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64:リリィンの実力

「ふわぁ~、さっさと来い小物が」


 あくびをされたことにカチンときたのか、


「グギャギャギャギャギャ!」


 バロンボーンリザードが痛烈な叫び声を上げ、出現させていた赤い球体を彼女目掛けて飛ばしてきた。


 ――シュイィィィィィィィィィィィィンッ!


 空気を切り裂くような物凄い速さで真っ直ぐに向かって来る。

 直撃などすればひとたまりもないだろう。しかしそれでもリリィンは笑みを崩さず、何を思ったか球体に向けて右手だけをかざした。

 すると突如として、上空からガラスを割るような音を響かせ、何かが落下してくる。


 ――グサッ!


 刹那、飛んできた球体の中心には、黄金色に輝く一本の釘が突き刺さっていた。

 その釘の様相は普通の人間では扱えないほどの巨大な釘である。それが球体に刺さり、地面に釘付けにしていた。

 動きが止まった球体は、次第に端々からボロボロと砂のように崩れていく。


(な、何だアレは? というか一体どこから!?)


 日色は釘が飛んできた方向、つまり上空を確認するが、そこには赤い雲が覆っているだけだ。誰もいない。

 なら誰が球体の動きを止めたのかと疑問に思ったが、やはりどう考えてもリリィンが何かをしたとしか思えない。

 リリィンが相変わらずの不敵そうな笑みを作り、今度は人差し指をクイッと地面に向けて動かす。


 すると――――グサグサグサグサグサグサグサッ!


 またも上空から現れた謎の釘。しかも今度は複数だ。その黄金の釘がバロンボーンリザードの身体に次々と突き刺さっていく。


 その光景を日色は唖然として見つめている。

 何が何だか分からない。気づいたら先程の球体は消え去り、SSランクはあろうモンスターが数多の釘を打ちつけられ身動きが取れなくなっている。

 日色が感じていた危機感が、一瞬で風のように去って行ったように感じた。


「グ……ギィ……ガァ……」


 バロンボーンリザードも何とか必死に身体を起こそうとするが、その上にさらに追加と言わんばかりに釘が飛んでくる。

 しかも今度はさっきよりも一際大きな釘だ。大きさも長さもそれぞれ違う複数の釘で、どんどん体中の骨が砕かれていく。尻尾は根元から粉砕され、身体を支えていた腕や足も、無残に粉々にされていく。


 次に日色が目を奪われたのは、リリィンの背中に黒々とした翼が生えて、宙に浮かんでいく姿だ。

 血のように真っ赤な長い髪が揺れ、全てを飲み込むような真っ黒な翼を持ったその少女の姿は、まるでゲームやアニメなどに出てくる悪魔のようだった。


「さて……これが最後だ」


 リリィンは手を空にかざし、そしてそのままバロンボーンリザードに向けてサッと振り下ろす。

 それを合図に、バロンボーンリザードの身体を容易に破壊できるほどの巨大釘が一本、モンスターの頭上に落ちて、物凄い衝撃音とともに粉砕した。

 破壊されてこちらまで破片が飛んでくる。

 そして先程の球体と同じように、しばらくしたら砂のように崩れていき、風で飛ばされていく。

 完全にモンスターが沈黙した姿だった。


「さて、こんなところか」


 まるでいつも行っている作業が終わったかのようにリリィンが淡々と言葉を吐くと、パチンと指を軽く弾く。


 そして――――ピキ……ピキキ……パリィィィィィィン!


 突然周囲の空間に亀裂が入ったかと思うと、ガラスが割れたような音とともに弾け飛んだ。


「何だ!?」


 思わず日色は身構えながら警戒してキョロキョロと辺りを見回す。

 だが空間が割れた先にあった光景は、ほぼ先程と同じような光景だった。

 空には《禁帝雲》があり、島の外には赤い雨が降り続いている。


 だがそんな中、先程と違うのは、リリィンの攻撃で粉々になったはずのバロンボーンリザードが無傷のまま地面に寝そべっていたということだ。それに先程確実に視認した黄金色の釘も見当たらない。


「……?」


 頭が混乱してしまい、状況の分析が遅れる。

 そんな日色をよそに、いつのまにか翼を引っ込め、地面に足をついていたリリィンは、何でもなかったような表情を浮かべこちらに向けて歩いてくる。


「後片付けしておけ。ワタシは寝る」

「畏まりましたお嬢様。お休みなさいませ」


 シウバは何の驚きもなく、礼儀正しく頭を下げながら返事を返した。

 そのまま屋敷に戻って行くリリィンの後ろ姿を見ていると、その彼女がピタリと足を止め、こちらに顔だけ向ける。


「どうだ? ワタシは強いだろ小僧? フフン」


 優越感を含めながらそれだけ言うと、日色の呆然とした表情を見て満足気に笑みを浮かべて再び足を動かし今度こそ屋敷の中に戻って行った。

 シウバは自分の主に言われたことを全うするように、バロンボーンリザードに近づく。


「お、おい、近づいても大丈夫なのか?」

「はい。もう絶命しておりますゆえ」

「ぜ、絶命だと? 死んでる? 死んでるのか?」


 つい二回聞いてしまった。シウバは確かに頷きを返してこう言う。


「驚かれたことと思いますが、今のが我が主の力にございます」

「……力? まさか今のは魔法なのか?」

「左様でございます」

「ちょっと待て、それはおかしいだろ? 確か赤い雨の周辺では魔法は使えないんだろ?」


 その話は他でもない彼らから聞かされたのだ。そしてその証拠に自分も魔法を使おうとしたが確かに使用不可になっていた。


「はい。確かに普通では魔法は使えません。ですが例外もございます」

「例外?」

「それがこれでございます」


 そう言ってシウバが何かを摘まんで見せてくる。目を細めるまでもなく、それはシウバと一緒に採取した《金バラ》の花びらだった。


「それが何だ?」

「この花は、特殊な効果を持っていまして。以前にも申し上げましたが、この花には見た目では判断できないほどの生命力が宿っております」


 それは採取する際に聞いたことがあった。


「その生命力は、人ととても相性が良く、摂取した者にある恩恵をもたらしてくれるのでございます」

「恩恵だと?」

「はい。それは《完全正常》」

「……何だそれは?」


 聞き慣れない言葉だ。


「短い間ですが、これを摂取した者はどんな状態異常も無効化してくれるのでございます」

「状態異常を無効化? ……そうか、だから魔法を使えたのか? いや、そもそも、この赤い雨の効果は状態異常なのか?」

「左様でございます。れっきとした封魔状態という状態異常でございます」

「なるほどな。しかしそんな便利なものがあったのか……」


 もちろん《文字魔法》で『回復』や『正常』と書くと同じ効果は望めるはずだ。しかし今回の場合、魔法自体が使えなかったので、その効果を実感することはできなかった。


「そうか、だから無理をしてでもジイサンに毒の山に行かせて取りに行かせたんだな?」


 それなら納得できる。こんな厄介なモンスターが襲ってくるのだから、備えは必要になる。だからリリィンはシウバに取りに行かせたのだと判断した。しかしシウバは首を振る。


「ノフォフォ、それは残念ながら違います」

「は? 違う?」

「はい。別にこのようなものがあろうとなかろうとお嬢様なら、あの程度のモノに遅れは取りません」

「……だったら何故今回それを?」

「まあ、ああ見えてもお嬢様は自己顕示欲が強いと申しますか……ようするに自分の優れた力を自慢なさりたかったのでございます。他ならぬヒイロ様に」

「……ガキかアイツは?」


 呆れたように溜め息交じりに言う。シウバも楽しそうに笑みを浮かべる。


「ノフォフォ、まあそれだけヒイロ様に対して執着されているということでございます」

「……?」


 眉を寄せて首を傾ける。


「どうでもいい相手に、自分の手の内を見せるほど陽気な方ではございません。ヒイロ様のことを気に入られてらっしゃるからこそ、魔法を使い、ヒイロ様を驚かせてみたかったのでございましょう。ノフォフォフォフォ!」


 どうやら本当にただ自慢したかっただけでわざわざ《金バラ》を用いて魔法を使ったらしい。そんな貴重なものを見栄を張るためだけに使うとは、日色には考えられない。


「しかしだ、魔法も無しにアレをやれるのか?」


 それだけは幾ら考えても疑問だった。レベル的に強いのはもう分かっている。だが魔法無しでSSランクに値するモンスターと純粋な戦闘能力だけで戦えるとは思えなかったのだ。


「ふむふむ。確かに並みの輩では歯が立ちますまい。あのモンスターはバロンボーンリザード。ユニークモンスターであり、ランクSSに相当します」


 やはりそうかと納得顔を浮かべる。


「しかし、どんな強者にも弱点というものがございます。バロンボーンリザードも強者には違いありませんが、例外ではありません。そしてその弱点とは、一本の骨、その核となる一本が他の骨と違い防御力が低いということでございます」

「そうなのか? ということは、その一本を潰せば倒せる?」

「左様でございます、ですがまあ、それでも並みの冒険者などでは歯が立たないとは思いますが、攻撃力が600もあれば簡単に砕けるのでございます」


 600なんていう数字はそう簡単には手に入れられないのだが、それだけあると、一撃を入れるだけで体を崩すことができるらしい。


「つまり接近戦に弱いってことか?」

「左様でございます。だから得意としているのは、先程見せた骨玉と呼ばれる球体を作りだし、それを放つことでございます。その他にも……」


 いろいろ聞いたが、ほとんど遠距離攻撃中心のものばかりだった。というより球体が骨でできていたとは予想していなくて驚いたものだった。


「それでも接近するにはそれ相応の素早さ、核となる一本を見つける洞察力、そして攻撃力が必要になるのでございます。お嬢様はそのどれもが突出なさっております。ですから本来は何も魔法など使わずとも撃退できます。今までもそうしてきたのでございます」

「なるほどな。ところで聞きたいことがあるんだが」

「お嬢様の魔法については、お嬢様自身の許可が無ければ口には出せませんよ?」

「そんなもんはどうでもいい」

「フォ?」


 やはりリリィンの魔法のことを聞いてくるだろうと構えていたシウバだが、肩透かしをくらったようでポカンとしてしまった。


「聞きたいのはあの《禁帝雲》のことだ」

「は、はあ、赤雲のことでございますか?」

「ああ、アレはいつまであそこにいるんだ? 前回は三日とか口にしてたってことは、その間魔法が使えないってことだろ?」

「左様でございます。前回は三日間降り続けました。ですが先程も申し上げたように、今回の赤雲は規模も大きいですし、何より今回出てきたバロンボーンリザードもかなりの大きさでございました。あ、言い忘れていましたが、赤雲の規模とバロンボーンリザードの強さは比例しているのでございます。普段は湖の底で力を蓄えておき、赤雲からの雨からエネルギーを吸収して大きくなるのでございます。従って赤雲の規模が大きいほど、そのエネルギーも膨大。だからバロンボーンリザードも比例して強くなるのでございます。しかもこうして襲ってくるのはただの一度だけでございます。それに命を奪ったとしても、また時間が経てば湖の底から新たなバロンボーンリザードが生まれます」


 自然発生型のモンスターのようだ。しかも基本は臆病であり、こうして魔法が使えない時間だけを見定めて狩りに出てくるという。普段は湖に住んでいる脆弱なモンスターを餌としているらしい。


「なるほどな。モンスターのことは分かった。それで? 外に出るためにはどうしたらいい?」

「外……でございますか?」

「ああ、もう用は無いはずだろ? オレは旅を続けるからな」


 しかしそんな日色の言葉を聞いて、残念そうに眉をひそめるシウバ。


「申し訳ございませんが、この赤い雨が降っている間は外に出るのは危険でございます。先程も申し上げましたが、あの雨はかなりの重さを有しています。バロンボーンリザードは元々赤い雨が集結して生まれたモンスターなので、幾らその身に受けようが傷つきはしませんが、普通の体では真上から無数の石が降り注いでいるのと同じですので、容易にダメージを負ってしまいます」

「むぅ……」


 日色は唸りながら雲を見上げる。

 確かにシウバの言う通り、石のように硬い雨が降っているのであれば、たとえ傘があっても役には立たないだろう。しかも湖を渡るボートも必要になるし、そのボートも間違いなく転覆する。


「それに、なまじ湖を出られたとしても、しばらくの距離は魔法が使えません。それを知ってか、その周辺にモンスターが待ち構えているのでございます。モンスターにしてみれば、魔法を使えない者など、格好の獲物に違いありませんから」

「……そうか、つまりこの憎たらしい雨が止まない限り、ここから出られないということか」

「その方がよろしいかと」


 日色は大きく溜め息を吐く。


(全く、ちょっと食事するだけのつもりだったのが、とんだことになったものだな。オレってつくづく面倒事に巻き込まれてないか……?)


 だが魔法を使えない今の日色ではどうしようもないのが現実である。《金バラ》があればと思いシウバに尋ねるも、ストックはゼロだと聞き項垂れる。


(仕方無いな。あのガキの傍にいるのは問題だが、とりあえずしばらくは様子を見るしかないか)


 そう決めた後、途中で起こされてしまった分、これからしっかりと睡眠をとろうと思い、自室に帰って行った。








 目が覚めると、もう昼を幾分か過ぎていた。

 食室に行くとそこではシウバがタイミングの良いことに、朝食ならぬ昼食を用意していた。良く自分が起きてくることが分かったなと聞くと執事ですからと、またもあの言葉が返ってくる。

 突っ込んでも仕方無いので、黙って食事を食べながら、いまだに降り止まない雨の音を聞いて溜め息を漏らす。


 そこでふと思い出したことがあった。

 そう言えばミカヅキは無事なのだろうかと。

 ミカヅキも赤い雨なんていう奇妙な現象を見るのは初めてだろう。もしかすると混乱に陥って湖にでも落ちていたら大変だ。


 二文字の《文字魔法》を使用したせいで、ミカヅキに施した設置文字が消えて、場所を把握できなくなっていたので、食事が終わったら様子を見に行こうと思った。

 場所は大体分かっているのだが、シウバに一応聞いてみたところ、家畜用の餌場は、屋敷の裏手にあるとのこと。聞いてすぐに屋敷を出てミカヅキの元へと向かう。


 ザーザーザーザーと、すぐ近くで雨が降っているのに、この島には降らないのが不思議で仕方無い。本当に異世界というところは、常識では考えられないことが起こるものだなと思いながら歩を進めていく。

 シウバが言っていたように、裏手には小屋のようなものがあり、そこには鶏のような鳥が何羽か見受けられた。そしてその近くではミカヅキが大人しく座り込んで気持ち良さそうに目を閉じていた。

 何故気持ち良さそうにしているのかと言えば、そのそばにいるある人物が、ミカヅキの毛繕いをしているからだった。


「クイ!」


 ミカヅキは日色の存在に気づき、自分の存在を知らせるように嬉しそうに何度も鳴く。だがミカヅキとは違って、もう一人の人物は、瞬間的に顔を強張らせてこちらを見つめている。

 その人物とは昨晩、何の因果か戦ったばかりだった。


「す、すすすすすすみませんでしたぁっ!」


 そうして慌てながらも謝罪の言葉を言ってくるのは、この屋敷に仕えているメイドであり、昨晩確かに日色と一悶着あったシャモエだった。


「クイ?」


 ミカヅキは何で急にシャモエが、自分の主人に対して謝罪するのか分からず、二人を交互に見比べている。


「あ、あの、あの、その、あの……」


 何を言えば良いのか青ざめた様子でパニック状態に陥っているシャモエ。そんな彼女を見て日色は呆れたように肩を竦めると


「気にするな、とは言わないぞ。危うくこっちは死ぬかもしれなかったんだからな」


 あの時、抵抗しなかったら間違いなく殺されていただろう。そうでなくとも、大怪我を負ったのだ。何も無かったから気にするなとは言えない。

 日色の言葉を受けて申し訳なさそうにシュンとなる。両手を胸で組んで身体を細かく震わせている。もしかしたら報復されるかもしれないと思っているのかもしれない。


 無論日色にはそのようなつもりなどない。あの時は自分の命にも危険があったため刀を抜いて対処しようとしたが、敵意を向けてこない相手に対し何かをするつもりなどない。


「記憶はあるのか?」

「あ、は、は、は、はい、です……」

「それはまた難儀なことだな」


 もし記憶に無ければ、あまり罪悪感を感じることが無いかもしれない。

 しかし彼女には暴走している間も、彼女自身の意識はハッキリと存在しているらしい。だから自分が何もできず、目の前で他人が傷ついていく様子をただ見つめることしかできない。それは彼女のような気の弱そうな人物に対しては拷問に近いことかもしれない。


「ほ、ほほほ本当にも、申し訳ありませんでしたですぅ! シャモエは……シャモエは……とんでもないことを……」


 何度も何度もブンブンブンブンと頭を振っては謝ってくる。

 そんな彼女を見ていると、確かに彼女が起こしたことなのだが、どうも不憫に思えて仕方が無い。女性がこんなふうに何度も謝っている姿を見ても気分は良くない。

 日色は軽く溜め息を吐き口を開く。


「このよだれ鳥に何してたんだ?」

「え? あ、その……よだれ……どり?」

「クイクイクイクイ!」


 久しぶりに会えた主人である日色の顔を嬉しそうに舐め回すミカヅキ。


「ええい! それを止めろといつも言ってるだろうが!」

「クイィィィィッ!」


 嫌々と言った感じで首を横に振るミカヅキ。

 そして日色は、「……こういうことだ」とミカヅキを力ずくで離して、涎塗れの顔をシャモエに見せる。


「あ、な、なるほどです」


 両手を合わせながら得心する。そこでハッとなり、ポケットからハンカチのような布を出して日色に手渡す。日色もまた素直に受け取り涎を拭き取る。


「それで? コイツに何を?」

「あ、そ、それはですね。ブ、ブラッシングをさせて頂いてましたです!」

「そうか、コイツが世話になったようだな」


 ミカヅキの体に触れながら言うと、シャモエは恐縮した様子で首を横に振る。


「い、いいいいえいえ! こ、こんなことしかシャモエはできなくて……それに昨日のこともありますし……ほ、本当はすぐにでもあ、謝らなければならなかったのですが……その……申し訳ありませんです……」


 どうやら昨晩のことで日色にお詫びをしたいと思っていたらしい。

 しかし本人に直接会う勇気がなかなか出ず、こうやってミカヅキを世話することで、間接的にでも何かをしようと思ったのだ。

 もちろん心の準備が整えば、実際に会って謝ろうと思っていたが、そんな矢先に日色から来てしまったので、頭の中は混乱しまくりなのだろう。

 明らかに動揺し、今でも日色の様子をチラチラと怯えるように見る彼女を見て、日色は腕を組みながら口を開く。


「何をそんなに怖がってる?」

「え……あ、その……あぅ……」


 祈るように両手を組みながら口籠っている。話が進まずに少しイライラしてしまう。


「……はぁ、もしかしてオレがお前のことを異常だと思ってると思ってるのか?」


 すると肩がビクッとして、日色の言葉が的を射ていることを示す。

 そして震える唇を動かしながら、彼女が言葉を出していく。


「で、で、ですが、シャモエはその……『魔獣』で……だから……」

「『魔獣』ね……『魔人族』と『獣人族』のハーフだったな」

「は、はいです……」

「それの何が異常なんだ?」


 日色にとって種族の違いなど大したことは無い。

 だからこそ、他種族で交配することの問題など知らないのだ。


「も、元々ハーフというのは忌み嫌われる存在……なのです」

「ほう」


 彼女が言うには、『魔獣』だけに関わらず、大陸をまたいでの他種族交配で生まれた子供は《禁忌》と呼ばれ、全ての種族から蔑まれ疎まれている。その理由として……。


「魔法も使えず、《化装術》も使えない……か」


 ハーフの特徴として、身体的特徴は両種族の特異な部分は持っているものの、互いが使えるはずである魔法や《化装術》が使えないのである。何でも互いの血が反発しあって使えなくなっているという。

 それは『人間族』と『魔人族』のハーフでも同じことであり、魔法が使えなくなる。だからこそ異端とされ、災いの象徴とされハーフは《禁忌》とみなされた。


 無論交配は禁じられ、もしその禁を破って生まれた子供は即追放、もしくは抹殺対象になることもある。

 シャモエの母親は、彼女を覚悟して生んだはずだったが、父親は『獣人族』であり、彼は家族が安心して住める土地を探すために、何とかして獣人の大陸へ渡る方法を見つけようと二人と離れることを選んだ。必ず見つけて戻ると愛する妻と娘に告げて。

 しかしその間、母親と幼いシャモエは、父親が建ててくれた小屋でひっそりと暮らしていたが、近くに住んでいた『魔人族』たちが、彼女たちの存在に気づき接触してきた。その際に、シャモエがハーフだと気づいた彼らは、ここから出て行けと二人を追い出した。


 行く当ても無く、父もまだ帰って来ない。どこかに行くとしても、父親を待つと約束している母親としては、彼を待ってここから遠く離れたくなかった。

 だがそれを良しとしない『魔人族』は、彼女たち自身に手を出すことはさすがに無かったが、それでも侮蔑や嘲笑などは日常茶飯事であり、顔を合わすと当然の如く毛嫌いされた。


 幼いシャモエはともかく、母親の心は段々と擦り切れていった。

 シャモエが五歳になった時、母親の心痛が溜まりに溜まったのか、とうとう倒れてしまった。

 そしてそのまま、シャモエが見守る中で静かに息を引き取ったのだ。


 一人になったシャモエはどうすればいいか全く判断できなかった。母親がいなくなったことを好機と思ったのか、『魔人族』たちは彼女を追い出した。父が作ってくれた小屋も燃やされてしまった。

 帰るところが無くなった彼女は、どこに行けばいいのかも分からず魔界を彷徨うしかなかった。しかし魔法も使えず、幼い彼女が一人で生きていけるほど魔界は優しくは無かった。


 ろくに食べ物を得ることもできず、水ですらどうやって探せばいいか分からず、彼女の心と身体は瀕死の状態に陥っていた。

 もう限界が来てしまい、このまま死ぬのだろうと覚悟せずにいられなかった時、ある人物が倒れているシャモエを見下ろしていたのだ。


「それが、お嬢様だったのです」


 先程のような怯えた顔ではなく、微かに笑みを浮かべて嬉しそうな表情をしている。


「その時、シャモエに手を差し伸べて下さって……も、もう! 超カッコ良かったんですぅ!」

「……は?」


 突然豹変したように目をキラキラさせて日色に詰め寄ってくる。


「倒れているシャモエに『生きたかったらついて来い』って言ってくれたんですぅ! それでそれで、このお屋敷でシャモエを雇って頂けて! しかもしかも、お嬢様は《禁忌》とか気になさらないで! もうすっごくお嬢様には感謝を!」


 そこで自分が我を忘れて、日色に詰め寄っていることに気がついたのか、ハッとなって慌てて距離を取って頭を下げる。


「ふぇぇぇぇぇぇっ! す、すすすすすすすみませんですぅ! は、はははしたないところお見せしてしまいましてぇ! ああもう! シャモエの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁ!」


 どこかで見たような光景だと思いながら、ゴンゴンと家畜用の小屋の壁に頭を打ち付ける彼女を見て肩を竦める。


「いいから気にするな。それで、お前はここで働くことになったってわけか。というより、そんな話をオレにしても良かったのか? オレはただの客だぞ?」


 両親のことも、リリィンのことも、どれも大切な思い出のはずだ。

 そんな話をただの旅人である自分に言うとは、シャモエの正気を疑った日色だったが、そんな彼女は少しだけ笑みを浮かべると首をフルフルと横に振る。


「シ、シウバ様にお聞きしましたです。ヒ、ヒ、ヒイロ様は種族に拘るような方ではありませんと」


(あの変態ジジイ、余計なことを言いやがって)


 心の中で舌打ちをする。


「で、ですからその、お、お見苦しいお話だったかもしれませんが、ぜ、是非聞いて頂きたいと思いましたのですぅ!」

「……そうか、お前が良かったならそれでいい。オレは別に他言しようとも思わないし、見る目があったと褒めてやろう」

「あ、ありがとうございますですぅ!」


 偉そうな日色の言動だが、シャモエは素直に礼を言うだけだった。


(む……オッサンなら突っ込んでいるところだったが、何か素直過ぎるのも調子が狂うな)


 アノールドなら確実に言葉を返しているのだが、それが何となく懐かしいような気がした日色だった。


「まあいいか。お前……そうだな、ドジメイドとでも呼ぶか」

「ド、ドジメイド!?」


 ショックを受けたかのように唖然とする。


「ドジメイド、満月の夜」


 その言葉を聞くとハッと息を飲む。


「自分の力をコントロールできてないようだったが、次は襲うなよ?」

「はぅ! ふぇぇぇぇ……すみませんですぅ……」

「少しはコントロールできる術を見つけるんだな。あの赤ロリに聞け。長いこと生きてるんだから方法くらい知ってるだろ?」

「あ、その……実はですね、もう聞いて実践してはいるのですが……」

「上手くいかず……か?」

「は、はいです……」


 肩を落とし落ち込む様子を見て、日色は彼女を一瞥してミカヅキの方を見る。


「まあ、努力しているならそれでいいんじゃないか?」

「え?」

「少なくとも、今の自分に満足せず努力して変わろうとしてる奴はオレは好感を持つな」

「……へ?」


 日色の言葉を聞き、シャモエは頬をポッと染めて、


「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 突然の叫び声に日色は思わず顔をしかめる。


「い、いいいいえその! こ、こここここ好感って! そ、それって……ふぇぇぇぇぇっ!」


 頬に両手を当てながら驚愕の表情を浮かべている。

 一体何をそんなに驚いているのか分からず日色は眉を寄せて不思議そうに彼女を見つめる。


「ど、どどどどどどうしましょう! シャモエに好感を持ってるって言われちゃいましたですぅ! それって……それって……それってぇ……」


 何やら小声でブツブツ言い出したと思ったら、目を回し始めた、今度はプスプスと頭から湯気のようなものを出すかのように顔を真っ赤にしだした。


(変な奴だな。この屋敷にいる奴らは全員が変人だな)


 シャモエの髪の毛のようなピンク色の妄想を毛ほども理解していない日色は、上空の《禁帝雲》を見ながら、早く雨が止まないかなと思っていた。






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