73:アスラ族との別れ
リグンドが消えてすぐに、『完治』の文字で回復したジンウが目を醒ました。彼はカミュから事の経緯を全て聞いて、自分がその間にのうのうと寝ていたことに歯噛みをしていた。
「そうですか……ですが、リグンド様は笑っておられたんですね」
「……うん」
目を閉じ顔を空に向けて万感の思いを込めたように温かい息を吐く。
「良かったです。長……ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「ううん。謝るのは……こっち。ごめん……俺が最初から覚悟してたら……」
「長……」
「だけど気になる」
「何がですか?」
「どうして……傷無いの?」
「あ、ああ……それはですね……」
そうしてチラリと日色を見てくる。
だが日色は腕を組んで目を閉じていた。自分は説明など面倒などでするつもりはないのだ。
日色の態度の真意に気づいた様子のジンウは、軽く溜め息を吐くと「実はですね……」と語り始めた。
そしてジンウから自分の怪我を治したのが日色だと聞かされ、カミュが脇目も振らずに日色に詰め寄ってくる。
「ヒイロ!」
「な、何だ?」
「お願い……ある!」
「…………はぁ」
日色には彼が何を言うか予想していた。
「仲間を治して!」
やはりそうだった。ジンウを治した時からこの状況になるのは覚悟していたが。
それに『アスラ族』に知られたところで、彼らの性格上、問題など起きないだろうと思っていた。
事の成り行きではあるが、カミュは日色の部下になっているということもあり、その仲間である彼らを治すのにも吝かではないと思っていたのである。
ただし、幾ら部下といえどただで動かないのは日色だ。
「はぁ、治してやってもいいが、その分、こっちの要求を飲めるか?」
「何でも!」
少しは考えろと言いたくなるが、一族のためなら何でもすると豪語している彼にとっては当然の答えだったのだろう。
「……分かった。なら美味いものを腹一杯食わせろ。それが条件だ」
「うんうん!」
カミュは普段の無表情から少しだけ頬を緩めてコクコクと頷きを返した。
「おほん! ところでヒイロ様?」
その時、シウバが咳払いとともに声を掛けてきた。
「何だ?」
「少々老体のわたくしには、この状況は厳しいのですが?」
シウバは周りを見渡ながら寒そうな表情で言う。
そう言えば忘れていた。今砂漠は辺り一面が氷に覆われているのだ。
これは『氷結化』という新しく解放された《文字魔法》の三文字を使用した結果だ。
「そういえば、何でこんな状況に?」
ジンウは首を傾けながら、地面から漂ってくる寒気にブルルと身体を震わせている。
「コレ……ヒイロがやった」
「……え? 本当ですか長? これを……奴が?」
目をパチクリさせながら日色を見つめるが、日色は彼の態度を無視して文字を書いていく。
書いた文字は『元』である。
いつも通り、《文字魔法》の『硬』や『伸』などを元に戻すために使っている文字だ。
そうして『元』の文字を発動させた――が、
――バチンッ!
どういうわけか文字自体が弾けて消失したのである。
「……ん?」
日色は『元』の文字が効かなかったことで、顎に手をやり思案した。だがその時、バチバチィッと全身に電気が走ったような痛みを感じる。
突然呻き声を上げ膝をついた日色を見て驚く面々だが、実際日色はこの痛みは初めてではない。
(や、やはり《反動》がきたか……)
恐らくこれは《文字魔法》が上手く発動させられなかった《反動》だった。
以前にも、確認のために《反動》の効果を試していたのだ。文字が上手くイメージできずに発動できなかったり、こんなふうに失敗した時などは、こうして身体に痛みが走ったり、大幅にMPが削られたりした。
だから別段驚きはしなかったが、それよりも問題は効かなかったことだ。一応無事だということを三人に言うと、再び考え出した。
(効かない? いや……もしかしたら)
そう思い、今度はある文字を地面に書いていく。そして発動させると、瞬く間に氷結した地面が、元の砂漠に戻っていった。
(ん~なるほどな)
書いた文字は『砂漠化』。
日色は周りを見渡す。完全に元に戻ったようだ。
(どうやら三文字には三文字の文字でしか元に戻せないようだな。まあそれだけ威力があるってことだが……)
いちいち元に戻すだけで大量のMPを消費するので、今後は使いどころには注意が必要だと判断した。
何故なら今回『氷結化』で600、そして元に戻すために『砂漠化』で600。合計1200のMPを消費した。とんでもない消費量だ。並みの冒険者なら一瞬で空になるほどである。
突然砂漠に戻ったことで、さすがのシウバも含めて皆がキョトンとしている。そこに外に待機してモンスターの侵入を防いでいたリリィンたちがやって来た。
だがそのリリィンだが物凄い速さで走ってくる。
――ダダダダダダダダダ!
そしてガバッと日色に詰め寄り襟首を掴んだと思ったら
「おい小僧! さっきのは何だ! お前の仕業だろう!」
どうやら『氷結化』と『砂漠化』のことについて問い詰めているようだ。
「ふん、答えてやってもいいが、それを自分で分析して見破るんじゃなかったか?」
意地が悪そうな表情を浮かべて日色が言うと、
「む……むぅ……それは……しかし……」
確かに自分がそう言っていたことを思い出したようで口ごもってしまう。
日色は彼女の手から襟首を解放させて、ちょうどいいと思い問う。
「そんなことより、モンスターはどうした?」
「あ? ククク、あのような雑魚など、暇つぶしにもならんわ」
「……手を出さないんじゃなかったか?」
「む……うるさい! 奴らがあまりにもノロノロやってたから見てられなくて手を出してやっただけだ!」
顔を赤く染めながら必死に言い訳する姿は、どこからどう見てみただの子供だった。
「ノフォフォフォフォ! お久しぶりでございますお嬢様!」
「ん? ああ何だ……生きてたのか」
軽く舌打ちが聞こえたが気のせいではないだろう。
「ノフォフォフォフォ! そのツレナイ態度はお嬢様の寂しさの現れ。いいでしょう! この不肖シウバ・プルーティス、その幼気なツンデレお嬢様に、その寂しさを埋めるため喜んで胸を貸しましょうぞ! おっ嬢さまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
カエル跳びのような恰好でリリィンめがけて執事が行く。
すると彼女から凄まじい殺気が迸る。
――ピシュン!
瞬間、リリィンの姿が消えたかと思ったら、上空から向かって来るシウバの、さらに上に位置取り、彼の両足を両手で掴んだかと思うと、
「はうぅぅぅぅんっ!?」
何と、両足で勢いをつけてシウバの股間を攻撃した。
それを見た『アスラ族』の男たちは、思わず内股になる。シウバは完全に白目を剥き、口から涎を垂らして沈黙した。
「だ・れ・が、ツンデレお嬢様だぁぁぁぁっ!」
そのままパイルドライバーよろしく、砂山にシウバを頭から突き刺しトドメを刺した。砂から下半身だけ生やし、面白いようにピクピクと痙攣させている。
(哀れ……変態執事)
日色は心の中で合掌した。
「ふぇぇぇぇぇぇっ! シウバ様ぁぁぁぁぁぁっ!」
シャモエだけは彼の安否を気遣っているが、パンパンと服を叩きながらこちらへ向かって来るリリィンに「放っておけ、もう死んでる」と言われて、また「ふぇぇぇぇっ!」と驚いていた。
「す、凄いですね彼女……」
「う、うん……」
「言っておくがオレをアイツらと一緒にするなよ」
ジンウとカミュが唖然として呟いているが、日色は三人とはノリが違うということを説明しておいた。一緒にされたら堪ったもんではないのだ。
オアシスに帰ると、シヴァンたちは笑顔で出迎えてくれた。
カミュから話を聞いたシヴァンは、途中悲しそうな表情を浮かべていたが、カミュたちが無事に帰って来たことが嬉しいと言って笑顔を見せた。
その後、日色はカミュとシヴァン、ジンウを伴って怪我人が集められているゲルに向かった。彼らの怪我を治すためだ。
「いいか、これから行うことは他言無用だ。それが守れるなら」
指先に魔力を宿し始める。
「怪我ぐらい治してやる」
日色の言葉に三人は頷きを返す。
そしてそれからは一人ずつ、日色の『完治』の文字で治されていった。
特に子供を必死で看病していた母親は、我を忘れたように子供を抱きしめて泣いている。母親だけでなく、治った者たち全員が、何度も何度も日色に頭を下げてきた。
「そんなことより約束は守れよ二刀流」
「ん……分かった」
「ん? 約束とは何じゃ?」
「じっちゃん」
「何じゃ?」
「今日は……宴」
「……?」
その後は大急ぎだった。『アスラ族』は夢に見た平和を勝ち取り、それを祝って宴を開くというカミュの言葉で、急いで準備を始めたのだ。
池のほとりに、大人が数人は入れそうな大きな鍋を用意し、そこに具材などを入れて煮込んでいる。
カミュ曰く《アスラ鍋》と呼ばれる祝い事などで作られる料理らしい。
一族皆で鍋を囲ってワイワイ楽しく食事をする。そうすることで、死んだ仲間たちの魂も、その時だけは現世に甦り、ともに時を過ごすと信じられている。
女性たちが中心となって男に指示を出して料理している。中にはその具材を入れるのはまだ早いと怒鳴られている者や、野菜の切り方が雑だと言われている男たちがいた。まるで頼りない男よりも、女たちが切り盛りしている種族のように見える。
だが実際に『アスラ族』は、狩りや護衛などの戦いの危険性を孕んでいる仕事は男性がして、皆の世話や作物を育てたりするのは女性がしている。そしてこういう場では、やはり女性の方が権利が強くて、男性は言いなりに動くしかないのだ。
鍋がグツグツと音を立てて、風に乗って良い香りが鼻腔をくすぐる。それはカレーに似た刺激の強い匂いだった。だが確実にそれは腹の空腹感を大いに刺激してくる。
思わず涎が止まらなくなる。近くにいるミカヅキまでも口から大量の涎を滝のように流している。
「おいコラよだれ鳥」
「グウィ~」
「何がグウィ~だ。その涎何とかしろ。見ろ、足元が水たまりみたいになってるだろうが」
ミカヅキの足元は、その涎のせいで水たまり、いや涎たまりができていた。
日色に言われてズズズズッと涎を吸うが、また溢れ出てくる。
それを見て日色は呆れて溜め息を漏らし肩を竦める。
「……ヒイロ」
そこへカミュが傍にやって来た。
「どうした?」
「じっちゃんのこと……ありがと」
「ああ……気にするな。もののついでだ」
日色は重症者を治した後、シヴァンの傷も治してほしいとカミュに頼まれたのだ。日色にとってそのまま続けて治すだけなので面倒だとは思ったが別に良いと思っていた。
しかし当の本人であるシヴァンはそれを断った。当然それに驚いたのはカミュとジンウだ。治せるものを何故治さないのか理由が分からなかったからだ。
しかし彼はこう言った。
『これは戒めとして体に刻んでおこうと思うんじゃ』
彼は今も自分の未熟さ加減に憤っていた。
本来なら自分がリグンドを止めるべきだったと言う。そうすればカミュに悲しい思いなどさせずにすんだと。だが自分は右足を切断、そして失明という障害を抱え、結局カミュに全てを託すしかできなかった。
何もできず時だけが過ぎ、もういつあの世から迎えが来てもおかしくない年齢になった。たとえ身体を治したところで、若かりし頃のような動きはもうできない。それならばと、このまま自分の不甲斐無さを忘れないように、傷を背負ったまま死んでいこうと思ったらしい。
しかしカミュはシヴァンの言葉を大きく首を振って否定した。
自分がここまで成長できたのも、シヴァンの指導力があってこそだった。早くから父と母を失った幼い自分を、強く成長させてくれたのは他でもないシヴァンだった。
シヴァンは過去の経験から学んだ全てをカミュに叩き込み、長として立っていけるようにと教育した。
それをカミュは忘れていない。シヴァンにはもう、傷なんて必要無い。だから治ってほしいと切実に言った。
その言葉を受けたシヴァンはしばらく思案していたが、なら一つだけ条件があるとカミュに申し出た。
『この足だけは元に戻さなくていい』
義足のついた足を指差してそう言った。無論カミュとジンウは反対したが、これだけはとシヴァンは譲らなかった。「この頑固ジジイ」とカミュから暴言を受け取りながらも、シヴァンは日色の《文字魔法》で、失明だけを治してもらうことにしたのだ。
彼はもう前線には立てない。たとえ足が元に戻ったところで戦えるほどの力は無い。だがもう一度、この目で家族を見たいと思った。それで失明だけを治してもらったのだ。
「でも……ホント頑固だよ……じっちゃん」
まだ気にしているのか、少しムッとなって愚痴を言っている。
「それがあのヨボヨボが選んだことだろ。家族なら受け入れてやったらどうだ?」
「むぅ……」
「それに、見てみろ」
鍋の近くにいるシヴァンは子供たちに囲まれて笑っている。
皆も突然シヴァンの目が復活したのには、それこそ鳩が豆鉄砲をくらったかのような驚き具合だったが、家族の目が治ったことを大いに喜んだ。
「じっちゃん……嬉しそう」
シヴァンは優しげに微笑みながら、子供の手を取り喋っている。
「これで……良かったんだね」
「さあな、だがあの顔を見れば、少なくとも悪くはなかったんじゃないか?」
「……うん。……ヒイロありがと」
日色は目を閉じて腕を組む。素直に礼を言われるのは少し背中が痒くなる。自分でもらしくないことをしていると思いつつ、こういうことも悪くないなと感じた。
そこへ鍋が完成したという声が耳に入って来た。
日色も目を開け、ようやくかと待ち遠しかったように足早に鍋の方へと歩いて行った。
大きな葉っぱで作った器に注がれたのは、見るからに辛そうな赤色をした液体だった。それはシチューのようにドロッとしていて、中には幾つもの具材が一口サイズで放り込まれてあった。
匂いはそれこそビーフシチューのような匂いがする。一口スープをまず口に放り込む。だが見た目と違って全く辛くは無い。それどころかコクがあって、仄かに感じる酸味と甘みが食欲を誘う。
これはご飯にかけたら間違いなく手が止まらない。
そう思った瞬間、日色の近くに子供がやって来て、一つの器を手渡してくれた。そこにはパンのようなものが乗せてあった。
「おにいちゃん、はいコレ」
笑顔で渡してくる子供から器を受け取ると、周囲を見渡してみる。他の皆はこのパンのようなものを手頃の大きさに引き千切り、スープにつけて食べている。まるでフォンデュだ。
日色もそれに倣って口にしてみる。
「はむ…………んお!?」
食べた瞬間、この食感には憶えがあった。
それは…………ナンである。
カレーによく合うナン、これはまさしくそれだと思い、勢いよく口内に流していく。
「へへへ、おいしい?」
「ああ」
そこで改めて子供の顔を見てみると、その子は日色が治療した子だった。そこへ母親らしき人物もやって来た。
「あ、おかあちゃん! おにいちゃん、おいしいって!」
「ええ、良かったわね」
子供に笑顔で答える母親。
「本当にこの度はありがとうございました」
ゲルの中で散々礼を言われたのに、まだ言い足りないのかと思った。しかし、こうして感謝されるのは悪い気分でないことも確かだった。
「気にするな。ところでこのナン……じゃない、コレは一体何だ?」
「ああ、それはあの木の実ですわ」
そう言って母親が指差したのは、一本の木だった。ヤシの木みたいなそれに、バレーボールくらいの大きさの実が生っている。
「あの実を適温で温めると、こんなふうに柔らかくなるのです。私たちの主食ですわ」
「なるほどな」
「それにスープの中に入っているのは、《リモーネ茸》、《グリーンクラブの身》、《ルビーグースの肉》、《トローリ貝》などです。どれもこの砂漠でしか手に入らないものですわ」
なるほどと思い、一口大に切られてあるそれらを口に運ぶ。
《リモーネ茸》はレモンの風味がした。酸味の正体はコイツだった。
《グリーンクラブの身》は、緑色のカニの身だ……まあ、そのままだが。コイツはプリプリとしていて噛んでて楽しい食感だ。またカニ独特の甘みが広がってきた。
《ルビーグースの肉》はボリュームがあって、とても柔らかい肉である。もともとは赤い色をしていたらしいが、煮込むとその赤が出汁に溶け出し、肉そのものはササミのような色に脱色するらしい。コイツのせいで赤いスープになっている。
《トローリ貝》は、その名の通り、煮込むと溶けて液体にとろみをつけてくれる。また貝自体にもコクと甘さがあり、それが具材全てを包んでくれていた。
他にも見たこともない野菜などがあったが、どれもこのスープに合っていてとても堪能できで満足だ。気づけば五杯もおかわりしていた。
母親と子供は、日色に解説が終わると一礼してどこかへ行ってしまった。そこへ呼んでもいないのにリリィンがニヤニヤしながらやって来た。
「貴様も子供には甘いのだな」
「さあな」
構うと話が長くなりそうなので適当に返答する。
「それにしてもヒイロよ」
「…………」
「貴様の《文字魔法》、なかなかに愉快な魔法のようだな」
どうやらその話がメインのようだ。
「今回も途中まではずっと観察させてもらっていた」
彼女曰く、途中までというのは、砂漠のモンスターが増援を呼ぶまでだそうだ。
あれから日色が戦闘をカミュに譲ったので、もう興味を失せて、そばにウヨウヨと出てきたモンスターで暇潰ししていたらしい。
しかしその後、突然地面が氷に変わったので驚愕したのだ。
「あそこまでの威力を持っているとは、正直前よりも興味が増したぞ? ククク」
「ふん、お前の魔法だって相当のものだろう?」
言われてばかりだとムカついたのでここらで反撃に出た。
「ん? 何のことだ?」
「惚けるな。もう気づいてるんだろ? オレの魔法は万能だ。相手のことを調べることだってできる」
「…………」
彼女は黙っているが笑みは崩していない。
「お前の魔法……バロンボーンリザードの時に見たが、あのデカい釘そのものがお前の魔法なんかじゃない」
「……ほう」
キラリと目の奥が光るのを日色は確認した。
「ハッキリ言ってやろうか? お前の魔法はユニーク魔法……その名も《幻夢魔法》だ」
そこで初めて彼女の動揺が見えた。ピクリと眉を動かすが、さすが長く生きているだけあって笑みは崩さない。
※
「…………ククク、どうやらワタシが思っている以上にとんでもない奴らしいな小僧は」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
実はリリィンだが、日色の魔法について粗方見当がついていた。
その上できっとこちらの魔法の正体も知られているかもしれないと予想はしていたが、こうも完璧に言い当てられるとさすがに内心では動揺を覚えた。
(面白い……本当に面白い! それにこの小僧、気づいているのかどうか知らんが、どうやら面倒ごとに巻き込まれやすい体質のようだ。ククク、この小僧の近くにいれば退屈とはかけ離れた経験が望めるかもな)
日色の極めて稀な体質にほくそ笑み、これからも面白いことが絶対起こると確信する。
それから互いに探りを入れるような視線をかわしながらも、その間に現れたシウバによって空気が変わる。
「ノフォフォフォフォ! 楽しんでいますかヒイロ様ぁ! ノフォフォフォフォ!」
異様にテンションの高いシウバを鬱陶しそうに見つめる日色だが、その手に持っている木でできたコップを見て口を開く。
「おい、それまさか酒か?」
「ノフォフォフォフォ! そ~でございま~す! と~っても美味でございますよぉ~!」
ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干していく。
「ぷはぁ~、これは堪りませんですなぁ~!」
「ふぇぇぇぇぇっ! 暴れ過ぎですよぉ~シウバ様ぁ~!」
そんな踊り狂いながら酒を煽るシウバを止めようとシャモエが必死に声を掛けているが、全く効果が無く次第に半泣きになっていく。
「う、うぅ……やっぱシャモエは何もできない駄目メイドなんだ……くすん」
彼女もまたどこかテンションがおかしい。そしてよく見ると、その手に木のコップを持っている。どうやら彼女も飲んでいたようだ。
「うむ、なかなか美味いなこれは」
いつの間にかコップを持っていたリリィンは、同じように胃に流していく。
「貴様もどうだ?」
「いらん。酒には興味無い」
「ふん、ガキめが。この程度の酒も飲めないとは、つまらん奴め」
「何だと?」
ピキッと額に青筋を立てる。
「ワタシの酒も飲めないとは、ああ~嫌だ嫌だ。酒の美味さが分からない若輩者がこんな近くにいたとは……まあ、小僧などミルクでも煽っていろ」
そう言ってその場を離れようとした時、ガシッとリリィンの腕を日色が掴んできた。
※
「む?」
「見くびるなよ? オレは酒に興味が無いだけで、飲めないわけじゃない」
そう言った日色は、リリィンの持っていたコップをぶんどるように取り上げて勢いよく口内に流していく。
「お、おいそれは……」
何故かリリィンが少し焦った様子で声を掛けたようだが日色は気にしていない。
「ぷはぁ~、どうだ!」
口を少し尖らせながらリリィンに自慢するように言うが、ハッキリ言って酒の味など理解していなかった。ただただ喉に流しただけなので味わう時間が無かったのだ。
だがそんな日色に対して、リリィンはというと、少し頬を紅潮させてコップと日色の口元を見比べていた。
「あ? どうした赤ロリ?」
「な、何でもないわ!」
そう言って日色から勢いよくコップを取り上げるとその場を離れて行った。
「…………何だアイツ……?」
日色は心底わけが分からないといった様子で首を傾けていたが……。
リリィンは少し離れたところでコップを両手で持ち、ジッと眺めていた。
「い、いや、これしきのことで気にしてるわけではないのだが、というより奴のあの無反応ぶりというのは一体どういうわけだ? 慣れておるのか? いや、そもそもそういうことに無頓着そうだが、それにしても……」
そっと自分の唇を指先でなぞりながらまたか~っと顔を真っ赤に染める。
「おんやぁ~、おっ嬢様ぁ~! どうかなさいましたかぁ?」
空気を読まない執事が現れた。ギリッと歯を噛み締め肩を震わせる。だがそんな様子に気づかない酔っ払い執事は口をキスするように突き出してきて、
「おっ嬢様ぁ~、是非抱きしめてその愛らしいお口にちゅ~っとしても良いでございますかぁ~」
ちゅ~という言葉にボンと頭から湯気を出す。
そして段々と近づく酒臭い唇。それを見て額に青筋を幾つも立てる。
「ほほう……それほど接吻がしたいか?」
「むっちゅ~」
「なら思う存分!」
シウバの身体に、その小さな身体で抱きつく。
「お、おお~! こ、これは積極的でございますなぁ!」
だが何故かそのシウバの身体がフワッと浮く。
「ノフォ?」
そしてそのままの格好で地面が物凄い勢いで近づいてくる。いや、近づいているのは自分の身体の方だった。
「ノ、ノフォォォォォォォォぶひゅぶぅっ!?」
そのまま地面に顔が突き刺さったシウバは、完全に沈黙した。
シウバから身体を離して腕を組みながら汚れたものを見るように見下ろす。
「地面とでもしているがいい」
その様子を周囲にいる『アスラ族』が唖然として見ていたが、子供たちは地面に突き刺さったシウバの身体を面白そうにツンツンと突いている。
(何やってんだアイツら……)
日色は呆れた様子で溜め息を漏らしていた。
(そしてコイツ……)
チラリと横目で見ると、そこには可愛らしい表情で寝息を立てているシャモエがいた。
(はぁ、相変わらずだなどいつもこいつも)
こめかみに指先を当てて困ったように目を閉じる。
だが酒のせいでポカポカと温かくなっている自分の身体に気づき、日も暮れて涼しくなった風の気持ち良さに心地良い気分になる。
そしてこんな日も悪くないなと思って、夜空を見上げた。
翌日、日色たちはようやく砂漠を渡ることができたので旅を続けることにした。それに駄々をこねたのは、カミュと子供たちだった。
「ヒイロ……一緒にいよう」
「無理だ。オレにはやることがある」
「……昨日聞いた。世界を見て回る」
「そうだ」
「そんなのいいじゃんかぁ! みんなでここでくらそうよ!」
「そうだそうだ!」
「いかないでよひーろー!」
いつの間にか日色の名前が広がっていたが、子供たちは昨日から楽しそうにヒーローと叫んでいた。
「俺も行きたい……けど俺は」
「そうだな、お前は家族を守るんだろ?」
「……うん。でも……俺はヒイロの部下」
悲しそうに顔を俯きがちにして言う。余程日色と一緒にいたいのだと誰もが理解できる。
「二刀流」
「何?」
「もし今度会った時、今よりも強くなっていたら、その時は名前で呼んでやるよ」
するとハッとなって顔を上げる。
「ホント!?」
「ああ、だから自分のやるべきことをしろ」
「……うん! 俺は……俺たちは日色たちに救われた。だから……いつかこの恩は……返す。きっと……必ずね」
「まあ、期待しないで待ってるとするか」
日色はほんの微かに頬を緩めて言う。
そしてリリィンに対してシヴァンが口を開く。
「リリィン、お主のことじゃから心配はしておらんが、見たところ以前お主が言っていた野望とやらはまだ叶えておらんようじゃのう」
「ふん、そのうち叶えてみせるわ」
「ほっほっほ、その時は是非我らも力を貸そう」
「……当然だな。貴様には昔から貸しが山ほどある」
「そうじゃな。…………息災でのう」
「貴様も腑抜けるなよ?」
「良く言うわロリババアが」
「うるさいわクソ真面目ジジイ」
そう言いつつ互いに笑みを浮かべる。それが彼女たち流の挨拶なのかもしれない。日色はミカヅキの背に乗る。
「ヒイロ……」
「何だ?」
「もし困ったら……駆けつけるから」
「…………じゃあな」
「……うん!」
カミュはその無表情の顔をクシャッと動かして笑った。
そして傍にいる子供たちも同じように笑顔になりながらお礼を言っている。無論他の者たちもだ。一族の恩人を総出で見送っている。
「行くぞ」
「クイィ!」
「ではなシヴァン」
「ノフォフォフォフォ! 素晴らしい方たちでした!」
「ご、ごごご機嫌ようですぅ!」
こうして四人は、『アスラ族』の集落を後にした。そしてその背中が見えなくなるまでカミュたちは手を振っていた。
※
「行きおったのう」
「ん……」
カミュの表情には少しの寂しさと、確かな決意を秘めた男の顔があった。
そしてカミュは皆に振り向く。
「みんな! 報告に行こう……《墓台岩》へ!」
すると皆は大賛成の如く声を上げる。
《墓台岩》で眠っている仲間たちに、是非今回の素晴らしい経験を話しておきたい。
本当の意味で長として成長した自分を見てもらいたかった。
そして、新たに父であるリグンドの墓も作らなければならない。
砂漠には平和が戻ったが、それでもモンスターもいるし自然の驚異だってある。
それに負けないように、そして『アスラ族』をもっと繁栄させるためにも、カミュは頑張ろうと心に決めた。
日色と同じく、自分は欲張りだ。手に届く限り、全部守ると再度決意した。
そして再び日色に再会した時、名前を呼んでもらえるようにもっと強くなろうと思った。
いつか胸を張って、友に会えるように。
※
砂漠から出ると、そこは大きな森が広がっていた。
「ところで赤ロリ」
「何だ?」
「案内役は任せたが、魔国に着くまではどれくらいかかるんだ?」
「ああ? そんなもの最終目的地に設定しておるに決まっているだろうが。魔界はとんでもなく広い。かなりかかることは覚悟しておくんだな」
どうやら魔国に到着するまで様々な場所を回るらしい。魔界はどの大陸よりも広大であり、多くの集落が存在している。それを全部回ろうと思ったらそれ相応の時間が確実に掛かる。
日色にしても急ぐ旅でもないので、魔界を見て回るルートで進むリリィンの案には別段文句は無かった。
「何か月かかろうが別に構わん。面白いか面白くないかだしな」
「ほほう、数か月で全部見て回れると思っておるのか?」
「…………任せると言った以上、撤回するつもりはない」
「うむ、良い覚悟だ。なら行くぞ」
「いちいち上から物を言うな」
「ほざけ! それは貴様の方だろうが!」
確かにミカヅキに乗って喋っている日色の方が見た目では上から喋っている。リリィンは怒りのオーラを纏わせながら怒鳴る。
「ノフォフォフォフォ! これほど嬉しそうなお嬢様を見られてわたくし感動でございます! ノフォフォフォフォ!」
「どこが嬉しそうだ! また地面に潜りたいか変態め!」
「ノフォフォフォフォ! これは手厳しい!」
「み、皆さん仲良く行きましょうですぅ!」
そんな彼女たちを見ながら日色は溜め息を漏らす。
「……行くか、よだれ鳥」
「クイィ……」
そこで二人に対してリリィンが叫んでいるが無視して進む日色。これからどんな冒険が待っているにせよ、決して静かな旅にはならないだろう。
(魔国に行くのはどれくらいになるか……)
そう思いながら、晴れ渡っている空を見上げる。
そしてふと思った。
今まで行った人間界と獣人界の空も、こんなふうに澄み切っているのかと。
いつかまた訪れる時が来るだろうと思い、前を見据えて一歩を踏み出していった。




