78:戦争勃発
『人間族』と『魔人族』の大陸を繋ぐ橋、その名も【ムーティヒの橋】。
普段そこには『魔人族』が待機しており、『人間族』が橋を渡ったり、壊そうとしてもできない状況にあった。
そして今、会談が行われている最中、橋の防衛には《魔王直属護衛隊》の《序列五位》のシュブラーズと、《序列六位》のグレイアルド、それに加えてイーラオーラの3人が配置されていた。
イーラオーラという人物は、元《魔王直属護衛隊》であり、その実力を請われて常に橋の防衛を任されているのだ。
「は~あ、今頃会談か~、なあ姐さん、ダルくね?」
浅黒い肌を宿した青年グレイアルドは、めんどくさそうに橋の上で寝っころがりながら空を見ている。
声を掛けられたシュブラーズは、その魅惑溢れる胸を大げさに揺らしながらカツカツと彼の方へ歩き出す。
「もう、少しは真面目にしたらどうなのぉ?」
彼を見下ろす形で言うことの聞かない子供を窘めるように注意するが、当の本人はニヤッと笑う。
「おお~、この眺め良いなぁ。姐さん、できればその場で上半身だけを揺らしてぶっ!」
シュブラーズに顔を踏まれてグレイアルドは沈黙する。
「ま~ったく、まだまだ子供のくせに、大人に興味を持つのはまだ早いわよぉ」
「俺はこう見えても百歳越えてるっちゅうの!」
涙目で顔を擦りながら怒鳴るが、シュブラーズは相手にせず周囲にいる『人間族』を見つめる。
そしてその視線は四人の勇者に向く。
(ふ~ん、あれが勇者なのねぇ。あら、一人良い男がいるじゃない!)
妖艶そうに微笑みながら、誘惑するように青山大志に向かってウィンクをする。しかし彼は無反応。その場にジッと立ってこちらを見つめている。
(……つまんない男ねぇ。まるで人形みたぁい)
そう思っていると、そこにイーラオーラが近くまでやって来る。
「あらイーラオーラ、あなたは橋の中央にいるんじゃなかったのぉ?」
「そうだよ、ここは俺らに任せてお前はさっさと中央に戻りな。いちいちダルいこと言わせんな」
グレイアルドの物言いに、イーラオーラは不愉快そうに睨みつける。
「ああ? 何だよその目は?」
しばらく睨み合っていた両者だが、イーラオーラの方が先に視線を外す。
そんなイーラオーラの態度に業を煮やしたのか、グレイアルドは舌打ちをする。
「ふん、《クルーエル落ち》なんだし大人しくしてろっての、ああダリぃ」
グレイアルドは、居心地が悪くなったと言って背中を向けてどこかに行こうとする。
それを感情の見えない瞳でジッと見つめている巨体のイーラオーラ。
シュブラーズはそんな二人をやれやれといった様子で肩を竦めている。
そしてグレイアルドがその場を離れようとした瞬間、彼は足を止めた。いや、止めざるを得なかった。何故なら、自分の胸に激烈な痛みが走っているからだ。口から無意識に吐き出される血液。
ギギギと小刻みに頭を動かしながら胸元を確認する。
するとそこには――――――大きな槍が生えていた。
「がはっ!」
盛大に血を吐きながらも、皮肉にも槍に支えられ膝を屈することができない。
一体何が起こったのか分からない様子で、苦痛に顔を歪めながら背後を確認する。その視線の先にあったのは、楽しそうに口角を上げたイーラオーラであった。
「よぉ坊や、《クルーエル落ち》の下剋上はどんな気持ちだ?」
「て……めぇ……」
ブシュッっと槍を引っこ抜かれて、ようやく地面に膝をつける。
「グレイアルド!」
無論その光景を見たシュブラーズは驚愕の声を上げる。
それもそのはずだ、彼らは仲は悪いが同志なのだ。
まさかイーラオーラがグレイアルドを殺そうとするなんて思ってもいなかった。
グレイアルドは、完全に無防備だったためか、急所を貫かれて虫の息だ。今はもう地面に倒れて微かに肩が上下しているだけだ。
「ダハハハハハハ! 《クルーエル・序列六位》グレイアルドここに散る! いい様だなオイ! ダハハハハハ!」
「イーラオーラ! アンタ何をしてるのか分かってるの! これは同族殺し! 最低の規律違反よ!」
うるさそうに顔をしかめるイーラオーラは、彼女を見て笑う。
「何を言ってる? てめえらはここで死ぬ。それがシナリオなんだぞ?」
「シナリオ……? 何を言って……」
「オラァ! シナリオ通り動けてめえらぁ!」
イーラオーラの叫びを皮切り、『人間族』の兵士たちが一斉に動き始め、『魔人族』に刃を向いていく。
ただイーラオーラの部下だけには手を出さない。イーラオーラの部下も同族である『魔人族』に反旗を翻している。
「ちょっと……一体何……?」
自分の部下やグレイアルドの部下が攻められている光景を、挙動不審者のようにキョロキョロと見回していることから、明らかに動揺しているのが分かる。
「ダハハ、後はてめえだけだなシュブラーズ?」
「くっ! アンタ、まさか裏切るつもりかしら?」
「裏切る? それは誰を指して言ってるんだ?」
「え?」
「俺が忠誠を誓ってるのはただ一人。それは魔王イヴェアムじゃねえ」
「なっ!」
「それにいつまでも俺がてめえらより下だと思うなよ?」
そう言うと、身体から夥しいほどの魔力を放出させる。
空気を震わせるほどの殺気とともに、自分たちよりも遥かに強い力が伝わってくる。そしてイーラオーラの身体が、次第に溶岩のように熱を含んでそうな真っ赤に色に染められていく。
「イーラオーラ……アンタ……いつの間にそんな力……」
「ふん、あの方が下さった力だ! まだ使いこなせちゃいねえが、それでもてめえらの三、四倍は強えんじゃねえか? ダハハハハ!」
イーラオーラの変わり様に圧倒されてしまい、ゴクリと息を飲むシュブラーズ。
「お逃げ下さいシュブラーズ様!」
「あなたたち!」
部下たちがシュブラーズの前に立つ。その体は恐怖で震えながらも、必死にシュブラーズを守ろうとしている。
「ダハハ、泣かせるねぇ。だが……」
イーラオーラが手に持った槍を勢いよく横薙ぎに振る。
空気を切るような音が耳に届いたかと思えば、
「……え?」
シュブラーズの目の前にあったのは、身体を斬られ絶命しているとハッキリ認識できる部下たちの変わり果てた姿だった。
「あ……あ……ああぁぁぁぁぁぁっ!」
シュブラーズは怒りに身を任せ、地面を蹴りつけ鋭い爪でイーラオーラに攻撃をしようと向かう。
――ブスッ!
素早い動きで瞬時に間を詰めて、その爪でイーラオーラの腹を貫いた…………はずだった。
「ん~、少しだけチクリとしたなぁ」
爪は確かに彼の皮膚を突き破っていたが、鍛えられて膨れ上がった筋肉に、画鋲を刺したほどの小さな傷しか生むことはできなかった。
イーラオーラは懐にいる彼女をギロリと睨みつける。
ゾクッと背中に寒気が走り、このままここにいれば死に繋がるとハッキリと認識できた。
――ブオォウッ!
まるで人間一人の身体のように膨れ上がった剛腕が空気を切り裂きながらシュブラーズめがけて飛んでくる。だが彼女は彼の威圧感と恐怖で硬直しているのか動けずにいた。
「死にな、《序列五位》!」
彼女は完全に潰れた、その光景を見ていたら誰しもがそう思う。
そして案の定、シュブラーズは吹き飛んでいた。
しかし不思議なことに身体に痛みは無かった。
何故か?
シュブラーズは自身を覆っている温かいものを感じた。
ドサッと地面に落ちる衝撃を受ける。その後、ようやく自分が誰かに助けてもらったことに気がついた。
「……グ、グレイアルド!?」
彼女をイーラオーラの攻撃から庇ったのはグレイアルドだった。しかし助けることができたのはいいのだが、イーラオーラの苛烈ともいうべき一撃をその身に受けてしまっていたのである。
ただでさえ胸を槍で貫かれているのに、その上、あんな攻撃を受けてしまえば文字通り一溜まりも無い。
見れば彼はもう全身血塗れだった。先程の一撃で体の骨は見事に粉砕されている。内臓も潰されているだろう。そして血も流し過ぎている。
「姐……さん……はあはあはあはあ……にげ……ろ……」
「グレイアルド!」
かなり吹き飛んだせいか、イーラオーラはゆっくり歩いて詰め寄ってくる。その一歩一歩が、まるで処刑台で処刑を待っている罪人のような気持ちにさせる。
「は……やく……このこと…………陛下……に……っ」
「でもアンタが!」
「この……ままじゃ……犬死にしち……まう……頼むよ……」
「……グレイアルド」
彼女の頬にツーっと涙が流れ、彼の頬に落ちる。
「はは……俺のために……泣いてくれる……とは……嬉しい……ねえ」
「……ばか」
「はは……いいか……姐さん……」
グググと身体を起こしながら、「がはっ!」と血を吐くが、それでも必死で体を起こす。本来なら痛みでショック死してもおかしくは無いのだろうが、逆に痛みで意識がハッキリしているのか。
〝姐さんは守る〟
段々と近づいてくる処刑人を睨みつけているグレイアルドから、そんな強い決意さえ感じた。
「行け! 俺たちの……命を無駄に……すんな!」
「グレイアルド……くっ!」
シュブラーズはその場に残りたい気持ちを飲み込んで、その場から立ち去って行った。
「ん? おやおや、そんな体でまだ立つか?」
「けっ、ダルいけど……女は……守る性質で……ね」
グレイアルドは強気に笑みを返すが、立っているのがやっとといったところだ。
「……放っておいても死にそうだが、てめえには俺の席を取られた恨みがあるからなぁ」
「はは……そんなダルいことに……まだ拘ってんの……か? ガキか……てめえ」
その言葉にイーラオーラの殺気は更に膨れ上がる。
「……姐さん、無事に逃げ切れたらいいけどな」
イーラオーラの拳が目の前に迫る。
「バイバイ………………姐さん」
グレイアルドは静かに目を閉じた。
――――ドガァァァァァァァァァァァァァァァァァン!
直後、彼が立っていた場所から、凄まじい爆発が起きて周囲を襲った。
「……っ!?」
シュブラーズは爆発の音を聞いて、一度振り返り下唇を噛むと、また走り出した。
(グレイアルド……)
あの爆発は間違いなくグレイアルドが起こしたものだと理解していた。そしてそれは、彼の死も決定させる事実を彼女は思い知らされた。
だが彼女は止まることはできない。死んでしまったグレイアルドや部下たちのためにも、自分が持っている情報を魔王イヴェアムに届けなければ死んでも死にきれない。
歯を噛み締め過ぎて口元から血がタラリと流れ出る。涙を流しながらも、彼女は一刻も早く目的地に着くべく全速力で向かっていた。
※
――魔力爆発。
それは『魔人族』が得意とする魔力コントロールによる現象である。本来魔力というものは、緻密にコントロールすれば、視認できるように具現化することも可能であり、それを球体化させたり刃物のように研ぎ澄ませたりすることができる。
そしてその魔力を高密度に圧縮させて、一気に解放させれば爆発を起こすこともできる。無論操作を誤れば自爆してしまう恐ろしい技術でもある。
今回グレイアルドが行ったのは、自身を媒介として、魔力を全て圧縮させる。そして瞬時に解放。
しかもその圧縮には自分の生命力も全て注ぎ込んであり、解放されて爆発を起こしたなら、それはもう甚大な爆発力を生む。
【ムーティヒの橋】周辺では、グレイアルドの自爆により、大きなクレーターが出来上がっていた。半径五十メートルはあろうかというものだ。
イーラオーラの一撃でグレイアルドが吹き飛ばされていなければ、間違いなく橋も粉々に吹き飛んでいただろう。
しかしその余波は凄まじく、橋もところどころにヒビが入っているし、周囲で戦っていた者たちは、ほとんど海に吹き飛ばされてしまった。
その中心にいたイーラオーラはというと……。
「痛ぅ……あのクソ野郎が、魔力爆発なんて起こしやがって」
無事だった。しかしさすがに無傷ではなかったようで、右手が付け根から無い。
それに全身が傷だらけで、立っているのもなかなかに辛そうではある。だがあの爆発の中で生きているだけでも彼の異常さが際立つだろう。
「イーラオーラ様! ご無事ですか!」
イーラオーラの部下らしき男がやって来た。
「ああ、他の連中はどうした?」
「ほぼ海へ。残っているのは我が隊だけであります!」
「ほほう、まあ予定とは少し違ったが一応任務完了か」
「逃げたシュブラーズはどう致しましょう!」
「放っておけ。奴が到着する頃にはもう全て終わってる。いや、始まってる……か?」
意味深にほくそ笑みながら言葉を漏らす。
「この体も一所で休ませる必要があるしな。てめえらは後処理をしておけ」
「はっ!」
部下は丁寧に臣下の礼をとるとその場を離れて行った。
「ちっ、ああは言ったが、この身体も治るのに時間かかりそうだな」
そして忌々しそうにクレーターの中心を見下ろす。
「あの世で悔しがれ、《クルーエル》が」
イーラオーラは唾を吐きかけて言うと、その場を離れる。
※
その頃、【魔国・ハーオス】では異常事態が起きていた。
突然鎧を身に纏った者たちが、国に押し入って来て、ところ構わず魔法を放ってきたのだ。そのため建物は傷つき、国民たちも突然の襲撃に戸惑いながらも、必死になって逃げ惑っていた。
国の防衛を任されている兵士たちは、無論彼らの撃退に赴いたが、あまりの数とその強さ、そして何より、
「な、何で奴らがここにっ!?」
「い、一体どうやってこれだけの数が!?」
兵士たちが驚くのも無理は無かった。自分たちの国を襲っているのは、明らかに統率された軍隊。しかもそれは『獣人族』だったのだから。
『魔人族』が獣人界と呼ぶ、獣人の大陸と、魔界とを繋ぐ橋は、魔王が破壊したせいで、彼らがこちらに渡る術を奪ったはずだった。確かに屈強な人物だとしたら、何とか海を渡って、ここまで辿り着くことは可能だろう。
しかしこれだけの数、ほぼ国軍全ての人物がこの場にいることは、ありえないはずだと『魔人族』たちは思っていた。一体どうやってここまで来れたのか分からず皆が混乱している。
ここ【ハーオス】は、幾つもの村や町が集結したような国になっており、規模が他の王国と比べても明らかに巨大である。
中央の魔王城を囲むようにして広がっている国は、大きく分けて西地区、南地区、東地区、北地区、中央地区がある。それぞれに、様々な種族の『魔人族』による街が作られているのだ。
そして今、西地区にある『羽根付き』と呼ばれる『魔人族』が集まっている場所では――。
「さあ、暴れるニャ」
黒豹を擬人化したような人物が、その鋭い目を光らせ、まるで獲物を見るようにして敵を定めていく。
獰猛そうに微笑むその表情は、見るものを恐怖させるほどの不気味さを宿していた。
「おいおいクロウチ、俺様の分は残しとけよ?」
黒豹のことをクロウチと呼ぶのは、【獣王国・パシオン】の第二王子であるレニオン・キングである。彼もその肉食獣ばりの笑みを浮かべてターゲットである『魔人族』を睨みつけている。
「了解ですニャ。それじゃ半分こってことでどうですかニャ?」
「いいや、7:3で俺様7だ」
「むぅ……レニオン様ずるいニャ。僕だって殺りたいニャ」
不機嫌そうに膨れる姿をしているが、それが普通の女性なら可愛いと評されるだろうが、クロウチがすると不気味さが増しただけだ。
「あ~あ~あ、分かった分かった。ならどっちがどんだけ殺すか、勝負といくか?」
「フニャ! それ乗ったニャ!」
すると二人は、唖然と見つめていた兵士たちに殺気をぶつける。
その殺気を受けた者たちは、無意識に身体を震わせ、格が違うと死を予感させたという。
一方東地区では大量のモンスターが暴れていた。
これはクロウチの仕業であり、以前に『魔人族』と戦争をした時、クロウチが自身の影の中から大量にモンスターを出現させたように、今回も手駒として強力なモンスターたちを使っているのだ。
そのモンスターたちは、一度死んでいるのもあってか、普段のモンスターと違い肌は腐蝕しまるでゾンビ化してはいたが、その強さは生前と遜色は無い。
それどころか痛みも感じないように作られているため相手をするには厄介極まりないのだ。
しかもその中にはランクSやランクSSが混じっていたりするので、魔力に長けた『魔人族』でもおいそれとは仕留めることができず苦戦している。それに相手は一匹などでは無く数えるのが鬱陶しくなるほどの数なのだ。
それに彼らはあまり魔法を使用して国に甚大な被害を出したくはないと思っているせいか、実力を出し切れないでいる。
しかしモンスターたちは容赦無く周囲のものを破壊していく。
そして一人、『魔人族』の子供が逃げ遅れていたのか、モンスターに襲われそうになっていた。
兵士たちは口々に「しまった!」などと叫んでいたが、子供との距離があり過ぎたため手が出せず、皆が諦めた瞬間のことだ。
――ドゴォォンッ!
突然モンスターの上空から何かが降ってきて、モンスターは背中に大打撃を受けさば折り状態になり悶絶している。
そしてその何かはモンスターの尻尾を掴むと、勢いよくぶん投げて飛ばした。
「いいかお前ら! 手は抜くな! 全力で排除しろ!」
それは《魔王直属護衛隊》の《序列四位》であるオーノウスだった。
兵士たちはそんな救世主の存在に、一様に顔を明るくして見せる。
「このままでは国が破壊される! 『魔人族』の誇りにかけて、全力で迎い撃て! 分かったかぁ!」
オーノウスの低い声が、気持ち良いほどに周囲に轟く。ビリビリと大気を震わせるようなその声を聞いて、皆の士気も上がった。
「うおォォォォォォォ!」
誰もが先程と違い、遠慮せずにモンスターに攻撃を加えていく。それを見たオーノウスはうむと頷き、子供に近づく。
「ここは危険だ。さっさと逃げるのだ」
「う、うん」
スタスタスタと小さな足取りでその場を離れていく。
オーノウスは建物の屋根にヒョイと跳び乗ると、周囲を見渡す。所々から煙や火が上がっている。轟音が鳴り響き、人々の悲鳴が途切れることが無い。その光景を見て歯を噛み締める。
「くっ……アクウィナスの懸念が当たっていたか。まさかこのような……なら会談は……」
友であるアクウィナスは、嫌な予感がするから自分に国へ戻ってくれと頼んだ。
これを予期していた友の先見には頭が下がる思いだが、これほどの戦力を『獣人族』がどうやって投入できたのか疑問で仕方が無かった。
「いや、今はその謎よりも一刻も早く事態を収拾せねば」
今主だった戦力は国を離れている。この場にいる者たちの中で、自分の動きが一番重要になると判断して、向うべき場所を見定める。
これは言ってみれば戦争である。
その戦争を指揮している指揮官が必ずいる。
指揮官を叩けば少なくとも相手の士気はかなり下がる。だが地区それぞれに指揮官がいるはずだ。一番厄介そうなのを止めなければならない。
そう思いその鋭い目で冷静に場を観察していく。
「…………あの者たちは!?」
目に映った光景に驚愕の表情を浮かべながらも、向かうべき場所を発見したことで目の奥が光った。そして瞬時にその場から移動した。
※
勇者四人は、今目の前で起こっている光景に息を飲んでいた。
逃げ惑う『魔人族』を『獣人族』の兵士が背後から剣でバッサリと斬り伏せる。
また泣いて叫ぶ女性に、笑いながらトドメを刺す者。獣人の腕力で頭を殴られ陥没する頭蓋。両腕を斬られて、それでも尚助かるために逃げる者を追いかけて首を落とす。
そのどれもに鮮血が舞っている。周囲はもう煙と血のニオイしかしない。そこかしこに生首が転がり、死体が重なっていく。その光景を見て勇者の一人である青山大志は無意識に呟いた。
「な……何だこれ……や、やり過ぎじゃないか?」
現実離れした光景に、引き攣った笑いを浮かべているが顔は真っ青である。
他の三人も同様の思いなのか、呆然と立ち尽くしていた。
特に皆本朱里においては、口元に手をやり吐き気をジッと我慢している。
「何をしているんです! 早く奴らを!」
そんなことを叫び、勇者を奮い立たせようとするのは、何度か模擬戦闘訓練などで手合せしたことのある兵士だった。
とても子供に優しく、笑顔が眩しい好青年であると四人は同様の印象を受けていた。数日前、ともに国境を渡って来た仲間である。
だがそんな彼の鎧はもうすでに返り血で汚れており、何人もその手にかけたことは一目瞭然だった。
「え……だってこれ……死んでるん……だろ? あ、相手はモンスターじゃないんだぞ?」
胸に込み上げてくる気持ち悪さを飲み込んで、必死に言葉にする。
「当然です! これは戦争なのですよ! 勇者様がたはこの北地区をお任せします! いいですか、殺さなければ逆に殺されますよ!」
そう言うと、自分の持ち場に戻っていく兵士を、四人が唖然として見つめる。
すると『魔人族』であろう子供が、魔法の余波に巻き込まれて、こちらに飛ばされてくる。
全身はボロボロで、目や鼻からは大量に液体が流れ出ている。腕も変な方向に曲がっている。見た目は…………まだ五歳ほどの子供だった。それでも必死に逃げようと立ち上がる。
「お、おい大丈夫」
思わずそう言葉をかけて大志が手を差し伸べようとする――が。
――ブシュッ!
子供の胸から刃物が出現した。
いや、背後から剣で突かれたのだ。
そのあまりに現実離れした光景に、
「「「「ひぃっ!?」」」」
四人が四人とも悲痛の声を漏らす。
「い……やだ……いた……いよ……まだ……」
子供は胸から突き出ている剣を素手で握り、引っこ抜こうとするがビクともしない。その手は刃物を掴んでいるので血塗れだった。
「うるさい!」
――ブシュゥゥゥッ!
剣を勢いよく抜かれたあと、背後からさらに斬りかかれて子供はついに地に臥せた。だがさすがの『魔人族』の生命力なのか、まだ微かに息があり、震える手で何かを求めるようにこちらに顔を向けてくる。
「まだ……死にたく……ない……よ」
だがそんな子供の希望も虚しく、またも背中に剣を突き刺されて、今度こそ絶命した。
「う……うぶ……っ!?」
大志以外の三人が膝を折り、その場で吐いた。
大志もまた今の光景を見て、これが本当に現実なのか分からず、とてつもない息苦しさと戦いながら、ここに来る前の、国王との会話を思い出していた。
「『魔人族』が裏切る? それは本当ですか?」
「ああ」
大志の質問に答えたのはルドルフ王である。
今この場には勇者四人と国王しかいない。
国王が内密に話があるというので、こうして王の執務室にやって来たのだが、彼は会談で『魔人族』が裏切ると言ったのだ。
「せやったら同盟っちゅうのは嘘なん?」
赤森しのぶが眉をしかめながら聞く。
「そうだ。『魔人族』の大陸に隠密をおいて調べさせたが間違いない」
「そ、そんな……せっかく戦わずにすむってのに、『魔人族』は何考えてんのよ!」
憤りを露わにするのは鈴宮千佳だ。
「それでは会談を中止に?」
「いや、これほど怒りを覚えたのは初めてだ。あれほど和睦の意を向けていたのにも関わらず、結局はこちらを根絶やしにするための方便だった。これでは死んでいった者は浮かばれん」
悲痛な表情で言葉を絞り出すように言う彼を見て、皆も同情を催す。
「会談は中止にはせん。逆に会談を利用して奴らに目に物を見せてやろうと思っておる」
「ど、どないしはるんですか?」
「あちらが同盟を貶すのならば、こちらは同盟の力を見せつけてやれば良い」
「……まさか!」
しのぶが気づいたようにハッと息を飲む。
「『獣人族』と同盟を結ぶ。そしてその会談で、【魔国】を襲撃し二度とこんな馬鹿なことを企てられないようにするつもりである」
まさか『魔人族』ほどではないが、それでも相容れない種族と敵対視している『獣人族』と同盟を結ぶという発言には四人は正直に驚いていた。だがそうしてでも倒さなければならない相手なのだと大志たちは感じた。
「会談の数日前くらいから、お主たちにある任務を任せたい」
「任務……ですか?」
大志が怪訝そうに尋ねる。
ルドルフが言うには、数日前に第二軍隊隊長であるウェルと、その部下とともに『魔人族』の大陸へと向かって、そこで『獣人族』の国軍と合流し、ともに『魔国・ハーオス』を制圧してほしいとのことだった。
だがそこで一つ問題が出てきた。確か橋には『魔人族』が護衛していて、おいそれと渡ることができないと聞いていた。
そのことを話すと、ルドルフは問題無いと言った。何でもそこに待機している『魔人族』はイーラオーラといって、こちらの味方だというのだ。
そのイーラオーラも、魔王のやり方に反発しているようで、是非この機会に魔王を懲らしめてもらいたいと言っているそうだ。
そこまで根回し済みだったことには驚いたが、同族にまでそう思われる今の魔王は、やはり器ではないのだろうと大志は思った。良い魔王なら、皆がついていきたくなるはずだと単純に思っていたのだ。
橋を渡れば会談の日まで身を潜めておき、『獣人族』とともに会談当日に【ハーオス】に攻め入ってほしいとのことだった。
向こうも、主要な戦力が会談に集中している以上、勇者四人と『獣人族』の国軍相手に無駄な抵抗などせずに降伏するだろうとルドルフは言った。
その言葉を聞いて、大志たちはホッとしていた。確かに幾らなんでも、最高戦力を失った国が、『人間族』と『獣人族』の最高戦力相手に戦うわけないかと思った。
大志たちは無闇に人を傷つけなくてもいいんだと分かり胸を撫で下ろしていた。
「これは戦争では無く、無駄な血を流させないための制圧なのだ。やってくれるな?」
ルドルフは真剣な表情を向けて嘆願してきた。四人は互いに顔を合わせて、力強く頷くと
「任せてください! 絶対に平和を掴んできます!」
心強いセリフを放った。その表情には陰りなど一辺も無い。むしろ清々しいほどの希望しか映っていなかった。
これは戦争ではない。それなら人は死なないだろうと、安易過ぎる答えを出して、四人が四人とも、まるで作られた人形のように疑問など浮かべず平和という言葉だけを意識していた。
その四人を見て、国王ルドルフが暗い笑みを浮かべているのにも気がつかず、彼らはルドルフの言葉を信じて【魔国・ハーオス】に赴くことになった。
大志は国王ルドルフとの会話を思い出しながら、どうしてこんな場所にいるのか、もう一度考えていた。
(そ、そうだ……俺たちはここを制圧に……だってこれは……戦争じゃないって)
ルドルフは言っていたと心の中で言うが、明らかに目の前に広がる光景は戦争そのものだ。
剣と剣が合わさる音、魔法が飛び交いそこら中が破壊されていく。そしてその中でいとも簡単に失われていく命。
(な、何で戦うんだよ……降伏勧告して終わりじゃなかったのか……?)
彼らの中では、これだけの戦力を見せつけて降伏を促せば、必ず無血開城すると思っていた。無駄な抵抗せず、誰も傷つけず全てが終わると。
だが現実はそんなものではなかった。この国の周辺で息を殺しながら合図を待っていた。
すると突然『獣人族』のトップらしき人物が突撃の合図を出した。
その合図を皮切りに、とてつもない殺気が同志である彼らから溢れ出した。まるで降伏を促すのではなく、全てを殺し尽くしてやるというような雰囲気だった。そしてその考えは見事に命中した。
見知っている『人間族』の兵士でさえも、動じることなく剣を抜き、無防備な『魔人族』たちに魔法を放っていく。いつも優しい彼らとは違って、その顔は厳しく気圧されるものを感じた。
その光景を見て、初めて理解させられた。自分たちが思っていた制圧というのは、決して綺麗なものではなく、戦争という名を言い換えただけのものであるということを。
「ね、ねえ大志……アタシたち……これ……」
千佳が完全に混乱しているのが一目見て分かる。
震える唇を必死で止めようとしているのだが、無意識のそれを止められない。目が充血して涙目になっている。先程目の前で『魔人族』の子供が殺されてから女性たちは皆が同じ表情だ。
「はあはあはあ……ど、どうする?」
情けないことに大志は消えるような声でそんな言葉を出した。
「き、聞かないでよ……分かるわけない……分かるわけないじゃない……」
千佳の当然のような言葉に対し、答えを求めるように他の二人の顔も確認するが、朱里は顔を俯かせて泣いており、しのぶは放心状態で固まっている。
だが戦争をしている中でそんな四人は恐ろしく違和感ある存在に見える。そしてそれは敵にしたら格好の的にもなるのだ。
「許さねえぞぉ! この『人間族』どもがぁぁぁっ!」
物凄い形相で『魔人族』が一人、剣を手に持ち向かって来る。大志たちは何もしてはいないのだが、『魔人族』にしてみれば、この光景を生んだのは『人間族』でも『獣人族』でも関係無かった。
ただそこにいるのは、敵だから殺す。そうしなければ自分たちが殺される。自分たちの国を滅茶苦茶にした者どもを許さないと、剣に殺意を込めて。
大志は向かって来る『魔人族』を視界に捉えていたが身体が石のように固まり動けないでいる。自分の腰には剣がある。これを抜いて応戦しなければ、間違いなくあの殺意の餌食になる。
頭では分かっているが、向かって来ているのは言葉を話す人である。モンスターではない。
今まで多くのモンスターと戦い殺してきた。そして模擬戦としてなら人とも戦った。
だが、人を殺したことなんて無かった。
「そ、そうだ、こ、殺さずに気絶させれば」
今の状況で、その震える体も制御できずに、そのような甘いことを考える者はどういう結果を生むか。
「大志逃げてっ!」
千佳の言葉が耳に入ってくるが、大志は動かない。いや、動けない。半端な覚悟、いや半端にすら届いていない覚悟が生み出す結果。
それは、完全な硬直である。
(う、動けない……)
頭では剣を抜いて構えているのに、指先すらまともに動かせないでいる。しかも、自分の意識とは裏腹に、気づいたら腰が抜けたように尻餅をついていた。
「あ、あああ……」
『魔人族』は容赦無く間を詰め、剣を振り上げている。
大志は瞬きを忘れ、半ば他人事のように目の前に迫ってくる光景を見つめていた。
だが相手の目を見た時、ハッと息を飲み、これが紛れもなく現実なのだという強烈な意識が呼び起こされる。
そして大志は身体を腕で覆いながら、
「い、嫌だぁぁぁぁぁぁぁっ!」
心の底から叫んだ。死にたくない、と。
しかし相手の凶刃は止まることなく近づいてくる。
殺される――死が迫ってきたその直後のこと。
「――――アチョォォォォ!」
間の抜けたような掛け声が響き、誰かが大志に向かって来ていた『魔人族』を殴り飛ばしたのだ。
『魔人族』はそのまま吹き飛ばされ建物を壊す勢いで激突したのである。
大志は、いや、大志を含めて四人ともが唖然としていた。
四人は誰もが大志の死を予想してしまっていた。恐怖と困惑で硬直した自分たちは、成す術も無く殺されるのだろうと思っていた。
だがそこへ突然何者かが間に入って、結果的に自分たちは救われた形になった。
「あ……あ……?」
大志は強烈な死の予感を感じさせられ、その血の気の失った顔を目の前の人物に向けていた。他の三人も、息の仕方すら忘れたような表情だ。
助けてもらったのかもしれない。なら何か言わなければと思うが、なかなか言葉が出てこない。
そんな大志らの思いを無視するかのように、その人物はビッと吹き飛んだ『魔人族』を指差すと、
「コレェ! もう少し静かにできないのですか! 師匠が起きてしまうではないですか!」
プンプンと頬を大きく膨らませて言い放った。
その光景はまるで戦争に似つかわしくないとまで思わされる。
大志は改めて、横からになるが、その人物を観察する。
歳の頃は十一、二歳くらいだろうか。薄い紫色のおかっぱ頭に、長いアホ毛がピョコンと生えている。
額には小さな角がちょこんと存在感をアピールしている。水色の道着を着用しているその子の顔は年相応に幼く、女の子のようにも男の子のようにも見える。
クリッとした瞳と低い鼻が愛嬌を醸し出している。年上につい抱きしめたいと言われるような子供だった。そしてそんな子がふと背中を向けた時、目に入って来たものに目を奪われた。
それは着ている道着の背中に入った刺繍の文字。
それは間違いなく『文』という文字だった。
何故この世界で漢字が存在しているのか不思議に思ったが、無論答えは見出せなかった。今分かっているのは、大志たちはこの子供に命を救われたということだけだった。
困惑する大志をよそに、その子供が頭を抱えて悶え始める。
「あ~もう! これだけ騒がしくするとはぁ! 師匠の寝起きの悪さ知っているのですか! この前なんてちょっと目覚めが悪かったからと言って、ボクを魔法の練習台にしたのですぞぉ!」
何やら急に涙を流しながら叫び始めた子供を呆然と見つめる勇者たち。
「それに数日前など……ああ、恐ろしや恐ろしや……」
今度は顔を青ざめて震え出した。そしてまたもビッと同じ所に指を差して
「もし師匠が起きて不機嫌だったら責任とってほしいですぞぉぉぉぉぉ!」
するとそこへ上空から何かが落ちてくる。
スタッと大した音を立てずに、その場に現れたのは、
「ん? やはりお主たち、勇者か?」
それは《クルーエル》の《序列四位》であるオーノウスその人だった。




