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82:魔王との契約

「直接聞く……だと? 一体何を言っている?」


 人間界にて、会談が始まって少し経つ頃、《魔王直属護衛隊》の《序列四位》であるオーノウスは、目前に立つ日色の言った言葉の意味が分からないようで聞き返していた。

 日色は魔王と話をしたいと思っていたが、ここにはいない。


「陛下に直接聞く、ということか? しかし今、陛下はこの場にはおられぬぞ」


 何故なら会談で【聖地オルディネ】にいるからだ。直接聞くことなどできるはずがない。


「ふん、どこにいるかなどオレには関係ない」

「関係ないとは……」


 魔王イヴェアムがここから相当遠くの場所にいるのは日色にも分かっている。オーノウスの呆れ具合を見ると、とても一日やそこらで行ける距離ではないのだろう。

 しかし日色には問い質さなければならないことがあった。

 それはあの時、魔王と自らをそう呼んだ少女との出会い。そこで契約した内容がどうにも正しくなかったからだ。

 日色はオーノウスの疑問を無視してまたも両手の人さし指に魔力を宿していく。


『転移』と『魔王』。


(さっさと行って事情聞いて戻って来るか)


 だがそこでふと気づいたことがあった。


(……あ、オレが行かなくてもアイツを呼び出せばよかった)


 だがもう書いてしまったので、キャンセルすれば《反動》が待っている。軽く溜め息を吐きながら仕方無いと踏む。


「おいバカ弟子、少し行ってくるから、アイツらが帰って来てたらそう伝えておけ」

「畏まりましたですぞ!」


 ニッキがビシッと敬礼をするのを見届けると、《文字魔法》を発動させる。


 ――ピシュンッ!


 一瞬で日色の存在が消えたので、その場にいたニッキ以外の者は目を丸くしていた。


「行ってらっしゃいませですぞ師匠!」








 これは日色が初めて【魔国・ハーオス】へやって来た時のことである。

 他の仲間たちは少し私用があるといって出かけて行った。仕方無くニッキとともに宿屋へと向かった。

 だが国へ入ってまず迷った。何故なら国の広さが尋常ではなかったからだ。【ヴィクトリアス】も大きい街だったが、ここはまた別格だった。


 【ヴィクトリアス】が複数の街を凝縮したような国なら、この【ハーオス】は複数の国を凝縮したような国であった。恐らく隅々まで歩こうと思ったら一日では絶対に足りない。

 そんな中、ニッキと二人で国民に聞き宿屋を探し歩いていたのだが、途中で腹が鳴った。どこかで腹ごしらえをしようと思い、飯屋を探した。運の良いことに飯屋はすぐに見つかった。


 ――カランコロン。


 喫茶店のドアを開けたような音がして中に入ると、店内は薄暗くてあまり人気が無かった。うるさくないのなら都合が良いと思った日色が中に入ろうとすると、


「あ、師匠! ボクは先に宿を探してきますですぞ!」

「あ? お前は腹減ってないのか?」

「はいですぞ! さっき師匠の袋から燻製肉を美味しく頂きました!」


 ――ポカン!


「のわっ! な、何をするのですか!」

「何をするのですかじゃない! 人の物を勝手に食うな!」

「う~申し訳ありませんですぞ~」


 シュンとなって項垂れるニッキを見て溜め息交じりに言う。


「ならさっさと宿を探して来い。それで許してやるから」

「あ、はいですぞ!」


 パアッと嬉しそうに顔を綻ばせると、凄まじいスピードで駆けて行った。

 日色は店内に入り、どこに座るか見回す。カウンター席には一人の少女が座っていたが、他は空いていた。自分も一人なのでカウンター席でいいだろうと判断し向かった。


「何にします?」


 店主が聞いてきた。


「腹が減ってる。何か美味いものを食わせてくれ」


 無愛想にそう言うと、少女もこちらに気づいた様子でチラリと見てくる。無論日色は気にした様子も無く目を閉じている。

 しばらくすると、目の前に一口大の肉を散りばめたチャーハンが出てきた。匂いでも分かったがなかなかに美味そうだった。

 そしてペロリと平らげ後、


「おかわりをくれ」


 それを何と三回繰り返したところで、


「ふふふ」


 近くに座っている件の少女から笑い声が聞こえた。

 日色は何だと思いながら訝しみつつ目線を向ける。


「あ、いやすまない。見事な食べっぷりに思わず」


 軽く戸惑った様子で物を言う彼女だが、日色はまたも一瞥しただけで無視する。その様子を見た店主が何か慌てる様子を見せた。


「お、おいアンタ! この方は――」

「いいんだ」

「で、ですが」

「いいと言っている。それにここには客として来ているんだ。常連なのだから知っているだろう? 身分など関係無い」

「……はぁ、そう仰るなら」


 二人のやり取りを聞いていて、どうやら少女の方はそれなりに身分が高いことが理解できる。

 しかしもしご令嬢か何かだとしたら、よくこんな薄暗い店に一人で入って来られるものだと少し呆れた。

 しかも常連ということは、何回もやって来ているということだ。

 見たところ美しい金髪を持っており、花のような香りが漂ってくる。顔も整っていて、男性の目を引き付ける美少女だと判断できる。

 そんな少女が一人で人気の無い店に常連として来ていること自体驚きだった。まあ自分には関係無いので食事に集中していた。


 ――カランコロン。


 すると誰か客がやって来たのかと思い店主はそちらに目をやると、確かに客らしいのだが、どうにもガラが悪そうな者たちが三人いた。


「お! 何だよ何だよ、女がいるじゃんよ!」


 その中の一人が少女の姿を目視して声を上げる。


「お、いいねぇ~」

「しかも超絶美少女!」


 三人が三人とも鼻の下を伸ばし、いやらしい顔つきで少女に近寄っていく。


「あ、あのお客さん!」

「うるせえ店主! 黙ってろ」

「そうそう、じゃないと殺しちゃうよぉ~」

「ぎゃははは!」


 そんなことを言われ店主は押し黙ってしまう。

 そして彼らは少女の背後へと回ると、肩にそっと手を置く。彼らの横暴な態度を見て店主は青ざめている。


「なあなあ姉ちゃん。俺らとイイコトしない?」

「そうそう、なんなら奢っちゃうよぉ~」

「ほう、それは太っ腹な精神だな」


 二人の言葉に少女は静かに言葉を出す。


「ぎゃははは! そんなサービス精神旺盛な俺らとどう? 遊ばな~い?」

「すまないがこの後、私用があるのでな」

「そんなのサボっちゃえよぉ~」

「そうそう、こっちの方が絶対良いよぉ! すっごく気持ち良くなることも教えてやよぉ~」

「ぎゃははは! 足腰が立たなくなるほどな! ぎゃははは!」


 下卑た笑いが店内に響く。店主は相変わらずの表情で固まっている。


「何度も言うが断る。それにお前たち、この国の者ではないな?」

「あ? まあね~、俺らは昨日この国に来たんだよ」

「だと思った。お前たちのような下品な輩は見たことが無いからな」


 少女の物言いにピクッと眉を動かして固まる三人。


「……は? おい姉ちゃん、滅多なことは言わない方がいいぜ?」

「そうそう、気持ち良いのが、痛いのに変わっちゃうよぉ~」

「ぎゃははは! だから素直に俺らと遊ぼうぜ?」


 パシッと肩にかけてある男の手を叩き落とす。


「何しやがんだお前?」


 すると少女はスッと立ち上がると、キッと視線をぶつける。長い髪に隠れて目元をハッキリと確認できないが、相当怒っているようだ。


「それでもお前たちは『魔人族』か! 『魔人族』なら誇りを持て!」


 彼女の物言いに、ポカンと呆気に取られていた三人は、


「「「ぎゃはははははは!」」」


 馬鹿にしたように大笑いする。


「このご時世に誇りなんてクソの価値もないっての!」

「そうそう、な~に面白いこと言っちゃってんのぉ~」

「ぎゃははは! 腹痛ぇ!」


 そんな三人を見て、彼女の拳が強く握り締められる。店主はもう気が気でないのかあわあわとした様子で戸惑っている。

 しかしそこに、我慢ならない人物が一人。


「黙れクソトリオ」


 当然日色である。

 今まで気分よく食事していたのに、下品な奴らのせいで台無しだった。


「ああ? おいおい、もしかして今言ったのお前かぁ~?」


 店内には他に日色しかいないのを分かっているのに、嫌味を含めるような言い方で言ってくる。無論それを黙って受け流す日色ではない。


「他にいるか? それともゴミトリオとでも改名してほしいか?」

「な、何だとっ!」

「今すぐ出て行け。飯がマズイんだよ、ゴミにそばにいられたらな」


 日色の容赦の無い物言いに三人の額に青筋が幾つも浮かぶ。


「おいこら赤ローブ、死にてえのか? ああ?」

「何をやっている! その者は関係無いだろ!」


 少女はそう言うが他の二人が彼女の前に現れて邪魔をする。どうやら出ていくつもりはないようだ。

 日色は心底呆れて溜め息を吐く。


「くっ!」

「姉ちゃんは後でた~っぷり可愛がってやるよ。その前に……」


 だが日色は男から視線を逸らすと、店主の方を見る。


「おい店主、ここのお代だが、このゴミトリオを追い出す代わりに無料というのはどうだ?」

「へ……あ、そ、その……構わないですが……」

「よし、契約成立だ」


 してやったりと思いほくそ笑む。


「表に出ろ。相手してやるよゴミトリオ」

「上等だ赤ローブゥゥゥッ! 死んでも文句は言わせねえからなぁ!」


 外に出たが、幸い人通りは無かった。路地に入りそこでゴミトリオと対面する。


「まさか、三人がかりで卑怯とか言わねえよなぁ?」


 三人がニヤニヤしてこちらを見ている。

 日色は面倒臭さを感じて頭をかく。


「ご託はいいから早く来いゴミトリオ」

「こ、殺してやらぁっ!」


 三人が一斉にかかって来た。


「あ、危ないっ!」


 少女が叫ぶ。三人がナイフを所持していたからだ。

 しかし日色は軽く溜め息を吐くと、両手の人さし指に魔力を宿す。そして素早く文字を書く。


「パラシュート無しでスカイダイビングでもしてみるか?」


 そう言うと、ピシュンと瞬時に日色が消えた。しかも三人も一緒にだ。

 少女は何が起こったのか目をパチクリさせていたが、魔力を感知してハッとなり空を見上げる。

 少し遠目にだが、そこには先程目の前にいた四人が浮かんでいた。


「え? あ? お? な、なあぁぁぁぁぁぁっ!?」

「な、何なのこれぇぇぇぇぇぇっ!?」

「ほわぁぁぁぁぁっ!? た、高い! 高い! 死ぬほど高いぃぃぃぃっ!?」


 三人が吃驚するのも無理は無い。

 何故なら先程まで路地にいたのに、今は空に浮かんでいるのだ。しかも地上からはかなり距離がある。


「よぉ、どうだ? 初のスカイダイビングは?」


 日色は笑みを浮かべながら三人に言葉を放つ。


「お、お前っ! こ、これ、お前が!? した! っここここれを!?」


 何を言っているのかよく分からないが、とても言葉にできないほど驚愕しているのは分かる。そんな彼らに対して日色は言う。


「まあ、腐っても『魔人族』なんだ。ここから落ちても大怪我だけで済むと思うぞ…………運が良かったらな」

「う、運が良かったらってぇぇぇぇぇっ!」

「じゃあな」


 そう言うと、また日色が消えた。


「「「うっそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!?」」」


 元の位置に戻って来た日色は、何でも無かったように店主の前にやって来ると、


「アイツらはもうこの店に来ないと思うが、さっき言ったようにお代は無しでいいよな?」

「え、あ、は、はい……」


 どこかで何かが落ちた衝撃音がするので、三人は見事地面に降り立てたようだと日色は理解した。

 ちなみに日色が先程使用した文字は『転移』と『四人』。そしてもちろん戻って来たのは『転移』の文字の効果だ。

 腹も膨れたしそのままそこから離れようとしたところ、


 ――ガシッ!


 少女に腕を掴まれた。


「……何だ?」


 何かイチャモンや礼の言葉でも並べられるのかと思ったが、次の言葉で呆気に取られる。


「わ、私は魔王だ! だ、だから飲み物を奢らせてくれ!」


 コイツは頭がどうかしたのかと本気で思った日色だった。






 いや、飲み物を奢らせてくれというのは分かる、きっと自分の巻き添えになったとでも思っているのだろう。まあ実際そうなのだが、喧嘩を売ったのは日色なので別段謝罪など求めてはいなかった。

 しかしその前に言った言葉、「わたしはまおうだ」。思わず聞き間違いだろうと思った。だから頭の中で言葉を変換してみたが、どうにも他に変換してもそれらしい言葉が見つからない。


 つまり魔王。彼女は自分の存在を魔王だと主張しているということだ。確かにここは魔王のお膝元であり、魔王が女だとは聞いていたが、まさかあんなボッチが潜むような喫茶店に魔王が一人でいるとか誰が想像できる?

 もし仮に彼女が魔王であるなら、一人でこんな場所へ出歩けるほど治安が良いということなんだが、先程の余所者のこともあるし、恐らく正式な許可を得て来ているわけではないのかもしれないと思った。


 それともただ単に魔王に憧れていて、思わず自分がそうだと言ってしまった件について。それのメリットを考えてみるが、ほとんど皆無だった。魔王の国で魔王を名乗っても良いことなど無い。どうせすぐにバレる。

 それに店主の態度を思い出す、身分の高い者。それは分かっていたが、もし彼女が魔王だとしたら彼の慌て様も納得がいく。日色の言葉使いを窘めたり、クソトリオが彼女に対して近づいた時、ずっと青ざめていた点から見ても、彼女が相当の権力に関わった人物であることは予想できた。


 そう冷静に考えた時、彼女が本物かもしれないという判断に大きく傾いた。そして真剣な表情でこちらの目を見つめてくる彼女を見て頬をかく。


(まあ、バカ弟子を待たなければならんし、まあいいか)


 時間潰しということもあり、素直に彼女の申し出を受けることにした。

 店内に戻り、言われた通り飲み物をご馳走になった。それはクリームソーダのようなジュースだったが、確かに美味かった。

 ゴクゴクと喉に流していると、ようやく彼女が口を開いた。


「さ、先程も言ったように私は魔王だ。この国を統括している」


 日色は黙って彼女を見つめる。すると彼女は慌てたように言う。


「あ、わ、私の言うことが本当かどうかは店主に聞いてくれ!」

「いや、そもそもその店主の発言力がオレには判断できんだろうが」

「あ……そ、そうか。むぅ……」

「……魔王かどうかはともかく、何か用か? コレを奢るためだけにオレを留まらせてるわけじゃないだろ?」


 日色の言葉にハッと息を飲む様子の彼女。


「う、そ、それも分かってたのか」

「分からいでか」


 明らかに話がしたいからというオーラが漂っていた。そもそもそうでなければ、腕を掴んで店に引っ張って来ないだろう。


「う~そんなに私は分かり易いか?」


 上目使いで、何故か目が潤んでいるが。


「さあな、もしくはオレが鋭いのかもな」


 適当にはぐらかすように言った。


「それで? 何を話したい?」

「あ、そ、それはだな……」


 言い難いことなのか口ごもっている。


「何も無ければオレは行くが?」


 少々めんどくさくなってきたのでその場から出ていこうとする。しかしまたもガシッと腕を掴まれて拒否される。


「さ、先程の魔法は」

「悪いが答える義務は無い」

「う……そ、そうか、そうだな……」


 ガ~ンといった感じが分かり易いように落ち込んでいる。


(コイツ、ホントに魔王か? 普通の女にしか見えんぞ)


 そう、今の彼女は少なくとも自分の知っている女性と比べても、何ら違いが見つからない。とても魔王というか、王の器を持つ人物には見えない。


(まあ、赤ロリに聞いたが、今代の魔王は先代の後を無理矢理継がされたらしいからな)


 王を空位にしておくことができず、とりあえず王族の血を引く者に引き継がせたと聞いた。だからその人物が優秀かどうかをじっくり吟味したわけではなさそうなのだ。

 そんな彼女がパッと顔を上げると、


「そ、そう言えば自己紹介がまだだったな! 私はイヴェアムだ! イヴェアム・グラン・アーリー・イブニング」

「長い名前だ。魔王でいいだろ」

「で、できれば名前で呼んでほしいのだが」

「なら魔王(仮)にでもするか? オレ的には魔王(笑)でも面白いと思うが」

「何だその(笑)というのは! う~、魔王でいい……」


 諦めたようにガックリと肩を落とす。


「……名前」

「ん?」

「名前を聞かせてもらっても構わないか?」


 さてどうしようかと思案する。別に名乗ってもいい。

 相手が魔王だとしたら、国王に知られるという面倒なことになるが、召喚された時と違い、今はもう何があっても対処できるくらいの強さは手に入れた。だから別段気にする必要は無いと判断した。


「ヒイロだ。ヒイロ・オカムラ」

「ヒイロ……良い名前だ」


 その時の笑みは、恐らく誰から見ても惹かれるほど素敵な微笑みだっただろう。

 イヴェアムのホッとした瞬間の笑みは、見てる者を穏やかにさせる力を含んでいた。

 ただ日色は無愛想な表情は一向に崩しはしなかったが。


「ヒイロ、お前も先程の者たち同様、この国の者ではないな?」

「そうだ。今日着いたばっかだ」

「何しに来たのだ?」

「それをお前に言う……」


 義務は無いと思ったが、正直仲間が少し立ち寄りたいと言っただけなので言っても構わないと思った。

 そしてそう言うと、「そうか」と頷きを返した。


「まあ、オレの目的は少し違うがな」

「どういうことだ?」

「この国に《フォルトゥナ大図書館》があるだろ?」

「ああ」

「そこの《深度5》の領域に入りたくて、許可を貰うために来た」


 正確に言えば、仲間のリリィンがその許可を貰ってくるのを待っているのだ。


「《深度5》と言えば、王族の許可がいるではないか。何故そのような場所へ行きたいのだ?」

「は? 本は読むためのものだろ? 読みたいという他に理由があるのか?」

「……え? その、売ったりしないのか?」


 キョトンとなってそうなの? 的な感じで聞いてくる。


「はあ? お前何言ってんだ? 売ってどうするんだ? 金にでもするのか?」

「そ、そうだろ普通」

「あのな、オレは純粋に珍しい本が読みたいだけだ。ただの知的好奇心だ。金に興味なんか無い」

「…………」


 日色の言葉を受けしばらく呆然としているイヴェアム。彼女としては、日色の言葉が予想外だったようで驚いたらしい。


「あ、いやすまない。今まで一般人が《深度5》に入りたいと願い出てきたことがあるが、ほとんどが盗みを働いて、それを売却してひと儲けしようと企てていた者たちだったのでつい」

「ついオレもそうだと? そこら辺の奴らと一緒にするな。不愉快だ」


 不機嫌に口を一文字に結んでジュースを口にする。そんな日色を見てクスッと笑みを溢す。


「……そうか、いや、本当にすまない。まさかただ純粋に読みたいと言う者がいるとは思わなかったのでな」

「ここの連中に知識欲は無いのか?」

「いいや、確かに中にはヒイロのような者もいる。だがこのご時世で本をゆっくり読もうなどと思う者は悲しいことに……少ないのも事実だな」


 確かに今は戦争の危機がすぐ身近に迫っている中、ほとんどの者は身体を鍛えたり、有事に備えて食糧を貯えたりと忙しい。

 ハッキリ言って日色のようにのほほんと本を読もうとする者たちは少ないのだろう。


「本は良いものなんだがな……」

「ほう、好きなのか?」


 イヴェアムの呟きを聞いて、彼女もまた本が好きなのか聞いてみた。


「ああ、本は私を魔王では無い別の私にしてくれる。読んでいる間だけは、私は自由の翼を広げられる」

「何だか今は自由じゃないって言ってるみたいだな」


 するとイヴェアムが困ったように眉をしかめる。


「こんなとこで一杯やってるのが自由じゃないって言うなら、自由って一体何だ?」

「そ、それは……で、でも私だって普段からここに入り浸っているわけではないぞ! 魔王として皆を導き指導しているつもりだ!」

「だが常連なんだろ?」

「う……うぅ……」


 すると店主が二人の会話の流れでイヴェアムが追い詰められて拗ねたような顔をしたのが面白かったのか「ぷふ」っと笑った。


「む! 何がおかしいのだ馬鹿者!」

「す、すみません魔王様! で、ですがそのような魔王様は久しぶりに見ましたもので!」


 店主は嬉しそうに言うと、イヴェアムはハッとなって頬を軽く染め上げる。そしてキッと日色を睨みつけてきた。


「……何だかヒイロといると調子狂う」

「オレのせいにするな」

「む~」

「大体魔王だからと言って、自由じゃないと決めつけてるお前が悪いだろ?」

「……え?」

「魔王がどういうものか知らんが、お前は魔王の型枠を勝手に決めつけてその中で動き回るからしんどいんじゃないのか?」

「…………」

「だったらそんな型枠通り、つまりマニュアル通りの魔王像なんて捨てればいいだろうが」

「そ、そんなことできるわけない! 民がついてこなくなる!」


 イヴェアムはバタッとカウンターを叩きながら詰め寄ってくる。


「だったら器じゃないってだけだろ? 本物なら、たとえ自由に王をやってても、そいつに魅力があるなら人はついてくる」

「…………」

「民のため、国のため、大いに結構だ。だが自分のために動けないのなら、いつかパンクしちまうだけだ。オレならそんな王はゴメンだな。オレはオレの道を行く。それで人がついて来ないなら別にそれはそれでいい」


 イヴェアムは少し顔を伏せて、


「自由にやってても人はついてくる……か」

「まあ、お前に王の器があるならそうだろうな。ま、少なくともオレの目には王なんてガラじゃなさそうだがな」

「え?」

「お前はオレから見れば、普通の女だ」


 

     ※



 ドキンとイヴェアムの心臓が跳ねる。

 まるで鋭い矢に打ち抜かれたような、いや、そうではない。何かこう素手で心臓を掴まれたような感覚が全身に走った。


(普通の……女の子……!)


 イヴェアムのその表情は耳まで真っ赤に染められていた。そんなイヴェアムの顔をニヤニヤしながら店主が見ていたことに気づき、勢いよく二人から背を向ける。


「わ、私は魔王よ! そ、そそそんな普通の女の子なんて言われても、こ、こここ困るわ!」


 口調が変化しているのも気づいていなかった。

 だがどういうわけかホッとしたような安心感が心に宿っているのが心地良く感じていた。



     ※



 日色は困ると言われてもこちらとしても思ったことを言っただけなので逆にこちらが困ると思っていた。

 初めて会った男の一言一言に表情がコロコロ変わるとは、本当に一国の長なのか心配すら覚える。


「と、ところでヒイロ!」

「あ? どうした、顔が赤いが?」

「き、気にしないで! ここの空調がおかしいだけよ!」

「そうか?」


 どちらかというと、若干寒いくらいだったのだが。しかも彼女の口調が変わっていることに首を傾ける。


「ヒ、ヒイロは旅人ということなのだな?」


 また口調が元に戻った。統一すればいいのにと思ったが、それほど気にもならないので放置しておいた。


「まあな」

「ここにはどれくらいいる?」

「さあな、目的次第だ」

「ああ、先程言っていた《フォルトゥナ大図書館》の件だな?」

「ああ……あ、というかお前が本当に魔王なら許可が出せるんじゃ……?」


 遅まきながらそこにようやく気づいた。まあ本当に彼女が魔王かどうか分からないので、半信半疑で尋ねてみる。


「ああ、私なら許可は出せる。しかし幾ら読みたいだけと言っても《深度5》には禁書や古文書など、門外不出の書物が多くある。おいそれと信用できない者を入れるわけにはいかない」


 それはそうだ。彼女の言い分は至極真っ当。

 これはやはりリリィンに期待するしかないかなと思った時、


「だが、ヒイロが私の頼みを聞いてくれたのなら許可を出してもいい」


 思わぬ提案に、ピクッと眉を動かして彼女を見つめる。


「頼みだと?」

「そう、つまり依頼。もちろん契約書も作る。ヒイロがその気ならだが」


 彼女が何を考えているのか思案する。嘘を言っているようには見えない。もし本当に魔王なら、これはかなり有益な交渉だと思った。

 まさか国のトップ直々に許可を貰えるならそれに越したことは無い。リリィンには悪いが、ハッキリ言って許可を取って来られる保証などどこにもなかったのだ。より確実な方法があるならそちらにするのが利口である。


(しかし魔王の……いや、まだ魔王か分からんが、それなりの依頼を言いつけられそうだな)


 これまで数多くの依頼をこなしてきたが、王直々にというのは初めてだった。だから読めない。どんな無理難題を叩きつけられるかと思ったが、話だけでも聞く価値はあると判断する。


「……依頼内容は?」


 途端にイヴェアムの表情が険しくなる。それだけで、これから話すことが伊達や酔狂などではないことを理解する。


「一週間後、会談が行われることは知ってるな? その会談だが」

「ちょっと待て」

「……何だ?」

「会談? 確かにそんな話はここに来る前にちらほら聞いたが、一週間後? お前、本当に魔王ならこんなところにいていいのか?」

「…………」


 サッと目を逸らしたので、ああコイツ城から逃げ出してきたなと思った。


(恐らくプレッシャーに耐えかねて、ここで息抜きをってことなんだろうが……)


 そう思い店主を見ると、彼も小さく頷いて、あなたの考えが合ってます的な感じで返答してくれた。


「はぁ、まあお前のことはいい」


 まだ魔王と決まったわけじゃないし。


「その会談が一週間後に行われる。確か『人間族』と『魔人族』の同盟についての会談だったな」

「ああ、だが……」


 何やら暗い表情を作る。


「……何か問題が起こる。いや、起こる可能性があるって考えてるのか?」

「…………」

「沈黙は肯定だな。だがそもそも会談の危険性など当然のことだろう?」

「それは……そうだが」

「どこなんだ? 会談場所は?」

「それは言えない。契約書にサインしてもらってからだ」


 もしここであっさりと場所を言っていたとしたら、日色はイヴェアムを完全に馬鹿にしていただろう。会談場所を簡単に他人に教える様じゃ、魔王失格だ。


「分かった。じゃあさっさと言え。オレに何を求める?」

「……この国を助ける力になってほしい」

「…………」

「無いとは信じたいが、手薄になったこの国に『人間族』から何か動きがあるかもしれん。その時、防衛の力として手を貸してほしい」


 どうやら自分が会談に向かうから、ここは自分の手で守れない。その隙を狙って『人間族』が攻撃してくるかもしれない。つまり裏切り行為があると彼女は一抹の不安を抱えている。

 もしそのような出来事が起きた場合、少しでも国や民を傷つけないように日色に力を借りたいと思っている。


「ヒイロの力は先程見て把握した。凄まじい魔力に、あの魔法……恐らくユニーク魔法だろ?」


 日色はポーカーフェイスを維持していたが内心では驚愕していた。まさかあの一瞬で見破られるとは思ってもいなかったからだ。


「私は魔力感知に自信がある。あの時伝わって来た魔力の感じ、どの属性も感じなかった。つまり無属性……ユニーク属性ということだ」

「……どうだかな」

「別に公表などしない。私が欲しいのは純粋な防衛力。ヒイロなら……あれほどのことを事も無げにするほどの力の持ち主なら、この国の防衛として期待できる」


 どうやら誤魔化しても、もう彼女は確信しているようだ。

 日色はイヴェアムの慧眼に対し溜め息を漏らす。


「便利な能力だな。ま、オレは確かにユニーク魔法を使うが、その力を有事の際に発揮してほしいと?」

「そうだ。あくまでも念には念を入れておく。無論何事もなければそれが一番だが」

「…………なら依頼料は?」


 するとそこで彼女はフッと頬を緩める。


「《フォルトゥナ大図書館》、《深度5》の入室許可証を発行しよう」

「……口約束でか?」

「いや、先程も言っただろ? 契約書にサインしてもらうと」


 すると彼女は懐から一枚の紙を出した。そこには何もまだ書かれていなかった。彼女は自分の手を歯で噛み血を流す。その血で文字を書いていく。

 書かれている文字を日色もしっかりと確認していく。内容は依頼の内容に報酬。

 そして決して途中放棄しないというような遵守事項が書かれてあった。その中には、もし納得ができない状況が起これば、個人判断で動くこともできるとも書かれていた。


「これは《契約の紙》。これにサインした者は、もしここに書かれている内容を違えると魂を削られるんだ」

「……つまり寿命が奪われるってことか」

「その通りだ」


 恐ろしい契約書もあったものだと嘆息する。

 しかしなるほど、確かにこれにサインする相手になら貴重な会談場所などを教えてもいいかもしれない。



     ※



「私の依頼……受けてくれるか?」


 実際こんな突拍子もない頼みは断られるとイヴェアムは思っていた。確かに日色は強いが、旅人であり戦争になど普通は参加したくはないだろう。

 それにこういう契約も、どことなく好きではない印象を受ける。しかしイヴェアムはこうしてでも日色の戦力には興味を抱いていた。


 内包する魔力量の多さもさることながら、恐らくレベルも相当高い。魔王である自分よりも高いだろうことは何となく理解できた。

 そんな強者がこんな状況で、自分の前に現れたのは、何かの天啓なのかもしれないと思っていた。

 だからこそ、どうしても日色に自分を手伝ってほしいと思った。ただ心のどこかに日色の戦闘力だけではない何かに惹かれているのも気づいてはいるが、やはり一番は力である。


 日色ならば必ず防衛力として存分に働いてくれるだろうと思った。日色に餌をちらつかせて交渉するのは気分の良いものではなかったが、今はそんなことを気にしている場合ではないのだ。

 だがそれでも断られることを重きに置いていたのだが、次の日色の言葉で思わず固まる。


「どこにサインするんだ?」


 日色はそう言ったが、固まっているイヴェアムを不審そうに見て言葉を出す。


「おい、どこにサインするかさっさと教えろ」

「え、あ、ああ……で、でも本当にいいのか? せ、戦争になるのかもしれないんだぞ?」

「別にいい。戦争になったってオレが死ぬわけでもないしな」


 どれだけ自信あるの? と聞きたかったが、それよりもサインしてくれるということが嬉しくて仕方が無かった。


「こ、ここよ。ここにして」


 つい口調も変わってしまう。

 そうして同じように血で日色がサインした瞬間――ピカァァァァァ!

 《契約の紙》が淡い光を放ち始めた。

 すると紙が粒子状になり、二人の胸に半分ずつ吸い込まれていった。



     ※



「ふぅ、これで契約成立よ」

「口調変わってるぞ?」

「こ、これで契約成立だ! そこは突っ込むな!」


 顔を赤くして怒鳴るが少しも怖くないところが魔王として残念だ。そうして契約が成立した後は、一週間後の詳しい状況を教えてもらった。


 ――カランコロン。


「師匠! 宿をとって参りましたぞ! 褒めてくだされ!」


 ニッキが元気よく登場した。

 だが気になったのはその後ろにもう一つの影があることだ。


「あら~や~っぱりここだったわ陛下ぁ~」


 胸をはだけさせるような踊り子風の服装で現れた妖艶な女性を見て、イヴェアムは「見つかった……」と残念そうな表情で頭を抱えていた。


「もうマリオネとキリアがカンカンよぉ~」

「す、すまない。すぐに戻る」

「そうしてちょうだいな。ん? あら男と密会? 陛下も隅におけないわねぇ~」


 日色の姿を見てからかうように言う。

 するとイヴェアムがこれでもかと言うくらい顔を真っ赤に染め上げる。


「み、みみみみ密会などではない! す、すすす隅に置けることしか私はしてはいないぞ!」

「ふふふ、ふぅん……」


 日色をジッと見つめていると、


「ほ、ほら! 早く行くぞ! やることは一杯あるんだ!」

「あん! もう陛下ったら、それを陛下が仰るのぉ~」


 イヴェアムは扉へと歩いて行き、ピタッと止まると、こちらに顔を向ける。


「じゃあ頼んだわヒイロ。けどくれぐれも無茶はしないでね!」


 そう言って店から出て行ってしまった。


「あら陛下、口調が……ん~なるほどぉ~」


 イヴェアムと親し気な女性が再び含みのある視線を日色に向けると、


「ふふふ、陛下が世話になったみたいねぇ~。あ・り・が・と」


 最後にウインクを飛ばして同じように店から出て行った。


「……何なのですか一体?」


 ニッキは状況についていけず首を傾ける。


「さあな、奇妙な女に依頼を受けただけだ」

「……依頼ですか」


 それからニッキには一週間後のことを教えておいた。

 戦争になる可能性が高いと言うことも含めて、その時になれば暴れるかもしれないということを教えると、何故か「腕が鳴りますぞ!」といってやる気を出していた。


(しかし、本当に魔王だったとはな……どう見ても普通の女なんだが)


 その時は思いもしなかった。まさか一週間後が、あれほど大事になるとは、本当に想像だにしていなかった。







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