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80:隔離された世界で

「戦争……ですと?」


 イヴェアムは今先程、ヴィクトリアス王であるルドルフから聞こえてきた言葉を聞き返していた。望むなら自分の聞き間違いであってほしいと思っていたのである。


「そうだ、戦争だ」


 だが期待はあっさりと裏切られ、どうやら彼にはこの会談を成功させる気は無いようだった。


「い、一体何故! 我々が手を組めば避けられる争いを、何故進んで勃発させようとするのですか!」


 するとルドルフは少し険しい表情を浮かべてイヴェアムを見つめてくる。


「ワシはお主を……『魔人族』を滅ぼすために様々なものを犠牲にした。兵士、民、そして娘だ」


 娘という言葉にジュドムはピクリと眉を動かす。


「そこにいる我が友ジュドムは言った。犠牲にした娘たちのためにも和平を望むべきだと。それが死んでいった娘たちが一番喜ぶことだと」


 つーっと彼の目から一滴の涙が流れる。


「だがそれは違う。一人目の娘ミーティはまだ幼いながらも、自分の考えを持つ賢い子だった。二人目のアセリアもとても心が強い子だった。そして、まだ死んではいないが、生ける屍のような存在と化してしまった三人目のファラも心根の優しい子だった。そんな彼女たちは死ぬ前にこう言った。『必ず魔人族を倒して下さい』と」


 ルドルフはその視線をゆっくりイヴェアムと合わせる。


「娘たちが、そしてお前たちに殺された者たちが望むのは同盟などではない! この【イデア】から災いの種を排除することだ! お前たち『魔人族』を根絶やしにしてなぁっ!」


 それはもう明らかな宣戦布告だった。

 そしてそれと同時に、明確に、この瞬間、『人間族』と『魔人族』との間で繋がっていた平和への糸が、プツンと音を立てて切れたのだった。


 ――バキィィィィィッ!


 一瞬の静けさが支配する中、突然円卓が破壊された。

 魔王側はイヴェアムを守ろうとアクウィナスたちが彼女の前に躍り出て、人間側も同じようにルドルフを守ろうと兵士たちが前に出る。

 各国の代表や重鎮たちが、揃ってその破壊の原因である一人の人物に視線をぶつけた。


「ふざけんじゃねえぞぉルドルフゥゥゥゥッ!」


 それは【ヴィクトリアス】のギルドマスターであるジュドム・ランカースだった。彼は拳を円卓に突き出していたのだ。その丸太のように太い剛腕がプルプルと怒りで震えている。


「ジュドム、お前が何を言ったところで……もう事態は決した」

「黙れルドルフ! 何で……何でここまで愚かなんだよてめえはよ!」

「貴様ぁ! たかがギルドマスターが、国王に何と言う口の」

「てめえは引っ込んでろ腰巾着がぁっ!」


 凄まじい覇気が大臣デニスとその周りにいる兵士に降り注ぐ。


「ひぃっ!」


 デニスは情けないことに腰を抜かし尻餅をつく。兵士はさすがにデニスのようなことにはなっていないが、ほとんどの者がその空気に飲まれているのか冷や汗で身体を濡らし動けずにいる。


(す、凄い!? これが一線を退いた者の出す威圧感か?)


 イヴェアムも彼の体から放出されている覇気に、並々ならぬものを感じゴクリと息を飲む。


「さすがはジュドム・ランカースだ。この圧……我々の領域まで来るか……」


 アクウィナスはかつて自分と死闘を演じたジュドムの劣らぬ成長ぶりにほんの微かに頬を緩めた。


「むぅ……これが元SSSランカーの《衝撃王》と呼ばれた男か」


 マリオネも彼の評価は高いようだった。

 そしてキリアもまた彼をジッと見つめて何かを思案しているような表情だ。


「おいルドルフ、てめえがしてることの意味をホントに理解してんのか?」

「……正気を失っているように見えるか?」

「ああ見えるな。少なくとも、若い頃のてめえなら、こんなバカなことはしなかった!」

「なら成長したのだ」

「笑わせるな! それは堕落だ!」

「き、貴様ぁ! 一度ならず二度までも」

「王を支えることもできねえ臣下は口を出すな!」

「ひぃ!」


 またもデニスを睨みつけて威嚇をする。


「てめえらもてめえらだ! 臣下ってのはな、ただ王の命をこなすだけが臣下じゃねえんだよ。ホントの臣下ってのはな、王を正しい道へと導いてやるもんなんだ!」


 イヴェアムは彼の言葉を聞いて感動するように言葉を失って見つめている。


「王が道を踏み外しそうになったら、たとえ命を失う覚悟をしてでも進言するのがホントの臣下なんだよ! 王は絶対じゃねえ! 国だって絶対じゃねえ!」


 するとアクウィナスがイヴェアムに耳打ちするように言う。


「よく見ておけ。あれが王の資質を持つ者の姿だ」


 イヴェアムは小さく頷くと再び食い入るようにジュドムを見つめる。


「絶対なんかありゃしねえんだ! だからこそ、王が最善の選択をできるように周りの者が支えなきゃなんねえんだよ! 絶対に近づけるように、間違いを少しでも減らせるように、その姿勢が良い国を作る一歩になるんだよ!」


 誰もがジュドムを黙って見ているが、ルドルフだけは目を閉じて動きを止めている。


「王だって人だ。間違うことだってある。だが絶対にしちゃなんねえのは、人の生き死にがかかった選択を間違うことだ! 何故それが分からんルドルフ! てめえの決断で多くの同胞がまた死ぬことになるんだぞ!」


 ジュドムの言葉が終わったと判断したルドルフは、静かに目を開けて彼を見つめる。


「ワシは王であり、夫であり、父でもある。娘の命……ワシが本当に望んで手放したと思っておるのかジュドム」


 またも涙を流す。


「なるほど、お前なら心を殺して国のために家族の思いを裏切ることができるだろう」

「違う! そうじゃねえルドルフ!」

「だが、ワシは父親だ。娘の命を奪う原因となった『魔人族』と共に暮らす。それが平和……そんなものは許容できん。それは家族を殺された皆にも言えることだ!」

「それは当然の気持ちだ! だが誰かが耐えなければ、世界はもっと酷くなるんだぞ!」

「もう遅いジュドム。選択は決した。これは………………復讐なのだよ」


 ルドルフのハッキリとした言葉にハッとなり、悔し気にジュドムは歯を噛み締めて睨みつける。

 そしてルドルフに対し、ジュドムは怒りに満ちた視線を向けつつ明言した。


「てめえに――――――王の資格はねえ」

「だろうな、だがお前だって事が終われば理解するはずだ。『魔人族』が滅んで良かったと……な。それが結局は皆のためになる」


 ジュドムはカツカツとルドルフの元へ歩いて行く。だがもちろん兵士たちが立ち塞がる。

 しかし、だ。


「そこをどけ、ヒヨッコどもがっ!」


 手を振り下ろすと、その風圧だけで身構えている兵士を吹き飛ばした。魔王側も、その風圧に吹き飛ばされないようにしっかりと足を踏ん張っている。

 ルドルフも壁際まで吹き飛ばされていたが、表情は先程と全く変化してはいない。


「ふっ、さすがは《衝撃王》だな。我が精鋭が盾にもならんとは」

「ルドルフゥ……歯ぁ食いしばれ」


 ――バキィィッ!


「がふっ!」


 フックのような殴り方でルドルフは顔面を殴打され、吹き飛んでいき、壁に激突する。彼の口からは血が流れているが、それでも恐怖を感じた様子は無かった。倒れたまま彼は言葉を出す。


「……何をしたところでもうすべては動き出している。誰にも止められんよ」


 口元の血を拭いながら言うルドルフに、デニスや兵士たちが駆け寄ってきて守るように固める。そんな彼らを見てからジュドムは言う。


「……おいポートニス」

「何かしらジュドム」


 ジュドムは神官長のポートニスに言葉をかける。


「この部屋からは二十四時間経たなきゃ出られないんだったよな? 他に方法は無えか?」


 本来ならポートニスが持っていた杖の先端に嵌まっていた宝玉である《勇者の遺物》があれば、自由に外に出られるのだが、それを壊されたため、次に出られるのが二十四時間後の結界が弱くなった時期だけなのだ。


「そうね……他に《勇者の遺物》があればいいのだけれど」

「……今は持ってねえな」


 ジュドムは魔王側にも視線を送るが、彼らの反応を見て持ってないことを知る。ルドルフ側も持ってはいないだろう。

 もし使えば結界が消えてしまい、その隙に誰もが行き来できるので、所持しておくメリットは無いのだ。


 彼らにしてみればここで二十四時間イヴェアムたちを閉じ込めることに意味があるのだ。

 そしてイヴェアムが彼らを殺そうとしないことも踏んでいた。そうすればイヴェアムの理念が崩れるからだ。だからこの中は、危険な場所でもあり安全な場所でもあるのだ。


「他に方法は?」

「そうね…………外からの情報も全く遮断されてしまうから、今外で何が起こっているかも把握できないわ。同じように外の者が、中の異常に気付くこともできないの」

「くそ……」

「けど」

「何だ、何かあるのか?」

「ええ、もし、もしだけど、この異常事態に気がついて、誰かが外から《勇者の遺物》で結界を開けてくれればあるいは……」

「……厳しいな。この中の状況が分からないんじゃ、誰も手を出してくれねえし」


 ジュドムはもどかしさを表情に見せながら言葉を吐く。


「だから言ったであろう? 何をしても無駄だ。この《聖域の間》を調べ上げて、ここならこの状況を完璧に作り出せると判断して会談場所に選んだのだ。不備は無い」

「くっ……答えろルドルフ、てめえ、今勇者どもはどこにいる?」

「…………見当がついているのではないか?」


 笑みを浮かべながらルドルフは尋ねる。


「国境ではないのか?」


 そう答えたのはイヴェアムだった。

 彼女は勇者の姿をその目で確認している。だがルドルフは鼻で笑う。


「フフフフフ…………大いに的外れだな魔王」

「何?」

「教えてやろう。今我が最高戦力は……【魔国・ハーオス】にいる」

「なっ!?」


 それは魔王側の誰もの表情を揺るがす一言だった。


「フフフ、さらに驚くべき事実を教えてやろう。勇者だけではない、今【魔国】には多くの『獣人族』もいるはずだ。【獣王国・パシオン】の国軍がな」

「何だとっ!?」

「馬鹿なっ! 不可能だ! 橋は壊されて通行ができぬ!」


 そう叫んだのはマリオネだった。彼の言う通り、『魔人族』と『獣人族』との唯一の繋がりであった橋をイヴェアムは破壊した。だから彼らが軍隊を引き連れて魔界へ渡れるはずがないのだ。


「フフフフフ―――――――――――同盟だ」

「……! まさかルドルフてめえ」

「ああ、我々『人間族』は『獣人族』と同盟を結んだ」


 その言葉は頭にハンマーをぶつけられたかのような衝撃を魔王側に与えた。


「そ、それでは……」


 イヴェアムは声を震わせながら呟くように言葉を漏らす。


「そうだ、今頃魔界では戦争中だ」



     ※



「はあぁぁぁぁっ!」


 ルドルフから伝えられた母国の危機感を察知した直後、イヴェアムが包まれている結界を突き破ろうと何度も何度も素手で攻撃を加え始めた。しかし結界はビクともしない。


「無謀だな。勇者の命を宿した結界が、素手で敗れるわけがない」


 ルドルフの言葉を無視するようにイヴェアムは拳を突き出している。


「はあはあはあはあはあ……どうだアクウィナス?」

「……これは《封魔結界》に加えて打撃を吸収する効果も含まれているようだ。元々武器の持ち運びが禁じられているこの場所では、理論的に言って力づくの脱出は不可能に近い」


 アクウィナスは結界に触れながら厳しい顔つきで説明している。


「どいてろアクウィナス」


 ジュドムは目を閉じて右拳に全神経を集中させていく。


(ちぃ、魔力が練れない。これじゃ威力がガタ落ちだ)


 それでも力強く踏み込んで拳を突き出す。


 ――パシュンッ!


 まるで衝撃を吸収するかのように何事も起らなかった。


「くっ!」

「ジュドム殿でも無理なのか……」


 イヴェアムが悲痛の表情で結界を見つめる。


「このままでは『魔人族』たちが……」


 彼女の懸念は【魔国・ハーオス】のことだろう。今戦争をしていると聞かされ居ても立っても居られなくなっているに違いない。

 ジュドムだってそうだ。まさかルドルフがこの機に戦争を仕掛けるとは考えたくはなかった。しかし親友である彼は、散々行ってきた自分の進言を無視し、結局は血で血を洗う選択をしてしまったことに嘆く。


「許されん! 陛下、とりあえず奴らの始末を命じて頂きたい!」


 マリオネがルドルフたちを殺意を込めた視線を向ける。しかしイヴェアムは首を振る。


「駄目だ」

「陛下!」

「今この場ではほとんどの暴力行為は弱体化している。マリオネ、お前の特性は魔法、物理攻撃ではないはず。そんなマリオネがあの五人の兵士とまともに戦って無傷でいられる?」

「…………」

「ここから脱出できた時、一刻も早く国に戻る必要がある。その時にお前が傷ついて動けなくなっていたらどうする?」

「し、しかし……」

「今はここから出ることが先決。無駄な体力は使うな」

「……御意」


 仕方無くといった様子だが、彼女の言うことが正しいので大人しく従うことにしたらしい。

 それを見ていたジュドムは、


(ほう、まだまだ青いが、大切なことは分かっている。この娘はきっと良い王になる)


 考えも甘ければ行動も問題がある。しかしそれでも大切なものを失わず軸としている彼女は、必ず将来伸びると思い感嘆の思いを巡らす。


(俺の攻撃でも歯が立たねえか……なら後はアイツの働きに賭けるしかねえか)


 そう思い拳を強く握りしめた。



     ※



「……う……」


 ひんやりとした感覚を頬に感じ目を醒ましたのは、勇者の不審な行動を追っていた時、ローブの人物に殺されたと思っていたナザー・スクライド、いや、《魔王直属護衛隊》の《序列三位》であるテッケイルだった。


「ぐ……はは……どうやらここはあの世じゃないようッスね」


 手足を拘束されながらも、ハッキリとした生の実感を感じる。自分は間違いなく殺されたのだと思っていたが、どうやらまだ命はあるようで少しホッとしていた。

 仰向けに寝返りをうつと、ここが一体どこなのかを判断するために周囲を見回した。見たところ洞窟のような場所だと判断できた。

 上空にある鍾乳洞で勝手に決めつけただけなのだが、恐らく間違いないだろうと思った。


(けど、何で自分は殺されてないんスかね……)


 今は周りに人の気配がしない。

 上半身を起こし、そのまま身体を捻ってもう一度周囲を確認する。

 するとかなり先の方だが光が見える。近くに出口らしきものがあるようだ。

 ここで大人しくしているわけにはいかないので、とりあえずは出口を目指すことにする。一度寝転び、反動をつけて今度は上手く立ち上がる。そして手足の拘束具を見つめる。


「む~、この拘束具……魔具の一種ッスかね? ビクともしないッス」


 力一杯拘束具を引き千切ろうとしてみるがウンともスンとも言わない。魔法の力を宿した道具である魔具。効果は様々だが、この手錠のような魔具は、相手の身体能力を制限するだけのもののようだ。


「ん~、どうやら愛用のペンは取り上げられたようッスね」


 テッケイルはそのペンで絵を描き、それを具現化させることのできる魔法を持つユニーク魔法使いだった。しかしそれは描くものが無いと効果は発揮しない。


「やっぱ、あの時見たものは間違いじゃなかったんスね……まさかあの人が……」


 それなら自分の能力のことを知っていても不思議では無いし、こうしてペンを取り上げておけば、魔法が使えないと判断したことも頷ける。

 だがテッケイルはクスッと笑みを溢すと、「けど失敗したッスね」と言って、ガリッと何かを噛み千切った。


 ポタポタポタポタ……。


 地面に液体が滴り落ちていく。それはよく見ると、テッケイルの口元から流れ出ている血だった。

 テッケイルは歯で唇を噛み切ったのである。


「ペンが無くても、描くものはあるッスよ」


 舌をペロッと出すと、大きな岩に舌をつけて血を利用し何かを描いていく。


(う~ザラザラしてて気持ち悪いッスけど、この際ガマンッスね)


 それは鳥の絵だった。描き終えるとその絵が浮き出てきて、本物の鳥のように空を舞い始める。そしてテッケイルの肩に降り立つ。


「いいッスか? 今オイラが持ってる情報を何とかしてある人に伝えてほしいッス」

「チチチ?」

「本来なら直接陛下に知らせたいんスけど、今は陛下の周囲が一番危険ッス。それにある人は、今陛下とともにいるはずッスから。情報を必ず活かしてくれるはずッス」

「チチチ」


 コクコクと素早く頭を動かしている。


「オイラも隙を見て、脱出できれば向かうッス」


 するとゾッとした寒気が背中に走る。空気が何倍にも重くなっていく。


「マ、マズイッス! どうやら帰って来たようッス。ほら、あの上から飛んで行くッスよ!」


 そうして顎を上空に向けてクイッと動かす。そこには小さな光が射してある部分があった。とても人が通れるほどの大きさではないが、この小さな鳥ならば問題無く通過できるはずだ。

 テッケイルが促すと、鳥は「チチチ」と鳴いてその穴へと向かって行った。


「頼むッスよ。今頼れるのはあの人だけッスから……」


 テッケイルは、かなり先にある先程見た出口かもしれない光を見つめる。そしてカツカツカツカツと洞窟内に足音が響き渡る。

 テッケイルは先程まで自分が寝ていた場所まで戻り、また横になる。相手の思惑がハッキリしない以上、このまましばらく様子を見ることにしたのだ。

 もしかしたらいろいろ情報を得ることができるかもしれない。無論殺される可能性も高いが、幸い今持っている情報は届けることができたと思う。

 それに相手の油断を誘い、反撃するためにも、このまま気絶したフリをしている方が何かと都合が良い。


(とにかく、今できることをするだけッス)



     ※



「くっ……やはり駄目か」


 悔しさで歯を食いしばりながら、イヴェアムは結界に触れている。あれからかなりの時間をかけて、考えられる術を試してみたが、結界はビクともしない。


「ええい! やはり陛下、先にこの忌々しい『人間族』を始末するべきですぞ!」

「ならん!」


 マリオネの言葉に断じて肯定の意を返さない。


「しかし、奴らは我々を裏切ったのですぞ!」

「先程も言っただろ? 外に出た時のことを考えろと」

「む……ですが」

「今はこの結界を何とかし、一刻も早く【ハーオス】に帰り、戦争を止めなければならないんだ! 無駄な体力を使うことを禁じる!」

「く……」


 マリオネも渋々身を引いた。


「ジュドム殿も、あのように体力を温存するかのように瞑想している。マリオネも、今後のためにも体力を温存するんだ。この結界は私が何とかする!」


 だがその方法は思いつかないのだが、それでも諦めずに思考を巡らせる。

 すると《オルディネ大神殿》の神官長であるポートニスは、ゆっくりと視線をヴィクトリアス王であるルドルフへと向ける。


「ヴィクトリアス王、あなたは同志である我々をも謀り、あまつさえこの聖地である【オルディネ】を汚すような行為を平然とし、何とも思われないのですか?」


 彼女もルドルフに裏切られた一人だった。

 世界平和のために開かれる会談、それを是非、平和の象徴ともいえる聖地で開きたいとの申し出があり、彼女は是非も無いと喜んでいた。

 それなのに、彼は聖地を利用して戦争をしかけるような行動を起こしたのだから、その悲しみはひとしおだろう。


「あなたが行ったことは、平和への冒涜以外のなにものでもありません! 恥を知りなさい!」


 完全に憤慨している彼女だが、ルドルフは平然とした姿で答える。


「神官長、君もそのうち理解できる。全てが終われば、これが真の平和だと感じることができる」

「『人間族』以外全てを滅ぼしてですか!」

「それが平和への一番の近道なのだよ」

「…………ジュドムも言っておりましたが、やはりあなたに王の資格はありません!」


 彼女の言葉に軽く鼻息を出すと、


「魔王よ」


 イヴェアムに声を掛けた。


「……何だ?」


 もう敬語は使わない。それに値する人物ではないと判断したからだ。


「ワシは先程問うた。貴公は大切な者を失ったことがあるかと」

「……」

「二十四時間後、貴公の国では多くの死者が出ていることだろう。貴公の言う、大切な家族の死者がウジャウジャとのう」

「くっ!」

「貴公は復讐は意味を成さないとも言った。ここから出て、それでも同じ言葉を吐けるか? 『人間族』や『獣人族』に家族を滅ぼされ、それでも憎しみからは何も生まれはしないと、聖人のような言葉を吐き続けられるか?」


 イヴェアムは鋭い視線で彼を睨みつけるが、彼もまた同様に睨んでくる。


「…………私はそれでも、平和を諦めたりはしない!」

「…………詭弁だな。強がりもそこまでいくと一種の才能だ。なら現実を見た時、その時、もう一度聞くとしよう。よく考えるがよい。時間はたっぷりとある、たっぷりとな」


 そう言って椅子に深々と腰かける。

 イヴェアムはそれ以上ルドルフに対して言葉を放っても無駄だと判断し、今度はアクウィナスに顔を向ける。


「国の防衛で、どれくらい保つ?」

「そうだな、こんなこともあろうかと、一応オーノウスには国へと戻ってもらった。今彼は国を守るために奮闘しているだろう。あくまでも、奴の言う言葉が真実なら……だがな」


 理由は分からないが、ルドルフが嘘を言っている可能性だって少なからずあるのだ。


「そ、そうか! さすがはアクウィナスだ!」

「しかし、それでも勇者四人に『獣人族』の国軍。二つの国の最高戦力が相手だ。オーノウス一人では厳しいだろうな」

「一人ではない」

「ん? どういうことだ?」

「我が国には多くの同胞たちがいる。皆優秀な者たちだ」

「……そうだな」

「それに一人……」

「ん?」

「とても強い者と取引も……」


 イヴェアムが言葉を発している途中、部屋を包んでいる結界がグラグラと揺れた。


「な、何だ!?」


 イヴェアムは身構え、周囲を見回す。


「地震……でしょうか?」


 側近のキリアが眉をひそめながら言葉を出す。

 ルドルフたちも、この現象を把握できていなかったのか、驚きようは皆と同じだ。

 だがその時、今まで瞑想していたジュドム一人だけが、ゆっくりと立ち上がり小さな声で確かにこう呟く。


「ようやく……来てくれたか」


 




 【聖地オルディネ】に存在する《オルディネ大神殿》。さらにその大神殿の中にある《聖域の間》。そこは勇者の力が最も強く残っている場所である。

 そこには半径二十メートルほどの範囲で結界が張られてあり、その中は武器を持ち込むことすらできない。いや、武器を携帯したままでは中に入ることができない。

 そしてその中では魔法、つまり魔力を使用することもできないのだ。


 これが勇者の最後の力が顕現した《聖域》であり、最高の結界と呼ばれている部屋だった。そこに入ることができるのも、合計十三人と決まっており、中に入った者は、簡単には外に出ることができない。

 出る方法としては、《勇者の遺物》と呼ばれる、この結界を張った勇者の持ち物を持った者がいれば、結界を弱めることができ、自由に出入りすることが可能になる。


 そしてもう一つは、最初の者が入ったその時から二十四時間経つのを待つこと。二十四時間後、結界がほんの少しの間だが緩むのである。その隙を狙い外に出ることがもう一つの方法だ。

 この結界はとても強力であり、二十四時間経った後しか結界が歪むことなどないはずなのだが、今ジュドムたちがいる《聖域》の結界が、時間を待たずにグラグラと揺れたのだから皆の驚きは大きいものだった。


 魔力感知に長けた者であるならば、その結界を構成している魔力が弱まっていくことを確認できているはずだ。


「こ、これは一体……?」


 イヴェアムの感知能力は、この場において誰よりも優れている。

 だからこそ、一早く結界に異常が起こっていることを理解した。


「安心しな魔王ちゃん」

「ジュ、ジュドム殿?」


 ジュドムの顔は驚きや焦燥感は全く見られなかった。それどころか、待ちに待っていたと言わんばかりの笑みを浮かべて部屋の入口を見つめていた。


「ジュドム、あなたまさか?」


 神官長のポートニスも、その美しい顔を戸惑いに歪め言葉を出している。


「ああ、こんなこともあろうかと、きっちり保険はかけといた」


 その言葉を聞いて黙っていられないのは、この状況を作り出したルドルフだ。


「どういうことだジュドム? この揺れは一体何だ?」

「ルドルフ、そうそうてめえの思い通りには事は運べねえってことだ」

「何だと?」

「俺が会談が行われる日まで何もしねえでジッとしていたと思うのか?」


 すると彼らがこの部屋へ入って来たドアがギィ……っという音を立てて開いていく。

 当然ルドルフを筆頭に、誰もが唖然とするが、


「ジュドム様ぁ!」


 そのドアの先から、冒険者らしい格好をしている者たちが叫ぶ。

 それを見たジュドムはニヤッと笑うと、


「今だ魔王ちゃん、急げ!」

「え、あ……分かった! お前たち!」


 近くに控えているアクウィナスたちにも声をかけるとそれぞれが頷きを返してドアへと急ぐ。

 驚きで固まっているルドルフたちを尻目に、次々と部屋から出ていこうとしている。


「キリア! 何をしている! 早く行くぞ!」

「……はい」


 何故かその場を動かなかったキリアを見て、イヴェアムは急かすように声を張る。

 キリアは驚きを露わにしているルドルフを一瞥すると返事をし、イヴェアムの後を追うように向かった。


「よし、ポートニス、お前も行け」

「分かったわ」


 彼女は杖を拾い上げてドアへと向かった。彼女を見送った後、驚愕に顔を歪めているルドルフに、ジュドムが視線を向ける。


「やってくれたなジュドム」


 だが先に言葉を発したのはルドルフの方だった。


「はん、俺だってお前を信じていたかったさ。けどな、最近のお前のやり口を俺が知らねえとでも思ってったのか? 情報収集なら俺もそれなりに自信あるんだよ。この場所を会談に選んだのを知った時から、一応部下に《勇者の遺物》を探させておいた」

「……だが何故この中の状況が外の者に渡ったのだ?」

「……その答えは外に出てから答えてやるよ。それともてめえらは命欲しさにここにいるか? まあここに居れば安全だからな」


 そう言ってジュドムはドアへと向かって行く。


「……こ、国王様! ど、どどどうなさるおつもりで?」


 そう聞いた大臣デニスだけでなく、兵士たちにも明らかに動揺が見られる。


「……こうなった以上、シナリオは変更されたということだ」

「で、では……」

「ああ、あの者もまだ動く様子は無いようだし、我々も外へと向かうとしよう」

「し、しかし……」


 デニスの不安は尤もだ。ここにいれば安全は保障されていたようなものだった。

 しかし、一度外に出れば、確実に『魔人族』から攻撃を受けるだろうことは想像できる。


「嫌ならお前はここに残ればよい。お主らもな」


 五人の隊長たちの方にも視線を送る。


「他の兵士たちには、このことを黙っていたことが裏目に出るとはな」


 この会談でイヴェアムたちを閉じ込めるという話は、ここにいるデニスと隊長五人にしかルドルフは話していなかった。

 あまり情報が漏れないようにしたためなのだが、もし知らせて厳重に警備しておけばジュドムの派遣した冒険者をここに通すことはしなかったろう。

 だからこそ後悔していた。しかし事が起きてしまった以上、ここにいても何も変わらない。事の成り行きを見守る必要があるのだ。


「ワシは行く。このシナリオの先を……そして結果を見るためにもな」


 ツカツカとゆっくりした足取りで外へと向かうルドルフを見たデニスたちは、


「お、おいていかないで下されぇ!」


 どうやらその場に残る者は誰一人いないようだ。







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