76:半年後
日色たちが『アスラ族』の集落を出て約半年が過ぎた。
そして今、『人間族』と『魔人族』との間で、史上でも類を見ない大きな分岐点がやって来ようとしていたのである。
【魔国・ハーオス】では、長卓を囲み『魔人族』の重鎮たちが顔を合わせていた。
「ではこれから魔国会議を始めさせて頂きます。議題は無論二週間後に迫った『人間族』との会談について、当日の流れを含め、我々の立ち位置の詳しい状況などを話し合わせて頂きます」
淡々とそう言い放ったのは、魔王であるイヴェアムの隣に一人だけ立っている側近のキリアだった。その無表情でキリッとした顔は、どことなく緊張感に包まれている。
「ようやくここまで来た」
目を閉じ、万感たる思いを込めて言葉を吐いたのはイヴェアムである。そして瞼をゆっくりと上げ、その黄金の双眸で座っている魔王直属護衛隊の面々を見据えた。
「あとは何事も無く会談が終われば……平和に一歩近づく」
「ん~それはそうでしょうけど陛下ぁ~」
大きな胸の下で腕を組んで色っぽい声を上げるのは《序列五位》のシュブラーズである。
「何だ?」
「本当に大丈夫なのかしらぁ?」
シュブラーズの言葉に同意したように皆がイヴェアムに視線を向ける。
「無論危険はある。会談の場所は人間界のとある場所であり、私の護衛も数が限られている。当日人間界までは、お前たち全員がついてくることは認めてもらえたが、会談場所に向かえるのはこのキリアとアクウィナス、それにマリオネだけだ」
「《序列一位》と《序列二位》のダンナたち。それに自称サイキョウの側近であるキリアちゃんなら、確かに安心かもね」
《序列六位》である浅黒い肌のグレイアルドが言う。
「ところでぇ、テッケイルからは何か言ってきてないのかしらぁ?」
この場にいつもいないテッケイルだが、今回も欠席のようだ。
「いや、逐一報告は受けている。何やら国王が一計を案じている危険があると聞いている」
「ちょ、ちょっとちょっとぉ、それって大丈夫ぅ~?」
シュブラーズが思わず目を見張りながら聞く。
「それについては大丈夫だ。そうだろキリア」
「はい、恐らく前回の件がある以上、こちらのことを全面的に信頼することはできていないのでしょう。そのため何か起きればすぐに我々を捕縛できるように計略を立てているのでしょう。しかしこちらが何もしなければ、あちらもおいそれと手は出さないでしょう」
「それって確信持てるぅ?」
当然シュブラーズが聞くが、鼻を鳴らしその言葉を否定してくるのはマリオネだ。
「ふん、『人間族』どもが何を企もうが、ワシが護衛につく限り万が一はありえぬわ」
「おお~よく言うよく言う。ダンナはできれば向こうが事を起こしてくれた方がいいって思ってたりしてね」
「おいグレイアルド、滅多な事を言うもんじゃない」
そう窘めたのはようやく口を動かした《序列四位》のオーノウスだ。
「へいへ~い、けどホントにダルいことにならなきゃいいけどね」
めんどくさそうに卓の上に突っ伏して、それ以上はもう喋らないといった意思を感じる。
「グレイアルドの懸念は尤もだ。しかし私は『人間族』を信じる」
それには誰も反応を示さない。
そんな無反応に対し、少し悲しそうな表情をするイヴェアムだが、それでもと続ける。
「それに何より、私はお前たちを信じている。何があっても、お前たちがいれば大丈夫だと」
今度も同じように皆は黙っているが、今回皆の顔には不敵そうな雰囲気が漂ってきた。言われるまでもないと言いたいのかもしれない。
「無論何も起きず、会談が平和的に進み同盟が成れば言うこと無しだ。一度の会談で全てが上手くいくなど甘いことはさすがの私も考えていない。まずはお互いを知るための場として、我々は『魔人族』の代表として、恥ずかしくない姿を見せてやろう」
イヴェアムの迷いの無い言葉に、皆は微かに頷きを返す。
「では今から当日の流れを説明するぞ」
※
一方【ヴィクトリアス】では同じように会議が開かれていた。内容はもちろん会談についてだ。
そこにもそうそうたる顔ぶれが集まっていた。
国王ルドルフに大臣デニスはもちろんのこと、国軍の隊長たちにギルドマスターであるジュドム・ランカース。そしてこの国に召喚された勇者四人の姿があった。
会議を進めるのは大臣であるデニスの役目なのか、彼がまず口を開いていく。
「集まってもらった理由は各々理解しているはずだ。二週間後、ついに会談が迫っている。だが我々は『魔人族』が素直に会談を進めようとは思っておらん。前回のように裏切ってくる可能性だってある。いや、その可能性の方が高いとさえ考えておる」
「待ってくれデニス大臣」
デニスの言葉を止めたのはジュドムである。デニスは途中で話を止められたので不愉快そうに視線を向ける。
(アレがギルドマスターのジュドム・ランカース……)
勇者の一人である青山大志は、ジッとジュドムを見つめる。
(座ってるけど、物凄い体つきなのが分かるな。それに何だよ、本当に引退したのかこの人……)
大志は第二部隊隊長のウェル・キンブルから話には聞いていたジュドムについて、認識を改める必要があることを理解させられた。
引退した元冒険者。昔は凄い人物だったと聞いていたが、今はギルドマスターになって一線を退いたと聞いた。だから今はそれほどでもない人物だろうと思っていたが、彼から伝わってくる覇気、内に秘めている闘志が、抑えていても滲み出ているのを感じる。
丸太のように逞しく太い腕は、大抵のものはその剛腕で粉砕できるだろうとことは想像に難くなかった。他の三人も大志と同様の思いなのかゴクリと喉を鳴らしジュドムを見つめていた。
「確かに過去、『魔人族』からの要求で会談に赴き裏切りに合っている。しかし魔王も代わり、その意思は、我らと同じように世界平和に基づいているものと判断している」
「言葉を返すようだが、貴殿のそれは希望的観測ではないかね?」
「そうだ。希望、理想、夢、大いに結構じゃねえか。人ってのはそれを支えにここまで大きくなってきたんじゃねえのか? 希望があると信じなきゃ、ちっとも前には進めねえぞ」
「…………」
大臣は忌々しそうに歯を噛み締めて睨む。
「相手を信じてみる。まずそこからだろうが」
「もしそれで相手が裏切ってきたらどうするのだ?」
「そのために俺がここに来てるんだろうが。何があっても守ってやると何度も国王には言ってるはずだが?」
国王ルドルフは静かに目を閉じていたが、ゆっくりと開いていく。
「だからこうしてお前を呼んだ」
それだけを言うと再び目を閉じた。ジュドムとルドルフは旧知の間柄だが、その友であるルドルフの自分に対する態度が少し気になってジュドムは眉をひそめる。
まるで何を考えてるルドルフ……と言わんばかりの厳しい目つきでルドルフを見ていたが、先にデニスに話を振られてしまう。
「もう言いたいことはないかね?」
「……俺が言うのはただ一つ。会談は必ず成功させるために動けということだけだ」
王族でもないのに、ハッキリと意見を述べる彼を見て、それを見ていた大志はポカンとしていた。
(何つう貫禄だよあの人……)
ジュドムの存在に明らかに飲まれてしまっていた。
しかしそれは他の隊長たちにも言えることで、彼が残した伝説などを知っている彼らは息を飲んで黙っている。その中のウェルも気が気でなくそわそわしていたのは言うまでもない。
会議は、それからある程度スムーズに進み、当日の流れ、兵たちの配置や、異常事態が起きた時の対処などを話し合って解散した。
終わった後、ウェルは勇者たちのもとへと向かって、ジュドムと大臣のやり取りで冷や冷やしましたと頬を引き攣らせていた。
「それにしても、初めてまともに見たけどあのジュドムって人はとんでもないな」
「あはは、大志様もそう思いましたか? まあ国王様とは親友という仲なので、あのような態度でも許されているんですが……」
確かになまじ彼の人となりを知っているウェルにとっては、それこそ冷や冷やした会議であったろう。
「そんなことより、いよいよやねぇ~」
猫目と関西弁が特徴の勇者の一人、赤森しのぶが言葉を出す。
「はい。どちらにしてもこの会談で、何かが変わります」
「一か月くらい前から城中ピリピリしてて、何か居辛かったわね」
口を尖らせながら言うのはこれまた勇者の一人である鈴宮千佳である。
彼女の言う通り、下手をすれば『魔人族』と戦争になるので、城の雰囲気がそうなっていても変ではない。
むしろいまだ平然としている千佳の方に問題があるとウェルも徐々に気づいていた。
「千佳様、二週間後、恐らく国王様はあなた様がたのお力を大いに頼られると思います。ここまで、多くの戦闘経験やクエストを乗り越えて、確実にお強くなられました。もし相手が裏切った場合、そのお力で国王様をお守り下さい」
念を押すように真剣な表情で言うウェルに対し、千佳は少しキョトンとした後、笑みを浮かべて頷きを返した。
そしてウェルに気づかれないように大志に耳打ちをする。
「ね、ねえ、ウェルってば聞かされてないの?」
「みたいだな。けど王様も誰にも言うなって言ってたし、知らされてないんじゃないのか?」
「そう? ならオフレコってことで、朱里もいい?」
「わ、分かりました」
突然自分に振られ戸惑いながらも答えたのは勇者の一人である皆本朱里だ。
しのぶはウェルと喋っていたが、彼女も無闇に情報を公開するような人物ではないので安心している。
「でも本当に『魔人族』って許せないよな」
「うん、絶対に勝つわよ大志、朱里」
「おう!」
「は、はい!」
三人は互いに決意を込めた表情で見回した。
※
その頃、執務室では国王ルドルフと大臣デニスが顔を合わせていた。
二人はどことなく緊張感を漂わせる固い表情をしていたが、先に口を開いたのはデニスだ。
「これで事が上手く運べば良いのですが……」
「ああ、そのためにあれから約半年、勇者たちを育ててきた」
「切り札として……ですな?」
するとルドルフは小さく首を振る。
「いや、勇者たちの存在は『魔人族』側にも知られておる。必ず警戒されておるだろう。だからこそ、その勇者という存在が目くらましになる」
「そうですな。恐らくこれで『魔人族』は何もできないはず。いや、あの男のことはどうなさるおつもりですか?」
「…………ジュドムか?」
「左様です」
ルドルフは微かに唸るとフッと笑う。
「アイツはワシのことを甘いというが、アイツの方が甘い。それは二週間後の会談で明らかになるはずだ」
「ですが、あの男も元『人間族』最強の冒険者。腕だけでなく頭も切れると聞きます。何かを企てたりは?」
デニスはジュドムのことをよく思っていなかったが、彼の残した実績や地位、そして彼自身の実力は見誤ってはいけないと判断していた。さすがは国王を支える大臣だけはある。
「アイツはワシを信じておる。『魔人族』は必ず動いてくる。その時に思うはずだ。ワシの方が正しかったとな」
「二週間後、時代が動く時ですな」
「ああ、それにだ、先程勇者を切り札と言ったが、本当の切り札は……」
そう呟きながら……。
カツカツカツカツ……
背後から聞こえてくる足音に二人ともがゆっくりと視線を向ける。
そこにはある人物が立っていた。二人が驚いていないところを見ると、顔見知りであり、ここにいることを許可されている人物のようだ。
そしてその人物を見てルドルフは、
「こちらが本命だ」
ほくそ笑むように笑った。
※
各国で行われた会議から数日が経った後、ある一人の青年が自分の目の前に映っている光景に首を傾け見入るように視線を送っていた。
「あれは勇者たちッスね……こんな時期にどく行くんスか……?」
大きな丸眼鏡に、それを覆い隠すように伸びたボサボサの青い髪。
どことなく人懐っこそうな柔和な顔を持つその青年は、以前【ヴィクトリアス】で開かれた誕生祭で、勇者の大志たちとひょんなことから知り合うことになった画家のナザー・スクライドであった。
ナザーは朝早くに城の近くまでやって来て、スケッチブックを手に持ち城を描いていたのだ。
だが彼は絵を描くことが真の目的ではなかった。
こうして不審に思われずに城の前にいる理由――それは監視。
もうすぐ『人間族』と『魔人族』の会談が行われる。
それを機に、何者かが何かを企てて会談を妨害するかもしれない。そうでなくとも、誰かが会談に影響が出るようなことをするかもしれない。そんな情報を得るために観察するのが彼の仕事だった。
そして今、普段はこんな朝早くに城を出るはずのなかった人物たちが、人目をはばかるように素早く城門から出てきたのだ。それが勇者たちだったので驚いたと同時に、やはり動いたかという思いも強かった。
「国王ルドルフが、何かするつもりだとは思ってたッスけど、まだ会談まで十日ほどあるのに、何をするんスか……?」
勇者が出てきた瞬間に、彼も素早く建物の陰に隠れて様子を見守っていたのである。
そしてその勇者たちは四人とも街の外へと向かって行っているようだ。
「……これは何かあるッスね」
長年の直観を信じたナザーは、おもむろに紙に何かを描いていく。
サササッと描いたのは小鳥の絵だった。すると驚いたことに絵であるはずの小鳥が突然立体的に浮かび上がり空に舞い上がっていき、ナザーの肩に止まる。
「一刻も早くこのことをキリちゃんに伝えてほしいッス」
「チチチ!」
小鳥は了解したと言わんばかりに鳴き声を上げると再び空に向かって飛んで行った。
「ここの動向も気になるッスけど、今は勇者たちを優先すべきッスね」
そう口にした彼は、大志たちが向かった方向へと足を進めた。何をするつもりか、必ず突き止めてやるといった決意を込めて。
※
「大変です陛下!」
突然自室に駆け込んできた自分の側近であるキリアの表情を見て、魔王イヴェアムは思わず眉をひそめながら問い返す。
「そんなに慌ててどうしたというのだキリア?」
彼女は息を整えると、イヴェアムに対して一度頭を下げてから要件を伝える。
「無作法にも礼を弁えずお部屋に入ってしまい申し訳ありませんでした。しかし陛下のお耳に一刻も早くお入れしなければならないと思い……」
「……何があった?」
深刻そうにイヴェアムは聞く。
「はい。実は……」
キリアは一応周りに気遣い、小さな声で耳打ちするように自分が今持っている情報をイヴェアムに伝えた。
そして段々とイヴェアムの顔が険しくなっていく。
「……何だと!? いや、そうか……やはり動くか『人間族』……」
悔しそうに歯を噛み締めて拳を震わせる。
「しかし陛下、彼らの用心深さも一応の理由はあるでしょう」
「……そうだな。前回のこともあるのだ。こちらを警戒するのも尤もだ。だがやはり勇者たちを動かしてきたか。狙いは恐らく……」
「はい」
キリアがゴクリと喉を鳴らす。
「国境を崩すことだな」
「つまり、橋を壊す……ですね?」
「ああ、『獣人族』との国境が無くなった今、もうそこだけが唯一の平和への架け橋だ」
「もし会談でこちらが『人間族』の機嫌を損ねるようなことをすれば、即座に橋を落とすという意思の表れだろう」
「『人間族』の切り札。『魔人族』にとって最強の天敵である勇者四人をそこに配置したとすれば、そのお考えで間違いないでしょう」
実際にイヴェアムは『人間族』がそうしてくるだろうことは予想はしていた。
もし『魔人族』との会談が上手くいかなかった場合、即座に橋を壊して二度と同盟などできなくする。
そして全戦力を持って会談に赴いた『魔人族』を殲滅する。『人間族』がそう考えているとイヴェアムは見ていた。
「ですが会談に赴くのは少数精鋭といえど、こちらはイヴェアム様を筆頭に、《クルーエル》の《一位》と《二位》が供につきます。それに私もお傍におります。向こうが全面戦争を仕掛けようとも、むざむざ殺されるほど弱くはありません」
確かに会談に連れて行ける人数は制限を受けているが、それでも『魔人族』最強の護衛が傍にいるのだ。そこで戦って負けるとは思えない。
「幾ら【ヴィクトリアス】が用意した精鋭だとしても、かの勇者がいないのであれば問題は無いかと」
キリアの言葉は尤もだった。幾ら【ヴィクトリアス】が誇る軍隊相手でも、『魔人族』のトップたちを相手するのは些か役不足である。
「……だが勇者を橋に行かせても安心できるほどの策があるということか?」
「どうでしょうか。いえ、確か会談場所は……」
「ああ、《オルディネ大神殿》だ。【ヴィクトリアス】から離れているが、【聖地オルディネ】、そこの大神殿の中にある《聖域の間》と呼ばれる場所で会談が行われる」
「確かそこはかつて、『人間族』を災いから救い、救世主となった勇者が没したと言われる場所ですね。その勇者を称えて《聖地》を拓いたと」
「そうだ。そこは勇者の威光が尚続いているのか、封魔の力が《聖地》を覆っていると聞く。とりわけ《聖域の間》は、微々たる魔力も放出できないほどの封魔の力が強い場所らしい」
「そこを会談に選んだのは、万が一の時、我々が魔法を使用できないようにするため」
「だろうな。それに武器などの争いを呼ぶような物を持ち込むこともできないという。つまり誰もが丸腰の状態だということだ」
「そこでなら、我々を屠れると……考えているのでしょうか?」
キリアが少し不安気に聞く。
「そう……かもしれん。もしこちらに敵対意思があり、それを『人間族』が察知した瞬間、死なばもろとも……かもしれんな」
しばらく沈黙が続き、先に口を開いたのはキリアだった。
「……やはり会談は中止になさった方がよろしいのでは?」
どう考えても『魔人族』側が不利な条件ばかりである。
確かに身体能力も『人間族』より優れているといっても、魔法が使えない状態では、あとは数がものを言う。
少数であるこちらに対して向こうは本拠地にも等しい場所である。多人数で相討ち覚悟で攻められたらさすがにイヴェアムを守れるかどうか不安だ。
だがそんな主を思って放ったキリアの言葉に対してイヴェアムは首を振って否定する。
「いいや、最初からスムーズにいくとは思っていない。何しろ遥か昔から続いてきた呪いのような鎖を断ち切ろうとしているのだ。成就するには難しいということは分かっている」
「陛下……」
「それでも決めたのだ。平和を勝ち取るためには同盟締結を成立させる必要があると」
「…………」
「『人間族』だって無闇に争う意思は無いはずだ。誰も殺し合いなど望みはしないだろう。だが相手をそう簡単に信じれるほど因縁は浅くは無い。どちらも怖いのだ。だからいろいろな事に手を置くのは当然だ」
『人間族』だってできれば平和的に同盟締結で終わればいいと思っている。
しかし『魔人族』を信じ切ることはやはりできない。成立するまで、いや、成立しても信じるには長い時間が掛かるだろう。
それだけ抱えている闇は大きいものだ。だからこそ会談の失敗も視野に当然入れているのだ。そして失敗した時、少しでも自分たちが優位に立てるように計らうのは当たり前なのである。
「だからこそ、少しでも信じてもらうために、こちらは波風立てないように動けばいいのだ。同盟の意思があると、それだけを伝えるだけだ。そうすれば彼らもきっと分かってくれる。上手くいく、上手くいくようにするのだ!」
キリアはそんな決意を込めた言葉を悠々を言い放つイヴェアムを見て微かに微笑む。
「さすがは我が王です。ならば私も、この心と体、全てを懸けて平和に捧げると誓いましょう」
そう言いながら膝をつき臣下の礼をとる。
「ああ、頼んだぞキリア。私が一番信頼を置くお前が傍にいてくれるだけで私は前を向いていける。ともに平和を掴もう!」
「御意に」
※
『人間族』と『魔人族』の会談が一週間後に迫ったその日、勇者四人の後を追っていたナザーは、目の前の光景を見て愕然としていた。
今ナザーがいるのは『人間族』と『魔人族』の大陸を繋ぐ唯一の橋。
つまり国境なのだが、そこにある橋の上には、『人間族』が橋を壊さないようにするために腕利きの『魔人族』を配置しているのだ。
その『魔人族』の名はイーラオーラと言い、元『クルーエル』の一員でもあった人物である。
だからその強さは人間も知っている通りとてつもないものを持っているのだ。無論他にも優秀な者たちも配置されている。だからこそ今まで橋を壊せずにいた。
だが驚いたことにその橋を勇者たちは躊躇せずに渡り出しているのである。会談が迫っている中、どうしてそんな混乱を招きそうな暴挙ともいえる行動に出ているのか甚だ分からず唖然としてしまっている。
ナザーはスケッチブックで書いた鳥を勇者たちの近くへ飛ばせて、様子を窺っている。鳥が見聞きしたものは、ある程度の距離ならナザーにも伝わるので、伝達係りとして使用しているのだ。無論勇者たちは気づいていない。
橋を渡って行き、橋の中央に位置取っているイーラオーラに段々と近づいていく。そして彼の目の前まで来た勇者の一人の言葉に度肝を抜かれる。
「アンタがイーラオーラか?」
「ああそうだ」
「そうか、ならアンタが協力者だな」
い、今何と言った? と頭の中で何度も反芻する。
(きょ……協力者……? え……あれ……ちょっと待ってッスよ……協力者って…………何のッスか?)
彼らの言葉の意味が理解できず戸惑っていると今度はイーラオーラの方が衝撃を放つ言葉を述べる。
「奴らはもう中に入っている。おい、案内してやれ」
イーラオーラは部下の一人にそう言うと、部下は勇者たちを促して進み出す。
勇者たちも彼の言葉を聞くとそのままイーラオーラを通り過ぎ橋を渡って国境を渡っていく。
つまり『魔人族』の大陸へと足を踏み入れようとしているのだ。
(奴ら……? 奴らって何なんスか?)
自分でも知らないうちに全身から汗が噴き出ていた。喉が渇き、思わず小さく唸り声を上げると、頭を抱え込む。
「ど、どういうことッスか? 何でイーラオーラが勇者たちをあっさり通すんスか? それに奴らっていうのは……?」
だがそこでハッとなりスケッチブックに絵を描いていく。
「と、とにかく異常事態が発生してるみたいッスね! 一刻も早くこの情報を伝えないと、『魔人族』がヤバイような気がするッス!」
すると突然背後から首を掴まれる。
「っ!?」
まるで気がつかなかった。確かに今の状況に動揺し普段通りに冷静さは無かったかもしれないが、それでもそんじょそこらの輩に遅れを取るような柔ではないと自負していた。
特に気配を消す隠密行動に特化している自分の能力は、気づかないうちに敵を捕らえることはあっても、こうして捕われることなど皆無だった。
それなのに自分に気取られないで近づき、あまつさえ首を掴み動きを奪われるとは、まるで悪夢を見ているかのような錯覚さえ覚えた。
「……だ……誰……ッスか?」
何とか声を絞り出し背後を確認する。すると少しくぐもった声が聞こえてくる。
「お前の役目はもう終わった。寝ていろ……テッケイル」
その言葉にハッと息を飲みながら、
「は……はは……じ、自分のこと、知ってるみたいッスね……光栄ッスね……」
強がるように笑みを浮かべながら、静かに手を動かしていく。
そして――――グサッ!
突如彼が持つスケッチブックから剣が飛び出して、後ろにいる人物の頭を貫いた。その隙に拘束から抜け出して、相手を確認する。
「ふぅ、油断大敵って奴ッス。悪く思わないでくれッス。まだこんなとこで死ぬわけにはいかないんスよ」
相手はローブを着ていてフードで顔を覆っていたので、まずはフードを外さなければならない。
完全に沈黙しているのか、頭から血を流し倒れている。
ピクリとも動かない人物に近づきフードを取ろうとしたところ、ガシッと突然腕を掴まれてしまう。
「なっ!?」
完全に死んだものと思っていたのにと思って勢いよく腕を振り、何とか拘束から抜け出しその場から離れる。
少し距離を取りつつ相手を見つめる。
まるで幽霊のようにユラリユラリと立ちながら、頭に刺さっている剣を抜く。ブシュッと血が噴き出すが、何でも無いかのように剣を地面に投げ捨てる。
(手応えはあったッス……それに頭を貫かれて平気な生物なんているんスか……?)
相手の不気味さに背筋が冷たくなっていくのを感じる。
「さすがは《クルーエル》の《序列三位》テッケイル。この私を一回殺すとは驚きだ」
「…………どうやら人違いじゃなさそうッスね」
完全に相手は自分を狙っていることを知り身構える。そしてチラチラとフードの中身を覗こうとしている。相手にもその意思が伝わったのか、くぐもった笑いが聞こえて
「どうやらこの中身が気になる様子。私を一回殺したことに敬意を表して、見せてやろう」
そう言ってフードをゆっくりと上げていく。ナザー改めテッケイルは険しい表情で見つめていたが、その顔が徐々に信じられないものを見たかのように固まっていく。
「な……な……馬鹿な……何で……どうしてこんなとこにいるんスか……っ!?」
するとその驚きで硬直しているテッケイルをよそに、相手はその場から瞬時に消える。
「……え?」
気付いたら相手は自分の背後にいた。
トン……!
首元に衝撃がきたと思ったら、同時に目の前がグラリと揺らいだ。
そして段々と白くなっていく光景。
最後に思い浮かんだのは魔王イヴェアムや仲間たちの顔。
(このままじゃ……みんなが……)
だが抵抗虚しく、意識が遠のいていく。そしてそのままストンと闇に落ちていった。
※
会談まで後五日と迫った日、『人間族』と『魔人族』の国境では、魔王軍を連れてイヴェアムが橋を渡っていた。その途中、橋の中央には彼女のよく知った顔があった。
「イーラオーラ、変わりはないか?」
橋の護衛を任せている責任者であるイーラオーラに声を掛ける。彼はその三メートル以上はあるであろう巨体をイヴェアムの前で屈し臣下の礼をとる。
「はっ! 実は勇者どもが数日前、この【ムーティヒの橋】に現れました」
「ああ、こちらもその情報は掴んでいる。それで? 何か事が起きたか?」
するとイーラオーラはハッキリと首を横に振り答える。
「いえ、橋の先でこちらを警戒するように見守っているだけでした」
「今も勇者はこの先にいるか?」
イヴェアムは長い橋の先を見つめながら言う。
この【ムーティヒの橋】も、他の国境にある橋と同じで距離が長い。大体十キロほどあるので、中央に位置する自分たちからは、まだ橋の終わりには五キロの距離がある。
「恐らくは……」
「そうか……やはり事が起こった場合、この橋を破壊するつもりだな。……キリア」
「はい」
雪のように真っ白な髪を揺らしながらイヴェアムの近くに来る側近であるキリア。
「向こうの要求は、人間界に連れて入るのは『クルーエル』だけ。だがここにオーノウス、シュブラーズ、グレイアルドを置いていく」
その言葉に反応したのはほぼ全員だったが、実際に口を開いて問い返したのはイーラオーラだった。その顔には明らかに不愉快さが滲み出ていた。
「陛下はワシが信じられないと?」
イヴェアムがそんなことを言ったのは、イーラオーラだけでは橋を守り切れないかもしれないと判断したからだと思った。
つまり『人間族』のような脆弱な種族に自分が負けると思われていることに腹が立っているのだろう。
「いや、そうではない」
「では、何故でしょうか?」
「立場を弁えろイーラオーラ!」
そう怒気を含めた言葉を投げつけてきたのは《序列二位》のマリオネだった。
「貴様の立場は今、橋の護衛隊の隊長だ。いつまでも《クルーエル》だった時のような進言は慎むがいい!」
するとギロッとイーラオーラはマリオネを睨みつける。二人の間に確かに火花が散っている。
「よせ二人とも!」
イヴェアムの言葉で、互いの視線を逸らせ場を鎮めることに成功する。だがお互いはまだ納得がいっていないという表情だ。特にイーラオーラには、明らかな苛立ちが見える。
「はぁ、いいかお前たち。我々は同志だ。確かに立場というものを与えることで秩序を作りはしたが、それでもイーラオーラが『魔人族』のために貢献してくれていることは明白だ。彼の意見も『魔人族』の意見。無視はできるはずも無い」
マリオネはふんと鼻を鳴らして身を引く。
「先程の質問だがイーラオーラ」
「はっ!」
「お前の力は存分に理解している。だがこの橋は決して壊させてはならない」
「……」
「普段の『人間族』の兵士相手ならお前がいれば十二分に安心している。だが今回、勇者がいる。彼らの実力は未知数だ。こちらも調査はしたが、特にここ半年の間は、意図して勇者の戦いを隠してきた節があった」
テッケイルという隠密を侵入させて情報収集に動いてもらってはいたが、彼からの情報ではなかなか勇者たちの強さを知るようなものは無かった。
隠密に長けているテッケイルが、それほど情報収集に苦難したのは、余程彼ら『人間族』がひた隠しにしてきたせいだろう。
それだけ今の勇者たちの実力を知られたくないと相手は思っているのだ。だから、今の段階で勇者の実力が窺い知れないとなると、イーラオーラだけで安心するのはリスクが高いのだ。
「勇者たちは未知数。しかも全員が光魔法を使えることは調査で分かっている。それが四人もいる。お前を信じているが、やはり不安にもなるのだ。分かってくれ」
「…………御意」
仕方無くといった感じでイーラオーラは頭を下げて了承の意を表す。
「ということだ、オーノウス、シュブラーズ、グレイアルドはここに残って橋の防衛を頼んだぞ」
「「「はっ!」」」
イヴェアムの言葉に三人が返事をして頷く。
そしてイヴェアムたちは橋を進んでいく。
すると一人だけ立ち止まりオーノウスに近づいたのは、《序列一位》であるアクウィナスだ。
「どうしたアクウィナス?」
無論彼のその行動を怪訝に思ったオーノウスが問う。
「オーノウス、お前は国に戻ってくれ」
「は? 一体何を言っている?」
アクウィナスが周囲を窺うような小さな声量なので、オーノウスもそれに倣う。
「どうにも嫌な予感がする」
「嫌な予感だと?」
「ああ、この会談……恐らく荒れる。しかも相当な」
「…………根拠は?」
「言っただろ、予感だと」
オーノウスは友であるアクウィナスの目をジッと見つめる。そしてフッと笑みを浮かべて肩を竦める。
「一応、ここにいるのは魔王様の命なのだがな」
「すまない。しかし頼めるのはお前しかいない」
「…………分かった」
「頼む」
「だがお前も、陛下のことを必ずお守りするんだぞ」
「言われるまでもない」
そう言うとアクウィナスはイヴェアムの後を急いで追って行った。その背中を見つめてオーノウスは険しい表情をする。
(確かにこの会談、こうも静かだと逆に不気味ではある)
オーノウス自身も懸念していたのは『獣人族』のことだ。
この会談が成立すれば一番困るのは彼らである。
先にも辛酸を舐めさせられた彼らが、今回のことを黙って見ているわけがない。
何とかここまでやって来て橋を落とすようなことをしてもおかしくはないと思っていたオーノウスだったが、『獣人族』の影も形も見えないことに若干の不安を覚えていた。
(確かに荒れそうだ。アクウィナス、陛下を頼むぞ)
そう言って再び友が向かって行った先をジッと見つめた。




