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84:策謀の果てに

 声高らかに笑いながら部下たちを引き連れてその場を去って行く獣人たち。

 それを見たキリアはルドルフに向かって言う。


「行かせてもよろしいので? 一応同盟国の王ですが?」

「ふん、それも名ばかりよ。それに今のアヤツに何を言ったところで聞きはせんだろう」


 ルドルフが去って行く獣人たちを一瞥すると、視線をキリアに移す。


「それよりもイレギュラーが起こり過ぎた」

「確かに、ジュドム・ランカースの動きには驚かされました。もっと十分に警戒をしておく必要がありましたね。お蔭で修正しなければならないことが山ほどできました」


 特に赤ローブの少年、とは口に出しては言わなかった。


「……シナリオはどうなっておる?」

「御心配無く。確かに当初の目的である魔王暗殺は達せられませんでしたが……」

「おいルドルフ」


 そこにジュドムが入って来た。


「……まだいたのかジュドム」

「一体そこの女は何だ? 見たところ魔王ちゃんの側近だったみてえだが、よく今まであのアクウィナスまで騙せていたもんだな」


 日色も認めるほどの強者であるアクウィナスを騙し続けていたということは、キリアはアクウィナスの上を行く存在だということだ。少なくとも諜報活動に於いてはだが。


「それもそのはずでしょう。普段あの少女の傍に控えていたのは私ではありませんから」

「…………何だと?」

「というよりも、ここに来るまではもう一人の私がいつも通り付き添っておりましたし」


 淡々と何でも無いように言う彼女だが、おかしな発言があっさりとカミングアウトされているので、半ば冗談のように聞こえるジュドムだった。


「な、何を言ってるんだお前さん?」

「今頃05号はご主人様とともにいるはずです」

「ゼロゴ? そういやそんなふうに名乗ってたなお前さん。つうことは何だ、お前さんに似た姉妹が他にもいるってことか?」

「そうです。私の他に作られたのは全部で」


「――喋り過ぎですよ03号」


 突如、その場に聞こえた声に皆が視線を送る。

 するとそこにはキリアと全く同じ顔をした人物が立っていた。


(同じ顔……コイツが例の? それに気配がまるで無かった……)


 ジュドムは完全に気配を立って近づいてきたもう一人のキリアに警戒心を最大にして向ける。


「あなたは戦闘特化型。確かに戦闘力は並外れていますが、その分、駆け引きなどに疎い。良いように言うと素直ですが、悪いように言うと馬鹿正直ですね」


 足音を立てずに、一定の歩幅でキリアの隣までやって来る。


「02号、どうしてここに? 05号は?」

「ご主人様の所です。どうしてここに私が来たのかと言うと、あなたのことだから、敵に聞かれても情報を素直に話すのではと訝しんで来たのです。予想通り、情報を敵に与えようとしていましたしね」


 チラリとジュドムの方を見る。


(ちぃ……もう少し情報を引っ張れりゃ良かったんだが、思わぬ来訪者が来たもんだな)


 ジュドムは内心で舌打ちしながら、現れた02号という女を見つめる。

 確かに見た目は全く区別がつかないのだが、ポワッとしている03号と違って、02号はどことなくキリッとしていて頭も切れそうだった。


「なるほど、お前さんがもう一人のって奴か。いや、さっきの口ぶりだともっといそうだが?」

「見た目は筋肉だるまの癖に、少しは利口なことを考えますね。ですが当たり……とだけ答えてあげましょう」


 少し毒舌ぶりが目立つ彼女だが、03号の方は何も喋らず突っ立っている。


「さて、そろそろご主人様の元へ戻りますよ03号」

「分かりました。では……」


 03号は頷くとルドルフの方に体を向けた。ルドルフは彼女と視線を合わせ首を傾ける。


「……ん? 何だ?」

「先程言いました。当初の目的である魔王暗殺は失敗しました」

「あ、ああ」

「ですが、それは目的のほんの一握りに過ぎません」

「……?」


 ルドルフは何を言っているのか分からず目をしばたいている。


「そして――」


 03号は懐に手を入れると、何かを取り出す。

 そしてそのまま腕を突き出して――。


「がぁっ!?」

「ルドルフッ!?」


 あろうことか、03号がルドルフの胸を素手で貫いたのだ。それはまるで、先のイヴェアムと重なった。

 そして03号が素早く手を抜くと、冷淡に一言。


「これがもう一つの目的です」


 03号は平然と血に塗れた腕を、パッパッと振っている。


「入れましたか?」


 02号がそう聞くと、「抜かりなく」と03号は無機質にそう答えた。


「てめえら一体何をっ!?」


 胸を押さえて地面に転がっているルドルフに、ジュドムや兵士、大臣デニスたちも駆けつける。

 03号たちはその場から少し離れる。


 するとどういうわけか、段々とルドルフの身体が膨れ上がっていく。肌の色も赤黒く変色していっている。


「ル……ルドルフ?」


 その光景を呆然と見ながら言葉を漏らす。


「ぐ……が……ぎぎぎ……っ!?」


 直後――ルドルフの胸から、血のように真っ赤で大きな角のようなものが生えてきた。五十センチはあろうかと思うほどの大きさだ。

 そしてその体躯も、元の大きさの五、六倍ほど。身長は五メートルは軽く越していた。

 普段は中肉中背の体型だったルドルフは、まるでトロルのような巨体に変化したのだ。しかも頑健で精悍だった顔立ちも、理性があるとは思えないほど醜悪そうな表情である。


 ――ドクンドクンドクン!


 赤い角が、まるで心臓のように脈打っている。


「はあはあはあはあ……はらァ……へっだァ……」


 声もまるでルドルフと思えないほど低い声だった。

 喉が潰されて、必死に絞り出しているかのようなくぐもった声だ。


 大臣や兵士たちは、国王の変わりように悲鳴を上げて後ずさっている。

 ルドルフはその場で動かず、身体の変化に痛みを伴っているのか、顔を大いに歪めて耐えている様子だ。体中の筋肉が膨れては縮み、それが不自然なほどの速さで動いている。


「てめえら! ルドルフに何をした!」


 ジュドムは怒りを露わにして問い質す。こんなことをしでかしても、ジュドムにとっては親友なのだ。

 彼がわけの分からない化け物にされたのを黙って見ていることなどできない。

 すると02号は冷ややかな視線をルドルフに向けながら答える。


「どうやら成功のようですね。彼はこれで晴れて『魔人族』の仲間入りを果たすことができました」

「……どういうこった?」

「……そうですね。もっと効果的な場面で発表した方が何かと都合が良かったのですが、相手はあのジュドム・ランカース。いいでしょう、少しだけご教授してあげましょう。あなたのその足りなさそうなオツムでも理解できますように」


 いちいち癇の触る言い方しやがるなと思いながらもジュドムはグッと堪えて耳を傾ける。


「この石……何か分かりますか?」


 そう言って見せてきたのは卓球の球のような小さな赤い石だった。


「この石の名前は魔力が込められた石……《魔石》。あ、今そのままだと思いましたか?」

「……うるせえな。さっさと説明しやがれ」


 思ったのだが、そこを追及されるのは何だか恥ずかしかった。


「まあ、略称のようで、正式には《降魔血妖石(こうまけつようせき)》と呼ぶらしいですが、長ったらしいので縮めて《魔石》と呼んでいます」

「そのマセキが何だ?」

「先程03号が彼の胸を貫きました。その時、03号は彼の胸にこの《魔石》を入れました」


 懐から取り出したのはあの《魔石》だったのかとジュドムは納得した。


「この《魔石》は魔力に反応します。埋め込まれた者は……ああなります」

「……てめえ、いろいろはしょりやがったろ?」

「……ふぅ、何だか面倒くさくなってきたのですが」

「いいから説明しやがれ!」

「仕方ありません。この《魔石》は、ある『魔人族』の血肉で製造されております」

「何だと……?」

「ある『魔人族』というのは、今はもう滅んだとされている『クピドゥス族』のことです」


 聞いたことが無いなとジュドムは眉をしかめる。

 その気持ちを察したのか02号は続けて説明を行う。


「聞いたことが無いのも無理はありません。遥か昔に存在した少数民族だったのですから。しかし彼らにはある特殊な能力がありました」

「能力?」

「それは、食べたものを言葉通り血肉とする能力です」

「はあ? そんなもん誰だって同じだろうが。何かを食べりゃ、それは己の血肉となるのは至極当然だろ?」

「……はぁ」


 物凄く深いため息をつかれたジュドムは、馬鹿にされたようで額に青筋を立てる。


「いいですか? 私は言葉通りと言ったのです」

「だ、だから」

「例えば、あなた」

「は?」

「そう、ジュドム・ランカースという人物を食べれば、あなたの体、技、魔力、全てを実現できる存在として生まれ変わるのです」

「なっ!?」

「更に、あなたを食べた『クピドゥス族』は、例えばこの03号を食べたとしましょう」

「……アレには食べられたくありません」


 少しだけ眉をしかめる03号。


「03号、あくまでも例えです」

「……渋々了解します」

「それは結構」


 若干気が抜けてしまうようなやり取りだが、それでも真面目な顔で02号は続ける。


「03号を食べたあなたにそっくりな『クピドゥス族』は、今度は03号に似た存在になる可能性があります。無論あなたの実力と03号の実力を内包した存在として……です」


 それが本当ならとんでもない種族だと思った。食べれば食べるほど強くなる。

 つまり成長の限界が無いということだ。

 しかしそこで少し考える。何故そんな規格外な能力を持っているのに滅んだのかということだ。


「何故……滅んだか……ですか?」

「う……」


 まるで見透かされているような気がして寒気が走る。


「滅んだ理由。それは簡単です。それ以上の存在に滅ぼされたからです」

「……まあ、普通に考えればそうだろうが、そんなとんでもねえ種族と戦える奴がいたのか?」

「……忌々しい名前なので口にしたくありません」

「おぉいっ!」

「とにかく、そういう存在に滅ぼされたわけです」


 どうやらどうあっても名前は言わないようだから一先ずそれは置いておいて話の続きを聞く。


「しかし、全てがその人物によって滅ぼされる前に、彼らはある遺跡の中で自らの命を絶ちました」

「自殺……ってことか?」

「はい。地中深くにある遺跡で彼らは死と言う眠りについたのですが、我らがご主人様はその遺跡を発見なさいました」

「…………」

「そして、幾つかミイラ化した『クピドゥス族』を手に入れたのです。しかも驚くべきことに、まだ微量ですが血液を残している者もいたのです。その血をある人物に頼んで培養し、こうして《魔石》として復活させたというわけです。はぁ、説明疲れました」


 一仕事終わった感を出すが肝心なことに答えてもらっていない。


「おいちょっと待て、だから何でマセキを埋め込むとああなるってんだよ!」

「……少しは頭を働かせたらどうなのですか《衝撃王》? それとも《笑撃王》に改名します?」

「どつくぞてめえ……」

「全く、仕方ありません。いいですか、この《魔石》は言ってみれば生きた『クピドゥス族』そのもの。つまり体内の魔力に反応して活発化した《魔石》は、対象の細胞を食べて形を変えていきます。そして結果、あのように『クピドゥス族』と融合したような姿に変化すると言うわけです。あ、ちなみに変化には激痛が伴い、身体もしばらく硬直します」


 だからルドルフは動かねえのかと納得顔をした。


「それにしてもルドルフの面影が少な過ぎやしねえか?」


 そう、まんま化け物の姿なのだ。


「ああそれは存在があまりにも惰弱だったからです」

「存在?」

「まあ、生命力、魔力、生きる意志など、そういったものですよ」

「……」

「食べても存在が弱い相手なら、姿は存在が強い方の姿のまま残ります。王の場合、惰弱で脆弱で貧弱で虚弱だったため、元々の『クピドゥス族』の存在の方が強く、ああして『クピドゥス族』の姿の方が色濃くなっただけです。こんなちっぽけな石よりも弱い存在って笑えますね。まあ他にも様々な理由があるのですが、概ねはそんな感じですね。はぁ、今度こそ終わりましたね」

「まだだっ!」


 すると本当に不機嫌そうにジュドムを見つめる02号。


「何ですか筋肉?」

「筋肉じゃねえ! 肝心なことだ! ルドルフはどうやったら元に戻る!」

「…………戻るとでも?」

「ちっ、このクソ野郎どもが!」


 ジュドムはルドルフの方を向いて叫ぶ。


「おいルドルフ! 正気に戻りやがれぇ!」


 するとずっと苦しんで硬直していたルドルフはビクッと全身を震わせたかと思うと、


「ハァァァァァガァァァァッ! はらァ、へっだァッ!」


 その巨体をドカドカと動かし、近くにいる兵士をその手で掴んだ。

 そして何ともおぞましい光景だが、兵士を頭から自分の口に放り込んだのである。ピクピクと痙攣させながら、口の中へと収まっていく兵士を見て、誰もが顔色を青くしていた。


「だ……だりないィィィィィッ! もっどォ! もっどォォォォッ!」


 手当たり次第に動き回り兵士を掴んでは胃袋へと収めていく。


「な、何やってんだルドルフッ!」


 しかしジュドムの叫びは彼には届いていない。力ずくでも彼を止めようと動こうとするが、03号が立ちはだかる。


「ひ、ひぃっ! こ、ここここ国王様! わ、わわわ私です! デニスでございますぅ!」


 腰が抜けて立てないのか、必死で後ろへと逃げようとするが、ルドルフの視界に映ってしまう。


「デ……ニ……ス?」

「そ、そそそうです! あなた様の忠臣! 大臣のデニスですぅ!」


 思い出してくれたかと笑顔になるが、身体を勢いよくその振り払うように動かした剛腕で掴まれてしまう。そのままミシミシギチギチと嫌な音が周囲に響く。


「が……ぼ……ぎ……おぶ……っ」


 まるで全身を万力に締め上げられているかのような凄まじい圧力がデニスを襲う。彼の身体は当然悲鳴を上げていく。

 ジュドムは目の前で邪魔をしている03号を警戒しながらもルドルフを正気に戻そうと叫ぶが、それも虚しく――。


 結局、大臣デニスはルドルフの腹の中に放り込まれてしまった。

 何とも呆気無い終わり方である。

 大臣を助けようと、傍に控えていた国軍の隊長たちは、剣で突き刺しているが、全く効いていない。

 それどころか怒りを買ったようで、ルドルフは大きな口を開くと、突然その口からレーザーのような攻撃が繰り出される。


「な、何ぃっ!?」


 突然の攻撃とその破壊力、さらに凄まじいスピードに反応し切れず五人の内、四人がそのレーザーの餌食になった。

 頭に受けた一人は見事にその部分だけキレイに消え去り、腹に受けた者は上半身と下半身との離反を経験した。他の者たちも一撃で絶命してしまった。残りの一人も、掠っただけなのに、左腕を持って行かれて重傷を負ってしまう。


 あまりにもの現状に、他の兵士たちは士気を落とし逃げるものが出始めた。


「そこをどけっ!」


 ジュドムはルドルフを止めようと動いているはずなのだが、いまだに彼の目の前にはキリア、いや03号が立ち塞がっていた。互いに拳を合わせるが、決定的なダメージを与えられずに今に至っている。


(くそがっ、やっぱコイツ強えっ!)


「そろそろいいかもしれないですね。03号、アグリィドールを連れてご主人様の元へと向かいましょう」


 02号の物言いにジュドムは眉をしかめる。


「アグリィドール?」

「あの《醜悪な人形》のことですよ。いいネーミングでしょう?」

「はっ、吐き気がする!」

「これだからセンスの無い輩は不愉快なのです」


 しかし彼女たちのルドルフの扱いを見て不思議に思っていた。

 恐らく今回、会談での裏切り工作を持ちかけたのはキリアたちだろう。だがルドルフは愚かだが、簡単に『魔人族』を信じるほど馬鹿ではない。

 

 それなのに彼女たちを信じて魔王たちを手にかけようとした。

 だが結果は、ルドルフはただの手駒、いや捨て駒のような扱いに見える。ルドルフはよくもそんな危険性が含んだ取引を受けたことだと納得できにくいものがある。


 ジュドムの考えていることは至極当然のことだ。

 仮に『魔人族』が彼の所に現れ、手を貸すから一緒に魔王を倒しましょうと言われたところで信じることなどできるわけがない。その申し出自体が罠だと誰もが思うからだ。

 しかしルドルフはその申し出を受けた。それは受けるメリットとそれなりに安全性があると判断したからだ。ならその安全性とは何か。ジュドムにとっては考えても分からないことだった。



     ※



 これは約半年前、『獣人族』が『魔人族』に対して宣戦布告し、戦争を仕掛けたが、魔王イヴェアムにより二つの大陸を繋ぐ橋を落とされ、戦争そのものが中断、いや、終結してしまった後のこと。

 魔王は今回のようなことが起こらないように『人間族』と同盟を結ぶために、再三に渡り和睦の親書を送っていた。


 しかしその真意がハッキリとしないと感じていたルドルフは、親書に対して渋った解答ばかり突き返していた。

 そんなある日、自分の元に一人の人物が現れたのである。


 それはいつものように『魔人族』に対して、大臣デニスと今後の対策を思案している時だった。侍女が執務室のドアを開けて入って来た。彼女はお茶を持って来てくれたようだった。

 喉も乾いていたところだったので、ちょうど良いと思い休憩にしようとデニスに言った。

 だが侍女は持って来たお茶をルドルフの前に持ってくることはせず、ドアを閉めてその前にジッと立っているのだ。


「……どうした? 早う持って来い」


 手際の悪い侍女に少し不愉快そうに眉を寄せる。

 しかしその侍女は俯かせていた顔をサッと上げた。

 そして彼女の顔を見て二人は思わず青ざめる。


「少し、お話でもいかがですか?」


 無機質に言葉を放つ彼女の肌は『魔人族』特有の浅黒さを宿していた。

 そして極めつけは耳の先端が尖っていたことだ。

 彼女はまさしく『魔人族』だと二人は判断し、大声で助けを呼ぼうとした時、


「それは止めた方がよろしいかと」


 彼女の言葉は何故か胸に突き刺さるように届いた。

 思わず口を開けたまま二人は固まるが、


「なっ!? き、貴様は何者だっ!?」


 必死な形相でデニスが口を動かす。

 すると彼女は丁寧に頭を下げて、


「お初にお目にかかります。私はキリア……と申します」

「キリア……だと?」

「こ、国王様?」

「う、うむ……キリアと言えば、魔王の側近の名前と同じはずだ」

「そのキリアでございます」


 まさかそのような大物がこんなところに一人で現れるとは思ってもいなかった。


「……そ、その側近がここに何用だ? まさかワシを暗殺でもしにきおったか?」


 威厳だけは保とうとするが、ルドルフにしてみれば声を震わせないように喋るのに精一杯だった。何故なら彼女が本気になれば、自分たちを一瞬で殺せると思ったからだ。


「いいえ、先程も申し上げましたが、お話をさせて頂きに参ったのです」

「話……だと?」


 疑わしそうにルドルフは視線を向ける。


「はい。双方に利があるお話にございます」

「……何の話だ?」


 眉をピクリと動かし、とりあえず話だけでも聞こうと思い尋ねる。


「『魔人族』を……滅ぼしたくはございませんか?」

「何……?」


 一瞬、何を言っているのか理解できず、ルドルフはデニスと顔を合わせ、首を傾けながら再びキリアに視線を戻す。


「どういうことだ? 『魔人族』を滅ぼす? お主だって『魔人族』であろう」

「ああ、少し語弊がございました。もちろん『人間族』に逆らう『魔人族』を……です」

「…………詳しく話してもらおうか」

「こ、国王様! このような胡散臭い者の言葉を信じるのですか?」

「いや、だが話を聞く価値があると判断した。我らを謀ろうと動いておるのか、そうでないのか見極める必要もある」

「し、しかし……」


 不安気にキリアを見つめるデニスだが、ルドルフは軽く首を振る。


「話を聞いてから判断する。お前もしかと聞いておけ」

「さすがはヴィクトリアス王、懐が深いです」

「ご託は良い。どういうことか話してみよ」

「分かりました」


 キリアはスゥッと息を吸うと、何故ここに来たのかを説明し始めた。


「私は『魔人族』を滅ぼしたい。特に魔王の傍にいる者たちを……です。言ってみればこれは……復讐です」

「……何故だ? そもそも魔王を憎んでいるというのならば、何故そばに仕えておる? いや、仕えておるのならば、隙を見て殺せば良いのではないか?」

「それがそう簡単な話ではございません」

「どういうことだ?」

「私が最も憎んでいるのは魔王ではなくその周りの者たち。魔王を殺すのは簡単ですが、その者たちには無力感と屈辱を最大限に与えて殺したいのです」


 ルドルフたちはキリアの瞳が冷たく暗黒に染まっていくのを感じて身震いする思いだった。


「もっと効果的な場面で魔王を暗殺したいのです。そのためには是非ともあなた方のご助力が必要になるのです」

「なるほど、それで会談か」

「そういうことです」


 ルドルフは険しい表情で頷いていたが、彼女の黒い感情を感じてもなお、そう簡単に信じるわけにはいかない。


「恐らく、会談では彼らが護衛につくことでしょう。しかし彼らの目の前で魔王が殺されれば、自分の無力を嘆くことになりましょう。そうして絶望を味わってもらった後、彼らを嬲り殺します」


 ゴクリとデニスの喉元から音が聞こえてくる。ルドルフも思わず拳に力が入ってしまう。この者は本気だと感じて、その大胆不敵な計画に恐れを抱く。


「何故……復讐したいのだ?」

「おや? あなた方は大事なものを奪われなかったのですか? それとも、奪われたにも関わらず、復讐心が無いと?」

「……いや、確かに『魔人族』を……魔王を滅ぼすために支払った犠牲は大きなものだ。とても同盟など笑いながら受けられん」

「そうでしょう。私も大事なものを奪われました。だからこそ今の彼らを許すことができません。どうか、私どもとともに【魔国・ハーオス】を落としてはみませんか?」


 キリアの目を見つめる。

 互いに視線を逸らさずしばらく時が流れた。


 そしてサッとルドルフが視線を切ってから口を開く。


「今、私どもと言ったな? その計画は他に誰が知っているのだ?」

「国境を守っているイーラオーラはこちら側です」

「何と……っ!」


 それはかなり魅力的な言葉だった。

 普通唯一の架け橋である【ムーティヒの橋】は、絶対防衛ラインであり、そこを任されるのは魔王にも信頼されていて、実力もトップクラスの者のはずだ。そんな者が裏切り側にいるとは、何とも都合が良い。


「それなら確かに、いろいろ先手を打つことはできる。しかし……」

「……?」

「あくまでもお主の言葉が真実だった時の話だ。まさか、かような話、証拠も無しに信じろと言うわけではあるまいな?」

「もちろんです。信頼には時間がかかるのは尤もです。だからこそ、あなた方が最も信を置ける諜報部隊を【ハーオス】に送ってどうぞお確かめください。イーラオーラには、何もせず通すように言いつけておきますので」

「……デニス」

「は、はい」

「第三部隊を確認に向かわせろ。あ、いや、もしこの話が真実なら情報漏洩のためにも少数精鋭の方が良いか……」


 ルドルフは顎に手をやり思案顔を作る。


「……うむ、アドマンを使え」

「なるほど、彼は先代から仕えている諜報係、彼ならば真実を見極めてくれるかもしれません。承知致しました」

「キリアと言ったな、一応こちらでお主の言葉が真実かじっくりと調べさせてもらう。それと……」


 ルドルフは鍵のついた机の引き出しを開け、一枚の紙を取り出す。


「これは――」

「知っています。《契約の紙》ですね」

「そうだ、これに我々を裏切らないと書け。まずはそれからだ」


 するとキリアはゴソゴソと懐から同じような紙を取り出す。


「実は、私もその方があなた方が安心するだろうと思い持って参りました」

「なるほど、最初からそのつもりだったというわけだな」

「はい。しかしこちらだけでは不利です。私どもにしても、あなた方に裏切られたら終わりです。ですからあなた方も、我々を裏切らないと確約して頂きたい」

「……正論だな」


 彼女の言うことは至極当然。一方的な契約など愚の骨頂。契約は双方に利があり、双方に枷があって初めて成り立つものである。


「しかし、この紙にサインするのは、アドマンからの調査報告を聞いてからだ」

「賢明なご判断ですね。分かりました。では三か月後、再び参ります」


 そう言ってキリアはドアから出て行った。


「本当に奴と同盟を?」

「まだ分からん。今のままでは奴の計画もあやふやなものだ。とりあえず国境の件を確認し、【魔国】を調査してからだ」


 それからしばらく時が経ち、アドマンから送られてくる情報は、こちらに都合が良いものばかりだった。

 結果的に言うとキリアは嘘を言っていないことが証明された。

 簡単に橋も渡ることができたし、アドマンの諜報部隊が【ハーオス】の近くにいざという時の拠点を作ることもできた。それはキリアが手を回して場を整えてくれたからできたものだった。


 そうして【ハーオス】の情報もいろいろ探ることが可能になり、今まで知り得なかった【ハーオス】の確実な外観と内面の構造など、攻め落とすための策を講じれる情報を手に入れることができた。 


 そして三か月後、言った通りに彼女がまた現れた。


「信じて下さいましたか?」

「確かにお主の言っていることは事実だった」

「では……」


 キリアは懐から《契約の紙》を取り出し、


「ここにサインを」


 しかしルドルフは渋るように顔をしかめる。やはりまだどこか信じ切れていないのだ。


「ご安心を。こちらが持ちかけた話です。その契約内容をよく読んでみてください」


 ルドルフは紙に目を通すと大きく目を見開いて彼女を見つめる。

 そこには要約するとこう書かれてあった。


【互いに裏切らない。双方理に反した行動を取らない。滅ぼすのはキリアが指定した『魔人族』だけ。期間は【ハーオス】が制圧されるまでの間】


 その条件はこちらも望むところなので問題は無かった。しかし次の条件は明らかに首を傾けるものだった。


 【キリアが裏切った場合、即座に死を与える】


 普通《契約の紙》で交わした契約を裏切った場合、寿命が内容に応じて削られるが、命まで奪われることは無い。

 しかしキリアはその条件の中に、自らの命を差し出した。


「こ、これは……」

「私が本気である証拠として受け取って頂いて結構です。私はこの機に……命を懸けます」


 揺らぎの無い瞳を見て、その場にいるルドルフ、デニスは気圧される思いだった。

 それ以上に、この計画に懸ける思いが並々ならぬものだということを理解させられた。


「……分かった。計画についてはお主が逐一書面で知らせてきおったから理解しておる。まさか『獣人族』と同盟を結ぶという内容には少々驚いたが、なるほど、確実に【魔国】を潰すには理にかなっておる」

「復讐のためならなりふりは構いません。国王、あなたも煮えくり返っているでしょう? 自身の子供を犠牲にしなければならなかった原因を思うと」

「…………」

「こちらはもう国などいりません。魔国もあなた方が治めれば良いでしょう。ただし、私の仲間たちだけはどうか情けを頂きたいです」

「それは当然の権利だな。こちらとしても、協力者を殺したいなどとは思わん」

「それを聞いて助かりました」

「これからは同志だ」


 そう言ってルドルフは《契約の紙》にサインを施した。紙は淡い光を放ち、粒子状になったそれはキリアとルドルフの胸にそれぞれ吸い込まれていった。


「契約成立です」

「ああ」

「では細かな計画はこれから煮詰めていきましょう。確実に……我々のシナリオが完遂できるように」

「ああ」

「私はこれから会談場所である【聖地オルディネ】について情報を得てきます。それではまた」


 キリアはまた静かにドアから出て行った。


「これで魔国も我々のものになる……ということですな?」


 大臣デニスが嬉しそうにほくそ笑んでいる。


「そうだ、ようやく叶う。これでワシの娘たちも浮かばれよう」

「しかし国王様、【魔国】を制圧した後、本当にキリアたちを保護するのですか?」

「……ふふふ、さあな」


 その顔を見たデニスも同じように笑う。そう、彼らはキリアたちまでも滅ぼすつもりでいるのだ。契約内容は【ハーオス】が制圧されるまで。それ以降はこちらが何をしても罰せられることは無い。


(期間を設けたのが仇になるかもしれんな……キリアよ)


 ルドルフはこれからのことを思うと、ようやくここまで来たかと大きく息を吐く。自分の代で『人間族』の悲願を叶えられると思ったら年甲斐も無くワクワクしてくるものがある。

 ルドルフにとって今までは勇者が切り札だったが、今回のシナリオに限り、間違いなく本命はキリアの方だった。

 シナリオを完遂するためなら喜んで勇者を捨て駒扱いしよう。だって彼らは我々を救うために召喚した手駒なのだから。


(シナリオを煮詰めて獣人どもの殲滅も組み込む。何……奴らは一枚岩だが脆い。獣王が死ねば瓦解するのも早いだろう)


 それでこの世界は『人間族』のものになる。『精霊族』などいてもいなくても変わらない存在だから放置で構わない。これで争いは無くなる。平和な世界を築けるのだ。


(キリアよ……礼を言おう。お主の尊い犠牲で、ワシは平和を掴める)


 しかしルドルフは気づいてなかった。その思いすらもキリアには見抜かれていたことを。

 そしてルドルフが、いや『人間族』がキリアの掌の上で踊り続けていることも……。






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