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86:日色VSクロウチ

 日色は腰に下げた刀を抜く。

 これは以前、《刺刀・ツラヌキ》と呼ばれていた刀である。日本刀の形状をしていて、刀身が氷のように透き通ったクリアカラーだった。


 だが今は名を変え《絶刀(ぜっとう)・ザンゲキ》と呼ばれている。

 刀身は《刺刀・ツラヌキ》のようにクリアなのだが、刃の両側面には、先端から柄まで赤い色が筋のようにジグザグに走っている。


 またこの《絶刀・ザンゲキ》は、魔力を纏わせ相手を攻撃した場合、相手の魔力そのものを攻撃して魔力酔いを起こさせ意識を混濁させることができる。

 無論魔力コントロールに長けている者にはあまり効果はないが、苦手な者なら一瞬で意識を奪うことも可能になる。

 先刻、日色を襲った獣人たちを一瞬で気絶させたのもこの刀の能力に既存する。


 この刀はある者に打ってもらったものなのだが、その時、《刺刀・ツラヌキ》の刀身と融合させて造り上げたものなので、無論突きに特化している能力も秘めている。

 更にこの刀は斬ることに重きを置かれたものでもあり、まさに万能とも言える刀として生まれ変わったのだ。


「ニャハハ、ゾクゾクするニャ」


 クロウチは日色のただならぬ雰囲気を感じてか思わず笑みが零れている。


「どこまでいっても獣人はバトルジャンキーが豊富だな」

「ニャにを言うニャ。お前だって強くニャるために鍛えてきたニャろ?」

「否定はしない」

「ニャら、自分の強さを確かめるためには、相応の強者が相手しニャいと計れニャいニャ」

「……まあ、一理あるか」

「ニャら、しばらくの間、この戦いを楽しむニャ!」


 クロウチは凄まじい速さで日色を翻弄するつもりだ。以前はこの速さに度肝を抜かれたが、今はそうはいかない。

 そしてクロウチも、自分の動きを確実に日色は目で追っていると確認できているはずだ。


「なら一つギアを上げるニャ!」


 瞬間、クロウチのスピードが一段階上がった。

 戦う前にクロウチの《ステータス》を確認したが、レベルは明らかに日色の方が上だった。しかしAGI――つまり素早さだけは日色を追い抜いていた。


(速さに特化した獣人。さすがは黒豹といったところか。まだ全力ではなさそうだが)


 日色は忙しく眼球を動かしながら、クロウチを追っている。

 そしてボォウッ! っと風圧を周りの者が感じたと思ったら、その中心にはクロウチの右腕と、日色の刀が鍔迫り合いのようにせめぎ合っていた。


 いつ衝突したのか、レベルの低い者たちには視認できていなかったが、クロウチは日色の背後から攻め入り、日色はそれにしっかり対応して防御しただけのことだ。ただそれがあまりの速さだったため、見逃した者が多かったのである。


「……相変わらず奇妙な手だ」

「ニャハハ! よく反応したニャ!」


 日色の疑問は尤もだった。

 過去にもそうだったが、こうしてこちらは刀で、相手は素手なのに、一向に斬れる様子が無いのだ。

 それどころかまるで木刀で粘土を叩いたような感触だった。


 日色はクロウチの腕を足で下から蹴り上げると、そのまま体を回転させて横薙ぎに斬りつけるが、その時にはもう彼の姿は無かった。


「ちっ、すばしっこい奴だな」


 いつの間にか周囲にクロウチの気配が消えていた。

 恐らく建物の陰にでも潜んでこちらを窺っているのだろうが、その様子はまさに獲物を捕らえようとする肉食獣のそれだった。


「残念だが、その作戦はオレには効かないぞ」


 そう呟いてもクロウチは反応しない。だが日色もその反応を期待して言ったわけではない。正真正銘、効かないから効かないと言ったのだ。

 その理由は――。


『索敵』


 瞬時に文字を書いて発動する。すると敵の位置が頭にスッと入ってくる。

 そして素早く『伸』の文字を刀身に書いて、敵の方角へと刀身を伸ばす。


「ニャッ!?」


 建物を貫きながら、その後ろに隠れているクロウチを攻撃した。すんでのところで避けたようだが、それでも顔は驚愕に歪んでいる。

 日色は『元』の文字を書いて刀身を元に戻すとニヤリと口角を上げた。


「だから言ったろ? お前の隠密はオレには通用しないと」

「う~ニャ~」


 悔しそうに歯を噛んで、足で地面を何度も踏みつけている。


「どうして分かったのニャ?」

「答えると思うか?」

「……ニャら、今度は本気で行くニャ」

「さっさと本気で来いニャンコ野郎」


 クロウチが地面に両手をつくと、そこから黒い影が生まれ日色に向かって広がってくる。

 日色は咄嗟に飛翔して避けようとするが、


「無駄ニャッ!」


 影から黒い触手のようなものが伸びてきて、日色の身体に巻き付いてきた。


「ヒイロッ!」


 それを見ていた魔王イヴェアムは声を張り上げる。しかし無情にも日色はそのまま影へと引き摺り込まれていった。



     ※



「ヒイロォォォッ!」


 悲痛な叫び声をイヴェアムは上げるが、クロウチは勝利を確定したように笑みを浮かべる。


「これで終わりニャ。僕の《化装術》は闇ニャ。これは《闇牢(やみろう)》といって何でも収納できる便利な能力ニャ。けど、この中には空気がニャいニャ」

「そ、そんな!」


 それでは呼吸ができずに死んでしまう。


「しかもニャ、この中には、まだ出してニャいモンスターがいるニャ。その数は五匹だけニャけど、どれもランクSSのモンスターで、一匹はランクSSSニャ」

「嘘……っ!」


 ということは日色はそんな凶悪なモンスターを五体も一人で相手にしなければならない。しかも呼吸ができずにだ。さすがに日色でも、そんな状況での戦いは不利過ぎる。


「アクウィナス、今すぐヒイロを!」

「待て」

「何故だ! このままではヒイロが!」


 アクウィナスが少しも事態の窮地を理解していないのでつい怒鳴ってしまう。だが彼の目は、今はクロウチの足元に小さくなった影に送られていた。


「アクウィナス……?」

「陛下、奴なら無事だ。あの中でも魔法が使えるのであれば……な」


 その言葉にハッとなってイヴェアムも影に視線を落とす。


「ニャハハ! ニャにを期待してるのか知らニャいが、この中に入った以上、僕の許可なく出ることはニャ……ぐ……っ!?」


 その光景に誰もが目を見張った。

 それもそのはずだ、何故ならクロウチの足元から伸びている影から腕が現れ、その腕が持ち得ている刀がクロウチの胸を貫いていたのだから。


「ニャ……ニャに……がぁっ……!?」


 刀を勢いよく抜かれて、クロウチから血が噴出する。そしてフラフラとよろめきながら背後を確認すると、そこから――。


「よっと」


 全くの無傷で日色が現れたのだ。  



     ※



 クロウチの《闇牢》に閉じ込められた日色は、影から伸びでてきた触手には驚いていたが、影の中に引きずり込まれた直後は少し焦ったものの、すぐに冷静さを取り戻した。


(息ができない……か。それに……)


 周囲に蠢く巨大な影、それが徐々に正体を視認できるようになる。


(……相手をしてると息がもたない……か?)


 見たところ、かなりレベルの高いモンスターのようだ。しかもそれが五体もいる。その中で極めて危険度が高そうなのは、一番奥に見え隠れしている巨大な生物だ。

 実際に日色なら、タイマンであれば時間をかければ《文字魔法》で倒せると思うが、呼吸を奪われている今の状況で五体は正直言って厳しい。


 もう一度周囲に視線を巡らせる。広さは果てが見えないほど大きい。なるほど、これなら多くのモンスターをここに収納できるのも頷けた。そして何故ゾンビ体だけなのかも理解できた。

 呼吸ができないのであれば、普通に生きている生物では長時間この空間には滞在できないからだ。


(どうやら出口はなさそうだが……)


 日色は段々と自分に近づいてくるモンスターと一定の距離を空けながら頬を緩める。


(オレを閉じ込めて殺ったつもりだろうが)


 指をササッと動かし、闇の中で青白い光がその軌跡を辿る。


『脱出』


 その光に反応して、モンスターたちの敵意が一気に膨らむ。ビリビリと大気を震わす雄叫びをあげるモンスターもいる。


(こんな面倒なとこで戦ってられるか)


 瞬時に文字を発動させると、すぐ上空に光の環が見える。そこを潜れば出口だと言うことは感覚で理解できた。

 モンスターたちもこちらへ意識を向けてようやく向かって来たがもう遅い。日色は刀を握り締め、その光の環に向かって突き出した。


 ――手応え、有りだった。






「ヒイロッ!?」


 現世に戻った後、同時にイヴェアムの声が日色には聞こえたが、今はそれに答えるよりも、目の前で胸を押さえながら膝をついている敵をどうにかしなければならない。

 脱出時に、刀を突き出し相当のダメージは与えたが、それでもクロウチの闘志は一向にぶれていなかった。


「くっ……どうして……ニャ?」


 無論自分の《闇牢》に絶対に自信があったクロウチは、どうやって日色が抜け出てきたのか気になって仕方が無い。しかもこんなに早くにだ。


「答える義務は無い。早々に潰れろ!」


 刀を振りかぶりクロウチ目掛けて振り下ろす。しかし突然彼の足元の影がぬぅっと膨らみ、彼を覆って刀から守った。


「……また影か」


 その感触から、先程クロウチと打ち合った時の感触と同じだと感じた。

 そして日色はひとまずその場から一歩後ろへ跳んで距離を取る。ウネウネと動く影をジッと観察する。


「なるほどな、オレの刀を素手で受けてたと思ってたが、お前……その影を纏ってやがったな?」


 膝をつきながらもニヤッと口角を上げるクロウチ。すると影がその傷口に吸い込まれるように集中していく。


「ぐっ……がっ!」


 その行動に激痛が伴っているのか、歯をギリギリと噛み締め唸り声を上げている。

 そして徐々に彼の体が黒い炎を身に纏っているかのようにユラユラと揺らめく。

 だがそんな中、日色は素早く間を詰めると、


「悪いが、変身シーンなどで手を出さないほど礼儀正しくはないんでな」


 それはアニメの中だけにしろと思い、動かない相手を仕留めるのならこれ以上ないというほど楽だと間を詰めた勢いのまま刀を突き刺す。

 今度は避けることも防ぐこともできず、クロウチの胸をあっさりと貫いた。

 日色も完全に捉え胸を貫いたと思っていたが、クロウチはガシッと刃を掴んでいた。そして彼が顔を上げて笑みを浮かべる。


「残念ニャ。もう変身は終わったニャ」

「ちっ!」


 日色はすかさず蹴りを放つが、驚くべきことに蹴りが、あろうことかクロウチの身体にめり込む。そして身体の中で足が止まった。


「なっ!?」


 日色だけでなく獣人以外の皆が驚きの声を上げていた。いや、『魔人族』でもイヴェアムとアクウィナスだけはまるで見慣れているような自然な態度を保っていた。

 そして険しい表情でイヴェアムが口を開く。


「やはり使えるか、《転化(てんか)》……だったな」

「ああ、元々魔法が使えない獣人が編み出した《化装術》。その最高峰は、魔法そのものになること」

「魔法そのものの体。それは精霊と同じ存在になること。精霊と近しい存在である『獣人族』だからこそ可能になる術なのだろうな」

「しかし《転化》は制御が難しい。普通は一部分だけを《転化》するのがやっとなはずだが、さすがは《三獣士》だ。全身を《転化》させている」

「ヒイロ! 気を付けろ! その者に単純な物理攻撃は効かん!」


 イヴェアムの叫びが耳に届いた時、すぐにでも足を抜こうとしたが、ガシッと掴まれる。


「逃がさニャいニャ」


 すると足を伝ってクロウチから影が伸びてくる。


「さっきのお返しするニャ」


 クロウチはこのまま影で日色の身体を巻きつけて絞め殺そうとした。

 だが――日色だって黙ってやられるつもりはない。


 ――バチバチバチバチバチバチィッ!


 突如、日色の全身から雷撃が周囲へと迸る。


「ぐがっ!?」


 凄まじい雷力に堪らず、その場を離れるクロウチ。そしてそのまま距離を取ってから日色を睨みつけてくるが、その変わり様に表情が強張る。

 

 日色の身体からは放電現象が起きている。そしてそれがただの魔法ではないことを知ったようで、クロウチが目を細めた。


「魔法……? いや、この感じは……いやいやありえニャいニャ! ニャってこれは……っ!?」


 クロウチは自分の考えに対しそんなはずはないと否定しているが、目の前にいる日色を見て、どうしてもその考えを払拭できずにいるようだ。

 その理由は明白だ。

 何故なら日色が――。


「どうだ? お前と同じ身体だ」


 蒼紫に輝く雷そのものになった身体を、その場にいる誰もに日色は見せつけていた。


『雷化』


 それが日色が書いた文字の正体だ。


(文字の通り身体そのものが雷になるが、制限時間が短い。早々に決着をつける!)


 この文字効果は三分間であり、一度使うと同じ効果のある文字は時間を置かなければ使えなくなる。なので素早く勝負を決する必要があった。

 一方クロウチはというと、日色は一体何者なのかと言わんばかりに混乱しまくっている。

 モンスターを空中に集めて殲滅した魔法、完全に気配を消していたのにあっさりと見つけて刀を伸ばして攻撃してきた能力、《闇牢》から脱出した方法、そして現在の日色の姿。

 そのどれもが謎に塗れており、驚愕すべきものばかりのはず。


「あれは間違いニャく僕の《闇夜(やみよ)転化》と同じニャ……」


 だがすぐにクロウチは頭を左右に振って、動揺していた表情をキリッとしたものに戻す。


「考えていても仕方が無いニャ。僕の《闇夜転化》も長時間維持するのは難しい。それに……」


 そう呟きながら自身の胸に触れるクロウチ。恐らく先程受けたダメージも完全に回復しているわけではないのだろう。

 だからこそ日色が望む短期決戦は、彼にしても望むところだったのかもしれない。

 クロウチから触手のように影を伸ばして槍のように突き刺してきた。

 日色も同様に雷を放電させ、幾つもの矢の形状をしたものを作る。


 ――ドドドドドドドドドッ!


 両者の攻撃が衝突し合い、その衝撃が周囲に向かう。

 被害に遭わないように、周りの者は悲鳴を上げながら離れていく。


 攻撃の合間にクロウチは勝負をかけるためか空へと飛び上がる。

 日色は攻撃で生まれた煙を払うと、上空から感じる殺気に気づき見上げた。


 そこには――――十人に分身したクロウチがいた。


「これで最後ニャ! マックススピードでトドメだニャ! 喰らうニャ! 《十愚(じゅうぐ)黒撃(こくげき)》ぃぃぃぃぃっ!」


 十人が先程とは別格の速さで目まぐるしく動き回りながら天から降ってくる。とても一人一人確認して相対することはできない。

 それを見て日色は軽く溜め息を漏らす。


「大した奴だ。オレじゃなかったら、その攻撃を受けてるだろうな」


 そう言いつつ再び、雷で十本の矢を空中に作る。

 そしてそれを、向かって来るクロウチ目掛けて放った。


「そんな遅い攻撃、僕に届くわけがニャいニャッ!」


 ヒュンヒュンヒュンヒュンと、まるで空を蹴るように移動するクロウチ、そして目の前から迫ってくる矢を視認して、軽くその横を通り過ぎようと避ける。

 回避は造作もない。そう思ったのだろうか、勝機を得たというような笑みを彼が浮かべた瞬間――。


「……え?」


 雷の矢がクロウチの腹に突き刺さっていた。

 どうして避けたはずの矢が……といったようなクロウチの表情。


 日色の指先には、『必中』と言う文字が浮かんでいた。


 ――グサグサグサグサグサグサグサグサグサッ!


 他の九体のクロウチの身体にも、ただの一本も外れることなく貫いている。


 ――バチバチバチバチバチィィィィィッ!


 突如、その矢から激しい放電現象が起こり全身の自由を奪う。


「ニャババババババババババッ!?」


 ドカドカッと空中から地面へと落ちてくるクロウチ。

 そして他の九体が動きを止めたかと思うと、影に戻り本体に戻って行く。どうやら《転化》していた身体も元に戻ったようで、感電した体をビクビク動かしている。


 カチャ……。


 そのクロウチの首に刀が突きつけられた。


「お前らが起こした戦争だ。当然覚悟はあるんだろ?」


 日色は冷ややかな視線で彼を見下ろしている。


「くっ……ニャハハ……しょうがニャいニャ……僕が弱かったってこと……ニャ」


 それでも恐怖に顔を歪めるでもなく、むしろ楽しそうに笑みを浮かべている。そんな彼を見ると、改めて溜め息を吐く思いだ。


「てっきり、死にたくないとか言うと思ったが?」

「ニャハハ、そんなつまらニャいことは言わニャいニャ」

「ほう、良い度胸だ。さすがはバトルジャンキー」

「けど覚えておくニャ」

「ん?」

「今回は負けたけど、次生まれ変わったら、必ず勝つニャ」


 呆れるほどの戦闘馬鹿だった。それ以上はもう何も言うまいと思い、刀をゆっくり振り上げる。そしてそのまま一気に振り下ろす。


「――待てヒイロッ!」


 イヴェアムの制止の声で、ピタッと刀を止める。いつの間にか近くまで来ていたイヴェアムを睨むように見る。


「どういうつもりだ?」

「殺すことは許さん」

「…………理由は?」

「殺したくなどないからだ!」

「…………コイツは他の『魔人族』を手にかけているはずだ。それでも報復はしないと? それで他の者が納得できると本気で思ってるのか?」


 目を細め鋭い視線で彼女を見るが、それに気圧されることなく見返してくる。


「確かに彼は私の家族を傷つけてきた。そして今回もそうだろう。しかし、殺すことで解決するとは思えない」

「……」

「他の者たちだって憎いだろう。だがそれでも殺しはしない。少なくとも今は」

「今?」

「ああ、彼は《三獣士》と呼ばれる獣人の中でもトップクラスの実力の持ち主だ。なら彼を上手く使えば」

「交渉ができる……ということか?」

「ああ」

「……まあ、オレは雇われてるだけだ。お前がそう言うのならそれでいいが、この先、コイツが暴れてもオレは責任は持たんぞ?」

「ありがとう」


 日色は呆れたように肩を竦めると刀を鞘に戻した。だがその時、クロウチの馬鹿にしたような笑い声が響く。


「ニャハハ、甘い。砂糖みたいに甘いニャ魔王。敵に囚われた時点で僕の命はニャいに等しいニャ。それは僕だけじゃニャく、【パシオン】の兵士全員がそうニャ。そう思って動けと、教えられてるニャ。言いたいことは分かるかニャ? 僕には人質の価値はニャいということニャ」


 してやったりと言った表情で言う彼に対し、イヴェアムだけでなくアクウィナスが口を動かす。


「確かにお前だけの命ならそうだろう。しかしその命が王子のものだとしたら……どうだ?」

「……ニャんだって?」


 一瞬にして笑みが硬直する。


「この地には第二王子であるレニオンも来ているのだろう? それは確認している。だから奴を捕らえることを優先事項として、こちらの最高戦力の三人に向かわせた」

「ま、まさかっ!?」

「幾ら戦闘を得意としている王子でも、《魔王直属護衛隊》の三人相手に、果たして何分もつだろうな?」


 先程までと違って一気に顔を青ざめるクロウチ。


「そんなことはさせニャいニャ! こうなったらっ!」


 クロウチはそう叫ぶと、一気に影を広げた。


「出てくるニャ! 我が最高の下僕たちっ!」


 すると影の中から……。


 ズズズズズズズズズズズゥ……。


 五体の生物が出現する。


「ニャハ……ハ……もう少し余裕のある時に……呼び出したかった……ニャ……」


 突然黒い体毛で覆われていたクロウチの体が、真っ白になった。そしてそのままパタリと地面に倒れる。どうやらモンスターを呼び出すにもリスクがあるらしい。


(恐らく生命力を根源としてる術なんだろうが、まためんどくさいことをしてくれたもんだな。それにあの一匹……やはりそうだよなぁ)


 五体のモンスター、特にその中で一際大きな体と三つ首を持つ生物は別格のような雰囲気を迸らせていた。無論他のモンスターと同様に、体は腐蝕しているのだが、単純な睨みだけでも大抵の者を恐怖で動けなくさせることが可能だと判断できるような威圧感を宿している。


 一踏みで建物を踏み潰すほどの巨体を持つモンスターたちを見て、誰もが呆気にとられたように思考と身体を硬直させている。


「まさか……このようなモンスターを呼び出すとは……」


 イヴェアムもまた信じられないといった面持ちで言葉にしていた。


「どういうことだ? 有名なのか、あのモンスターは?」


 日色の問いに小さく頷きを返す。


「ああ、名はケルベロス。魔界でも二つといない存在だ」


 やはりケルベロスかと内心で納得する。日本でも知っている者は多い。

 ギリシャ神話で、冥府に通じる入口の番犬のこと。三つの頭、蛇の尾を持つ姿、あるいは首や胴体から何匹もの蛇があたまをもたげる姿で表される。


 《冥府の番犬・ケルベロス》、日色も本で読んだ知識しか無いのだが、外見上は確かにその通りのいでたちを持っていた。

 この【イデア】では最高のランクとされているランクSSSに相当するモンスターとして畏怖されている存在である。例えレベルが百を越えていたとしても、単身では一捻りにされるほどの伝説級のモンスターの一匹である。


「一体どうやってケルベロスを……」


 イヴェアムはその存在だけで、これは窮地を意味すると判断している。しかも、ケルベロスだけでなく他に四体いるのだ。そしてそのどれもがランクSSに相当するモンスターたちだ。

 これは国の保護を優先などと言っている場合ではなくなった。モンスターたちを呼び出して気絶しているクロウチを忌々しい表情で見つめるが、すぐに視線を切って部下に言う。


「この者を捕らえて牢に入れておけ!」


 部下の兵士は返事をするとクロウチの身体を拘束して運んで行った。

 そして再びモンスターたちに視線を向ける。


「くっ! こうなったらアクウィナス、皆で力を合わせて奴らを止めるぞ!」

「いいのか? あのような巨大モンスターと本気で戦えば、ここら一体は綺麗になくなるぞ?」

「う……しかし、そうも言ってはいられない! 放置しておけば増々被害が広がるばかりだ!」


 だからあの時、クロウチが何かする前にトドメを刺しておけば良かったんだと日色は思ったが、もう自分がすることは無いと勝手に判断して他人事で街並みを見ていた。

 そしてそこでふと思い出すことがあった。

 確かこの近くには、日色が渇望して止まない、あるものがあった。

 それは《フォルトゥナ大図書館》である。そのことに気づき、日色は顔を大いに引き攣らせた。


(ちょっと待て、あんな連中がここで暴れれば貴重な知識の宝庫が……)


 日色の頭の中で、粉砕されていく図書館。そして本がグチャグチャにされ、炎に塗れて…………後はもう想像したくなかった。

 これは早急に手を打つ必要があった。


「ちょっと待て」


 日色が二人の会話の中に入る。


「な、何だヒイロ?」

「ダラダラと相手なんかしてられるか。もしあの化け物に【フォルトゥナ大図書館】を破壊されたら目も当てられんぞ」


 不機嫌そうに言う日色を見ながらイヴェアムはケルベロスを指差す。


「へ? 図書館? あ、いや、しかしあのモンスターを見ろ! ゾンビ化のせいで動きは鈍いが、それでも攻撃力は手足の一振りで一瞬にして建物を吹き飛ばせるほどの存在だぞ! どうしたって倒すのには時間が掛かる!」

「そんなことはない」

「……は?」


 日色があからさまに自信満々なので、思わず口をポカンと開けてしまう。


「確かめるが奴は、というよりアイツらはゾンビなんだろ?」

「え……ああ、そうだが……それがどうした?」


 何故今更そんなことを確認するのか意味が分からず首を傾けていると、アクウィナスが間に入ってくる。


「……やれるのか?」

「あ? 本来ならこれは魔王の不手際で、オレの仕事はもう終わった感抜群だったんだが、事情が変わった」


 まだ読んでもいない本を失うわけにはいかなかったのだ。その言葉にイヴェアムが尋ねる。


「そ、そうなのか?」

「まあ戦うにしても、奴らがゾンビじゃなかったらもっと時間かかったかもしれないが。幸いなことに奴らはゾンビだ」


 日色は凄まじい魔力を両手の人指し指の先に宿していく。それを感じたイヴェアムたちはすかさず後ずさりながら日色の指を見つめる。

 そこにポワッと青白い光が灯り、ユラユラと小さな炎のように揺らめく。指を動かし、その軌跡を光が辿っていく。

 そこでふと指の動きに違和感を感じる。


(ん? やはりこれから書く文字は少し時間がかかりそうだな)


 指がゆっくりとしか動かせない。これから書く文字は、相手の体自体に直接、しかも急激に変化を起こさせるので制限がかかるのだ。これはレッドボアの時に使用した『眠』の時と同じ制限だ。

 ただそれだけではなく、やはり日色が意識している敵のレベルの高さも関わってきている。もっと弱いモンスターであったなら、文字もスムーズに書けていたはずだ。


「おいそこの……赤髪、奴らがあの場所から動かないように足止めしろ」

「……いいだろう」


 アクウィナスに向かって偉そうに命令したが、彼も怒ることはなく、その言葉に従って動くつもりのようだ。

 もう彼の中で日色の行動が自分たちのためであることを確信しているのだ。そして日色ならば、何かをやってくれると思っているのであろう。

 アクウィナスは一歩前に出ると、


「陛下、少し街が壊れるが許せよ」

「あ、ああ、やってくれ!」


 アクウィナスが片手を上空へと向ける。

 すると大気がビリビリと細かく震え始め、日色でさえ目を見開くほどの魔力が上空へと迸っていく。


「我が元に顕現せよ、《第三の剣・束縛する巨大剣(ディスインテグレイト)》」


 彼の呟きが終わった瞬間、上空から雲を割って、およそ人が持つことができないであろうほどの大きな剣が現れる。しかもそれが五本もある。


「ちょうど良かった。俺でもこの剣を顕現するのは五本が限界だった」


 その大剣はそのまま物凄い勢いで五体のモンスターに突き刺さる。モンスターたちはそれぞれに唸り声を上げるが、元々死んでいるモンスターは痛みというものは無い。ただ体が動かないので唸っているだけだ。


「何かをするのなら早くするんだな。奴ら相手に、そう長くは持たん」


 確かにケルベロスを貫いている大剣に、徐々にヒビが入っていく。他のモンスターたちのも、ケルベロスほどではないが、ミシミシと剣が悲鳴を上げている音が聞こえてくる。


「ヒイロと言ったか、これでいいか?」


 あれだけの魔法を使用しておいて、涼しい顔を向けてくるアクウィナスを見て、日色は内心で舌打ちをする。


(おいおい、オレがここに来なくてもコイツ一人いれば問題無かったじゃないか)


 そう思い、大剣に貫かれて地面に串刺しにされているモンスターを見つめる。

 モンスターは必死に抜け出そうとジタバタしているせいで、地面が徐々に破壊されていく。それに大剣が突き刺さったせいで地面が大いに割れている。


(まあ、若干街は傷つくが……な)


 それがアクウィナスが力を使うことを渋った原因なのだ。彼の魔法は強力だが、強力過ぎて周囲を巻き込んでしまうのだ。主に破壊という行いで。


「ヒ、ヒイロ、これでいいのか?」


 いつまでも答えない日色に、どうしたのかと思いながら尋ねるイヴェアム。日色は彼女の問いに軽く頷く。


「ああ、十分だ。こっちも完成した」


 そうして両手の指先をイヴェアムたちに見せる。見せたところで、どういう意味か分からないだろうが。


『浄化』と『空間』。


 それが日色の書いた文字だ。そして日色は五体のモンスターのちょうど中心に移動する。そして発動。


 ――パァァァァァァァァァァ!


 日色を中心にして辺り一面が眩い光で包まれる。かなりの発光量に『魔人族』たちは顔を歪める。中には気分を悪くする者もいるが、死にはしないので日色はそのまま続ける。

 半球状に光が徐々に広がって行き、半径百メートルほどで止まる。そしてその空間内にいるモンスターたちの身体に異変が生じ始めた。

 その身体が、老朽化した土壁のようにボロボロと崩れていく。


 イヴェアムは言葉を失ったかのように、その光景を見て固まっている。アクウィナスでさえ眉をひそめて驚愕を表している。

 瞬く間にランクSSのモンスターたちは骨だけになりバラバラと地面に転がっていく。残りはケルベロスのみ。


「できれば普通に戦っても良かったが、国の保護が依頼なんでな。楽な手段をとらせてもらった」


 その間にも、とうとうケルベロスは二つの首を失う。残りは首一つ、苦しそうに呻き声を上げながら膝を屈する。


「ゾンビが仇となったな。まあ、獣人に捕まったのが運の尽きってことで諦めるんだな」

「ギギィ……ガガ……」

「……じゃあな、《冥府の番犬》」


 そしてクロウチの最後の手段は、またしても突然現れた日色によって呆気なく失敗に終わったのだった。

 見てみれば、ほぼ兵士は無傷。そして被害も最小限。それを行ったのはたった一人の助っ人。 

 間違いなく圧倒的な勝利だった。






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