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77:人魔同盟締結会談

 イヴェアムたちは橋を渡り切り、そこに駐屯していた『人間族』の姿を見て身を引き締めた。

 皆がこちらを警戒するような視線を送っている。


「勇者たちは……」


 イヴェアムが視線を動かし、ここにいるであろう勇者たちを探した。そしてある四人の男女が視界に飛び込んでくる。

 茶髪で身長が高くて、女性にモテるであろう整った顔立ちをしている少年に、同じ茶髪で活発そうな少女。そして美しい黒髪を持った清楚な少女に、少しウェーブがかかった髪をした猫目の少女。


「あれが勇者だな……」


 イヴェアムはポーカーフェイスを装い、視線だけを動かして四人の若者を視界に入れている。向こうもこちらに気づいてジッと観察するように見てきていた。

 彼女が彼らに対し勇者だと判断したのは、その内包する魔力量を感知したからである。

 そもそも魔王である彼女は魔力探知に優れている種族であり、また彼女も生まれつき多大な魔力と精密な魔力コントロールを有していた。

 その能力を使って、人間たちを観察して内包する魔力の質と量を見抜いたのである。イヴェアムはそのまま足を止めずに突き進むと、目前に人間の兵士が立ちはだかる。


「魔王イヴェアム殿とお見受けします」


 その兵士は恐らく隊長格だろう。

 他の兵士が身に着けているグレー色の鎧と違い、一人だけ形と色が違う。

 他にも一人、目の前の人物と同じく、赤い鎧を着用している。恐らくその人物も隊長格なのだろう。


「出迎え痛み入る。我が名は【魔国・ハーオス】を総べる王、イヴェアム・グラン・アーリー・イブニングだ」


 キリッとした表情で凛と佇みながら言うイヴェアムを見て、周りの人間たちから感嘆の息が聞こえる。

 イヴェアムは確かに敵である『魔人族』の王だが、その美しい見た目と、王としての覇気が伝わってきて思わず目を奪われたのだろう。

 アクウィナス曰く、王としての威厳などまだまだ足りないのだが、それでも人間たちにとっては、明らかに自分たちとは住む世界の違う存在だということが強制的に理解させられたのかもしれない。

 そして彼女だけでなく、傍にいるアクウィナスとマリオネの存在感にも息を飲んでいる様子だ。さすがの隊長格である者も、表情こそ変わらないが、そうそうたる顔ぶれに額から一滴の汗を流した。


「……これから【聖地オルディネ】へとご案内します。条件の通り、ここからは『クルーエル』の六人のみ護衛が許可されておりますので」

「分かっている。こちらから連れて行くのはアクウィナスにマリオネ、そしてキリアの三人だ。キリアは『クルーエル』ではないが、私の側近だ。別に構わないと書状で許可も得ている」

「分かりました。人数が少ないのはこちらとしても願ってもありません。ではついて来て下さい」


 そうして隊長格の人物の後についていった。

 イヴェアムはそのまま勇者たちを素通りしたが、アクウィナスだけは違っていた。少し立ち止まり彼らに視線を送り、軽く眉をひそめる。


「どうかしたのですか?」


 そう彼に質問したのはキリアだった。


「…………いや、少し気になったものでな」

「あの者たちが勇者なのですね」


 キリアも勇者四人を見つめて言う。


「そのようだな。だが……」

「何か?」

「……いや、向かうぞ」

「あ、はい」


 アクウィナスはもう一度だけ勇者たちを一瞥して歩き出した。


(妙だな……確かに強い……強いが四人とも魔力量が等し過ぎる……?)


 アクウィナスが感じたのは膨大な魔力量だ。

 そして確かに『上級魔人族』以上の強さを感じるのだが、四人が四人とも魔力量が等し過ぎるのだ。


(異世界の住人は皆がそうなのか。それとも……)


 外見上は確かに四人が四人とも違うが、それでも魔力の量だけが何か引っかかった。

 同じ魔力量がここに四人、しかもそれが全員勇者ということに違和感を覚えたのだ。だが四人が同等の魔力を持っていることも有り得ないというわけではない。


(…………オーノウス、国は頼んだ。その代わり姫は……)


 瞳の中で静かに炎が揺らめく。不安は胸に過ぎるが、それでも今は会談に赴くしかない。

 それが彼女の――我が主の意思だからだ。

 会談では何が起きるかは分からない。だがそれでもイヴェアムだけは守る必要があると、アクウィナスは決意している。

 だがこの選択がどういう物語を作るのか、無論この時のアクウィナスには知る由も無い。







 【聖地オルディネ】――かつてこの世界【イデア】に召喚された勇者が、困窮していた『人間族』を救い、その天寿を全うしたと言われている場所。

 勇者が死ぬ時、自らの身体を光と化してその地に降り注いだ。

 元々その地は汚れており、毒の沼や多くの凶暴なモンスターたちが蠢いていた。

 勇者はその土地を清浄な地にしたいと思い、最後の力を振り絞って汚れた土地を浄化したという。


 それからその土地には、多くの草花が生えるようになり、以前とはかけ離れた自然溢れる豊かな土地となった。それにどういうわけか、その地にモンスターは近づかず、魔法も使えなくなっていた。

 これは勇者の平和への意思がそうさせたのだと判断し、そこを【聖地】と呼び、勇者を称えてある建物を建てた。

 それが《オルディネ大神殿》である。

 そしてその地の中心であり、勇者の力を最も強く残した場所に建てられた。


 初代神官長には勇者の仲間だった人物が就任した。

 名をロウニス・ギルビティという。

 【聖地オルディネ】は平和の象徴として作られ、現在も多くの参拝者や観光客が絶えず、上流階級の者たちが重要な交渉などを行う場としても利用されている。


 そして今、そんな【聖地オルディネ】に、大きな転換期を迎えるであろう出来事が起きている。


 ――会談である。


 『人間族』と『魔人族』の同盟締結を主軸に置いた会談が開かれようとしていた。

 《オルディネ大神殿》の中にある《聖域の間》と呼ばれる場所に置いて、二つの種族を代表する面々が対面していた。


 また会談の見届け人であり、中立の立場として両者の間に立っているのは、現在の神官長であるポートニス・ギルビティである。名前の通り、ロウニス・ギルビティの血を引く人物である。

 白を基調とした神官服であり、金糸の刺繍が服のそこかしこに施されてある。手には杖を持っていて、その先にはエメラルドグリーンの大きな玉が嵌められてある。

 日焼けに困る女性が羨ましく思うくらいの色白で、三十代くらいの女性なのだが、年相応に凛としていて、スラッとした鼻筋を持つ輪郭には、全てのパーツに美が整えられてあるかのように収まっている。


「それでは、只今から《人魔同盟締結会談》を始めたいと思います」


 彼女の声は透き通っていて、誰の耳にも抵抗無く飛び込んで来る。

 《聖域の間》には大きな円卓があり、ちょうど対面する形で二つの種族の代表が腰を下ろし、その間、両者を視界に入れられる位置にポートニスが座っている。

 座っているのは『人間族』の国王であるルドルフと、『魔人族』の国王であるイヴェアムだけだ。

 他の者も席を勧められはしたが、そのまま立つことにしたようだ。恐らく何かあった時に対処し易いようにするためだろう。それは両者が同様に思っていることだった。


 ルドルフ側には、大臣デニス、ギルドマスター・ジュドム、そして五人の兵士である。その中にはイヴェアムたちをここまで案内した隊長格も混じっている。


 イヴェアム側には、側近キリア、『クルーエル』の《序列一位》であるアクウィナス、《序列二位》のマリオネが近くに控えている。


 その両者の中でジュドムはアクウィナスに視線を向けていた。相手も同じように視線を向けていたので、必然的に見つめ合う形になった。


〝久しぶりだなアクウィナス〟


 ジュドムが声には出さず目で語る。

 そんな彼に対しアクウィナスも理解したように、


〝息災で何よりだジュドム・ランカース〟


 戦友のようなやりとりが視線だけで行われている。二人は以前に死闘を演じているので互いのことをよく知っているのだ。

 互いに互いを分析しているかのような視線が交差し続ける。


(やはり『人間族』とは思えないほど完成されている武人だな)


 アクウィナスは過去に戦ったジュドムのことを思い、彼があの時よりも別格に成長している事実に気づいていた。



     ※



(……相変わらずの存在感だな。普通の野郎なら、奴の存在を見ただけで委縮するが……)


 そう思いながらジュドムもまた、かつて戦った強敵に対し、微塵も衰えていない様子に辟易していた。

 近くに陣取っている兵士たちを横目で見る。その中には、やはりアクウィナスとマリオネの存在に気圧されている者もいた。


(そうなるのも仕方が無い……か。どうにか対抗できるのは……)


 そうやって五人を見比べていくと、三人に目が映る。


(この三人だけか)


 『魔人族』のトップたちを目の前にしながらも、気圧されることなく揺るがず立っているのは三人だけだった。


(レベルもそれなりにありそうだが……奴らを相手にするにゃ心許無いのが現実だな)


 恐らく彼らは【ヴィクトリアス】の国軍の中でも選りすぐりの腕利きなのだろうが、それでもやはりアクウィナスたちと比べると見劣りする。それはもちろん自分にも言えることなのだが、もし仮にアクウィナスたちが暴れたとしたら自分一人では抑え切れない。

 この《聖域の間》では魔法や武器の持ち込みが禁じられているので、純粋に身体能力のみで相対することになるのだが、それでも自分一人ではアクウィナスと対峙するだけで精一杯のような気がする。


 だからこその五人の隊長なのだが、彼らにマリオネやその側近、そして魔王を相手取れるかといえば疑問が残る。

 実は事前に自分の信頼する腕利きの冒険者もこの中に入れようという案があったのだが、大臣であるデニスに却下され、国王もそれに同意した。

 国王ルドルフは、自身が信頼している者たちだけしか傍に置いておきたくないと言われて、それ以上は暖簾に腕押しで聞く耳を持たなかった。


 とりあえずジュドムは自分の役目を全うすることに重きを置く。周囲にアンテナを張って警戒をしつつ会談を見守ることにする。


「この会談は双方の合意のもとに行われております。そしてその意思は、どちらも平和への繋がりとして同盟を結ぶためのもの。それは間違いありませんか?」


 ポートニスが両者の代表にそれぞれ視線を動かして尋ねるように言う。

 迷うことなくそれに反応を返したのはイヴェアムだ。力強い頷きを返した。

 次にポートニスがルドルフの方へ視線を動かす。

 彼は目を閉じていたが、沈黙が続く中、静かに瞼を上げていく。そしてゆっくりと噛み締めるように言葉を出す。


「……一つお尋ねしたい神官長殿」

「……何でしょうか?」


 皆の視線がルドルフに注がれる。


「この《聖域の間》は、入ることは簡単だが、出るには神官長殿の許可が必要になる」

「……そのように構成していますが」


 何故急にそのような話を聞くのかとポートニスは首を微かに傾ける。


「そして入る人数は神官長殿を含めて十三人が限度ですな?」

「……はぁ」

「しかも外からの情報は全く入って来ない……まさに異空間とも呼ぶべき部屋だ」


 ルドルフの言葉にジュドムは眉をしかめている。


(ルドルフ……一体何を……?)


 それはここにいる誰もが、いや、隣にいる大臣が微かに笑みを浮かべているので彼は知っているのかもしれないが、それでもほぼ全員がルドルフのおかしな発言に唖然としている。


「……いや、ただ確認しておきたかっただけ。時間を取らせてすまなかった」

「い、いえ」


 彼が何のためにそのようなことを確認したのか理由は分からないが、アクウィナスの目が細められたのをジュドムは気づいていた。またジュドムも同様に、ルドルフの奇妙な言動に対し疑問を浮かべていた。


(……ルドルフ、お前……)


 信じたくはないが……と思いながらも、もう少し様子見をしようと思い見守っていた。


「では、改めて双方名乗りの方をお願い致します」

「私は『人間族』を統一する統一王であり、【ヴィクトリアス】の国王であるルドルフ・ヴァン・ストラウス・アルクレイアムである」


 ルドルフが名乗ると、それに倣ってイヴェアムも口を開く。


「私は【魔国・ハーオス】を総べる王、イヴェアム・グラン・アーリー・イブニングと申します。この度は、我々『魔人族』の要望に応えて頂き、真に感謝致しますヴィクトリアス王」


 軽く会釈する感じで頭を動かす。


「いや、こちらも同盟が成ればメリットは大いにある」


 こちらの魔王が敬語で話しているのに、ルドルフがそうでないのに少し怪訝に感じて不愉快そうに眉をしかめるマリオネだが、アクウィナスはそんな彼に気づき、小さく首を振る。口を出すなと念を押すように。

 当の本人であるイヴェアムは言葉遣いなど全く気にしていない様子で口を開く。


「そう言って頂けるとは有り難いことです」

「だが」

「……?」

「この同盟を望んでいない者もおるはずである」

「それは重々承知です」

「それだけ我々が互いにつけた傷は重く……深い」

「ええ、ですがそれを癒すのは復讐などではなく、平和という時間の中でしか癒せないと私は感じております」

「…………」

「かつて我々は争ってきた。それこそ非人道的とも言われるようなことも平気で行ってきました。悲しみ、憎しみは膨らむばかりで、それがまた争いを呼びます。それでは駄目なのです。誰かがその争いの鎖を断たねば、いつまで経っても平和はやっては来ません!」


 彼女の弁論に誰もが耳を傾けていた。


(この娘……これが今の魔王か)


 ジュドムは彼女の理想を聞き、彼女が本気でそう言っているということを感じた。

 そもそも敵地である人間の大陸に、これだけの人数で来ることは自殺行為に近い。しかしそれでも会談に赴き、同盟を成したいと真に思っているからこそ、こうして敵国の代表と顔を合わせている。

 自分たちに圧倒的に不利な条件下の元、下手をすれば甘い戯言ばかりを並べるガキと思われ反感を買い、争いになるかもしれないこの状況で、一切の偽りも無い言葉を放てるのは、彼女自身が本気でそう思っているからだ。


(……ん? この娘どこかで……?)


 ジュドムはイヴェアムを見て、既視感のようなものを覚える。どこかで会っているような感覚が脳裏に過ぎる。そして、


(思い出した! おいおいおいおい、まさかあん時の嬢ちゃんが魔王?)


 ハッとなって目を見開きながら再度彼女を確認する。

 そして間違いなく自分の記憶にあった娘であると確信した。


(……そうか、あん時の嬢ちゃんが……立派になったもんだな)


 向こうはまだ気づいていなさそうだが、間違いなく過去に会った娘だということはジュドムは気づいた。

 あの時の彼女が大きく立派になったことが、何となく嬉しさが込み上げていく。しかしいつまでも懐かしさに浸っている場合ではない。今は会談に集中しなければならない。


「同盟を成したところで、必ず歪みが出てくる。それをどうお考えかな?」


 ルドルフの問いにイヴェアムは動揺もせずに答える。


「確かに、同盟がここで成立したとしても、それに納得していない者たちは必ず不満を持ちます。それに『獣人族』のこともあります。しかしこのまま戦い合っていけば、この【イデア】は更に傷つき、人の住む場所が無くなってしまう。それは実際に過去に起きたことであり理解されていると思います」

「…………」

「それではいけないと思った先人たちは、手と手を取り合い繁栄していって、今の世界を形作っていった。いわば我々がこうしてこの場で立てているのは、我々の祖先たちが苦労して間違いを正し、世界を築いて下さった結果です。子孫の我々が、それを壊してもいいものなのでしょうか?」


 皆が黙って彼女の言葉に耳を傾けているが、ルドルフは目を閉じており、大臣デニスに至っては難しい表情をしていた。


「平和は簡単には作れないでしょう。しかし我々が手を取り合えば、それが礎にはなります。問題も多くあるでしょうが、必ずいつか誰もが笑って過ごせる世界になるはずなのです!」


 美しい理想。汚れ無き理想。誰もが甘美に思うその理想は、確かに実現すれば平和そのものだろう。


(違う……急ぎ過ぎだ魔王ちゃん)


 ジュドムは少し渋い表情で彼女を見つめる。


(確かに素晴らしい理想ではある。しかし少し……言葉にし過ぎてらぁ)


 確かに彼女の言う理想は素晴らしい。

 だが彼女はルドルフの言葉に対して、ハッキリと答えていないのだ。

 同盟によって生まれる歪み。それをどう対処していくかという問題に対し、彼女はただ己の理想を言葉に並べ立てただけだ。


 言うなれば、内乱が起きるかもしれないという問題に対し、「大丈夫、何とかなる」と言って、根拠の無い自信を振りかざしているに過ぎない。

 ジュドムもこの会談は望むところではあった。無論同盟にも賛成だ。

 しかしそのために生じる問題に無頓着なわけではない。だからこそ、その問題を……同盟の先にある近しい未来について対談する場が欲しかったのだ。


 まずは互いのことを良く知る。信頼というのはそこから徐々に時間を掛けて生まれてくる。

 だが彼女は同盟の綺麗な部分しか見えていない。ハッキリ言って危ういのだ。

 理想だけ聞けば誰もが飛びつくような内容かもしれないが、相手は一国の代表者であり、種族の命運を肩にかけている者なのだ。

 理想だけが先走っている彼女を見て、さすがのジュドムも不安に思えてくる。


(急ぐな魔王ちゃん。時間はあるんだ。同盟に急ぎは禁物だ。まずは互いを知り、一つ一つ問題を解決していくことが先決だ。今日はあくまでもそういう会談なんだ)


 まるで自分の娘に語りかけるような言葉を思い浮かべるジュドム。

 彼女を見ていると、つい導いてやりたくなるような気がしてくる。甘いが、不思議と惹かれるものを確かに持つ彼女は、まだ若くても魔王なのだと理解させられる。


「……魔王イヴェアム殿」


 ふとそんな中でルドルフが呟くように言葉にした。



     ※



「な、何でしょうか?」

「貴公は……大切な者を失ったことがおありか?」

「……は?」


 突然何を聞いてくるんだと思ってつい聞き返してしまった。


「見たところ、貴公は純粋だ。先代の魔王とは確かご兄妹だったらしいが、その考え方は似ても似つかないもの」

「……」

「素晴らしいお考えをお持ちだ。本当に真っ白で……綺麗な理想だ」


 瞬間デニスの喉からゴクリという音が聞こえる。何か緊張しているようだが、恐らく言葉の端々に込められている覇気に当てられているのかもしれない。


「もう一度聞こう。貴公は大切な者を失ったことがおありか?」

「それは……あります。『魔人族』全てが私の家族です。死んでいった者たちはたくさんおります」

「…………なるほど、それではもし、これから先、そちら側の家族が誰かに殺されたとして、貴公は復讐など無意味。話し合いで解決できると……その者に笑って語りかけることができると?」


 ルドルフは静かに目を開け、鋭い視線を彼女にぶつける。まるで彼女の一挙手一投足を決して逃さないという意思を感じる。

 質問をされたイヴェアムも、その内容に少し顔を曇らせはしたが、


「……笑えるかどうかは分かりません。いや、恐らく笑うことはできないかもしれません。ですが、家族は誰にも殺させません! この魔王イヴェアムの名に懸けて、復讐を生み出すような行為は止めてみせます!」


 しばらく互いを睨む合う形で沈黙が続く。

 そして最初に口を開いたのはルドルフだ。


「どうやら貴公はまだまだ若いようだ」

「それは重々承知です! 至らない点があるのも認めます! しかし――」

「この会談」

「……は?」


 ルドルフが彼女の言葉を遮るようにして言う。


「この会談、『獣人族』なら必ず手を出して止めようとしてくるはず。貴公らは、彼らの動向を把握しておるのかな?」

「私の部下には情報収集に長けた優秀な者がおります。その者に『獣人族』の動向を探らせました」

「ほう、それで?」

「ここ数か月、我々も秘密裏に動いていた上、彼らを惑わすように偽りの情報まで流した」

「おお、そう言えばそのようなこともした」


 実際、両者の権力者を通じて密会を何度も行った。

 そしてこの密会こそ、『獣人族』を騙すための工作だった。

 その密会では、会談場所、日時など細かな情報を話し合わせた。

 そして、その情報をイヴェアムの部下が『獣人族』の大陸に渡りこっそりと流したというわけだ。


 もちろん彼らもその情報を鵜呑みにはせずに彼ら自身の手で調査をしたはずだ。

 会談の日時は同じ、しかし場所が違うという情報。

 数日前に、その情報を握った『獣人族』が軍を連れて偽りの会談の場所に赴いたという報せが届いた。

 その中には獣王の姿も発見されていたとのことで、どうやら偽情報に踊らされていることは確かだった。


「今頃『獣人族』はこちらが用意した偽りの会談場所を襲撃しようとしているはずです。ですがそこには姿は似ていても、全く別の我々がいるだけです」

「ほう、確か精巧な人形作りに特化したものが、その偽物を作ったと聞くが……それほど似ているのかな?」

「もちろんです。実際に触れて確かめなければ、見た目では判断できません」

「ほほう、優秀な部下をお持ちだ」


 ルドルフの言葉に少し誇らしげに隣に控えているキリアを見つめる。

 彼女もまた謙虚そうに少しだけ身を引くが、頬がほんの僅か緩んでいるところを見ると嬉しいのかもしれない。そう、この人形を用意したのは他ならぬキリアなのだから。


(彼の言う通り、私は良い家族を得ている)


 イヴェアムはそう思い、自分を支えてくれているキリアたちに、改めて感謝の念が湧いてきた。


「ならば、全てに問題は無いと言うのかな?」

「はい」

「『獣人族』にしても、この会談にしても、そして…………我々『人間族』にしても?」

「……? 何を仰っているのです?」


 突然含みのある言い方で喋る彼に違和感を感じた。

 すると何を思ったのか、彼がサッと突然手を上げる。

 そしてそれが合図だと言わんばかりに、五人の隊長の一人がその場から素早く動いた。


 まさかここでイヴェアムを狙ってくるのかと、アクウィナスたちがイヴェアムを守るために近くに位置する。だが隊長の狙いはイヴェアムではなかった。


「な、何をっ!?」


 狙ったのは、見届け人であったポートニスだった。

 いや、正確に言えば、ポートニスの持つ杖。

 あまりに素早い動きと、突然のことでポートニスは成す術も無く杖を奪われてしまった。

 その光景をほとんどの者が呆気にとられて見つめていた。一体彼は何をしているのかまるで理解ができなかった。


「壊せ!」


 隊長にそう言ったのはルドルフだ。隊長も小さく頷くと杖を振り上げ


「お、お止めなさいっ!」


 ――パリィィィィィィン!


 ポートニスの制止の言葉も虚しく、杖は地面に叩きつけられ、杖の先に嵌まっていた宝石のような玉は粉々に周囲に四散した。


「よくやった」


 ルドルフの言葉に、隊長は「はっ!」とだけ言うと、元の位置まで戻った。

 それを見ていたジュドムもさすがに声を荒げる。


「おいルドルフ! お前何を考えて!」

「そうです! その杖がどういうものか、お分かりではないのですか!」


 ポートニスが続けて言うと、ルドルフは微かに笑みを浮かべて答える。


「知っておる。だから破壊した」

「なっ!」

「ルドルフ……てめえまさか……」


 わなわなと身体を震わせるジュドムと、愕然としているポートニスを見て、ようやくイヴェアムも参加する。


「い、一体どういうことですか? これは何のおつもりなのですかヴィクトリアス王よ!」


 『魔人族』たちがキッとルドルフを睨んでくる。しかし未だに彼は笑みを崩さない。


「これで二十四時間、ここは外界と完全に隔離された世界になった」

「隔離された……世界?」


 イヴェアムは言葉を繰り返したが、その言葉に答えたのはジュドムだった。


「この《聖域の間》はな、古代の勇者がその身を捧げたまさにその場所であり、聖なる力が最も強力に施されているとこなんだよ」

「ジュドム……」


 アクウィナスがそう呟くと、イヴェアムはハッとなってジュドムを見つめる。


(そ、そうか、どこかで見たと思えば、彼があの時の……!?)


 先程まで、一体彼は何者なのか分からなかったが、過去を思い出してここにいても不思議ではないと納得を得た。


「あなたが……ジュドム・ランカース?」

「おう、そうだ。しかしまあ、デカくなったなぁ、あん時の嬢ちゃんが、まさか魔王ちゃんになってるとは時間の流れは速えな。そう思わねえかアクウィナス?」

「フッ、全くだ」


 アクウィナスも彼に同意し微かに笑みを浮かべる。


「陛下、今はそんなことよりも」


 マリオネの窘めでハッと我に返って、ジュドムに話の続きを聞こうとする。


「そ、そうだな、すまない。ジュドム殿、話の続きをお願いできますか?」

「ああ、この場所、《聖域の間》はあまりに勇者の力が強力だったため、一度入ると、中に入ったものを守ろうとして、強力な結界を張っちまうんだ」

「……良いことなのでは?」

「確かにそこまで聞けば、勇者の力に守らているってことだし、ここはどこよりも安全な場所かもしれねえ。だがな、一度入ると二十四時間は出られなくなっちまうんだよ」

「なっ!? それは本当ですか?」


 驚愕に歪められた顔をジュドムに向けて、それを見た彼も苦笑を浮かべてしまう。


「ああ、そうだよなポートニス?」

「ええ、そうよジュドム」


 何やら親しげな言葉のやり取りを見て、彼らは恐らく知り合いなのだろうと誰もが感じた。


「二十四時間、絶対防壁として、この部屋は機能してしまうのです。本来なら、この杖……」


 そう言いながら、地面に叩きつけられた杖を拾って皆に見せる。


「この杖の先に玉がありましたよね?」


 彼女の問いにイヴェアムは頷きを返す。


「あの玉は《勇者の鎧》から作られたものでした。言ってみれば《勇者の遺物》ですね。その玉のお蔭で、ここに入っても杖を持つ私と一緒なら、この場から自由に出ることができました」

「そ、それでは……」

「……はい、この《聖域の間》は、入って二十四時間が経つと、ほんの僅かの間だけ結界が緩みます。そうすれば出られるのですが……今は……」


 玉が壊れてしまったのでという言葉を飲み込んで残念そうに顔を俯かせる。

 そして怒気を込めてジュドムは口を開く。


「てめえルドルフ、最初からこれを狙ってやがったな? そういや最初、奇妙なことばっかポートニスに確認してたな、あれはこのことを示唆してたってわけだ」


 ルドルフは、会談に必要の無いはずの《聖域の間》の仕組みを事細かにポートニスに確認していたのだ。


「デニス、てめえも知ってたな。それにそこの連中も」


 大臣デニスに五人の隊長を睨む。彼らは何が楽しいのかクスクスと笑っている。


「こんなとこに俺たちを閉じ込めて何を企んでるとは聞かねえ。ルドルフ、てめえやりやがったな?」


 ジュドムの言葉にルドルフはクスッと含み笑いを浮かべている。


「やりやがった? ジュドム殿、一体ヴィクトリアス王は何を……?」

「陛下、少しは頭を働かせて下さい」

「む、ならキリアは分かるのか?」


 側近のキリアに叱られて、少しムッとなる。


「当然です。恐らく彼は、いえ、彼らは……我々を裏切るつもりです」

「なっ!?」


 バッと顔を勢いよくルドルフに向ける。

 すると彼は――。


「ははは、裏切るとはよく言う。それは基本的にはそちらの専売特許ではないかね?」

「くっ! ヴィクトリアス王! あなたは何故このようなことを! そもそも我々を閉じ込めて一体何を!」

「まだ分からないか魔王よ」

「……?」


 皆がルドルフの口元に注目する。

 そして彼の唇がゆっくりと動き出し、衝撃的言葉がイヴェアムの耳に届く。



「――――――戦争だよ」






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