものを着用した存在が出現した。そのため素顔は分からない。

 オーノウスは目を細めて、助っ人に現れたであろう人物たちを観察して口を動かす。


「これは……なるほど、この氷、お主があの《氷漠(ひょうばく)》か。名はプティス……だったはずだ」


 だが肯定も否定も反応は示さなかった。


「これで《闇飼(やみかい)》のクロウチが揃えば壮観だっただろうな」

「よく言う。我らが《三獣士》の一角を落としたのはそちらだろう」


 バリドがそう言うと、オーノウスたちは少し目を見開く。彼の言うことが真実だとしたら、クロウチはこちらが倒して捕縛したことになる。そしてそれを成したのは、


「そうか、なら陛下は上手くやっているということだな」


 同時にあの爆発で少なくとも陛下は無事だということが分かった。恐らくアクウィナスが何かをしたのだろうと推察する。


「王子を助けに来たのだろうが、悪いがお主たちを纏めて捕縛する」


 マリオネも相手が二人増えた以上、自らも動こうと思い身体に魔力を漲らせる。


「……それは叶わんさ」


 バリドが言うと、足元に広がっている氷が、オーノウスたちの足を固め動きを奪う。さらにその氷が徐々に上半身へと伸びてくる。


「ぬぅっ! ……はぁっ!」


 オーノウスは下半身に力を込めて拘束している氷を粉砕する。マリオネも同様に抜け出している。戦闘態勢を整え、目の前にいるバリドたちに視線を走らせるが、ギョッとなる。

 何故なら彼らはいつの間にか氷に覆われていたからだ。


「な、何を……っ!?」


 オーノウスがそう叫ぶが、バリドは静かに口を開く。


「この借りはいずれまた……」


 ――パリィィィィィィィン!


 彼らを覆っている氷が割れたと思ったら、今度はその中には何もいなかった。


「しまったっ!?」

「ちっ、だから捕縛などせずに始末すれば良かったのだ」


 マリオネが悔しそうに歯を噛んでいる。どうやら彼らはこの場から逃げ去ったようだった。さすがに重傷の王子を抱えて《魔王直属護衛隊》の二人と戦うほど浅慮ではなかったらしい。


「……仕方無い。マリオネ殿はいかがされる?」

「話しかけるな」


 そう言うと、無遠慮にトコトコとどこかへ向かって行った。

 オーノウスは軽く溜め息を吐き肩を竦める。だが再び街並みを見て小さく頷く。


「ここは我々『魔人族』の勝利だ」


 だがまだ争っているところがある。《三獣士》が戦線から離脱した以上、他の獣人たちも恐らく退避しているとは思うが、それでもまだ『人間族』の兵士もいる。

 それに目的だった王子の確保も失敗に終わった。勝ちはしたものの後味が悪い結果になってしまった。


「まだ油断はできんな。それにあの者たちのことも気になるしな」


 それは四人の若者のことだった。赤ローブの少年がどこかへと転移した後、震えあがっている勇者たちと話をしたことを思い出していた。



     ※



「転移……した? 子供よ、あの者はどこへ向かったのだ?」


 オーノウスが、今さっき転移した者の弟子であろう子供に尋ねた。

 だが日色の弟子であるニッキは、両手で口を押さえ目まで閉じている。


「ん……確かニッキとか言うのであったな。何故そのような態度をとっている?」

「んんん、んんんんんんんんんんんんんんん!」

「…………全く分からんが?」


 するとニッキはパッチリと目を見開いて手を腰の方へと持っていく。


「だから! 師匠に、何も言うなと言われたのですぞ!」

「む……そうか」 


 それなら聞けないなと思い押し黙る。

 まさかこんな子供をいたぶり、無理矢理情報を吐かせるなどは自分の矜持に反する。それに日色のことも気になるが、勇者のことも気になっていたのだ。


 確かに会談へ向かう時、【ムーティヒの橋】でその存在を確認したはずだ。そこには勇者四人と、『人間族』の兵士が陣を構えていた。

 それなのに何故ここに彼らがいるのか、その謎をまずは解かなければと思った。オーノウスは彼らに近づいていく。


 勇者である青山大志たちは、近づいてくる狼顔の男の雰囲気に押され、後ずさりをし始める。だが逃がしはしないと思ったオーノウスは、彼らに視認できないほどの速さで動き、背後に陣取る。


「うわぁっ!?」


 背後に気配を感じた大志たちは、後ろを見てまたも腰を抜かしながら顔を驚愕色に染める。


「……まず聞こう」

「な、な、な何だよ!」


 半ば自棄気味に大志が叫ぶが、条件反射か分からないが、立ち上がると腰に下げていた剣を抜いて構えている。


(腰が完全に引けている……本当にあの時の勇者たちか?)


 少なくともあの時、マリオネやグレイアルドは勇者たちに殺気をぶつけていた。

 しかしそれでも平然としていたので、やはり彼らは相当の強者かもしれないと判断していたが、あの時の彼らとは全く別人のようだ。


「話を聞きたいだけだ。まあ、最もお主たちの今後を聞いた後、こちらに害を成すようなら容赦はせぬがな」


 少しだけ殺気を含ませた視線をぶつける。

 大志は顔を青ざめ、身体を震わせながらも剣からは手を離さない。


「は、話って……?」

「まず聞きたいのは、お主たちは本当に勇者か?」

「そ、そそそそうだ! 俺たちは【ヴィクトリアス】に召喚された勇者だ!」

「とても信じられんな」

「な、何だと!」

「勇者といえば『人間族』の切り札であり救世主。その者たちが、何故そうして震えている? 敵地のど真ん中で」


 オーノウスの言葉はグサリと彼らの心を突き刺す。

 救世主、それは希望の光。

 かつて『人間族』を災いから救い、多くの民から崇められ敬われる存在としてこの【イデア】に召喚された者。

 真っ直ぐな勇気、不屈の闘志、正義の力、慈愛の心。それらを武器に悪と戦う勇敢なる者。それが勇者。それなのに今の彼らには、どれ一つとして当て嵌まらない。


 大志たちも目を伏せて意気消沈している。そんな彼らを見て軽く溜め息を漏らすオーノウス。


「まあいい、お主たちが勇者かどうかなど、この場では関係無かったな」

「……え?」

「何故ならば、お主たちはこの【魔国】を攻め落とすためにやって来たのだろう?」

「そ、それは……」

「ならば、【魔国】を守る俺としては、お主たちを排除しなければならないというわけだ」

「あ……」

「それにだ、お主たちが本当に勇者だとしたら、ここで確実に殺しておくことが、『魔人族』のためになるはずだ」


 さらに膨らむ殺気をぶつけながら、ゆっくりと近づいてくるオーノウスを見て、ビクッとなった大志は思わず


「う、うおぉぉぉぉぉぉっ!」


 あろうことか剣を振り回しながら突進しだしたのである。


「た、大志ダメェェェェッ!」


 勇者の一人である鈴宮千佳が叫ぶ。だが彼女の声が届いていないのか、歩みを止めるつもりはないようだ。


「……愚かだな」


 オーノウスは向かって来る大志を見つめながら呆れて立ち尽くしている。

 そして大志の剣が彼を捉えるかと思った瞬間――スカッ!


 オーノウスはあっさりと身体を横に傾け避ける。


「この! この! この! この! このぉっ!」


 何度も何度も剣で攻撃するが、一ミリも掠りはしない。完全に動きを見切られている。


「あのバカ! 完全に混乱しまくってるわ!」


 大志が思わぬ行動に出てしまったお蔭とも言おうか、若干冷静さを取り戻した千佳は、同じように剣を抜いて構える。


「千佳っち!?」


 赤森しのぶが千佳が戦おうとしているところを見て咄嗟に声を張り上げた。


「しのぶ……朱里をお願い!」


 千佳は、未だに声すら出せず震えてしまっている皆本朱里へチラリと視線を送って、彼女のことを守って上げてという意味を込めて言葉を託した。そしてそのまま大志を追って大地を蹴った。


「ちょ、ちょっと千佳っち!」


 しのぶも加勢には行きたいが、一人で朱里をここに置き去りにするわけにはいかなかった。

 しのぶは彼女の肩を抱くが、その体温を感じて言葉を失う。青ざめた表情のように、血の気を失ったかのような冷たい肌を朱里はしていた。


「大丈夫や朱里っち」

「し、しのぶ……さん」


 ようやく震える唇を動かすが、彼女が意識を保っていることもそろそろ限界なのではないかと思い始めた。だがそれでもどんな危険な状況でも彼女を見捨てるわけにはいかない。

 何故なら彼女は仲間なんだから。だが戦う二人の背中を見つめながら、周囲から聞こえてくる爆発音や血のニオイを嗅いで悲痛な面持ちで口を開く。


「間違ってたんやろか……ウチらは」


 答えの出ない問答を、何度も何度も自分の中で繰り返す。

 そしてオーノウスは、敵が二人になってもいまだ無傷だった。彼らの動きは確かに速い。レベルも相当に高い。さすがは勇者と言ってもいいかもしれない。


 だが圧倒的に対人経験が足らない。というより、戦争の場であるはずなのに、その刃には恐怖だけしか宿っていない。

 相手に勝ちたいという気持ち、相手を殺すという覚悟、戦争の場で必要な思いが全く籠っていないのだ。

 ただ怖いからなりふり構っていない。そんな信念も籠っていない刃が、『魔人族』の最高戦力の一人であるオーノウスに届くわけがないのだ。


(それにこの少年よりは、まだ少女の方が見込みはある)


 攻撃をかわしながら千佳の方を見る。彼女の剣の方が、大志より明確で強い思いが宿っている。

 恐らく彼を助けたい、守りたいという強い気持ちが、迷いを薄めているのだろうが、それでも悲しいかな、彼女の浅い経験ではオーノウスには傷一つつけられないでいる。


「くそ! くそ! くそぉ! 何で当たらないんだよぉ!」


 それは何も考えず、ただ剣を振り回しているだけだからなのだが、大志は全く理解していない。


「落ち着きなさい大志!」

「これが落ち着いていられるかっ! 負けたら死ぬんだぞ! 俺は……俺はこんなところで死にたくなんて無いっ!」

「た、大志……」

「だ、だから……」


 大志は物凄い形相でオーノウスを睨みつける。すると大志の右手に凄まじい魔力が集まる。無論それに気づいたオーノウスはハッとなる。

 そして大志の右手が光り輝き、


「消えろぉぉぉっ! シャインスパ……っ!?」


 右手をオーノウスに向けて魔法を使おうとしたが、その右手を下から足で蹴られてしまう。


 ミシッ……。


 骨が軋む音がして、大志の右手は上空へと向けられ、その腕をパッと掴まれた瞬間、鳩尾に拳を入れられてしまう。


「がはっ!」

「大志っ! このぉっ!」


 懐にいるオーノウスに攻撃を加える千佳だが、あっさりとその場から回避され、距離を取られる。


「うぅ……ぐぅ……っ!?」

「大志しっかりしてっ!」


 腹を押さえながら蹲る大志に駆け寄る。そんな二人に向けて、オーノウスが静かに語る。


「魔法の発動には大まかに分けて二つある。それは魔法名を口に出すか、出さないかだ。どうやら彼の魔法は前者のようで、音声にしなければ発動しないのだろう。本来魔法は遠距離用のものがほとんどだ。このような接近戦で迂闊に使おうとするからそうなる」


 苦しそうに呻く大志に聞こえているか分からないが続けて喋る。


「光魔法を使おうとしたところを見ると、やはり勇者のようだが、お主たちは圧倒的に経験が足らん。よくもまあこの戦場まで送り出されたと思う。ある程度戦闘経験のある者たちがお主たちを見れば、戦場にはまだ早いと誰もが想像できるはずだが…………何故国王は止めなかった? まさか兵士が、お主たちにはまだ早いと進言していないはずがないからな」


 その言葉を聞いて、千佳は「え?」とオーノウスの顔を見つめる。


「レベルはそこそこにあるだろうが……お主たちよ、戦場は遊び場ではない。その程度の覚悟しか持たず、本当に無事に帰れると思っていたのか? 見たところ、人が死ぬところも見たことが無いように思えるが?」

「…………」


 千佳は言葉を失ったかのように固まっている。


「それとも、送り出した国王は、お主たちをただの捨て駒として扱っているのか?」

「そ、そんなわけないじゃないっ!」


 精一杯声を張り上げて否定する。


「なら何故この場にいるのだ? 少し考えれば分かるはずだろう? 今のお主たちをここに送り出せばどうなるかなど。ハッキリ言って兵士にもなれていないお主たちは、何をもって国王に送り出されて来たのだ?」


 それはオーノウスにとっては純粋な疑問だったのだが、千佳には強烈過ぎる問いだった。


「そう言えば、何で国王様は、人を殺したこともあらへんウチらをここへ少数精鋭で送ったんやろ?」


 疑問を口にしたのはしのぶだった。

 その言葉を千佳たちも耳にし、明らかな動揺を見せる。

 本当に【魔国】を攻め落としたければ、もっと戦力を用意するのが普通だ。獣人だって完全に信頼できるわけがないのだ。それなのに何故少ない人数でここへ? 


 分からない! 分からない! どれだけ考えても分からない!


 そういった感情が、特に千佳の精神を抉ったようで混乱している様子がありありと伝わってきた。


「ち……か……」


 戸惑う彼女を現実へと引き戻したのは大志の声だった。痛みのお蔭で幾分か冷静になったのか、その表情からはもう無謀な突撃などしないように見えた。


「大志! 大丈夫なの?」

「あ、ああ。腹痛いけど……多分、手加減された」

「え?」


 大志は腹を押さえながらオーノウスに視線を向ける。


「アイツは全然全力じゃなかった。多分……レベルは遥かに向こうの方が上だ。しかも身体能力に特化してる感じがする」

「ほう、先程と違って良い分析だ」


 オーノウスは初めて大志に感心した。一撃受けただけでそこまで相手の力量を図れるとは、さすがは勇者の称号を持つだけはあると思った。


「魔法だけが武器ではない。それが分かっただろう」


 オーノウスの身体は、尋常ではない鍛錬によって引き締まっている。まるで鋼のような全身を持つ。

 拳を突きつけられたことで、オーノウスの身体が鍛えに鍛え抜かれていると、冷静になった頭のお蔭で分析することができたのだろう。


「さて、素直に投降するのであれば命だけは助けよう。だがこれ以上抗うというのなら、《クルーエル》の名に懸けてお主たちに地獄を見せよう」


 物凄い覇気が勇者たちを威圧する。

 冷静になって改めて目の前にいる存在が化け物だということが分かったのかもしれない。


「……そ、それでも、俺たちが力を合わせれば倒せる……はずだ」


 だが今、まともに戦えるのは大志と千佳だけ。本気で戦えば手傷くらいは負わせられるだろうが、倒すにはやはり魔法が不可欠だ。だがその魔法を使おうにも、きっと二人では止められてしまう。

 だからこそ遠距離でしのぶたちに援護してもらう必要があるのだが、それも今は望めない。

 万策尽きた……といえる状況だろう。


「た、大志……」


 不安そうに大志を見る千佳。彼女もオーノウスの力を直に感じて、明らかに恐怖を抱いてしまっている。

 このままではあっさりと全滅……。

 彼らの脳裏にその有様が明確に浮かび上がったであろうその時、


「――見つけたぞ《魔王直属護衛隊》ゥゥゥゥ!」


 そこに現れたのが【獣王国・パシオン】の第二王子であるレニオンだった。しかももう攻撃態勢を整えているようで、剣の先に大きな竜巻が生み出されていた。


「ここで《魔王直属護衛隊》をぶっ倒して最強にまた一歩近づかせてもらうぜ!」


 剣を振りかぶり、オーノウスに向けて振り下ろす。その近くには大志たちもいるのだが眼中にないようだ。

 剣から竜巻が放たれ、その場を暴風が襲い掛かる。


「くっ!」


 オーノウスは即座にその場から離れるが、竜巻は止まらない。真空の刃を含んだ風の猛威が大志たちを襲う。


「うわぁぁぁぁぁっ!?」

「きゃあぁぁぁぁっ!?」


 まともに受けた大志と千佳は、竜巻に飲み込まれてそのまま国外へと吹き飛ばされていく。そして、距離はあったものの、被害を受けたのはしのぶと朱里も同じだった。



     ※



 二人は風で吹き飛ばされて建物の壁に衝突する。

 オーノウスはレニオンが次々と繰り出してくる攻撃を避けながらどこかへと走り去って行った。


 残されたのは、いつの間にか建物に隠れていたニッキと、風に吹き飛ばされて傷だらけになったしのぶと朱里の二人である。


「も、もしかしてお、お亡くなりになってしまったのでしょうかな?」


 そ~っと近づいて、ニッキがしのぶたちの様子を見ていたら、しのぶの身体がピクンと動いた。ニッキもビクッとしつつも、生きていてホッとした。こんな少女の死体など見ても嬉しくは無いのだ。


「う……い、いったぁ……」


 腰を擦りながらも、どうやら意識はあったようで上半身を起こす。


「な、なんやねんもう……朱里っちも無事なんか?」


 そう言いながら横に臥している朱里を見るが、次の瞬間大きく目を見開く。彼女の頭からかなりの出血が見られたからだ。どうやら壁に激突した際に頭を打ったようだ。意識も失っている。

 もしかしてと、最悪の状況を予想してしまったのか……。


「朱里っち!」

「ああ、いけませんですぞ!」

「へ?」


 突然ニッキが制止の声を掛けてきたので、思わずピタッと動きを止める。


「頭を打った時は下手に動かさない方がよいと、師匠が仰っていたのですぞ!」


 人差し指を立てて、アホ毛をピョコピョコと動かしながら説明する。


「師匠……って、丘村っちのこと?」

「おかむらっち? 呪文かなにかですかな?」


 可愛く頭を傾けながら尋ねる。


「あ、ゴメンな。えっとぉ、ヒイロ・オカムラのことや」

「おお、そうですぞ! 師匠は物知りですので!」


 嬉しそうに微笑む。思わずしのぶも微笑むが、途端に暗い表情になる。


「せやけど、このままここに寝かしとくんもな……」

「ならそこの宿屋で一休みしたらいかがですかな?」

「……はい?」


 ニッキは日色が出てきた宿屋を指差す。


「一応このタオルで頭と首を固定して、ゆっくり運べば問題無いと思うですぞ。見たところ、出血はありますが、呼吸もしっかりしてるみたいですから」


 懐からタオルを出しながらスラスラと喋るニッキを、呆気に取られたように見つめるしのぶ。


「ん? どうかしましたかな?」

「へ? あ、いや、何かな、ホンマ自分子供なんかな思てな」


 確かに、その知識だけを見れば、とても子供とは思えない。


「むふふ~、ボクはこう見えても大人ですぞ!」


 褒められたと思い胸を張る。


「へぇ、何歳なん?」

「十二歳ですぞ!」

「嘘……見た目はまだ八歳くらいの子供やん」

「むむぅ! 子供扱いはヒドイですぞぉ!」

「ああ、ゴメンゴメン。ほならその大人な……えっとニッキやったっけ?」

「ニッキですぞ! 親しみを込めてニッちゃんでもかまわないですぞ!」

「うん、ほならニッチやな!」

「…………えと、ボクの話は聞いておりましたかな?」


 ニッキと言ったのにニッチと言われてしょぼんとなる。


「まあまあ、細かいことはええやん! 今はとりあえず朱里っちを運ぶの手伝ってぇな」

「これも人助け! 任せるですぞ!」


 そうして二人で朱里を宿屋へと運ぶことにした。

 






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